第五章【17】「流星と崩落と」
その夜は空気が違うというか、嫌な予感がしていた。
私と真白は東地区のビルの屋上から、街を見下ろし様子を窺う。
いずれ来たる戦いが、敵側からの唐突な攻撃によって切り開かれる可能性がある。
或いはその為の布石が、秘密裏に張り巡らされているかもしれない。
それらに対処するための見張り役として、東雲八代子から命じられた日課だった。
「お姉ちゃ~ん。退屈なんだけど~」
「黙って見てなさい」
「そんなこと言ったってさ~」
「いつなにが起こるか分からないでしょ」
「ぶ~。あれこれ二時間くらいはなにもないじゃん」
なんて、いつもと変わらない適当な物言いで。
いつの間にか隣に居た筈の真白が、ごろりと屋上に寝転がってしまった。
……いやいや。
「よくそんな脱力出来るわね」
「だってまだなにも起きてないし」
「起きてるでしょ」
言って、視線を街へと戻す。
深夜に差し掛かり、建物の明かりが影を潜める中、――けれども今日はやけに、室内が照らされたビル群が多い。
おまけに往来には複数の車や人の姿があり、静かながらもタイヤの音や足音が聞こえる、未だ二十一時頃の人波を思わせる。
ただ、問題なのは。
にもかかわらず、街が静寂に包まれていることで。
おまけに車も人たちも、ピクリとも動きを見せないことだ。
皆一様に顎を上げて、どこか虚空を見上げている。
その内数名と視線を合わせても私に驚くことなく、意にも介さずなにかを見ている。
いや、――恐らくなにも見えていない。
状況から察するに彼ら彼女らは、目を開いているだけだ。
これが二時間弱。
明らか過ぎる異変だ。
「みんな生きてるんだし大丈夫だよ」
「生きてて良かったで済む話じゃないでしょ。なんでこうなってるって話。それに、これがもっと続くなら健康被害は免れないわ」
「あ、そっか。寒いもんね。真白たちは分かんないけど~」
「……そういうことよ」
「でも風邪ひくだけならいいんじゃないかな~」
「それだけで済むならマシでしょうけど」
これがこの先何時間も続くとなれば、重い後遺症を残す被害になりかねない。
それに――。
「真白はこれが目的だって思うわけ?」
「街の人たちに風邪をひかせることが? それはないと思うけど」
「だったら次があるってことでしょうが」
そう、こうやって街の人たちを止めていることが目的だとは思わない。
そんなことのために、街一つの動きを制する意味が分からない。
なにかの前振りだ。
或いはここまであからさまなのだから、なにかの釣り餌だ。
街で異変が起きているぞ、集まって来い、と。
「……」
周囲をよく窺えば、建物の影や他のビルの屋上にも、私たちのような監視の影がある。
たとえ罠だとしても、放っておく訳にはいかない。
それに罠ではなくなんらかの準備であったなら、止めに入る必要もある。
犠牲は覚悟の人員配置ってことだ。
不満はない。
既に死体の私たちには持ってこいの役割だ。
現状以上の異変や事が起こるまでは待機という命令にも、納得はしている。
――ただ、不安なのは。
「……いつまで静観するつもり」
それ以降、東雲八代子からの連絡が完全に途絶えていることだ。
あの人に限って、なにも考えていない訳ではないと思うけれど。
もしもこの後ろで、着々となにかが進んでいて。
東雲八代子からの連絡がないのが、そのなにかによるものだとしたら。
「お、動いちゃう? お姉ちゃん」
「…………まだ動かないわ」
急いては事を仕損じる。
状況が膠着しているからこそ、それを切り開きたい焦りに駆られるけれど。
それで動き出すのは軽率だ。
なにより、東雲八代子からの連絡はないが。
私たち以外にこの場に集まった影たちも、誰一人として動きを見せていない。
恐らく片桐乙女の方からも、今は静観するべきだという通達が出ている筈だ。
だから、今は……。
「じゃあ真白はダラ~っとしてるね~」
「緊張感とかない訳?」
「ことが起きれば動くよ」
なんて軽口を言ってのけて。
なんにしろ、真白は大の字になるばかりだった。
「……まったく」
思わず肩を落として、同じように頭上へ視線を上げる。
合わせて、確かにこの膠着状態が続くなら、今の内にひと息吐くのも必要なのかもしれないと感じて――。
そうして、夜空を見上げていたから。
「――――え?」
けれども気付いたところで、――それはあまりに突然で。
「お姉ちゃん」
「――――――――」
もはやなにもかもが、全てが手遅れだった。
薄闇に覆われた視界に、ぱっと。
色とりどりの眩い光がぱっと明滅して――――ッ!
「ッヅ! 真白、すぐに――!!!」
なんて、声を上げても、もう。
空を仰ぐ私たちの目前には、幾つもの流星が落ちてきていた。
「――――が」
なにも感じられない。
だからただ、光に押し潰されていることを判りながら、視界が回っていく。
目を焼く程の光量であっても、視界には残像もなく有りのままが見えている。
伸ばした手足が千切られていても、熱さも痛みも訴えはない。
爆音で鼓膜が潰れていても、破壊の轟が音として認識できる。
なんなら消し飛ばされてもおかしくない光束に呑まれながら、何故か私の意識が残り続けている。
いっそのこと全部。
なにも感じないままに終わってしまえばよかったのに。
「――――づ」
終わらないから、続けさせられるから。
三十階を越えるビルからの落下は存外長く、絶え間ない崩落を見せられる羽目になった。
崩落していくビルの内側、光に削られ解かれていく瓦礫たちを。
視界の端々で弾けた赤い飛沫が、一瞬にして蒸発していくのを。
耳では拾えなかった筈の微かな悲鳴が、なにを訴えることもなく消えていくのを。
「――――――――あ、あ」
このどうしようもない破壊が、この街のあらゆる場所で引き起こされているのだと。
もう十分だってくらいに、思い知らされた。
「――――――――――――――――」
なんだ、これは。
ナンダ、コレハ。
至極当然の疑問が。
理解不能な突然が。
理不尽極まる、この現実が。
ドクリ、と、身体を震わせた。
「――――ア」
瞬間、私の背中が固い大地へと叩き付けられて。
弾けて跳ね上がる身体の奥で、ゴキリとなにかが音を立てて。
「――――ア、ア」
背骨が折れた。
胸骨とか鎖骨とか上腕骨とか全部折れた。
まったく問題がナイ。
だって折れた傍から、それを埋める程の、別の骨が。
身体の内側だけでは抑えきれない程の大量の骨が。
冷たク閉じた筋肉や皮膚をブチブチと引キ裂キ貫いて、背中から溢れ出して――。
「――――……助ケ、ナイト」
ああでも顔とか表面ダけは、皮膚を伸ばして繋イで、取り繕っておいた。
そうしないと、怖がらせテしまうから。
問題がないからってそのまマにしておいたら、怖くて逃げチゃう人たちを取りこぼしてしまうかもしれないかラ。
「さあ、動きナさいよ」
私は背中から噴き出した無数の骨腕を鳴らし、その指先らを地面へ突き立テた。
――開戦だ。
読了ありがとうございました。
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