第五章【26】「必要な対峙」
斬れず、貫けず、殴り倒すことも出来ない。
たったの三撃でしかないが、それでも渾身で放った連撃だった。
並みの相手であればそれだけで、身体が割れ裂け、空洞が開かれ、弾き飛ばされるに十分な筈で。
そうでなくとも、この初撃から畳み掛け次に繋がる筈だった。
なのに傷一つ付けられず、防御や回避を選ばせることも出来なかった。
欠片たりとも、有効打を示すことが出来なかった。
あまりの現実に、思い起こされたのはあの黒衣の男だった。
なにをしようとしても四肢を千切り飛ばされ、文字通り手も足も出ないままに斬り伏せられた、あの特級の鬼狩り。
アイツも俺に言い付けた――ただ殺してしまうには容易い、と。
今も同じだ。まるで足りないなんてお世辞もお世辞、検討違いも甚だしい。
俺は生かされているだけだ。
ご丁寧にも大切に扱われているだけだ。
全ては相手の手のひらの上で、殺そうと思えばどの瞬間でだって容易く……。
「それで、どうする、カタギリユウマ」
「っ!」
呼ばれ、意識を引き戻す。
すぐさま標的の胸部を蹴り付け、跳び下がり距離を開けた。
後退に合わせ、置き去りに転がっている刀を拾い、再びこの手に携える。
すれば白刃は再び赤黒く染められ、膨張していた右腕も元へと戻された。
カタリと音を立て、握り直した切っ先を向け直すが、――果たしてオークはその場を動かない。
対峙する状況は変わらず、しかし明らかに。
コレは絶対的に君臨する障壁なのだと、思い知らされた。
「……フ、っ」
距離を開いたままに息を吐く。
先手必勝が失敗したどころか、そもそも戦いの土台にすら立てていないとは。
攻め方や策略なんて話ではない。実力が及ばないに重ねて、種族としても敵っていない。
格が違う。世界が違う。
俺とコイツには、完膚なきまでの優劣の差がある。
片桐裕馬の持つ全てを費やしたとしても。
鬼の血や別の要因で、今以上の力を発揮することが出来たとしても。
……或いは、あの忌々しい黒衣の男に匹敵する力を得たとしても。
なにを以ってしても追い縋り難い、圧倒的な開きがある。
「…………っ」
どこまでいけば、かすり傷の一つを負わせられるのか。
姉貴やヴァンなら、なんとか噛み付くことが出来るのか。
サリュやリリーシャの魔法ほどなら、あの身体を撃ち抜くことが出来るのか。
我ながら馬鹿げている。
サリュやリリーシャを引き合いに出すような、そんな相手を前に。
俺に、なにが出来るっていうんだ?
思案の最中。
再度、ドギーが俺へと問う。
「続けるか? それとも、退くか?」
「……ハッ。退くわけが――」
見え透いた強がりを吐き捨てようとして。
ふと、疑問を覚えた。
そもそもコイツは、なぜ斬りかかってこない?
どころか傷付けたくないと、退けと促す?
俺が殺しにかかってなおもまだ、攻撃の意志を見せない?
「…………」
絶望的な状況が思考を冷やす。
落ち着けば自然と、当たり前の疑念へと行き着く。
コイツの狙いはなんだ?
コイツはなぜこの場に居て、一体なにをしていた?
「……ドギー」
問い返す意味があるのかは分からない。
それでもせめて、コイツをここに縛り付けることが出来るならと。
先刻の夢の中のように、なにか情報を引き出せるならと。
燃え盛る炎の中で、喉を焦がし咳き込みながら。
俺はヤツへと尋ねた。
「なあ、お前はなんでここに居る」
「ふむ。時間稼ぎのつもり、か?」
「どうだろうな。……まあ、ただ気になったってのが本当のところだ」
「ほう。では、相応に応えよう。おれは、命令されてここに居る」
命令。
コイツほどの大戦力に命令出来るヤツなんて、限られている。
「国を裏切ったっていう第三皇子や、レイナ・サミーニエか」
「そうだ」
即答だった。
言い淀むことも、視線を逸らすこともない。
嘘偽りの混ざらない、真っ直ぐな言葉を叩き付けられる。
それは操られているとか、なんらかの弱みを握られているとか。
そんな邪推の一切を許さない、確固としたものだった。
「……そうかよ」
その気迫に、思わずジリと左足で地面を踏み締める。
立ち戻り立ち直し、視線を決して逸らさない。
赤刃を突き付けたままに、なおも問いを重ねる。
「だったら、俺を殺さないのはその命令か」
「いいや、命令にないからだ。ならば、おれがおまえを殺す理由は、ない」
「そりゃあどうも。じゃあ、その命令ってのはなんなんだよ」
「おれに与えられた命令は、敵対する特級戦力の――――抹殺だ」
そのために、ここに居る。
その命令の為だけに、この剣を携えている。
続けて、ドギーは言い切った。
「だから、ここで剣を抜く必要は、ない」
と。
「…………ハッ」
なるほど納得しかない。
幸運にも俺程度では、刃を向ける対象に入ることが出来ない。
殺す理由も、必要もない訳だ。
見逃されるどころか、ただ通り過ぎることを見送るだけって感じだ。
つまりはドギーの言う通りにここで退けば、追って来ることなど有り得ない。
俺が勝手に踏み止まらなければ、こんな化物の相手はしなくていいってことだ。
勝ち目がまるで見えない現状、喉から手が出るほどに魅力的な道だが。
いや、どう考えたってその退路こそが正道で。
それこそ迷わず選ぶべきなんだろうが……。
「…………」
ただ、問題は。
どうしても向き合わざるを得ない、聞き落とせなかった宣告は。
「……ここで俺が退いたら、お前はどうする」
「抹殺対象を探す。見つければ殺す。それだけだ」
「だろうな。――ちなみになんだが」
聞くまでもない。
聞くまでもないが、――俺もこれだけは譲れない。
到底、許容出来ない。
突き出した切っ先をそのままに。
重ね重ね、俺はドギーへ尋ねた。
「その抹殺対象の中に、サリュは入ってるのか?」
ドギーは、小さく息を吐き。
はっきりと、言葉にした。
「無論、サリーユ・アークスフィアも――――抹殺する」
「だったら退けねぇよ」
残念ながら理由が出来た。
無謀ながら必要になった。
今一度、刀を握り締める。
大きく肩を落とし、焼けた空気をそれでも吸い込む。
俺もまた、ドギーの正面へと立ち塞がる。
「相手になってもらうぜ」
「無駄だ」
「どうだかな。ご丁寧にも俺は殺してくれねぇし、剣を抜いてもくれねぇんだろ? だったら存分に利用させてもらうぜ」
突破口は見えない。だから使えるものはなんだって使ってやる。
その気になれば一瞬にして斬り伏せられるかもしれないが、そうでなくともあの腕で簡単に掃われてしまうだろうが。
少なくとも、そうなるまでは抵抗してやる。
心底無様極まりないだろうが、しぶとい身体だけが取り柄だからな。
対して、ドギーは。
「ふむ。やはり悪くない。が、邪魔になれば――叩き潰す」
その宣言は、またしても虚実なく。
合わせてこれまでとは明らかに異なる、闘気のようなものが周囲へと放たれた。
瞬間、ヤツを取り囲む炎らが揺れ動き、或いは掻き消され。
それは物理的な衝撃を以って、突き出した赤刃の切っ先をも震わせた。
「っ、ぐ」
思わず息を呑む。
殴り付けた右腕の痛みが想起され、それを遥かに上回る一撃を測らされる。
恐らく全てがヤツの宣言通りに、剣を抜く必要もなく、空手のままに叩き潰されるのだろう。
だが、撤回はしない。
こちらも吐き捨てた宣言を通させてもらう。
この場で出来ることを、全力で遂行してやる。
「殺さないでくれよ。そしたら何度だって噛み付いて、――いつか殺してやる」
「殺しはしないとも。だが、相当に痛い目を見てもらおう」
そうして俺たちは、再度向き直り。
これ以上の問答は不要だと、互いに相手の意志を呑み込み。
ただ純粋に、全ての意識を戦いへと乗せた。
心臓が高鳴る。
全身の血管が脈打ち、溢れ出した血が外皮を覆い、赤黒い鎧となる。
視力を強化し、微動すらをも見逃さない。
聴力を強化し、筋肉の軋みすら聞きこぼさない。
感覚を鋭敏にし、ほんの違和感すら絶対に取り落とさない。
例えこの全てがなに一つ、ヤツの持ち得るモノを越えていないとしても。
俺は俺の全力で、襲い掛かり、迎え撃つ!
そうして、全神経を研ぎ澄ませて。
「――――――――」
そうして、全ての感覚を強化していた――から。
だから。
「――――――――?」
不意に、遠く後方から。
異音と違和感を拾い上げた。
絶え間なく、キイイとなにかを裂き続けるような轟き。
それが後方から鳴らされ、少しずつ音圧を増している。
――いや、近付いているのか。
他に構っている余裕などない。
しかしこの状況下、不意を突かれればそれこそ致命的だ。
無視も出来ず、微かに視線をドギーから逸らし、右方へと振り向こうとして――。
直後、確認の間もなく。
急加速した轟音が耳元を通り過ぎ、そして。
一直線。
空気を引き裂き現れた影は、対峙するドギーへと突き刺さった。
「――――――――」
そう、正しく突き刺さっと表現するに違いなく。
その人影は、直進遮る全てを引き裂いて――いや、蹴り裂いて。
突き出した右脚を以って、オークの胸部を踏み叩いた。
刹那の制止。
この目に映ったのは、ドギーが蹴り付けられたのだという信じ難い光景と。
蹴り付けた彼女の、ぶわりと広がり舞い上がった――金色の長髪だった。
「ぐ――ヅヅヅ!!?」
間もなく、オークの巨体が吹き飛ばされ。
残された彼女が誰か、などとは。
その様相その高笑いを前に、聞くまでもない。
「ッハハハハハハハ!!! やってくれたじゃないサ、ねェ!!!」
赤い着物を纏った、金色髪の九尾の狐。
我らが百鬼夜行の大妖怪、九里七尾の乱入だった。
読了ありがとうございました。
次話は来週投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




