第五章【09】「その時間を、ずっと」
なにを成すのか。
そんなこと、聞かれたって……分からなかった。
「……」
ヒカリの言う通り、この命はヴァンに助けられたものだ。
いいや、ヴァンだけじゃない。みんなに助けられた。
姉貴や千雪、神守姉妹、それからヴァンの妖精にも、アヴァロン国の第一皇子様にも。
そして、それでも前を向けなかった俺を、――サリュが引っ張り上げてくれた。
好きだと言ってくれた。受け入れてくれた。
今ここに俺がいられるのは、みんなが来てくれたからだ。傷付いて、戦ってくれたからだ。
俺一人ではどうにも出来ず、どうにかしようとも思えなかった。
みんなが繋いでくれたんだ。
そんな俺が、これから。
これから、――なにかを成すのか?
「…………」
押し黙る。
当時の俺も、今の俺にも、答えは浮かばない。
あの夜ヴァンと話せた後でも。
子どもたちと話していた時にも。
今の、俺にも……。
「……っ」
いや、それは違う。今じゃない。
ただこの時の俺は、ただヴァンに申し訳ないって。
「……俺は、っ」
「――突然過ぎたね」
口ごもる俺に、ヒカリは再度「ごめん」と言った。
それから苦く笑って、張り詰めていた空気を解く。
話はこれまでにしよう、と。
「詰め寄るつもりはなかったんだ。なんて、信じて貰えないかもしれないけど」
「いや、こちらこそごめん」
「大丈夫?」
「全然大丈夫だ」
「ほんとに大丈夫?」
「……めっちゃきいてる」
「ははっ。じゃあ、釘を刺されたってことでね」
打って変わって親しみやすい、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。
……釘を刺す、か。
「見た感じ、ヴァンさんとなにも話してないんでしょ? 引きずるにしても引きずり過ぎてるよ」
「おっしゃる通りで」
「早めに消化しといた方がいいと思うよ。これから戦いになるんだからさ」
「……そう、だな」
果たして俺が戦いに関わっていくのか、怪しいところではあるけど。
それとは関係なく言われた通り、ヴァンと話す機会は作りたい。
なんて、話していたら。
『――どうやら、この日にもなにもないようですね』
声。
滑らかな女の声が、耳元で囁かれた。
「……っ」
聞き覚えがある。
俺はこの声を、サリュの部屋で聞いた。
でも、サリュの部屋で子どもたちと話していたのは、この日より後の話で。
だけどその出来事が、どうしてか、少し前のことにも思えて。
……訳が、分からなかった。
「……なん、だ」
頭が痛む。思わず右手を持ち上げようとして、しかし身体は動かない。
痛みでなにも出来ない俺を余所に、目前のヒカリも話を続けている。
まるで俺とは違う俺が、なんの問題もなくこの場に立って、受け答えをしているかのように。
「……づ、づ」
一体、コレは。
なんなん、だよ。
『この後も、特に込み入った話がある様子もない。もう少し遡っていきましょうか』
なにも分からず混乱する中、意味深な囁きを、合図に。
「……あ、あ」
また、視界が擦れて――。
意識が、どこかに引っ張られるような感覚があって――……。
闇に落ちる。
ここではない、いつかに落とされる。
このまま、されるがままに――――…………。
けれど、不意に。
「ユーマ!」
囁かれた声とは違う、彼女の声が。
この場所で俺を呼んだ――サリュの声が。
「っ」
慌てて、暗がりの中から。
落ちていく意識を奮い立たせ、這い上がらせた。
声は、正面のヒカリの向こう側から。
パーティー会場の中央、賑わいの中から。
続く軽快な足音も、きっと俺に宛てられたもので。
擦れて黒ずんだ視界を、それでも見開く。
彼女を見たいと、この場に縋りつく。
そうすれば、サリュが――。
「お待たせ、ユーマ!」
「――――――――――――――――」
俺は、現れたサリュの姿に。
痛みがどこかへ吹き飛んだ。
視界が一気に開かれた。
意識も引き戻されてた。
なのに、思考も言葉も失われて。
なにも出来なくなって。
ただ、サリュの姿に。
――見惚れてしまっていた。
「ユーマ?」
現れたサリュは、真っ赤なドレスを身に纏っていた。
目を惹く鮮やかな色濃い赤は、一目で高価なものだって察せられた。
けれども足元の長い尾を揺らしながら、彼女は気にした様子もなくパタパタと駆け寄って来る。
合わせて、晒された肩口や震える胸元に、思わずドキリと心音が高鳴った。
もっともそれは邪な情欲というよりは、感動に近い。
なんというか、そういう大人びた部分も含めて、ただただ彼女の全てが綺麗だって感じられて。
「――――――――」
それから、彼女の後ろ髪が一つに結われている。
頭の高いところで纏められて、だけど激しく動くからか、癖っ気が跳ねて左右に広がってしまって。
それで、屈託のない満面の笑顔が、真っ直ぐ俺に向けられていて――。
華やかで煌びやかで、愛らしくて。
この場に集まった誰よりも、飾られた会場そのものの光よりも、ずっと輝いている。
正直、放心するくらいに見惚れていた。
自分でも驚くくらいに、見入っていた。
「ははっ、凄い顔だ」
ヒカリに指摘されたが、放っておいてくれ。
だって、信じられるかよ。意味が分からねぇよ。
この子が、俺のことを好きだって言ってくれて。
俺を助けるためにって、命まで懸けてくれて。
俺が居ないと幸せになれないなんて、求めてくれて。
「――……ああ、くそっ」
震える唇が呟く。
込み上げてきた感情を吐き出す。
こんなの、……こんなの。
ああ、だけど。
声が――。
『――フフ。満足、ですか?』
満足な訳がない。
もっと、着飾った彼女と一緒に居たい。
この後も凄く楽しかったんだ。色んなものを食べて、色んな人と話して、一緒に居るだけでドキドキして。
今だって、俺の目の前で。
他でもない、俺に話しかけてくれているのに。
「どうしたのユーマ? なんだか放心してる?」
「サリュちゃんがよっぽど綺麗だからじゃないかな。こんなに感動して貰って、彼女冥利に尽きるね」
「そ、そう? ――って、そういえば、なんでヒカリと二人きりなの? ……はっ! もしかして、そういうやつなの!?」
「さて、どうだろうね。あまり言い触らすような話をしていなかったから、どう説明したものか」
「い、いいい言えない話ってこと!? どういうことユーマ!!?」
肩に掴みかかって来て、ブンブンと揺らされる。
とんだ勘違いから瞳を潤ませる彼女も、不憫ながら、やっぱり可愛い。
なのに気付けば俺は、サリュに詰め寄られる俺の姿を、後ろから見ている。
俺とサリュが話しているところを、眺めさせられている。
その光景も、少しずつ遠くに……。
「……奪うな」
この時だけじゃない。
子どもたちとの時間だってそうだ。
悪戦苦闘して、だけど少しずつ距離を縮められた。
最後にはみんなで、笑顔で話していた。
楽しい時間だったんだよ。
「……嫌だ」
アッドやヴァンと下らないことを話していた時も。
任務に駆り出されていた時だって、帰ったらサリュとの時間もあって。
忙しい中にも、充実した日々が続いていて。
鬼餓島での戦いを乗り切って、この数か月は、本当に。
これまで生きていた中で、一番、幸せな――――。
『――では、この時を永遠にしましょうか?』
「――――――――は?」
その問いは。
その提案は。
その誘いは。
今の俺には、あまりにも――――――――。
だけど。
それまでもが、打ち切られた。
もう一つの声によって。
『――ウム。その甘言は、妾が通さぬ』
今度こそ、聞き覚えがある。
それでも予想もしていなかった、――乱入者が。
『どれ、妾もヤツに倣って、一つ思い出させてやろうか』
果たして、結局はどちらにしたって、変わらない。
俺は、なにかに引っ張り手繰り寄せられて……。
『なあに、貴様が探っている事柄にも、妾が直々に答えてやろう。だから今は黙って見ておれ、――悪辣な魔女よ』
間もなく、視界も意識もプツリと閉じられて。
ここでも今でもない、どこかへと落とされた。




