第一章【25】「どうしようもないけれど」
目を覚ます。
開けた夜空が赤や黄に点滅を繰り返し、破裂音が何度もこだましている。
倒れた身体を起こそうと、手を下ろす。するとパキリと、硝子の欠片を潰してしまった。手元には硝子ばかりか、なにかの破片が大小様々に散らばっている。
直後、頭に激痛が走る。咄嗟に右手で抑えれば、思い出されるのは過去の失敗だ。
意識を落としていた内に、また見せられていたのだろう。それも仕方がない、鬼の力を使い過ぎている代償だ。
血流の中に眠る暴力衝動が、心音を高め訴えてくる。壊せ、殺せと。
「……今は、それより」
状況の把握だ。一体どうなって、ここは何処だ。恐らくは、どこかのビルのオフィスだろうか。
正確には、オフィスであった成れの果て。立ち上がって見渡せば、辺り一面には転がった椅子や割れた机。ばかりか、それらを室内に収めていた天井や壁が失われている。
どうりで夜空が開いているわけだ。
「なんつー破壊力だよ、クソっ」
どこもかしこも散々な状態だ。
ここはもう、まともに機能出来る場所じゃない。
「職場の人たち、どうやって明日から働けばいいんだろうな」
「いやいや、そういうレベルの状況じゃないよ」
苦しげな声に、すぐさま振り向けば。……白い着物が焼かれてズタズタにされ、目に映った。
随分辛そうだが、それでも五体満足でそこに立つ少女。
「千雪」
「ふぅ、やっと見つけられた」
「無事でなによりだ」
「無事じゃなかったよ。実はさっきまで左腕、無かったんだから」
よく見れば、千雪の左腕が半透明になっている。指先も鋭利に尖り、宝石のように幾つもの平らな面が覆っていた。……それは腕というよりは、未だ氷塊だ。
鬼の力と同じだ。妖怪の能力で、身体を修復している。
「ゆーくんは無事だったの?」
「大体一緒だ」
俺は左腕どころか、色々と千切れたような気がするが、なにがどうなったのやら。二度と意識を取り戻せない可能性も十分に考えられた。生きててほっとしている。
なんて、運が良かった訳じゃないんだろう。意識が途切れる際、目の前に光の壁が現れたのを覚えている。
サリュが守ってくれた。だから生きていられるんだ。
「悪いお知らせ、いい?」
「なんだよ」
「今回の花火、百鬼夜行に任されてるんだけど、在庫切れみたい」
言って、通信機を見せる。
俺のはどこへいってしまっただろう。形も残っていないか。
「……そうか」
歩き出す。吹き抜けの建物、その端まで向かう。
変わらない光に溢れた街並み。けれどさっきまでと違っているのは、立ち昇る硝煙や聞こえてくる悲鳴。
……そして、周囲一帯のビル全てが、頭を削り取られ半壊していることだ。
さっきのたった一瞬、一撃で、当たり前だった世界は変容させられた。
冗談じゃねぇ。
「大騒ぎだな」
「負傷者多数で被害は甚大。せめてもの救いは、今のところ死者がいないこと。さっき街中に霧を発生させてるって連絡があったから、ビルとかの損害はもう少しバレないけど」
「もう隠蔽ってレベルじゃねぇだろ」
確かに、街道が薄っすらと白くなっている。大きな道路では、パトランプや誘導灯が揺らめいているから、遠目で見るより結構濃いのかもしれない。
花火珍しさに集まった連中も、大爆発で降り注ぐ瓦礫、それからの霧で大騒ぎ。縦横無尽に暴れ回って、とんでもない大惨事だ。
一体どう収集を付けるのか。
「航空救助隊の出動とかも遅らせてるみたいだけれど、それも人命優先の範囲。どこかで緊急の事態が起これば、もうなにもかも取り返しは付かなくなる」
「いや、すでにどうしようもないだろ」
「それでも、私たちの存在を知られることは避けたいよ。叶うなら、ね」
「……そうだな」
「一応は最終手段も用意してあるらしいけど、……その、集団催眠とか」
「本当に洒落にならないな」
なるほど、どうやらこれ以上の事態が用意されているらしい。早くなんとかしないと。
もっとも、
「……どうしろってんだ」
俺に出来ることなんて、なにもないだろ。
再び夜空を仰ぎ見る。花火に紛れて巨大な爆発が一つ。重ねて交差する色とりどりの光。二つの影が空を舞い、一撃必殺とも思える攻撃を繰り返している。
あんな奴らを相手に、一体なにが出来るっていうんだよ。
「くそっ」
「空まで氷の橋を架ければ」
「混ざれるってか? あの中に? 冗談じゃねぇよ」
どうしようもない。なにも出来ない。どころか、足手まといになる可能性の方が高い。
じゃあ、俺たちは見てるだけなのか? せめて街の方に加勢に行けないか?
……それこそ馬鹿な話だ。避難誘導も医療の知識もない。鬼の力なんてなんの役にも立たない。下手に正体を知られれば、事態は悪化する。
選択以前の問題だ。今の俺に選べる択など、存在していない。
現実を、思い知らされる。
「っ」
噛み締め、拳を握った。
――それでもと、心を震わせる。
「それでも、だ」
――それでもと、言葉にしてみせる。
なにも出来ないかもしれない。だけど、力を持っていないわけじゃない。
さっきだってそうだった。致命傷からも治癒できる身体のお陰で、時間を稼ぐことが出来た。俺じゃなければ上手くいかなかったかもしれない。
決して無力じゃない。だから、出来ることが残っているかもしれない。
敵わない。届かない。けれどもし、その時があったのだとしたら。ここに居ることが間違いじゃない瞬間が来たとしたら。ほんの刹那の影響でも、抵抗が出来るなら。
その可能性が、あるのなら。
だから、逃げない。空を睨む。
「逃げないの? まだ戦うの?」
「戦うって程じゃねぇよ」
もはや意地だ。
半ばやけっぱちみたいな、どうしようもない感情だけれど。
「そっか。やっぱりゆーくんだね」
それじゃあと、千雪が応えてくれる。
「一つ策があるんだよ」
「千雪?」
「ほんとは逃げて欲しかったんだけどね。ゆーくんがまだ戦うっていうなら、教えないわけにもいかないよね」
そう耳打ちし、切り出した。
「あの女の人を、森へと誘導するの」
「森って、隠れ家のか」
「そう。今、乙女さんたち百鬼夜行の人たちが、強力な結界陣を準備してるらしくて」
「姉貴が?」
結界陣。聞いたことがある。
妖怪たちの力によって作り出される、この世界における魔法陣のようなものだ。実際に立ち会ったことはないが。
「効果は弱体化。結界内に落とすことが出来れば、魔法を封印出来るって。もっとも規格外の相手だから、無力化出来るかどうかは分からないって話だけど」
「――いや。それでも、可能性があるならやるべきだろ」
「だよね」
流石はゆーくんと、笑いかけてくれる。
とはいえ、問題は。
「あの女を森まで誘導できるかどうか」
西地区の市街地から南地区の森まで、優に二十キロはあるか。その距離を移動させる。果たしてそんなことが出来るのか。
策というには、あまりに現実味が乏しい。だがそれが出来たなら、この状況を。
そう考えていた、次の瞬間。
「――ッ!」
一際大きな光が、夜空一帯に炸裂した。遥か上空で、今までとは比べ物にならない程の爆発が巻き起こる。
黒と赤。圧倒的な光量が互いを削り合い、収縮して弾けたのだ。吹き乱れる衝撃や爆風が、撃ち合わさった魔法の威力を物語っている。
これが魔法戦。魔法使いたちによる、上位の力を扱う者たちの戦争だ。
こんなものを相手に、戦う意思は残っているだって? 意地だって?
「無茶苦茶だ」
渇いた喉を鳴らし、思わず引き下がる。
しかし、見えてしまった。
「……サ、リュ?」
向こうのビルへと力無く落ちていく、小さな少女の身体。
たった一人、この最悪な状況の中で戦っていた希望の光が、落ちていってしまう。
そんなの嘘だ。
それは、駄目だ!
「サリュ!」
声を上げ、走り出そうと踏み出す。
けれど次の一歩を続けることが出来ない。目前の空を駆ける術が俺には無いのだから。
そして、もう一つ。
彼女の声に、動きを制止せざるを得ない。
「――拍子抜けだよ。戦う気になったかと思えば、弱々しいんだから。苦悩しながらも戦っていたサリーユを、米粒程度には尊敬してたのにね」
上空から降りてくる影。
傷だらけながらも未だに光を発し、強大な力を纏った魔法使い。
リリーシャ・ユークリニドが、再び目前へと立ち塞がる。




