第一章【03】「VS魔法使い」
直後。
ぐわっと、勢いよく。
身体が、宙へと浮き上がった。
遅れて響く轟音と爆風。
それらに煽られ、更に上へ上へと浮遊していく。
飛んでいる。助け、られた。
「無事かィ、弟ォ! ビームに足とか千切られてネェよナァ?」
「その声」
それに腹部に回された腕。
この鱗のぬめりは間違いない。
「助かった、アッド」
「オウよ! 見タ感じ、無事そうダナ!」
どうやら俺はアッドに抱えられ、大広間を飛んでいるらしい。
リザードマンの身体能力。
特に跳躍力には自信があると本人から聞かされていたが、まさかこれ程とは。
「あらヨ!」
「ぐぇ」
やがてアッドが上階の手摺りに着地し、その勢いで腹部が締まる。
悪ィ悪ィと適当に謝る傍ら、アッドの視線は一点を見下ろしたままだ。
同じく視線を下ろす。ここは、三階か。
「――――」
少女は変わらず、吹き抜けの一階に立っている。
顔を赤くしたまま、決して逃がすまいとこちらを睨み付けて。
「弟ォ。コレ、飲ンどケ」
そう言ってアッドが空いた左手で渡してきたのは、ピンク色の液体が入った小瓶。
いわゆるポーションと呼ばれるものだ。
しかし、この状況でピンクとは……。
「おい。この状況で惚れ薬飲ませてどうするつもりだ」
「ハァ? オメェ、変なこと言ってンじャねェヨ! 回復薬に決まッてンダロ! 惚れ薬ッたらオメエ、もっとドス黒い紫だァ」
「なる、ほど?」
いわゆる世界間の違いってやつか。
納得したところで、震える指先で蓋を回し中身を飲み干した。
甘ったるい味わいが舌から喉へ、喉から全身へと伝わっていく。
即効性なのかすぐに身体が軽くなり、息を吹き返すような感覚が走った。
「おお、スゲえな」
試しにぐるりと左肩を回せば、痛みはあるが全然動く。
こいつはなかなかだ。
「どうダ?」
「楽になった。サンキュー」
「楽になッた、ナァ。そいつァおかしな話ダゼ。ナンたッて実家の母チャン手作りの特注品ポーション。限りナク全快までイケる筈ダロ」
「そうなのか」
「オマケに見ろヨ。警備員のオッさんたちモ、いざッて時の為ニ色々準備して持ッてるもんダロ。ッてのに、のたうち回ッてアノ様ダ」
「回復阻害かなにか、か」
道理で上手くいかないわけだ。こりゃあ相当厄介な相手だぞ。
アッドもそれを感じ取ってか、ぎゅっと腹部に回した腕を強める。苦しい。
「アッド。もう動けるから離せ」
「まあまあ弟ォ。大の男が担がれるッてノは恥ずかしいダローが、ここはオレに任せナ。でないと、今度こソ死ヌゼ」
言い終わるや否や、その脅威が現実の物となる。
再びの閃光と轟く削音。
僅か一秒にも満たない間に、先程まで足を下ろしていた手摺りが失われていた。
どころか一帯の床板まで削られ穴が空き、残された断面が欠片を落とす。
一瞬速く飛び出したアッドに抱えられたまま、冗談みたいな有様に目を見開く。
今までとは比べ物にならない破壊力だ。
これを、あの少女が行ったのか?
今もこちらをキッと見上げる、あの小さな女の子が?
「弟ォ! 舌噛まネェように口閉ジロ!」
アッドの足が天井のシャンデリアに掛かり、直後に身体が振り回される。
別の場所へと引っ張り誘われ、到着と同時にまた別の方向へ。
追いかけるように氷の塊が施設を潰した。
急加速、急停止、また加速。視界はブレ続け立て続けの爆音が耳を叩き、身体には加速の重みと傷の痛みが。
もうしっちゃかめっちゃかで、なにがなんだかわからない。
ただ、そんな中でも追い続け把握してきたものがある。
彼女が放つ攻撃だ。
時に雷、時に炎、風、氷、爆発にビーム光線。あの千差万別の波状攻撃は、恐らく魔法の類だ。
魔女っ娘衣装は伊達じゃないってことか。平気で階層の廊下を抉る威力に、おまけで治癒の阻害とは。
「半端じゃねぇぞ」
「ダナ。だがナンとかならネェ相手でもなイゼ」
「そうなのか――うおっ!」
また振り回され、遅れて爆発が起こる。
四階へ、二階へ、天井へ。次々攻撃を避けていく。
確かにあの魔法はアッドに追い付いていない。
速度ではこちらが有利なのか。
「アッド、武器は?」
「生憎、預かり倉庫ン中ダ。ナニよりオレが持ッちまッタラ、向こうもコウはイカねェ」
「……どういうことだ」
「手心を加えらレてんダヨ。ま、ナンでかは知らネーガナ」
手心。
言われて気が付く。
アッドが二階の手摺りへ飛び移ったのに合わせ、黄色い雷撃が空間を直進する。それが到達するよりも早くアッドは再度飛び上がり、俺も含めて無傷で回避できる。これの繰り返しだ。
彼女は着地狩りや滞空中の隙を狙ったりはしない。着地から次の動きへ移るタイミングを狙ってきている。
「本気で殺す気はないのか?」
少女は変わらずこちらを睨み続けている。
しかし頬の赤みは残っているものの、その様子は随分落ち着いている。
恐らく彼女は今、冷静な判断を下している。
「手心、とはいえ」
大広間はボロボロだ。
何本もの柱が砕かれ、各階層の廊下も穴ボコにされて。うずくまり手足を抑える職員たちの姿も見える。
追加で駆け付けた警備員たちも、まるで埃を払うような仕草で簡単に吹き飛ばされていた。
見たところ死者や重傷者は見当たらないが、それにしたって酷い惨事に変わりない。
「どうすればいい」
「ドースルもナニも、騎士団の到着を待つシかネーダロ。誰かしら通報シテくれてる筈ダ」
「……いや」
その前に、なにか出来ることはないか。
さっきまであの子は確かに動揺していた。それをもう一度作り出すことが出来れば、その隙を取り押さえて無力化を狙える筈だ。
「乙女の姐サンはどうシタ? あの人ガ来てくれりャア百人力ダロ」
「俺が最後に会ったのは仕事部屋だよ」
「ナラ騒ぎは聞き付けテル、カ。そモそモ弟ヨォ。オマエ、ナニやらかシタ?」
「あの子が転移して来た瞬間に居合わせた。……んで、素肌を晒してしまった」
「オーウ。スマン、意味ワカンネー」
「分かんねぇだろうさ。それからは見ての通りだ。攻撃されて、辱められたからには死んで貰うってよ」
「ソイツは仕方ねェナ。落とすカ」
「ここまで乗り掛かったんだ。最後まで付き合ってくれよ」
「ハッ。マ、乙女の姐サンにも良いトコ見せテェしナ!」
声を上げ、攻撃を避ける。
こうして躱し続けるアッドもだが、少女も少女だ。まるで疲れを知らず魔法を放ち続けている。
ああいうのって魔力とかマジックポイントとか、なんらかのゲージを消費するもんじゃないのか。
もし無尽蔵なのだとしたら、余計に止めないと。
「なにか」
彼女はなにか、言ってはいなかっただろうか。
殺す他に、ぶつぶつと。
と、そこで割り入り、響く声が。
「おい! 裕馬っ!」
五階の手摺りに着地し見下ろす。見れば三階の廊下から姉貴がこちらを窺っていた。
事態を聞きつけて来てくれたのか。
「姐サン!」
「おお、アッドもか! ったく、大広間で騒ぎだと聞いて楽しみに来てみれば、渦中に居るのがうちの愚弟だなんてね!」
「聞いてくれ姐サン! この馬鹿、お嬢チャン引ン剝いてスッポンポンにしタらしいゼ!」
なんてこと言いやがるんだこいつ!
姉貴ともども辺り一帯の視線が痛い。いや、確かに間違ってはいないんだが。
姉貴は口元に手を寄せ、少しだけ俯いた。
「あの魔法威力と持続。間違いなく高位に発達した魔法世界のものだろう。それだけでも世界は限定されている」
「姉貴! どうすればいい!」
「それですっぽんぽんにされて怒り心頭と。私の知識で思い当たる場所は、あそこしかないな。なるほど、こいつは面倒だがある意味簡単だ」
「なんだってー?」
なにかを呟き考察しているようだが、まったく聞こえない。
そこでアッドが迫る雷撃に合わせ、三階へと大きく飛び出した。
そして姉貴の傍の手摺りへ足を下ろす。
「愚弟、手短に。なんとか出来るよ」
「ほんとか!」
「あの子に求婚しなさい」
「そうか。…………って、――――は?」
なんだって?
「求婚しろ。結婚してください、ってね」
「はあ!?」
求婚?
結婚?
どういうことだ?
しかし問い詰める間もない。
今度は突っ込んできた巨大ビーム攻撃を間一髪で飛び避ける。
無事躱し、姉貴も丁度近くにあった空洞から飛び降り、二階へ着地した。
「言われた通りにやりな!」
それが最後。
続く攻撃をアッドが躱す内に、完全に距離を分断されてしまった。
「おいおいおいおい!」
畜生どうすりゃいい。
まったく意味が分からねぇ。
「どうしろってんだよ!」
「ンなモン、姐サンが言ッた通りにヤルしかネーダロ!」
「求婚してどうなるんだよ!」
「知ルカ! イイから言われタ通りに、行ッて、きやガレ!」
瞬間、雄叫びと共に。
無慈悲にも俺の身体は、頼れる友人の手から放たれたのであった。
◇ ◇ ◇
求婚。つまりはプロポーズだ。
それを行うに辺り、大事になってくるのは俺の状況だ。
仕事だとか所得だとか堅苦しいことはなしに考えろ。
恋人は? いない。
好きな人は? いない。
気になっている人は? いない。
では逆に気にかけてくれている人は? それもいないだろう。
状況だけ見れば阻むものはなにもない。
オーケー全然ドンと来いだ。
じゃあ次に気持ちの問題だ。
俺だって相手は選びたい。誰でもいいなんて思わない。
出来れば可愛い子がいいのは勿論のこと、好みとか色々ある。
では好みのタイプは?
巨乳だ。
で、あるならば。
「ぐお」
なんとも情けない一声と共に、少女の眼前へと投げ出される。
多分二階くらいの高さから叩き付けられただろうか。
アッドめ、加減はしてくれていただろうが、普通に死ぬからなクソ野郎。
見ろ、件の少女も若干の引き笑いだ。
「あ、あら。ようやく観念して出て来たみたいね。……というか捨てられた?」
「くそっ」
「そして存外に頑丈なのね。なんらかの防御手段を持っているのかしら。治癒阻害を使っているのに、さっきより傷も塞がっているわ」
「……」
なにやら言っているようだが、もはや耳に入って来ない。
聞く必要がない。
ただ身体を起こし、彼女を真っ直ぐに見つめる。
ああやってやる、やってやるよ!
それしかないんだろうが!
「ッ!」
奥歯を噛み締める。
立ち上がる必要は無い。両膝は地面に付いたままだ。
そこに、両手をそれぞれ重ねる。いわゆる武士座り、切腹座りとでも言おうか。
男が覚悟を決めたらコレしかねぇ。
そうだ、やってやる。
それしかないってんなら、やるしかねぇだろ。
なにより俺の不埒が起こした大惨事だ。
全部責任、取って然るべきじゃねぇか。
思わず睨んでしまう形になり、少女はビクリと身体を震わせた。
向こうも睨みを利かせているが、瞳に怯えの揺らぎが見える。そのお陰か、追撃は来ない。
ここで一気に畳み掛けるしかねぇ!
「悪かった! まず、謝らせてくれ!」
叫ぶ。
まずはこれを伝えなければいけない。
「俺はお前に不埒を働き、素肌を暴いた! 本当に悪かった!」
完全にこちらのミスだった。
全力の謝罪。ここから始めなければ。
だけど当然、それで終わる話ではない。
「ふん。言った筈よ。辱めた罪は、死で償わせると」
そうだ。彼女は異世界からこの世界へとやってきた。
郷に入っては郷に従えとはいうが、それが通じる相手ではない。
彼女は彼女が育ってきた世界の流儀として、俺の罪を許すことが出来ない。
じゃあ殺されるしかないのか?
――いいや、それだけじゃなかった筈だ。
今更分かった。
彼女が、もう一つの選択肢を口にしていたことが。
そういうことだな、姉貴。
「死ぬのはごめんだ」
「でしょうね。けれど許さないわ」
「ならせめて聞いてくれ」
「……遺言ってこと?」
「それでもいい。俺は、お前に」
さあ、やってやるよ。
「――俺はお前に、一目で惚れた!」
勢いのままに、両手を叩きつけ、頭を下げる。
額を地面に擦り付け、限界まで身を低く、低く。
一世一代の大土下座だ。
そしてそのまま、声を大にして叫ぶ!
「責任を取る! 俺と、――俺と結婚してくれぇぇぇえええええ!!!」
空気を震わせる宣言と、心に響く唸り。
その反響だけが、広間一帯の空気を震撼させる。
優に五階まで、更に奥の部屋まで轟いていたらしい。
後に「傍迷惑なプロポーズ」として語り継がれることとなった、命を懸けた大博打。
「……け、結婚っ、……っ!?」
戸惑う少女の声。
顔を上げれば、彼女は先刻と同じように顔を真っ赤に動揺している。
気付けば右手も構えを解いて、両手でぎゅっととんがり帽子の端を握りしめた。
「そんなの、でもわたし、運命で、結婚が、……ぷ、プロポーズ」
果たして、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
永遠にも感じられる静寂の中で、小さく呟きを続ける少女。
けれどもやがて、彼女さえ言葉を止めた。
「う……あ、……その」
そして次にその口が開かれた時、答えが紡がれる。
彼女は――。
「……ま、まずは、…………お、お付き合いから、で」
よろしくお願いします。
最後は消え入りそうになりながらも、確かにそう言った。
◇ ◇ ◇
そして大団円へ。
とは、当然いかない。
――不意打ちに。
「――遅ればせながら、参上致しました」
ガチャリ、と、響く金属音。
重く低い声が、どこからともなく聞こえてくる。
「標的の黒衣の少女を視認」
「囲め」
「はっ」
現れたのは、三つの影。
白い甲冑を身に纏い、赤いマントをはためかせる男たち。
彼らは一瞬にして少女を取り囲み、そして。
そのまま同時に、腰元に携えた、大振りの剣を振り抜き――。
「我らアヴァロン聖騎士団」
「要請と勅命により」
「対象を速やかに排除する」
そして騎士たちは白刃を天に掲げ、容赦なく小さな身体へと振り下ろす。
俺はただ、その光景を見ていることしか出来なかった。