第一章【35】「エピローグⅡ」
リリーシャ・ユークリニドの件。
理解しがたい部分も多いが、一通りは把握した。
なにかと不安も不満も多いが、言い出したらキリがない。
間違いなく大丈夫ではないが、……でも姉貴が言い出したのなら、最悪にはならないはずだと無理矢理飲み込んだ。
しかし居心地は悪いので早々に退室させてもらう。
と。
「カタギリユウマ」
廊下に出てすぐ。
続けて出て来たのは、意外にもヴァン・レオンハートだった。
いや、考えてみれば当然だ。
サリュはリリーシャの待遇などについて色々あるだろうが、……こいつにとってはサリュもリリーシャも危険因子でしかない。
複雑な感情を処理しきれないのは俺と同じか。
まあ、危険因子という話なら、俺にとってはこの騎士様もだが。
「フ。そう邪険に睨まないでくれ。と、言いたいところだが無理な話か」
「……お前に殺されかけてるんでな」
「昨日の敵が味方となる。標的だった転移者が、今日は同じ所属となる。色々と腑に落ちないことだらけだろう」
「ああ、変かよ」
「変なものか。当たり前の感情だ」
「……ヴァン・レオンハート」
「長いだろう。ヴァンで構わない」
今後も色々と縁があるだろう。そう続けて笑う。
その縁とは仲間としてか、それとも。
「覚えておきたまえ。異なる世界を受け入れるとは、そういうことだと」
それが異世界転移。
今、日本国が抱えている大きな問題。
「……ああ」
結局俺は関わっていながら、なにも知らなかった。それを思い知らされた。
俯く俺に、男――ヴァンが笑う。
「まあなんだ、君もボクもまだまだ若い。互いに不満を飲み込んで成長しようじゃないか。日本国ではこういうべきかな。酸いも甘いも嚙み分ける、と」
「若いって、お前いくつなんだよ」
「サリーユ君の一つ上、二十だよ」
目を見張った。
驚いたのは年上だったことじゃない。正直もっと上だと思っていた。てっきり、二十中頃くらいだと。
たった三つ上。それでこの男は、第一級の戦士なのだ。サリュもこいつも、異世界人はどうかしてるぞ。
「ではね、ユウマ。次に会う時、ボクの剣が君の首を断たないことを祈っているよ」
「言ってくれるな、……ヴァン」
「本心さ」
それはつまり、その時が来れば容赦はしないということに他ならない。
仕方がない。短い時間だったが、こいつがそういう男だっていうことは、嫌という程思い知らされたのだから。
それで話は終わりだ。
騎士はそのまま振り向くことなく、歩き去っていった。
◇ ◇ ◇
サリュは募る話もあるだろうということで、先に部屋を離れ、とりあえず地下へと向かう。
廊下を抜けて階段を下り、一階の大広間へ。
昨日のうちに補修が綺麗に終わったようで、見慣れた道をエレベーターへ進む。
と、先日と同じところでアッドの姿を見かけた。向こうもこちらに気付いて、右手を大きく振り上げる。随分上機嫌のようだが。
「おうアッド」
「オーウ! ヤッタゼ弟ォ!」
「お、なんだなんだ?」
「昨夜の件で第四級から第三級へ昇級だ! いよいよオレ様の実力ガ認められてきたッテことダナ!」
「やったじゃねぇか」
「オウヨ! オメーも第四級だッテナ! いつか追いツいてキやガレ」
「言いやがったな。だったら追い抜かしてやるよ」
「ハッ」
「へっ」
ガツンと右の拳を打ち合わせる。
それ以上は要らない。お互い思うところは色々あるが、今話すことじゃない。今はただ昇級をたたえ合って、それだけでいい。
細かい話はまた別の時に、だ。
「マタ隠れ家で詳しクナ!」
「落ち着いたらそうしよう」
そんな軽い口約束をして、それぞれ別の方向へ歩き出す。お互いやることが違うのだから、当然のことだ。
けれどまた戦いがあるなら、あいつと一緒がいい。
そんな風にこぼしながら、その場を後にした。
◇ ◇ ◇
エレベーターで地下へ。
降りたら廊下を進んで、突き当りを左。そのまま一番奥の部屋には『乙女』と書かれたプラカードがかかっており、それが目印だ。
扉を開ける。部屋の中は本の山が散らかっており、まだまだ人が住めるとは言い難い。出来れば早いうちに綺麗にしてしまいたいが。
「少しだけ、休憩だな」
先程と同じように、片付けられた部分の床に寝転がる。掃除に取り掛かるには、疲れが溜まり過ぎている。せめてサリュが戻ってくるまでは休ませて貰おう。
「それにしても」
色々とあった。
今日も昨日も一昨日も、大騒動で大惨事だった。本当に大変で、死に物狂いで駆け回って。
だけどまたこうやって、図書館へ帰って来れた。そのままで待ってくれていた、この場所へと。
「……異世界、転移か」
世界は一つじゃない。
ここよりもっと遠くの外に、世界間を越えて異なる場所が、国が存在している。沢山の、きっと何百何千、何万の世界があるんだろう。
これからも色んな奴らがやってきて、その度に事件が起こって。誰かが傷付くことも、なにかが壊れてしまうこともあるだろう。
その渦中で、ここが失くなるのはごめんだ。
だから俺たちは戦う。
俺なんかにも出来ることがあるなら、全力で立ち向かう。
だけどそれだけじゃなくて。
「いつか」
いつかここを出て、サリュたちみたいに、どこか遠くの世界へ。
自分が転移者になることも、あるのだろうか?
「……なに言ってんだか」
まだまだ問題は山積みだ。もっと近く、今この場所をなんとかしなきゃいけないってのに。
だけどもし、ここより外があるならと。
そんな、柄にもないことを考えてしまった。
それ程までに刺激的で、強烈な三日間だった。
◆ ◆ ◆
わたしがオトメから聞いたのは、リリの安否だけだった。
あの後意識を失ったリリは、アヴァロン国が運営するこの世界の病院に運ばれ、治療と監視を同時に行われている。昨夜倒れてから、未だに一度も目を覚ましていないらしい。
表向きは普通の病院だから、行けば面会も可能。起きれば事情聴取や刑罰が行われるだろうから、むしろ今の内しか会うことは出来ないかもしれない。
そう教えて貰えた。
けれど、今は行ける気がしない。足を踏み出すことが出来ない。
リリに会って、なにを言えばいいのか。傷付き眠るあの子に、どんな顔を向ければいいのか。
それがまだ整理出来ていないから。
「なにかあったら、教えて頂戴」
オトメには、そう応えることしか出来なかった。
そんなわたしをオトメは責めない。どころか、それでいいと、優しい笑顔を浮かべた。
「ヴァン君から状況は聞いたよ。付き合いの長い友人だったんだろう。それが世界を越えて追いかけて来たばかりか、その理由が恨みや殺意だ。そう簡単に割り切れるものじゃない」
「……割り切れてるわよ。わたしはあの子を攻撃したわ。殺してしまいかねない魔法も使った」
「生憎、割り切ることと戦うことは違う。戦う為に必要なのは、踏みにじるという覚悟だ」
「……覚悟」
「そう、そして覚悟だけでは続けられない。彼女が目覚めて再び戦うにしろ、幸運にも和解出来るにしろ、君たちは向かい合う。その時には、覚悟を持って行ってはいけない」
覚悟は決めれば決める程に、そうするしかないと自分を狭めてしまう。
覚悟は便利であるが、選択の一つでしかない。
「それを間違ってはいけない」
その言葉は、胸を突かれたような痛みを伴った。目を逸らそうとしているものから、逃げるなって、そう言われたんだと思う。
あまりに重く、鋭い指摘。にも関わらず、オトメの笑顔は変わらない。
「はは、ちょっと言い方が押しつけがましくなってしまったか。随分神妙に受け止めてくれているらしい」
「それは、当たり前でしょ。大事なことじゃない」
「大事なことには違いない。だけどね、難しいことではないよ。私が言っているのは単に、その瞬間を味わいなさいってことだけだからね」
「瞬間を、味わう?」
「そうさ」
オトメは言った。
感情を無理に呑み込む必要はない。
状況を切迫して変える必要はない。
そして呑み込めない感情を、変えられない状況を、正面から受け止めぶつかる必要もない。
「味わい、委ねればいい。なにも出来ないというのなら、なにも出来ないを感じなさい。逃げたって構わない。いつか答えが出るかもしれない。逃げなくたって構わない。不意に答えが見えるかもしれない」
「……えっ、と」
「はは、また難しい言い方をしたかな。つまり、ね」
――なにかを変えようとする必要なんて、ないんだよ。
オトメは、そう言って笑った。
「放っておけば、状況なんて勝手に変わっていくものさ。状況だけでなく、感情も。自分の感情は勿論、相手の感情もね。いつまでも同じで在ることの方が、よっぽど難しい」
「そうかしら」
「私はそうだと思ってる。そして上手く事が運びそうな時を見極め、その際も、感じるまま思うままに行動しなさい。チャンスってのは、必ずやってくるものだからね」
それでも焦る気持ちがあるのなら、なにかをしていなければ落ち着かないなら。
そのチャンスを逃さない準備をしなさい。覚悟も決断も後に回して、その時の選択肢を増やす為に備えなさい。
「それにサリュ。君はまだこの世界に来て間もないんだから、知らないことも沢山じゃない。見たことないものも、味わったことのないものも、山のように待っているわ」
「……うん」
「今はそれを知ることに集中しなさい。存分に学んで、感じるままに楽しみなさい。そうしてれば自然と、その時が来て、きっと後悔しない選択が出来る筈よ」
「……そう、ね」
それは、オトメの言う通りだと思う。
悩みは尽きない。考えることは沢山ある。俯こうと思えばいつまでも俯けるし、それはきっと、いつでも出来ることだ。
けれど今目の前に在ることを、瞬間を味わうことは、その瞬間にしか出来ないんだと思う。
それを逃してしまうのは、――ああ、なんて。
「――勿体ない、わよね」
わたしの答えに、オトメは小さく頷いた。
後悔は尽きない。
失敗も忘れられない。反省し始めたら、恐らく永遠に終わらない。
でも、それに囚われていたら、大事なものを見落としてしまう。
もしかすると、その見落としたものこそが、次の失敗を引き起こしてしまうのかもしれない。
だから前を向こう。
なんてことはない。
この世界に居たくて。
この世界の人たちと触れ合いたくて。
知らなかったことを知りたいから。
その為にわたしは、思うままに、笑顔でいよう。
前のめりになった身体は、自然とそのまま進み出した。
第一章これにて完結です!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
裕馬やサリュたちの戦い、楽しんでいただけましたでしょうか?
このまま物語は第二章へ向かいます。続けて楽しんでいただけたら幸いです。
これからも誠心誠意、彼らの物語を書き続けていきます!
今後ともよろしくお願いいたします!