第一章【30】「焔の大剣」
だからもう、我慢しない。
我慢しねェ!
「おおおおおおおおおぁぁぁあああ■あああアアアアア■■アアア!」
叫びを響かせる。身体の熱が、収まらない。
熱い、熱い、熱い!
破壊衝動嗜虐残虐暴虐殺戮!
戦エ! 壊セ! 壊セ壊セ殺セ殺セコロセ!
――俺は、鬼だ!
「が、ガガガ、ガガガアガガガガ■■ガ□ガ■□ガァァァアアアアア!」
拳を振るう。爪を突き立てる。
蹴り上げ、身体をぶつけ、ありとあらゆる暴力を真正面から叩き付け続ける。
目前の女を殺したい。ぐちゃぐちゃに引き裂いて、その命を散らしてやりたい。
だってのに、見えない壁が手を阻んできやがる。殴り飛ばしても喰らいかかっても、その全てが防御される。
丸く張り巡らされた防壁は、ノイズが乱れるばかりで壊れやしない。
「邪魔すんじゃねェ!」
一際大きく右手を振り被り、殴りつける。
すると防壁に阻まれるが、大きく弾き飛ばすことに成功した。女の身体が防壁ごと、遠くの空へと打ち出される。
そして飛んでいくソレへと、足元のビルを踏みつけ跳び上がった。元々壊れていた建物が、更に大きな振動と共に破片を散らす。構うものか、どーせ壊れてんだから同じだろ。
瞬時に跳ね上がり、女へと追いすがる。そうして再度殴り付け、更に遠くへと吹き飛ばしてやった。
ボール遊びとは、我ながらよく言ったもんだ。
しかしその最中、女の周囲から無数の黒い光が放たれた。
黒色の稲妻から始まり、一直線の光線、うねり暴れる蛇、鋭い黒槍。それら全てがひとまとまりに降り注ぐが、関係ねェ。
「ハハハッ、ハハハ■□ハハハハ■■□ハハハ!」
稲妻が直撃し爆発する。光線の奔流が身体に打ち付けられる。黒蛇たちが押し弾こうと叩き付けられ、黒槍が突き刺さり血が噴き出す。
だがそれだけだ。さっきまでの俺とは違う。簡単に身体を消し炭にされることもなければ、致命傷さえ困難な硬さを誇っている。
たとえ立て続けに削って傷付けたところで、死なねぇし治る。
この程度じゃあ止まらねェ!
「無駄なんだよォオオオ!」
ビルを駆け抜け、飛び移り、何度も女の防壁へと拳を叩き付ける。
先程同様反撃を喰らうこともあるが、その全てを正面から受け止め弾いてやった。
向こうも相当な盾だが、こっちだって負けちゃいねェ!
これが本物の鬼だ!
「誰が相手にならねぇだってェ、女ァ!」
だから逃げんじゃねぇよ!
俺に殺されろ!
「オオオオオアア□アアア■■アアア!」
攻撃を続け、女を追い込んでいく。
やがて、それは遂に街を抜けた。明かりに包まれていた空を通り過ぎ、光の失せた暗闇の中へと踏み込む。
目的の森が視界に入る距離だ。
「っと、ごめんよォ!」
不覚にも田畑へ着地し、辺り一面の大地が膨れ上がり破裂する。
申し訳ねぇことをしたが、生憎今の俺には関係ない。
俺が喰いたいのは肉だ!
あの女の肉を喰らいたいんだ!
「もう少しだ!」
森の結界へ落としちまえば、弱体化するらしいからな。
そうすればあの盾を貫き、女の血肉にありつくことが出来る。
期待に腹が音を立てた。旨そうな肉だ。小さいから喰い足りないかもしれねぇが、絶品ってのは物足りねぇくらいが丁度良い!
ああでも畜生、だったらあのクソ騎士野郎め、貴重な左腕を斬りやがって勿体ねぇ。空腹すら収まらなかったら、アイツをデザートにでもしてやろうか?
まあいい。今はこの女を殺す。それだけだァ!
「女ァ、殺ス!」
目前を睨み付ける。
遅れて着地した女もまた、こちらを真っ直ぐに見ていた。未だに落ち着いた、生意気な視線だ。
背後に控えたあの森になにが隠されているのか、まるで考えていないんだろう。今からその時が楽しみだ。
「殺ス、殺ス!」
殺シテ細カク砕イテ、喰ッテヤル!
「……ッハ、まさかここまで化物なんてね」
「当てが外れたかよ! 後悔先に立たずって言葉、知ってるかァ?」
「知ってるよ。余計な知識を貰ってるから」
「そりゃあいい、博識なこった!」
「ま、でもその言葉は自分に聞かせるべきじゃない? それ程の力を持ってるなら、もっと早く使っていればよかったのに」
「ァア?」
「サリーユやあの剣使いが万全の状態で使って、仲良く一緒に戦ってたら、あたしの負けだったかもね」
「ハッ!」
まだふざけたことを言ってやがる。
だったら思い知らせてやるよ!
「ラアッ!」
大地を踏み締め、一足で飛び出す。そして防壁の間際へと辿り着き、右の拳を大きく振り被った。
この一発で、森まで運んでやる。そのつもりで全力を賭し、拳を叩き付ける。
だが、
「――――ア」
その一撃を突き出す寸前。
ゴキリと、右腕をなにかが貫通した。
拳から肘の辺りまで、一直線に難なく突き抜ける一撃。
「こいつはァ」
剣だ。
鋭く砥がれた黒塗りの長剣が、いとも簡単に鬼血を貫きやがった。
遅れてその黒が霧散し、血が噴き出した。ぽっかりと開いた傷口はすぐさま回復を始めるが、その隙に今度は左肩に一撃を受けた。
今度は槍、さっきも貫かれた黒槍だ。そして続けざま、右の脇腹を短刀が穿つ。左頭部を細い光線が削り散らす。幾つもの尖った黒い飛礫が、身体に突き立てられる。
なんだ、なんでだ。
何故だァ!
「クソガァ!」
回復した右腕で防壁を殴り付ける。だが咄嗟の一撃に威力は無い。まんまと防がれ、女は後ずさることすらない。盾もまたノイズが走るだけで、砕けることはない。
代わりにその右腕を、またもや漆黒の剣が貫く。血肉を抉り散らせる。
「何故、だ」
「簡単な話だよ。あなたは面積の少ない攻撃に弱い」
「はァ?」
「光線や光弾、雷撃は凌いでみせる。角の生えた状態のあなたの皮膚は硬く、単純な威力だけの攻撃は全部弾かれた」
けれど。
その言葉に合わせ、背中から腹部へ一筋。
雷槍が貫いた。
「力を一点に集中させれば、いとも簡単に貫くことが出来る。あなたの守りは面に強く、点に脆い」
「ぐ、ば……ァ」
鉄の味が、広がる。
なんでまた俺は、跪いているんだ。
「畜生、畜生がァ」
今更分かった。
こいつは、逃げながら色んな種類の攻撃を試していたんだ。こっちが力任せに殴り続けている間も、この女は、こうなるように組み上げていたんだ。
結局また、手の上で躍らされてたってことかよ。
女は、また笑った。
「やっぱり化物は化物、結局は能無しの力任せ。野蛮で下劣で低俗。あたしに敵う道理なんてあるわけない」
「言ってくれるじゃねぇか」
「たとえ殴り続けていたところで、あたしの盾は砕けないよ。それともこんな街の外れに連れ出して、なにか策でもあったのかな?」
「ハッ、どうだか」
「もしかして、サリーユと引き離して回復させるつもりだったとか? 無理無理、無理だよ。あの子はあたしを殺せない。戦力にはなり得ない」
だから、俺たちには勝ち得ないと。
女は笑うのだった。
「ごちゃごちゃと、うるせぇな」
散々聞かされた。御託はもう沢山だ。
勝てないだって? 面白ぇこと言いやがる。
あと一歩まで追い込まれているのがどちらなのか、知りもしない。
防壁を破壊出来なくとも、構わねぇ。森へ落とせばそれで片が着く。それで俺の勝ちになる。他の奴らの手なんて要らねぇ。
俺が仕留め、俺だけが喰らうんだからよォ!
「オオオ■□オオオオアアアア■■■アアアア■□□アアア!」
声を上げる。全身に力を込め、身体に纏わりついた魔法の全てを弾き砕いた。剣も槍も、その全てを粉々に霧散させる。
そしてすぐさま引き下がり、一歩距離を開く。今の身体ならば、その一瞬だけで十分だ。全身の傷が回復し、再び鬼血が皮膚を覆う。
踏み出す。今度こそ女の身体を森の結界陣へ打ち飛ばす為に、地面が沈む程の踏み込みで勢いを付ける。
そのまま一気に拳を振るえば、それで終わりだ!
だが、
「……ア?」
それはその、今度こそが与えられればの話だ。
「これ以上遊びに付き合うつもりはないよ」
女が右手を空に掲げる。
それを合図に、背後に展開される大量の魔法陣。
その数、十や二十の騒ぎじゃない。
もっと沢山の、周囲を埋め尽くすほどの光が広がっている。
「あなたにただ飛ばされてるだけだと思った? あなたの防御を分析してるだけだと思った? それらと並行して、あなたを殺す魔法式を組み立てることなんて、容易い話なのに」
「……クソが」
逃げられるなどとは思わない。
なるほどなァ、結局はレベルが違ったって話かよ。
「頭を吹き飛ばしても死なないあなただけれど、流石に跡形も無くなれば終わるよね」
そして、
「じゃあね、化物」
宣言される。
だが、それが下されるその寸前。
――夜空に、煌々とした光が灯された。
背後からの眩い光量に、全ての影が向こうへ落ちる。
女の動きが止まる。当然だ。それは決して無視できないもの。
俺もまた背後を振り返り、確認する。
そこに浮遊した、一人の小さな少女の姿を。
「……サリュ」
右手を掲げ、構える。
現れているのは、巨大な揺れる高熱の刃。
その太陽のごとき輝きに、目を奪われる。
「リリっ!」
少女は名前を呼んで、すぐに唇を強く結んだ。
溢れそうになった弱みを、必死で喉の奥へ押しとどめるように。
涙ぐみ震える瞳。けれど決して視線を逸らさない。
力強い意志で、対峙する魔法使いを捉え続ける。
「ッは、……ッハハ! どーしたのサリーユ、また半端に抵抗しに来たの? それとも未だに在りもしない友情を取り戻しに来た?」
「いいえ、リリ」
サリュは首を振るった。
もう逃げないと、覚悟は決めて来たと。
「わたしは、あなたと戦うわ」
宣戦布告。
構えた炎を燃え上がらせ、より苛烈な熱量を放つ。
「逃げたことも、知らなかったことも、全部後悔してる。だけどそれを引け目に今のあなたから、本当のリリから目を逸らすことはしない」
「……っは」
「ようやく出会えたあなたから、わたしは逃げない!」
「ははは、ハハハハハ」
「わたしはユーマやこの世界の人たちと生きていきたい。真実のあなたがそれを阻むというのなら、わたしはっ!」
「ハハハハハ! ッハハハハハハハハハ!」
鳴り響く叫笑。
リリーシャは俺に向けていた魔法陣の標的を、全てサリュへと変更した。
展開した光の輪が、怒りに鼓動し明滅する。
きっともう、二人の間に通じ合えるものはなにもない。
彼女らを繋げていた関係は、全てが失われている。
――それでも最後に、サリュは言った。
「投降して! さっきまでとは違う、今度こそ本気で、あなたを討つわ!」
「ッァァァ、アアアアアアアアアアアア!」
返答は無い。
その怒りが、殺意が、どうしようもない隔絶だ。
そして、放たれる。
炎や稲妻、光や闇。あらゆる力を纏った槍が魔法陣から放たれ、一斉にサリュへと迫る。
だからもう、サリュはやるしかない。
焔が猛り、脈動する。
「――焔の、大剣よ!」
高らかに響く号令。
凝縮した炎の剣が、一直線に放たれ。
そして、
今一度、夜空の闇を紅い線が裂いた。