第五章【01】「手遅れ者の夜」
目を覚ます。
正確には伏せていたまぶたを開く。
私たちに睡眠はない。
ただ視界を閉じて、暗闇に落ちて転がっていただけ。
微睡に揺蕩うこともなければ、疲労感に脱力することもない。
情報を整理し気持ちを落ち着けるために、人間らしいフリをしていただけだ。
私たち死体には、眠りも食事もなにも要らない。
なにをしないでも死んでいて、なにをしても感じられなくて。
なにもない。
なのに。
私は今、確かに――。
「――――――――」
意識がなかった。
でも、眠っていたのとは、違う。
ここ数日だ。コレが頻発するようになったのは。
それも、日に日に深く意識を手放していっているように感じる。
「……づ」
薄暗い天井が歪んで、視界の端から黒ずんでいく。
起きた傍から思考が擦れて気持ちが悪くて、なんの為かも分からない吐き気を覚える。
ベッドに横たわった身体を起こすことが出来ない。
動けない。
「……ァ」
なにも、不思議な話ではない。
死体は動かない。
視界も思考もある筈がなく、起き上がるなんてない。
ごくごく自然な成り行きだ。
だけど私たちに限っては違った筈だ。
そういう力が、そういう怨讐が、意志に関わらず動くことを強いていた。
まだ終わるなと雑多な死に体のままに、取り繕えと強要していた。
それが、もう動かないというなら。
コレが、本来降りかかるべき当然に戻されようとしている兆候なのだとしたら。
私は。
私は――……。
「……っ、づ」
それでもまだ、強く命じれば身体は起き上がった。
上体を持ち上げベッドに腰掛け、そのまま立ち上がることも出来た。
覚束ない足取りで壁に手をかけながら歩き出し、少し経てばこれまで通りに、手を放しても自重を支えられるようになった。
足を進ませることも腕を持ち上げることも、手のひらを閉じることも容易になった。
変わらずなにも感じられないままに、考えるまま思うがままだ。
「……ま、だ」
まだ、動ける。
まだ、――戦える。
たとえこの先で、間もなく事切れるのが否応のない運命だとしても。
今この時は、まだだ。
「黒音お姉ちゃん」
「――っ」
呼ばれて視界を上げれば、飄々と歩み寄る妹が。
――真白が、私の前に立った。
「お姉ちゃん、どうしよっか?」
大きな目をまん丸と開いて、首を傾げて、綺麗な銀髪を揺らして。
まるで生前と変わらない、幼く可愛げのある表情で。
真白は私に尋ねた。
どうしようか、なんて。
「……なんの話よ」
「勿論、これからのことだよ」
「……どのこれからよ」
「全部のこれからのことだよ」
「…………そんなの」
そんなの今更だ。
今更なにをしたところで、私たちは終わっている。
だから、これからなんて――考えるまでもない。
「決まってるでしょ」
これからなんてない。
だから私はこれまでを貫くだけだ。
「私は行くわよ」
身体はまだ動く。
忌々しい怨嗟の泥水も、未だ私の腹の中で煮え滾っている。
私は私を貫くために、この事態の渦中へと飛び込んでやる。
でも、じゃあ――。
「真白は――」
「へ?」
「――――」
「なあに?」
「――――。……いえ」
妹を呼んで、ふと。
真白はなんのために、と、考えて。
「なんでもないわ」
私は首を振った。
それは真白の話だ。真白の中で決まっているならそれでいい。
或いはなにも考えていないのだとしても、真白には真白の理由がある筈だから。
本能的なものや感情的なものだって、十分な理由になるのだから。
ただ、私には理解出来ないものなんだろうなって。
だから、聞かない方がいいんじゃないかって、そう思って。
でも、結局は自分に聞こえのいい言い訳をしてるだけ。
私は知らないままに、立ち入らないままに、突き放しているだけだ。
こんな身体になって尚も、私は……。
「…………」
尋ねるべきだろうか?
貴女はどうしてと、真白に踏み込むべきだろうか?
少しだけ、そんな疑念が過ぎったけれど。
でもやっぱり、もうなにもかもが手遅れだと思い直した。
「――行くよ、真白」
「は~い」
私は変わらず、それだけを言った。
この夜も、私たちは家を出る。
私は音を立てずに、真白は軽快な歩調で。
前と後ろに連なって――。




