第一章【26】「物好きが多い国」
「――拍子抜けだよ。戦う気になったかと思えば、弱々しいんだから。苦悩しながらも戦っていたサリーユを、米粒程度には尊敬してたのにね」
上空から降りてくる影。
傷だらけながらも未だに光を発し、強大な力を纏った魔法使い。
リリーシャ・ユークリニドが、再び目前へと立ち塞がる。
「ッ!」
鬼血で身体を黒色に包み込み、瞬時に硬化させる。
だが、次の瞬間。リリーシャの背後から放たれた黒い閃光は、頬を削って俺の後方へと直進していった。
標的は、俺じゃなかったんだ。
振り返れば、胸を撃ち抜かれた千雪の身体が、力無く浮き上がり。
「テメ――」
沸騰した頭では、直後に落とされた黒雷を躱せなかった。
右肩から焼き千切られ、落雷に抉られた腕はその威力で蒸発する。硬化はなんの抵抗にもならない。続けて放たれた先程と同様の閃光にも、腹部は簡単に穴を空けられてしまう。
敵いようがない。保有する力が違い過ぎる。
世界が違う。
力無く、その場に跪き血反吐を散らした。
「ク、そッ」
「結局、あなたってサリーユのなんなの? 知り合い、友達、仲間? あの子にはお似合いの化物だと思うけど」
「……っ、ガ」
「ああ、そういえばあの子、運命の人に会いたいとか言ってたっけ? そうだそうだ、あたしのアドバイス通りに宝箱へ願っていたなら、その為に異世界へ行ったことになる。……じゃあもしかして、あなたがその運命の人?」
リリーシャが、口元を吊り上げた。
面白い玩具を見つけた子どものような、無邪気で残虐な笑みだ。
「ハハハハ! 尚更ピッタリじゃん! 破壊兵器のサリーユと黒塗りの化物! まさしく運命のカップリングだあ! 気持ち悪いくらいお似合いだと思うよ!」
「……破壊、兵器」
「なあに、その反応。まさか戦ってる姿を見るの、今日が初めてだったりするの? あの子、全部隠してたの?」
右腕が再生し、穴を空けられた傷口も塞がる。だが動く間もなく、再び彼女の黒雷によって左腕を両断され、両膝を黒い柱に貫かれた。
鉄の味が収まらない。されるがままに呻きを上げる。そうやって、彼女の言葉を傾聴させられる。
「サリーユ・アークスフィアは、魔法殺戮兵器だよ。人々を虐げ国を滅ぼし、数千を越える屍を積み上げてきた、大量殺人鬼。それがあの子の正体」
「……っ」
「奥歯を噛み締めているのは痛いから? それとも、気付きながら目を逸らしていた事実が苦いから? ま、どっちもかな」
二度、三度。黒い閃光に身体を撃ち抜かれる。
その度に視界が明滅し、意識が閉じてしまいそうになる。それ程の痛み、苦悩。けれど、落ちるわけには。
「あの子は沢山の人を殺して来た。にも関わらず、運命の出会いだの、当たり前の幸せだの。そんな身に余るモノを求めてこの世界へ来たんだ。自分が背負ったもの全てを放り投げて、ここへと逃げて来た」
「……らしい、な」
「そんなの認められると思う? そんなの不条理だと思わない? なに一つ向き合うこともせず、罰されることもなく、運命の人とハッピーエンド。置いていかれたあたしたちは、彼女という兵器を失った中で戦争を続けるバッドエンド。許されないよね。殺さなきゃいけないよね!」
つらつらと語られるのは、もはや言葉ではなく感情そのものに思えた。リリーシャという少女が今まで抱えていたもの全てが、喉の奥から零れているのだ。
殺戮兵器。大量殺人鬼。罪から目を背け、逃げて来た。それがサリュの正体に他ならない。
ずっと笑っていたサリュが。
好奇心旺盛だったサリュが。
食べ物を美味しいって感動していたサリュが。
自爆して恥ずかしそうに目を逸らしていたサリュが。
全部、偽物だった?
なにもかも、隠していた?
――その真実をぶつけられて、俺は。
「……そう、かもな」
頷き、吐き捨てた。
彼女の言い分は、ほとんどが間違っていないのだろう。
彼女の怒りは正当だ。彼女の殺意は自然だ。サリュのしたことが本当にその通りであるなら、それは許されないに違いない。罰せられるべき対象になり得るだろう。
そしてそれらの事実を、現実を、俺はなにも知らなかった。……いいや、知ろうとしなかった。踏み込めなかった。
サリュが歓迎されない世界から来ている事実を知りながら、破壊をもたらす力を目にしていながら、サリュが今までなにをしてここへ来たのかを、俺は聞こうとしなかった。
どうして聞かなかったのか。そんなのは、決まっている。
「……お前の言う通りだよ、リリーシャ。サリュは悪いことをして来たんだろう。挙句この世界へ逃げて来たっていうなら、……それは、許されないことだろう」
「へえ、理解してくれるんだ」
「理解なんて、偉そうなことは言わねぇよ。お前の苦しみとかそういうのは、お前にしか分からないだろ」
ただ単純に、道理は通っている。
それだけだ。
「サリュは許されない人間、みたいだな」
「そうだよ。じゃあ、やることは決まってるよね」
「……はは」
笑いが漏れた。
こいつは分かってない。
「分かってねぇよ、お前は」
サリュは許されない。
リリーシャの怒りは正当だ。
――俺には、それだけしか分からねぇんだよ。
――たったそれだけしか、ないんだよ。
「お前はサリュを殺すらしいが」
「うん、殺すよ」
「でも、な。――俺は、サリュを受け入れるつもりだぞ」
少なくとも、一緒に居てもいいと思う。居たいと思う。
だから、構わない。あいつがなにを隠していようが、なにを抱えていようが、構わない。
気にならないかといわれれば気になる。話して欲しいに決まっている。
なにも聞かないままで信頼出来るかと問われれば、それも難しいだろう。危険分子だという意見も、身をもって分かっている。
でも、それでいい。
それならその距離間で居てやればいいだけなんだから。
「……正気なの?」
「お前は転移早々、勝手に暴れて拒絶して。だから誰にも話なんて聞いてないし、気付いてないんだろ」
「……なにを?」
「この世界は、俺たちは、――そういう問題を抱えた奴らを受け入れてるんだよ」
無限に広がった、異なる世界の数々。人種が違えば見た目も違い、能力も同じではない。
あらゆる環境があり、決まりがあり、考え方がある。一人一人違う個性があるなんて、そんな小さな話ですらない。
なにもかもが違い過ぎている。
時には理解出来ないものもある。
申し訳ないが、スライムなんて初見は気持ちが悪かった。リザードマンとか、同じ人型をしていることに嫌悪感を覚えた。妖怪の姿や能力に恐怖し、サリュの魔法にも殺されかけた。
あまりに受け入れ難い、懸け離れた常識を生きる者たち。
だけど彼らはこの世界へやって来た。この世界で生きたいと、そう意思を示した。
これから同じ場所で生きる隣人として、受け入れて欲しいと。
「戦争兵器がどうした。人喰いの生物だって、人攫いの妖怪だって居るんだぜ。サリュよりよっぽど性質の悪い連中は沢山だ」
万人が彼らを認めてくれるとは思わない。
かくいう俺だって、力を使い、多くの人たちに拒絶されてここへ来た。
一般人からすれば、同じ危険分子だ。そのままだったら、隔離されるか最悪殺されるか。
その為の図書館だ。
万人が受け入れられなくとも、彼らの願いを叶えられるように。
この世界で生きていくことを認め、助けてやれるように。
「驚くよな。気付けば法が出来て、管理されてるんだぜ。問題は山積みだけどな」
「馬鹿げた話」
「俺もそう思う」
「やっぱり、この世界は危機意識が低すぎるよ」
「かもな。でも、そう深く考える必要もないだろ」
単純明快、簡単な話だ。
「物好きが多いんだよ」
そんな世界があったって、俺はいいと思うんだがな。
けれど、それも俺個人の考えでしかない。
「……認めない。あたしは、絶対に認めないッ!」
彼女が残された右腕を伸ばし、俺の胸倉へと掴みかかる。
でも、その指先が触れる直前。
「――ッ!」
間一髪だった。
惜しくも勘付いたリリーシャが、大きく後ろへ後退した。
遅れて彼女が浮遊していた空間に、上空から光の柱が降り注ぐ。
「――邪魔を!」
あれ程圧倒的な力を誇示していた彼女が、攻撃を躱した。
驚くが、それもその筈だ。何故なら今の一撃は、他でもない。彼女の左腕を奪った聖剣の光なのだから。
「やってくれたな、魔女め!」
「ッ、あなた、は――ッ!」
俺とリリーシャの間に割り入り、大剣を構える聖騎士。
そのまま目にも止まらぬ速さで刃が振り抜かれ、一体幾重の斬撃が放たれたのか。退く少女の身体へと、複数の斬り傷が刻まれた。
驚いたのは、男が空を駆けている。なにもない宙を何度も踏み締め、前進して少女へと肉薄しているのだ。
恐らくは彼の異能――アヴァロン国が保有する力の一端だろう。微かに、彼が踏み締める空間が淡く光を発して見えた。千雪の氷と同じように、空を駆ける足場を作っているのか。
衣服はボロボロに裂かれ、金色の髪も血に濡らし、それでも騎士は、浮遊する彼女へ聖剣を振るい続ける。時に斬り付け、突如として放たれた黒雷を斬り弾き、決して逃がすまいと距離を詰め続ける。
その傍ら、微かにこちらを窺い、叫んだ。
「行け、カタギリユウマ!」
何処へ行けばいいかは、言われなくても理解出来た。
「っ、千雪!」
自身の身体が再生したことを確認し、すぐさま倒れ伏せた千雪へと駆け寄る。倒れたその身体を抱き起すと、千雪は胸元に大きな穴を開かれていた。
一見すれば致命傷に違いないが、その空洞が氷塊に包まれていると気付く。……しかし呼吸が荒く、額には球粒の汗が噴き出している。
だっていうのに、こいつは。
「……ゆー、くん」
千雪が、抱きかかえた俺の手を握る。
弱々しく、それでも、しっかりと。
「ごめん、まだ立てない。でも、足場くらいなら作れるから」
「馬鹿野郎。んな無茶な」
「大丈夫、だから」
千雪は言った。
必死に眉を寄せて、途切れそうなか細い声で。
「私が、繋ぐから。足場を、架けるから。だから」
サリュのところへ行ってくれ、と。