番外編【19】「前日譚ⅩⅩⅨ」
そうして、私は目を覚ます。
見覚えのある天井は薄暗く、今しがた鮮明に浮かんだあの日と重なる。
「…………」
夢を見た。
遠いあの頃の夢。
と、いうにはまだ浅いかもしれない。まだ十年も経っていない。
それでも長い時間が過ぎたと、随分遠くまで来れたと。
私は重い肩を落とした。
そんな私に、彼女が笑った。
「起きたようじゃな。まったく、妾の傍らでそうぐっすりと眠る者など、お主くらいじゃぞ」
「……迂闊過ぎて返す言葉もないわ」
身体を起こす。
僅かに近付いた天井は、けれどもやっぱりまだ遠い。
「……えっと」
私は八ツ茶屋に来て、いつものこの和室に通されて。
相変わらずなにもないなって、諸々の連絡を返しながら今後のことを考えていて。
三十分くらい経っても来ないから、少し休もうかって、座ったまままぶたを閉じて。
それで寝落ちしたと。
いいえ、或いは。
寝落ちさせられた、と。
「ねえ、なにかした?」
そのまま視線を傾ければ、古ぼけた卓袱台を挟んだ向こう側。
新聞紙を両手で広げ、静かに座り込んだ――八代子に尋ねた。
彼女もあの頃と変わらない。
幼いままの姿で、濁りのない白肌で。
八代子は歯を見せ答える。
「はて、妾はより深く休めるようにと多少弄った程度。気を抜いたのもそうなるまで疲れていたのも、お主の未熟よ」
「十分に反省してるけど。……むしろ起こしてくれても良かったのに」
「予断を許さぬ状況じゃ。休める内に休ませてやるというのも気遣いであろう」
「それはまあ、ありがとうございます?」
言えば八代子は、まったく素直じゃないとケラケラ笑った。
でも彼女の言う通りだ。少し考えが及んでいない。かれこれ一ヶ月と少し、日中は動きっぱなしだ。
なにもしてない時だって、常に色々と考えてしまっている。よくない流れだと改めた。
「いやでも、じゃあ夢まで見せる必要はなかったんじゃない?」
そうだ、休めるようにという気遣いなら――。
と、文句を言ってやるつもりだったのだけれど。
「夢? 夢とはまた、随分気を抜いておったのう」
「――あれ? 違うの?」
どうやら違ったらしい。
八代子のきょとんと目を丸めた表情は、多分嘘じゃないと思う。
それに意地悪や意図があってやったことなら、隠すよりも笑い飛ばすタイプだ。
つまり今の夢は、このタイミングで私が自発的に見た……。
「……」
「なんじゃ、奇怪な夢でも見たか? まさか予知夢だの、天啓を受けたとは言うまいな?」
「いえ、そういう訳じゃないけど」
ふと考えて、すぐに納得した。
なるほど裕馬の件があって、アヴァロン国が乗っ取られて、異世界戦争だのなんだのが示唆されている時世だ。
その上この部屋でまどろんだとなっては、思い起こされるのも不思議ではない。
それは、今返し見るにはむず痒くも、けれども決して悪くはない。
――小さな小さな、大切な初心だ。
「なんでもない夢だったよ」
或いはもう少し早くに思い返せていたなら、先の件でもっと裕馬たちに良くしてあげられたかもしれない。
だけどそれも終わった話だ。
だからといって、ここで初心を拾えたのは遅い訳でもない。
なにせ私たちはこれから、正真正銘、世界と戦うんだから。
◇ ◇ ◇
用事を済ませて八ツ茶屋出る。
すれば来た時には明るかった空が、真暗な冬の夜空に変わっていた。
用事といっても、情報交換と今後の動きを話し合っただけ。私の寝落ちがなければ、もっと早くに終わっている予定だった。
終わったら『隠れ家』に行くと連絡を入れていたから、もしかすると心配をかけているかもしれない。
と、思って――。
「――ああ、私の配下が直々にお出迎えだ」
「オウ! ちョーッと心配したゼ、姐サン!」
案の定、店の向かいに。
分厚いフードを深く被って、緑肌の右手をブンブンと振るアッドが居た。
思わず頬を緩めて、彼へと歩みを向ける。
そうして二歩ほど進めばもう、駆け寄って来たアッドが傍に立った。
後は自然と隣に並んで歩き出す。
「悪いねアッド。不覚にも昼寝をしてしまっていた」
「マジかよ、珍しくねェか? 姐サン疲れてンのか?」
「そうだったみたい。体調管理も仕事の内、だな」
「まーデモ、休めタなら少しはマシになッたンじャね?」
「その通り。今から隠れ家に行って、もうひと頑張りといくよ」
「……無理すンなよ?」
「勿論。飲んだり食べたり楽しみながらの打ち合わせだ」
少し無理も祟っているようだし、早めに上がるとしよう。
簡単な雑務も裕馬やサリュに回して、アッドにも幾つか任せるか。
こんな状況だからこそ無理なく無茶せず。
備えることも重要だが、蓄えておくことも必要なんだ。
「ソレで? ナンだよ姐サン、さッきのは。『配下』ッてのは懐かしいナ」
「なんだ覚えてたのか。私はついさっきまで忘れていた」
「忘レられるワケがねェ。裏山に拉致されてボコられて、説得されてまたボコられテ。最後マジで容赦なかッた」
「そうだったか? 私の記憶では、説得に成功したところまでなんだが」
「イヤイヤイヤその後ブチ殺されるかと思ッたゼ! マジで姐サン、言ッてるコトとやッてるコトが滅茶苦茶だッたゼ!」
「まあお陰でこうして、立場を理解した従順な配下に育ったということで。必要な調教だ」
「オウ……。その通りだからナンとも言えネーゼ」
アッドはそう肩を落とす。
どうやら当時の私はなかなか過激に躾けたらしい。
まあ色々とやらかした後だ。うろ覚えではあるが、お礼参りに罰則の意味も込めてやり過ぎていたかもしれないな。
「マ、お陰で今があるンだ。オレはソレで納得だヨ」
言って、夜空を見上げる。
フードに覗いた牙の並ぶ口元から、白い吐息をこぼしながら。
薄らと陰る黄色い眼光で、どこか遠くを見つめながら。
「……そう言ってくれるか」
嬉しい言葉だった。
でも同時に身が引き締まる。
ここまで多くのことを失敗して来た。
私の所為で刻まれた傷や被害、……失われた命もあった。
身の丈ばかりが大きくなったところで、内側は未熟なまま。知識不足、経験不足、私個人の力もまるで及んでいない。
なのに大事な局面に立たされることが増えていく。
今この時も、きっとこれから先もずっとだ。
果たしてこの先も、私はアッドに。
身近に居る仲間たちに、納得のいく今をあげられるだろうか。
「…………」
私一人でどうにかなる話でもない。
協力が合って、補い合って、その為の仲間だということも分かっている。
少なくともサリュたちと鬼餓島を乗り越えた今だから、それを正しく理解出来ている筈だ。
だから私は、私に出来ることを。
足りないところは借りて、それでいい。
それでも、どうにもならない時は――。
「…………ああ」
それこそ初心だ。
変わらず未熟だからこそ、不格好にも指針にするんだ。
どうにもならない世界の中で、みんなで協力して、みんなでぶつかって。
それでもどうにもならない時は、――それでも、と。
ほんの僅かな欠片でもいい、大切なものを零さない為に。
自分たちの為を、掴み取ってみせるんだ。
「アッド」
「オウ」
「君は――――いや、違うな」
私は尋ねる。
卑怯にも答えを知りながら、それでも応えさせる。
「お前は変わらず、私の下で戦ってくれるか?」
「勿論ダ」
「……命を賭けてくれるか?」
「当然ダ」
「どんな無茶にも臨んでくれるか?」
「やッてヤル。ムリなら当たッて砕ケろだ」
「私の為に?」
「姐サンの為に。――――あー、ソレから、仲間の為にダナ」
「……ふっ、かっこいいね」
ああ、まったく。
お前ってヤツは、本当に。
「お前とはこれからも長いだろうね」
「オイオイそりャあアレか! 遂に『ハンリョ』ッてヤツか!?」
「アッド。新婚早々嫁に逃げられた私に、それはよくない冗談だ」
「おッとすまねェ! ッてかマジだッたンだな! 結構引きずッてンな!」
「小生意気で可愛らしい最高の嫁だったんだぞ。ああしていればこうしていればと、悔いばかりだよ」
「いやーデモよ、聞いた話じャ一方的なヤツだッて――」
「一方的にでも力尽くにでも欲しかったんだ」
「スゲェな!? そンな強引なタイプだッたのかヨ!?」
「そういえばお前と浮いた話をしたことはなかったな。どうだ、隠れ家で今日は恋バナといくか?」
「ウガーしたくねェー! ワンチャンもなくなッちまうヤツだー!!!」
なんて、後半は馬鹿げた話をしながら。
茶化し合いながら、大口を開けて笑い合いながら。
私たちは同じ道を歩いていった。
読了ありがとうございました!
これにて番外編は終了になります!
次話より最終章を投稿いたします!
また少し長い章にはなりますが、是非、物語を最後まで楽しんで下さい!
次話は1日(水)に投稿予定です!
どうぞよろしくお願いいたします!




