第一章【27】「おこがましい」
わたしは、どうすればよかったんだろう?
爆風に煽られ、吹き飛ばされる。重力に引かれ、地上へと落ちていく。
勝てなかった。リリに攻撃を届かせることが出来なかった。あの子の力に、怒りに、敵うことが出来なかった。
身体が重たくて、思うように動いてくれない。傷が痛くて、集中することが出来ない。
意識がかすむ。
まぶたが、閉じる。
「……ああ」
そうやって眠ったら、全てが無かったことにはならないだろうか。起きたら全部夢の出来事で、なにもかもが守られていた平和な国に戻っていないだろうか。嘘でもいいから、リリと笑い合えていたあの頃に。
それが叶わないなら、いっそのこと、このまま地面に真っ逆さまでも。
そう思った矢先、わたしの身体がふわりと浮かんだ。突然の浮遊感。まさか魔法を発動させられたのだろうか。
違う。痛みに紛れて、背中を抱える腕の感触がある。
誰かが、わたしを受け止めてくれたんだ。
「ユー、マ?」
「残念ながらフィアンセではない」
最悪だ。
助けられたばかりか、不覚にも、気に入らないその声で意識を取り戻すことが出来た。
「申し訳ないが、まともに降りられる場所も少ない。瓦礫の中で構わないな」
「勝手にして。というか、すぐに降ろして」
返事はない。代わりに空から下り、軽い衝撃と足音で、無事男が着地したことを知る。
壊されたビルの一角。わたしはそのまま、折れた柱へもたれかかるように降ろされた。……最後まで優しく扱われたことが、逆に腹立たしい。
だけど彼へ甘えなければいけない程に、今のわたしは疲弊している。座り込んだ身体に力を入れてみるが、立ち上がることも難しそうだ。
「無理をするな。まともに動ける状態ではあるまい」
「それはお互い様、でしょう」
強がってはいるが、彼の呼吸は大きい。リリの黒雷を喰らっているのだから当然か。むしろ無事助かっていたのが不思議なくらい。
せめて疲弊して格好の悪いところを見てやろうと思ったが、彼はすぐに場所を移動した。しかもわたしがもたれている、この柱の丁度後ろ側だ。こんな状況だっていうのに、キザったらしい。
「……ヴァン、だっけ。一応お礼を言わせて頂戴。ありがと」
「正直なところ、協力体制とはいえ君は危険すぎる。そのまま落ちて欲しかったのが本音だが、――生憎戦力を失うのは痛手でね」
「そう、残念だったわね」
口が減らない。
けれど彼の判断は正しい。現状、戦力を失うのは好ましくない。こういう状況を猫の手も借りたいっていうみたいだけれど、その通りだ。
それ程までに、リリは強い。わたしが知っていたよりも、ずっと遥かに強くなっている。レイナの協力によって刻まれた、あの全身の魔法式で。
「……ユーマは無事かしら」
「フ。婚約などとふざけた話を聞いていたが、案外満更でもないようだな」
「うるさいわね。放っておいて」
「しかし助けにいかないところをみると、やはり君も相当のダメージを受けているようだ」
「君もって、弱音が漏れてるわよ」
「おっと、これは参った。揚げ足を取られてしまうとは」
「情けないわね」
「言ってくれる」
不謹慎ながら、互いに小さく笑ってしまった。
けれどすぐに口を閉じる。わたしもヴァンも、理解してしまった。自分たちが動けないという現状が、如何に危機的状況であるかということを。
そんなわたしたちの元に、誰かが向かってくる。壊された建物を飛び移って来るのは、見覚えのあるリザードマンだ。
ユーマの友達の、確か。
「……アッド?」
「オウ、お嬢チャン覚えててくれタカ。無事じャアなさそうだガ、生きててなによりダゼ」
「あなたは、ピンピンしてるのね」
到着したアッドには、見たところ傷一つない。多少埃や汚れがついているくらいだ。わたしと戦った時のスピードがあれば、不思議ではないか。
けれどアッドは大きく肩を落とした。
「アー、お陰様デナ。でもナンの戦力ニモならねエヨ。逃げ回るノデ精一杯だッタ」
「それはそうと、トカゲ男。頼んでおいた件は」
「カーッ! だからトカゲじャネーッテ言ッてンダロ!」
ヴァンの言葉に声を上げる。トカゲ男とは見たままに納得だけれど、本人にとっては譲れない部分らしい。
それより、頼んでおいた件っていうのは。
「ッたくヨォ。安心シロ第一級騎士サマ。ポーション、ダロ」
「ぽー、しょん」
聞き覚えのない言葉だ。
けれど、遅れて知識が引き出される。わたしが知らなくても、ユーマは知っているものだ。
ゲームや書籍の物語で出てくる、異世界の回復薬。彼が手に持った、液体の入った二つの小瓶がそれだ。知識と実物が、問題なく重なる。
それが用意されているということは、つまり。
「悪ィ、すぐニ用意出来たノハ二本だけダ。オレのと、近クニ居たオークが持ッテタのと」
「丁度良い。我々二人が飲めば、まだ打開できる可能性がある」
「ッテもオマエ、全快スル訳じャネーんだゾ!」
「そ、そうよ!」
アッドもわたしも、声を荒げる。
この男は、まだ戦うつもりなんだ。あれだけの魔法攻撃を受けて疲労困憊の筈なのに、まだ立ち上がろうとしている。
ヴァンは言った。
当たり前だ、と。
「リリーシャといったか。彼女は紛れもない、この世界の脅威だ。君のような不穏分子とは違う、明確な敵だ。彼女によって今、日本国は攻撃されている」
ならばどうして引き下がれるか。
そんな選択肢はないと、彼は言う。
「サリーユ・アークスフィア。昨夜森にて君を見逃したのは、君から殺意を感じなかったからだ。悔しいかな相手にもされず、遊ばれるばかりであったが、君にこの世界を侵略する意思はないと判断した」
だから危険ではあるものの、見過ごすことが出来た。撤退という選択があった。
でも今は違う。あの子は、違う。
「彼女を見過ごすことは出来ない。僕には彼女を敵対勢力として、――処分する義務がある」
そしてヴァンがわたしたちの前へと姿を現した。
鎧もマントもボロボロになり、額から血を流し、左目は大きく腫れ上がり閉じられている。再び携えた剣も、右手で持つばかり。左腕は力無く垂れ下がっていた。
その満身創痍な姿を、わたしたちに晒した。
ヴァンはそのまま聖剣を床に突き立て、右手でアッドのポーションを奪った。
内の一本を、口内へと流し込む。
「フム、良品だ。多少は身体が軽くなったか。なにより左腕が動いてくれる」
「オイ、騎士サマヨォ、正気カ?」
「では誰が事態を収める? 逆に問わせて貰おう。何故君たちは、動かずに居られるのか」
彼の言葉が、真っ直ぐに突き立てられる。
直後、大きな爆発が巻き起こった。遠くのビルから硝煙が上がり、それから何度も何度も、明滅する光が目に映った
誰かが戦っているんだ。今この時も、まだ。
「アヴァロン国の仲間かもしれない。百鬼夜行の同志かもしれない。カタギリユウマである可能性も、十分にあるだろう」
「……ユーマ、が」
「彼は昨夜、僕と相対し決して目を逸らさなかった。隙を窺い逃げようと、諦めて死ぬまいと、必死に抗っていた。彼があそこに居るのなら、戦っていても不思議ではない」
それなのにどうして、わたしの身体は動いてくれないの?
ただ見ているだけで、座り込んだままなの?
ヴァンがわたしの目前へと、ポーションの小瓶を置いてみせた。
それを最後に、彼はわたしへ背を向ける。視線の先を、真っ直ぐ戦場へと固定する。
「サリーユ・アークスフィア。君の力はなんの為にある」
「……わたしは」
だけどこの力は、リリと戦う為のものじゃない。
誰かを傷付ける為に、育てたかった訳じゃない。
「――勝手にするがいい」
それだけを言い残し、彼はこの場を後にした。
◇ ◇ ◇
「……そんなの」
勝手にって、なに?
勝手にって、どうすればいいの?
その結果が今を作っているのに、わたしになにを選べっていうの?
間違えてばかりだったわたしに、なにが出来るっていうの?
リリのことも知らなかった。
なにも知ろうとしていなかった。
あの子がわたしに思っていた感情も、抱えていた素顔も、考えたことすらなかった。
平和な時代はただリリに憧れてばかりで、自分に出来ないことを尋ねていただけ。
戦争が始まってからは、ただわたしが辛いって気持ちをぶちまけていただけ。
知ろうとしていなかった、どころの話じゃない。
わたしはただ、一方的に甘えていた。利用していたと言ってもいい。
友達なんて言いふらして、親友なんて聞こえの良い言葉で、都合のいいように扱って。
わたしがリリを視ていなかったから、彼女は当然のようにわたしを恨んだだけだ。
――裏切られたなんて、おこがましい。
リリだけじゃない。
戦争が始まって、わたしは多くの人を傷付けた。
命すら奪い、国そのものを滅ぼした。
今でも鮮明に浮かぶ。
砂埃が巻き上がり、舌の上で転がる不快感を。
なにもかもが失われた荒野で立ち尽くし、家屋の残骸や草木の塵を見下ろしていたことを。
横たわる沢山の死骸を眺め、感傷に暮れていたことを。
壊して潰して千切って燃やして更地へと変えてやったのは、他でもない、わたしなのに。
全てを奪ったのはわたしの力なのに。
――悲しいなんて、おこがましい。
その全ての罪がありながら、わたしはこの世界へと逃げてきた。
背負い切れない、こんな場所には居られないって、逃げ出したい衝動を願いにした。
なんでも叶えてくれる宝箱。それが本当なら、もっと違うことを願えばよかったのに。
戦争の終わりや国の繁栄、仲間や師の幸せを願うことだって出来た筈なのに。
たった一度のそのチャンスすら、わたしは自己の為に使い果たした。
自分の幸せが欲しくて、それを手に入れられる世界を求めた。
全てを不意に逃げることを望んだ。
――幸せなんて、おこがましい。
全部わたしが悪い。
わたしの所為でリリは苦しみ、他国は滅びた。
わたしがこの世界へ逃げて来たから、この国もめちゃくちゃにされてしまった。
全部わたしだ。
わたしが、わたしで、わたしを。
「ああ、あああああ、ああああああああああああああああ!」
涙が止められない。叫びを抑えられない。ようやく動いてくれた手のひらは、両方がわたしの顔を覆うことに使われた。
……もうなにも見たくないと、わたし自身を閉じ込める為の檻を作る。
あの男が用意してくれた選択肢に、わたしは手を伸ばすことが出来ない。もう一度戦えと、自分を奮い立たせることが出来ない。出来る訳がない。
どころか、それを選んではいけない。そうしたら、またわたしは間違えてしまう。その先で、今度はなにを見せられるのか。どれ程の苦渋を味わうことになるのか。
だって戦うってことは、今度こそわたしが、リリを。
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」
わたしにはどうすることも出来ない。
なにを選んでも、間違えてしまう未来しか見えない。
こんなわたしには、なにも。
「……なにも、……無いよ」
なのに。
「――サリュ」
わたしを、そう呼んでくれる声があった。




