第五章【15】「出来るか出来ないか」
「……サリーユ。サリーユ・アークスフィア」
レイナ・サミーニエは微笑むままに呟く。
その声は、これまでよりもずっと低い。
真意は測れないが、なにかしらの情動が渦巻いていることは察せられた。
「……」
かつて対峙したリリーシャは、サリュに憎しみと怒りをぶつけた。
国を捨て逃げた裏切り者とサリュを罵り、持ち得る力の全てを尽くして、殺そうとさえしていた。
あの島での戦いの最後まで、全てをぶつけ合わなければ解消出来なかったほどの確執があった。
果たして彼女らの師であるレイナ・サミーニエにも、なにかがあるのだろうか。
それとも単なる脅威としての、目的を阻む障害としてのサリュを思わしくないだけなのか。
彼女の笑みは、容易に懐を見せようとはしない。
「……なあ」
声をこぼす。
正直なにも考えていなかった。
なんならまだ東雲八代子が問い詰めている最中だ。変に口出しをしない方がよかったと思う。
でも残念ながら、ここが精神世界とやらだからか。
俺は、彼女らの睨み合いに口を挟んでしまった。
「……お前は、一体」
「あら」
そんな俺に、レイナ・サミーニエが視線を逸らす。
彼女は驚いたように少し目を丸めて、だけどすぐに、笑みを戻して――。
「――フフ。ですが、残念です」
けれども、それ以上が続かなかった。
「そろそろ時間のようですね」
宣告と同時に、――ガンと。
頭になにか、重い物で殴り付けられたような衝撃を感じた。
「――ヅ」
痛みはない。
さっきの視界がグラつくような変化もなく、だから驚きも少なかった。
でもなにか、何故か、明確に感じたのは。
「――終わる」
この場所が崩れると。
彼女の言葉通り、時間が来たのだということが分かった。
「ふむ。先程の揺らぎで足場を崩されたか。なんじゃ貴様、及ばぬと言っておきながらやるではないか」
「いえいえ、間一髪、というのでしょうか。このまま閉じ込められるところでした。蜘蛛の糸とは恐ろしいものです」
「その間一髪を危なげなく抜けておきながら、よくも言いおる。立て直そうにも小僧が潰れるだけ、大凡捕らえることは出来ぬだろうな」
東雲八代子が肩を落とす。
相変わらずやり取りの意味は分からないが、やはり感じ取った終わりは間違いではないみたいだ。
それを裏付けるように、ザザザと視界がブレる。
さっきまでの光景が変わる直前のノイズだ。じゃあ切り替わるのか、って訳でもないだろう。
身体に浮遊感がある。夢から覚めるような心地よさがある。
ここを出て、外で目を覚まそうとしている。
ああ、だったら。
せめて、最後に――。
「さて、では最後に問おうレイ――」
「待ってくれ、レイナ・サミーニエ!」
東雲八代子の言葉を遮り。
俺は、魔女へと声を上げた。
「悪い東雲八代子、俺が貰う」
「……」
断りに、東雲八代子の返答はない。
俺は振り向きその表情を確認することもせず、レイナ・サミーニエへと向いた。
勢いのまま一歩、二歩と、自然と彼女に歩み寄りさえして。
魔女へと向き合わさる。
「はて? なんでしょう?」
首を傾げる彼女へ、ただ。
言い返さなければならないと、思ったから――。
「さっきの話だ。世界征服」
それを伝えるために、言葉を紡ぐ。
「世界征服が出来るかって、言っただろ」
「あら、考えて下さったのですか?」
「ああ。最後に、言わせて貰ってもいいか?」
「勿論です。むしろ是非、お聞かせいただけますか? ――誰よりもサリーユの近くに居る貴方が、私の目的をどう捉えるのか」
「――俺は」
俺は――――。
「出来ないと思う。叶わないと思う」
少し考えて、それでも。
思ったままの返答を送った。
「世界征服なんて馬鹿げてる。世界征服なんて出来っこない」
「――――――――」
「サリュの傍に居たから、そう思うよ」
真っ直ぐに、レイナ・サミーニエへと応えた。
彼女は――。
「――それは当然、彼女の性格や性質への評価ではありませんね」
「そうだ」
性格や性質、考え方や行動原理。
サリュがサリュだから、じゃない。
「するかしないかじゃない。出来るか出来ないか、だ」
するかしないかなら、間違いなくしない。
サリュはその力を世界には振るわないし、征服という大それたことに欲も向けない。
でもそれはきっと、レイナ・サミーニエも分かっている。俺に確認するまでもないことだ。
だから、出来るか出来ないか。可能か不可能か。
俺の返答は、――不可能だ。
「サリュと出会って、たかだか半年だ。それに、サリュとの出会いが切っ掛けでとんでもないヤツらと立ち会うようになったのだって、その半年の話だ」
俺はサリュの全てを知っているとは言えない。
征服を目論む世界についてだって、これっぽっちも詳しくない。
知識も見識もない。判断基準も曖昧だ。
「それでも、分かるよ」
それでも俺は何度も戦った。
争いに巻き込まれて、血反吐を散らして倒れて、なんで生きてるんだよって不思議に思えるくらいに死にかけた。
こんな苦しい思いをするくらいならいっそって、全てから逃げて終わってしまいたいと考えた程に、過酷なことばかりだった。
そうして身に染みているから、馬鹿な俺でも分かる。
「この世界は簡単じゃない」
そして、そんな簡単じゃない世界を相手に。
――サリュが屈する姿だって、目にしてきた。
なにも出来ない俺の前で、崩れ落ちていくところを。
俺の助けが必要だって、求めてくれるところを。
一緒に居てくれないと嫌だと、涙さえ流してくれるところを。
だから、不可能だ。
「サリュに世界征服は出来ない」
「……そう」
「たとえ等しい力を持っている別の誰かでも、出来ないと思う」
言い切る。断言する。
するかどうかではなく、出来ないのだと。
すれば、レイナ・サミーニエは――。
「…………フフ。なるほど」
彼女は余計に笑って、右手を口元にあてて肩を震わせた。
果たして、この回答に対する反応はそれだけだった。
代わりに、一つ。
最後に彼女は――。
「ねえ、――片桐裕馬様」
名前を呼ばれる。
その上で、彼女は俺に尋ねた。
「もしも、この戦いで私が負けた時――私は生きているでしょうか? 死んでいるでしょうか?」
「――――――――」
今度こそ、俺は、なにも言えないままに。
遅れて、ノイズに擦れていく視界の中。
この場から消えていく彼女をただ見送った。
読了ありがとうございました。
次話は一週間開けて来年、
1月6日(日)に投稿予定です。
少し早い挨拶になりますが、引き続き連載を続けていきますので、
よろしければ2024年も、どうぞよろしくお願いいたします!




