第二章【05】「初めてのアルバイト」
日中の隠れ家は、夜に比べて静かに落ち着いている。
南地区の街外れも外れ。神社や畑、小さな住宅地しか点在していない森沿いだ。
昼間のお客は一日に四、五人程度で、新規は珍しく常連か関係者ばかり。完全に赤字だと、千雪が度々嘆いていた。
それでも日中に開店しているのは、単純にカモフラージュが目的だ。
街外れの大きくない喫茶店とはいえ、建物事態は悪くない。木造りの明るい店内は気分が落ち着くし、窓いっぱいに広がる自然の風景も味わい深い。狐の隠れ家は文字通り、隠れた名店としてまことしやかに囁かれている。
その為、昼間に店を閉めては不自然極まりないと、通常運営を続けているそうだ。
「まあ昼が稼げなくても夜の連中が贔屓にしてくれてるみたいだし、アヴァロン国からも百鬼夜行の拠点ってことで支援は貰ってるらしいけどな」
「へえ、支援とかもあったのね」
「ま、それでなにが言いたいかっていうと、そんなわけだからサリュは構えなくても大丈夫ってことだ」
この世界に来て初めてどころか、元居た世界でもそういった経験はなかったらしい。
即ち正真正銘の初バイト。
色々と思うところもあるだろうと、気を遣ったつもりだったが。
「あら、せっかくなら沢山働きたかったのに」
と、むしろ少々残念そうな素振りを返される。
「せっかくときたか」
俺には程遠い感覚だ。
姉貴の手伝いで図書館に通っているが、働きたいなどとは初日にすら思わなかった。本の整理やら書類のチェックやら、今でも毎日億劫な気分で重い腰を持ち上げている。
まったく、サリュには敵わない。
「自信満々って感じだな」
「そうでもないわよ。緊張も不安もあるわ。でも、楽しみって気持ちが一番強いの」
言って、にこりと歯を見せる。
多分、強がりでもなんでもない。その証拠に、サリュの足取りは軽快だ。隣を歩いていた筈が、気付けば何度か背中を見ていたり。本人は無自覚だろうが、小さくスキップしている時もあった。
本当に敵わないと辟易するところもあるが、そこはしっかり、背中を押してやりたい。
俺も小さく笑顔で返した。
「そうだな。少なくとも、心配はしなくていい」
経験なしの状態から雇ってくれるばかりでなく、仲の良い千雪がベテランの立場から面倒を見てくれる。おまけに従業員も全員関係者であり、転移から日が浅い部分に関しても手厚いフォロー付きだ。
サリュのバイト先として、これ以上にピッタリなところもないだろう。
「ただし、遊びに行くわけじゃないからな。お金が足りなくて拾って貰えたって事情を忘れるんじゃないぞ」
「分かってるわよ。しっかり働いてお返しするんだから!」
やる気十分。右手を突き上げ、声高々に宣言する。
そんな風に話しながら、隠れ家へと到着した。
背中を森林の緑に彩られた、こじんまりとした喫茶店。名前の通りに隠れ潜んだ、ぽっつりと建つ一軒家。
狐の隠れ家。
俺たちはクローズの立札を気にすることなく、そのままドアを開けて店内へ踏み込んだ。
「おーっす、千雪ーっ」
重いベルの音が反響し、来客を店中に知らせる。
静けさに包まれた店内には、その金属音はあまりに大きい。来店を知らせる代わりに、今の挨拶はかき消されてしまっただろうか。
当然、店の奥から聞こえてくる返事も、はっきりとは聞き取れない。かろうじて反応が分かる程度――なのが、いつもの朝の隠れ家だ。
しかし、今日はどういう訳か。
「はいはいは~い! いらっしゃいませませ~! お待ち下さいお客様~! あ、でもでも、まだ開店前なんですけど~!」
力の入った元気な声が返って来た。
溢れんばかりの活力が、ベルの響きを上書きしている。
それは大人しい千雪や他の従業員たちとは一線を画した声量だ。
「おおう、マジか」
思い当たる節は、一人しか居ない。
「あ! 誰かと思えば、片桐先輩じゃないですか~!」
店の奥から現れたのは、予想通り、随分目立つ風貌の少女だった。
特徴的な銀色の髪と、日本人離れした深い蒼の瞳。二つに結われたツインテールが、彼女の躍動に合わせてふわりと上下する。一見するだけならば、お人形のような綺麗さが振り撒かれている。
しかし、麗美な容姿にはまるで似合わない黄色を基調とした着物。まるで海外から来た旅行客が、なにも知らずに派手な和装を体験しているようだ。
けれど似合っていないわけではない。それは外見以上に、彼女の雰囲気に合致している。
「おはようございますっ、片桐先輩っ!」
一際大きく発せられる挨拶。思わずたじろいでしまう程だ。
にこりと開かれた満面の笑顔には、サリュ以上の快活さと騒がしさが。小さく飛び跳ねるような足取りには、抑えきれていない溢れ出す元気が。
彼女は、神守真白。
狐の隠れ家で働く、俺や千雪の一つ下の後輩だ。
「よ、よう神守。相変わらず元気そうだな」
前言撤回。
生憎今日の隠れ家は、日中から騒がしくなりそうだ。
「そりゃあもう元気元気、スーパー元気ですよ! 今なら真白、隠れ家の元気印とか、二つ名を頂戴してもおかしくありません!」
「そ、そうか。そいつは、うん、凄いな」
「露骨にドン引かないで下さいっ!」
「そこまで苛烈に引いてはないぞ」
「やんわり言ってるだけで否定してないっ!」
「まあうるさいからな」
「今度は直接的になりました! 酷いですっ!」
などと声を上げ、今度はめそめそと泣き始めた。勿論冗談なのだが、いちいちオーバーで困る。悪びれずに言えば、鬱陶しい。
しかし、神守真白という後輩はこういう奴だ。
表情もテンションもコロコロと変わりまくって、時に周囲を置いてけぼりにする程に暴走してしまう。今更この程度は軽いジャブ、本気で呆れることはない。
と、不満げに涙ぐむ神守だったが、一変。俺の後ろからひょっこりと顔を覗かせる、サリュの存在に気付いた。
今度はニヤリと、また別種の笑顔で口元を吊り上げる。
ああくそっ、こいつもか。
「なるほどぉ、後ろの方が噂のお嫁さんですね。いつご紹介してもらえるのかと、楽しみにお待ちしてました。わざわざ真白の為に、こうして足を運んで下さったんですねっ」
「んなわけねぇだろ。お前は俺のなんだよ」
「片桐先輩の、自称大切な後輩です!」
「自称とか付けるくらいなら変な主張すんな。ごくごく平凡な関係の後輩だろうが」
「そんな、……今までのは、全部遊びだったの?」
「妙な空気に持って行こうとするんじゃねぇよ」
畜生、うぜぇ。
おまけに後ろのサリュから、ありもしない疑惑の目を向けられている。
「違うぞサリュ」
「で、でもでも、随分楽しそうじゃない」
「俺は楽しんでねぇ!」
クッソ、ややこしいことにしやがって。
いよいよ本気で止めさせようかと考えたが、そこは神守も馬鹿ではない。満面の笑顔を俺から逸らし、控えていたサリュの方へと向いた。
「というわけで、初めまして! ごくごく平凡な関係の後輩らしい、神守真白ですっ! どうぞよろしくお願いしますねっ!」
気さくに歯を見せ右手をひらひらと振る。
サリュとは初対面だというのに、俺と変わらず元気一直線だ。
満面な笑顔に、大きな声。正直俺には苦手なタイプで、こうやって軽くいなせるようになったのもここ一年の話だ。別に悪い奴じゃないし、今みたいに引き際も弁えている。
しかし言ってしまうと、そういう要領の良さみたいなのも苦手意識を持っていた。
では、サリュはというと。
「ごくごく平凡な後輩。なら、大丈夫ね」
などと真面目に頷き、なにやら納得している様子。
それからぱっと、彼女も笑顔を浮かべて向かい合った。
「カミモリマシロ。じゃあシロ、シロね」
「おおっ、初対面でいきなりあだ名を付けられましたっ!」
驚きながらも、神守は一層嬉しそうに応対した。
思えばサリュも、結構距離を詰めてくるタイプだったか。俺も最初からユーマだったし、姉貴もオトメと呼び捨て。千雪に至ってはチユだ。
それで神守は、――シロときたか。
「なんだか懐かしいですね~。昔はみんなからシロちゃんなんて呼ばれてたんですけど、向こうが恥ずかしいからってやめていっちゃって。犬みたいで好きだったのにな~」
「好きだったのかよ」
分かんねぇ感覚だなオイ。
「はい、シロで大丈夫ですっ。よろしくお願いしますね、……えっと?」
「サリュよ。サリーユ・アークスフィアを縮めてサリュ。ユーマやチユのお友達なら、あなたもそう呼んで頂戴」
「おおっ、思わぬ特典ゲットですっ。先輩お二人とお友達でよかった~」
「特典言うな」
やはり神守は色々と大きくズレてるな。
「それじゃあよろしくお願いします、サリュ先輩」
「先輩なんて付けなくていいわよ。これから働かせてもらうんだから、むしろシロがわたしの先輩よ。わたしがシロ先輩って呼んだ方がいいかしら?」
「ええっ、そんなの恐れ多いよっ。真白の方が年下なのに」
「それじゃあイーブンで行きましょう。シロはシロで、わたしもサリュ。それでいいんじゃない?」
「んと、それじゃあサリュちゃん、かな」
「ええ、ええ! よろしくね、シロ!」
「うんっ。よろしくサリュちゃん!」
言い合い、笑い合う二人。
とんとん拍子とはこのことか。驚く程簡単に馴染めたみたいだ。
俺にはとても信じられないが、お互い押せ押せタイプ。同じ波長ということもあり、がっちり型がはまったのかもしれないな。
「真白。来たの、サリュちゃんだったでしょ?」
自己紹介が終わり丁度、遅れて千雪がカウンターの奥から出て来た。
神守とは違い、落ち着いた色合いの様相。いつもの淡い水色の着物に、白いエプロンとカチューシャのスタイルだ。
盛り上がる俺たちを見ると、安心したように目を細めた。
「あらビックリ。似たようなタイプだとは思ってたけど、こんなに早く仲良くなるなんてね。心配なかったみたい」
「千雪ちゃ~ん。それって真白とサリュちゃん、どっちへの心配?」
「そんなの明白でしょ。距離感がつかめずにガンガン押しちゃう誰かさんよ」
ま、どっちもどっちみたいだけどね。
言って、千雪はからかうように二人を交互に見た。
「それにしても早い時間だね。約束の八時まで一時間近くあるけど。それに、ゆーくんまで一緒に来てるし」
「来ちゃあ不味かったか?」
「そんなことないけど、私はサリュちゃんだけを呼んだつもりだったからさ。耳が早いのはさておき、まさか同行までするなんて、ちょっぴり意外だった」
「お前もいちいちからかうんじゃねぇよ。朝からこれで何度目だ」
「それはゆーくんが見せつけてくるからでしょ。自業自得よ」
いや、違うだろ。
……違うよな?
「心配なのは分かるけど、過保護じゃない?」
「そういう訳じゃねぇって。今日一日やることがなかったから付き合っただけだ」
「それはそれで悲しいと思うんだけど」
「うるせぇほっとけ」
「でも助かるといえば助かるかな。開店前の練習になって貰えそうだし。接客とかコーヒーとか」
「堂々と本人の前で言うな。付き添いとはいえ一応客だぞ」
「それじゃあ、お客様にはお代を戴かないとね」
ぴしゃりと言われてしまう。余計なことを言ってしまったか。
とはいえ、いつも世話になっている。それくらいの協力は惜しまないが。
「おはようチユ! 今日はよろしくね!」
見ればサリュもやる気十分で、いよいよだと目をキラキラさせている。
眩しいヤツめ。
「サリュちゃん子どもみたいですね~」
「神守。そういうのは思っても言うんじゃねぇ」
「それじゃあ、サリュちゃんが好きってことは、先輩はロリコンというやつでは?」
「それも言うんじゃねぇ。違うからな」
「違うんですか?」
「断じて違うだろ」
即答する。
俺がロリコンだと? それはないだろ。
なんたって、俺がもっとも魅力を感じているのは――。
「確かに、片桐先輩っておっぱい好きですしね。順当に、ナイスバディな年上って部分に惹かれてるんでしょうか?」
「……違ぇよ」
「断じて下さいよ」
げんなりと、呆れ顔を向けられてしまった。
ああくそっ、ほんとにこいつは、畜生。
ともあれ、さっそく準備を始めよう。
そう促され、サリュは千雪に連れられてバックルームへ入っていった。




