第五章【04】「青春」
話題が区切られたところで注文が届いた。
まずは食べてしまおうと、互いにラーメンへ箸を伸ばす。
相変わらずの濃い味が口の中に広がり、空腹感を余計に刺激される。
ふと左を窺えばヴァンもまた、ひと口の後に「美味い」と呟いていた。
やはり育ちがいいと言うべきか、音を立てながらも上品だ。白い衣服を汚すこともなく、片手で綺麗に箸を扱い、時にレンゲに持ち替えてスープを楽しんでいた。
なんて、ジロジロ見るのも失礼な話だ。
視線を戻して自分の箸を進める。
熱い、美味い。
そうして数分、互いに食べ終わる頃。
入口に見知った顔が来店した。
「オーウ! 弟に騎士サマじャネーか!」
大きな黄色い瞳をパチリと開け、気さくに右手を上げて。
アッドが俺たちの方へと歩いてきた。
「ンだよ、丁度終わッたところカよ。せッかく会えたッてのに」
「アッドは今仕事終わりか?」
「まーナ。大忙しだゼ」
言いながら、アッドはヴァンの左隣の席へと座った。
すればすぐに大きく肩を落として息を吐く。言葉の通り忙しいみたいだ。
そんなアッドの様子に、ヴァンが小さく笑った。
「相変わらず走り回っているようだね、君は」
「オウ騎士サマ。年末にココで会うとは思ッてなかッたぜ」
「まったくだ。なかなかどうして君とは縁がある。以前リリーシャの件でも共闘したな」
「リリーシャの――ッて、随分前かと思ッたらつい夏の話じャねェか。アレからもう四ヶ月も経ッたのカよ」
「早いものだ」
「ッてオメェ! あの時オレのことトカゲッて言ッてやがッたな! リザードマンだッつッてンだろ!」
「ははっ、あの時は勢いでついね。まったく君は本当に、変なところで根に持つなあ」
二人はそんな風に軽口を言い合う。
なんというか、……正直驚いた。
「えっと、悪い。アッドとヴァンって仲良い感じなのか?」
「ああ。僕とアッドは同じ学園の出身だからね」
「そうだゼ。姐サンも一緒だ」
「姉貴も?」
知らなかった。
アッドとヴァンの関係もだが、まさかそこに姉貴も加わるとは。
聞けば人里離れた山奥の学園で暮らし、この国の知識や常識を教わっていた期間があるとか。
そして姉貴とアッドとヴァンは、その期間が被った同級生のようなものらしい。
思えば姉貴とアッドに長い付き合いがあることは知っていたが、それがどういうものかは聞かされていなかった。
姉貴とヴァンの関係についても、なにかあるとは察していたがそれだけだった。
まさかそんな繋がりがあったなんて。
「学園とは名ばかりの矯正施設だけどね」
「十年くらい前だよなァ。懐かしいゼ」
十年くらい前。
そのタイミングだと、俺や姉貴が島を出てこの街に来たタイミングか。
考えてみれば当たり前だけど、姉貴にもそういう時期があったんだな。
「ハハッ。オレと姐サンは学園で出会ッて、ソレからズットの関係なンだ。お互いを助け合ッて、支え合ッて……」
「よく言うよ。あの頃の君は迷惑をかけてばかりだったじゃないか」
「言いやがッて畜生。マアそうさ、ワンパクなオレを姐サンが育ててくれたンだ。ソレはもう、深い深い縁だゼ」
「まったく都合の良いように言い換えて。随分苦労していたぞ。しっかり返せるか?」
「うるせェやい! コレからも長ェ付き合いになるンだ! ちョッとずつ返していくンだよ!」
なんて、言い合う二人はまさしく旧友だった。
姉貴が居たらもっと盛り上がったりするんだろう。
それこそ、俺はお邪魔なんじゃないかって思うくらいに。
「…………」
学園か。
色々と決着をつけたけれど、結局まだ慌ただしい状況で。
また落ち着いたら、そういう話も出てくるだろうか。
だけどやっぱり、自分が学校に通っている姿は思い浮かばなかった。
例え通うとなっても、多分こういう学友みたいな相手は出来ないだろうと思った。
「……あー」
せっかくの機会だ、よければ席を外そうか。
そう提案しようとしたのだが――。
予想外にも。
本当に、想定外にも――。
「と、そういえばユウマ」
唐突にも、俺を呼んだヴァンがそのままに。
俺に尋ねた。
「サリーユ・アークスフィアとはどうなんだ? 関係が進んだと聞いたが?」
「――――おう?」
それは、えっと。
いや、なんだその話は。
いやいや、誰から聞いたんだそんな話を。
「……なんでこのタイミングで?」
「いやなに、聞こうとは思っていたんだ。丁度アッドの悲恋を聞いて思い出した」
「勝手に悲恋にしてンじャねェー!!」
「フフ、友人としては勿論応援したいが果たして。――で、だ。僕としては無事成就したというユウマの話を聞きたいのだが?」
「……成就した、って」
「ああ少し違うか。成就したのはサリーユの恋だね。君は彼女の熱烈なアプローチで、遂に心を撃ち抜かれた訳だ」
「…………」
間違ってはいない。
俺たちの関係は誰がどう見てもサリュが押せ押せだった。
事実最後の最後もサリュに押されたのが決め手になった。
それで俺たちはめでたく、正式な恋仲になった訳だが……。
「……誰から聞いたんだよ」
「さて誰からだったかな。ちなみにアッドは知っていたか?」
「勿論ダ。つーか隠れ家で乾杯したゼ」
「勝手に乾杯してんじゃねぇよ!」
それこそ知らなかったぞ!
てか乾杯って、めちゃくちゃ盛大にされてるじゃねぇか!
「な、なんで」
「別に秘密にしていた訳ではないだろう?」
「……まあそうだけどさ」
姉貴には即日バレたし、千雪にも報告に行った。
その報告の際、七尾さんにも聞かれてからかわれたりもした。
他にも見知った何人かから一言貰ったり、聞かれたり、同じくからかわれたり。
別に口止めもしてないから、広がっていても不思議じゃないけど。
「いいじゃないか。この情勢の中、おめでたい話だ」
「面白がりやがって」
「ハハッ、まァでも騎士サマの言う通りだゼ。ここ数ヶ月の嬢チャンはめちャくちャ笑顔で頑張ッてる。オレも元気を貰ッてるヨ」
「彼女も手放しに笑っている訳ではないだろう。だけど落ち込まずに励んでいるのは、君との成就があってこそだ。実に素晴らしい」
「……まあ、ならいいのか?」
これまたまったく意図していなかった影響だ。
正直まるで実感はないが、まあ良い話だというなら悪い気はしない。
じゃあまあそういうことなら、ありがとう。
で、終わらせたい話なのだが。
「それでユウマ。サリーユとはどこまで進んだのかな?」
「そういうのは聞かないでほしいんだけど」
なんかヴァンがめちゃくちゃ食い付いてきた。
そしてそれに乗っかるように、アッドも目をキラキラさせていた。
こ、こいつら……。
「別に特別不思議なことなんてねぇよ。お付き合いして仲良くしてる」
「その特別不思議でもない話が聞きたいんだよ。まあ多少の遠慮はあるが、立場上こういった話に縁がなくてね」
「いやそれは嘘だろ。モテるだろ」
誰がどう見てもそう思う筈だ。
世界の違いがあるとはいえ、少なくとも日本国ではイケメンに相違ない。
鮮やかな金髪や、整った顔立ちと力のこもった大きな瞳。
立ち姿や所作も上品で、悪いところが見当たらない。
正直同じ男として完全に負けていると、軽く劣等感を覚えるくらいだが。
ヴァンは苦笑して首を横に振った。
残念ながら自分に縁もなければ、話題になることもなかったと。
「僕は騎士だからね。……とは言っても、騎士の中には家庭や恋人を持つ者は少なくない。だから正しく言うなら、騎士だからという言い分で色恋を避けていたとなるかな」
「なんでまたそんな」
「ソーだゼ。学園でもキャーキャー言われてたじャねェか」
「何故かと聞かれれば、興味がなかったからか。或いは余裕がなかったのだろう」
立場が、使命が、及ばない力が。
全てが自分を戦いへと駆り立てていた。
その為に時間を費やしていた。
だから興味も余裕もなかった、と。
だけど熱中もしていた。
ただ強さや成果を求める日々は悪くなかった。
間違いなく充実していたのだと、ヴァンは続けた。
「この国で言えば『青春』だろうか? それこそ他に構う余裕もない程に、駆け抜けたよ」
「……それがなんでこのタイミングで興味を?」
「区切りがついたから、だね」
言って、ヴァンは右手を持ち上げた。
手先を失い袖に覆われた、その腕を。
「先に言った通り、僕は一つの決着をつけた。そしてこの腕では簡単な任務こそこなせるが、重要な局面に立たされることはないだろう。それで、――先を考えた訳だ」
先を。
もしかしてそれが、誘われていた時に言っていた『今後の話』ってやつなんだろうか。
聞けばヴァンは頷いた。
「そうとも。立場や責任は変わらず付き纏うだろうが、それでもこれまでとは違う生き方が始まる。その話をしたくてね」
「それで俺の話が聞きたいってか」
「ああ。まだ相手も居なければ目処も立っていないが、一つの道だろう。僕も年頃ではある」
「……なるほど」
「それからこういう話を同性とするのも楽しみたい。恋バナというやつだ。出来れば下世話な話まで掘り下げたい」
「絶対そっちが本音だろ」
「勿論だとも。僕は今、初めて恋バナに興味を持っているのだからね」
なんて言って、歯を見せる。
それは本当に純粋無垢な、子どもみたいな笑顔だった。
……畜生、断り辛いじゃねぇか。
「こりャあモウ逃げられねェなァ、弟ォ」
見ればアッドもニヤリと笑って、丁度来た店員に手早く注文を済ませていた。
「……くっそ」
いや、こういう話は。
でもなんていうか、別に話すのがめちゃくちゃ嫌って訳ではないんだ。
ただ言い触らすのもどうかっていうか、姉貴や千雪にも最低限の報告しかしてないし。
だってこういう話って、なあ。
いや、こう、ちょっと抵抗があるんだけど。
じゃあ嫌じゃないけど話したくないのかって、別に話したくない訳でもなくて。
だから、その――。
なんて、自分と押し問答をして。
「……他言無用で頼むぞ」
「勿論だとも」
「…………惚気話になるぞ」
「是非聞かせてくれ」
頷くヴァンは軽くこちらに身を乗り出しているくらいだ。
言っていた通り興味津々で、変わらない笑顔で。
ああもう。
俺の負けだよ。
「――分かった。その代わり、替玉奢りで」
「よし、僕もそうしよう」
そうして俺は、この恋バナを了承して――。
「ではユウマ。まずは初体験についてだが――」
「いきなり過ぎるんだよ!」
なんて言い合って、笑い合って。
俺たちは男三人で恋バナをした。
俺にだって、こんな縁はなかったから。
なんだかんだと押し切られて、色々話して、楽しんでしまった。




