第一章【28】「ここに居たい、一緒に居たい」
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駆け付けた時、サリュは力無く座り込み、両手で顔を覆っていた。
だから、その表情をうかがうことは出来ない。
けれど、その手を伝う雫があった。
溢れて零れていく涙が見えた。
想像は付いていた。リリーシャの罵声を嫌という程聞かされていたから。
彼女がどういう関係を装っていたのか。如何に全てを否定されたのか。
……その一端に触れてしまったから、こうなっている予感はあった。
後悔した。
図書館の地下で、サリュに尋ねる機会はあったのだ。どうしてこの世界へ来たのか、どういうことをしていたのか。
あの時しっかり話せていたなら、なにかが出来ていたかもしれない。
「サリュ」
彼女を呼ぶ。けれど返事はない。
表情を開くこともなく、嗚咽を上げて、涙を流し続けている。
「……っ」
俺になにが出来る。サリュの為に、なにがしてやれる。
他でもない、こんな俺が。逃げた俺が。
――なにも出来る筈がない。
「……違う」
違うだろ。
さっきから、何度自分に言い聞かせてる。
そうじゃないだろ。
彼女の前へとしゃがみ込む。
そうして、その場に置かれたポーションを拾い上げた。
「サリュ。リリーシャが言っていた。お前が逃げたって。どうしようもない自分の世界から、この世界に逃げて来たって」
「……っあ、ああ、……ごめんっ、なさいっ」
「謝らなくていい。俺もそうだからな」
俺もそうだ、逃げてきた。
問題を起こして、取り返しのつかないことをして、ここまで逃げた。
今でも許せないし、自責に潰されそうになる。こんな俺がなに平然と飯食って生きてるんだって、自暴自棄になる時だってある。
「間違えた俺は最低だと思うし、逃げた選択も正解だったかどうか。それをずっと後悔して、引き摺って今も悩んでる。戻れることなら、全てをやり直したい」
全てをやり直して、元居た場所へ。
なんの引け目も苦しみもない、大勢と並んで歩いていられるところへ。
でもそれは叶わない。
だけど、――だからこそ。
「そんなんだからさ、決めたんだよ。――今度は間違えない、逃げないって」
「……え?」
「悪いことをしたって後悔してる。逃げてズルい奴だとも思う。でもな、そんな俺を受け入れてくれた人たちが居た。……人だけじゃなくて、妖怪とかリザードマンとか、スライムとかオークとかもなんだけど」
この国の人たちが、図書館のみんなが俺を受け入れてくれた。
姉貴もアッドも、千雪や百鬼夜行の妖怪たちも。
失敗して逃げ出した俺を、「ここに居てもいい」って言ってくれたんだ。
「色んな奴らが居て、色んな問題がある。それを出来る限り受け入れようってのが、俺たち図書館と百鬼夜行なんだ。理由なんてない。信じられないけど、みんな物好きでやってるんだよ」
「……受け、入れる? ……でも、でもっ、わたしはっ」
「サリュにも大きな問題がある。だから昨日はアヴァロン国の奴らが攻撃してきたし、今もまだ警戒されてると思う。――でもな、俺たちがサリュを受け入れるかどうかってのは、その問題とはまったく別のところなんだよ」
俺たちが聞きたいのは、これだけだ。
「サリュは、どうしたいんだ?」
「……わたし、は」
「サリュは、俺たちと一緒に居たいと思ってくれるか?」
この国に来たことが、失敗だったとしても構わない。
その結果、元の世界へ戻りたいのか。それともまた別の世界へ逃げ出したいのか。はたまた、俺たちと敵対したいのか。
それはサリュの選択だ。サリュが良いと思う道があるなら、そっちへ進んで貰いたい。
そこでもし、ここに居たいと思ってくれるなら。
この世界を選んでくれるなら。
「サリュが願ってくれるなら、俺は全力で、サリュが抱えてるものを受け入れてみるぞ」
俺が居たいと思う場所に、彼女もまた居たいと思ってくれるなら。
その問題は俺の問題だ。全力で戦ってやるし、何度だって立ち上がってやる。
この場所を守る為に。ここに居るサリュを守る為に。
その結果がどうなるかは分からないけれど。また、間違えてしまうかもしれないけれど。
「俺は、ここからは逃げたくない」
「ユー、マ」
ようやく、サリュが両手を下ろした。
閉ざされていた彼女が顕わになる。
怯えるように揺らぐ瞳。
頬も額も傷だらけで汚れ、見れば全身ボロボロだ。
息も絶え絶えで肩を上下させ、座っているのもやっとだろう。
「……ユーマ」
弱々しい声で、それでもしっかり名前を呼んでくれる。
潤んだ瞳で、真っ直ぐ俺を見てくれる。
「また、間違えるよ。迷惑も絶対かけるよ」
「そんなもん誰だってそうだろ」
「わたし自分勝手だよ。周りも見えてないし、本当にだめな女だよ」
「じゃあ自分勝手に言ってくれよ。サリュはどうしたいんだ?」
「……勝手に。わたしは、……わたしは」
サリュが、ゆっくりと右手を出した。
震えながらも、しっかりと広げられる手のひら。
だから俺は、彼女に小瓶を託した。
「――わたしは、ここに居たい」
「ああ」
「わたしは、ユーマたちと一緒に居たいっ」
サリュは決意してくれた。言ってくれた。
その為に戦うと、俺の手から、小瓶を受け取る。
「よし、やるぞ」
これで大丈夫だ。
サリュの力があれば、なんとか出来る。この事態を終わらせることが出来る。
みんなで力を合わせれば、きっとリリーシャを倒せる。
そう確信し、立ち上がった。
だけど、
その瞬間、だった。
――笑い声。
「ッハハハ!」
即座に振り向くが、手遅れだ。
背後から迫る黒雷に、視界が埋め尽くされた。




