番外編【18】「前日譚ⅩⅩⅧ」
単刀直入に。
私はアッドへと、それを叩き付けた。
「決闘よ。私が勝ったら、――私の配下になりなさい」
そして、返答は待たない。
私は地面を踏み締め、荒れ固められたクレーターを更に沈ませて。
一足。
再びアッドへと接近し、その懐へと入り込む。
振り被り握り締めた右の拳を、突き出す――――ッ!
「ッ、ア――――!!!」
「グヅ、――ゴ!!?」
まんまと、私の一撃は緑の鱗を捕らえ。
またしても、違和感の残る手応え。
アッドは大口を開けて血反吐を散らす。
弾かれ後退し、衝撃に身体を仰け反らせる。
重い一撃が入った――ように見えるが、逸らされた。
地下での接敵時と同じだ。
私の攻撃に合わせて身を退き、直撃から逃れた。
いや、あの時よりもずっと上手く退かれた。
見切られたんだ。
「やるね」
「が、ガッ! バッ! デメェ、いきなり過ぎンだろ!!!」
「そう言う割にはしっかり逸らしたじゃん」
「お礼参りなンて言われたら警戒するに決まッてンだろうガ!!!」
「分かってるじゃん。卑怯とは言わせないからね。お前だっていきなり襲い掛かってきたんだからさ」
「決闘じャねーノかよ!!!」
「決闘でしょ。お礼参りとも言ったし、決闘の宣言もしてる。この上ヨーイドンが欲しかったなんて、流石に甘過ぎるわ」
言って、腰を低く落とし構え直す。
すればアッドもすぐさま立ち直り、私をキッと睨んだ。
大きく鋭い眼光。
だけどまだキョロキョロと、小さく動き回っている。
もう一度跳び出すよりも前に、アッドは声を上げた。
「待テ! 待テ待テ待テ! なンなンだテメェはァ!!?」
「…………」
「決闘だァ? 配下にだァ? ざけンじャねェよ! 意味が分からねェ!!!」
「そんなにおかしい話?」
「おかしいだろうがァ!!!」
「そう。ま、じゃあ意味が分からないままでもいいけど――ねッ!」
言いながら、私はそのまま跳び出しアッドへと詰め寄って。
再度突き出した右の拳へと、今度はアッドも右手を振るった。
一直線の正面衝突。
乾いた破裂音が打ち鳴らされる。
私の肌色のまま握り締めた拳は、緑の拳によって阻まれ――。
でも真正面からの力比べでは、勝敗は明らかだ。
硬化がなくとも半端な強化でも、鬼の腕力はそう簡単に押し負けない。
私の拳はアッドの右腕を弾き、大きく仰け反らせ態勢を崩した。
「っ、――グ!?」
その隙を逃しはしない。
刹那、私はそのまま倒れ込むように懐へと詰め寄り。
右脚を振り上げ、晒された胸倉を蹴り付けてやった。
「――フ」
「づ、ア……!?」
低く呻きをこぼし、小さく身体が浮かび上がった。
ほんの一瞬、ギョロリと開かれた黄色い眼から黒目が失せる。
加えて容赦なく。
今度こそは直撃をと、私は右腕を振り被って。
「――アッド」
バキリ、と。
構えた右の手のひらを、赤黒い血で覆って――。
「死ぬかもしれないけど、大丈夫?」
「づ、――アァアアア!!!」
間もなく、振り下ろした爪先は空を裂き。
重たい炸裂音を鳴らして、地面を抉り砕いた。
寸前で躱された。
逸らすでもなく完全に回避された。
アッドは大きく跳び下がり、またしても私との距離を開く。
それも、私が着地で周囲に開いたクレーターの向こう側へ、未だ木々が残るところまでまんまと退かれた。
「…………」
やっぱり速い。
このまま森へ逃げられるのは厄介だ。
すぐにまた距離を詰めるか、或いは攻撃を誘ってこちらへ出て来て貰うか。
果たしてどうでるべきかと次を考えて――。
「……っ、待テづ」
「――――」
だけどその考えを止めた。
アッドに飛び出してくる気配はない。そんな安直な特攻はもうしてこない。
どころか、どうにも今のアッドには。
……戦意がないように思えた。
「やめロ。……オレにはもう、無理ダ」
「無理?」
「あァ。……オレは、……オレは」
アッドは視線を足元へと落とした。
相対する私から意識を逸らした。
そうして、その瞳を私へ戻した時。
彼は喉から捻り出すように、嗚咽混じりでこぼした。
「オレは、オマエには勝てない」
「――――――――」
ああ。
その宣言は――――。
「判ってるじゃない、アッド」
それは間違いじゃない。
アッドは確かに、判っていた。
「勝てねェよ、オレは。……オマエにも、あんな化物にも!!!」
「化物」
「そうダ! 寧羅梓も、東雲八代子ッつうオマエのボスも! さッきオマエを連れて帰ッて来たあの女も! ドイツもコイツも化物だらけダ!!!」
勝てない。勝てる訳がない。
足元にすら及ばない。
アッドは叫び、訴えた。
「オマエもそうダ、片桐乙女! 首を斬り落とさレて、あンなにズタズタにされて、なのにピンピンしやがッて! なンなンだよ!!!」
「そういう種族だから、としか言えないけど」
「じャあ尚更無理だロうが! オレは所詮リザードマンだ! ただ速く動けるダケだ! 化物に適うワケがねェ!!!」
「……随分謙虚になったじゃん」
「違ウ! オマエが言ッた通りダ! オレは馬鹿だッたンだよ!!!」
なにも知らなかった。
いいように転がされてばかりだった。
虚勢で目を背けていただけだった。
そしてそれが周囲には筒抜けだった。
なににも敵うことの出来ない弱小種族で。
馬鹿で愚かで、どうしようもないヤツで――。
その独白もまた、正しい。
アッドはやっぱり、判っている。
「そんなオレに、これ以上ナニをしろッて言うンだよ!!!」
「…………」
「さッき聞いてたダロ! オレはもう国に帰るンだよ!」
勿論聞いていた。
アッドは元居た国へと帰される。
突如この世界に転移し、なにも分らず放り出され、帰る術もなく。
未知の種族の管理下に置かれ、学園に閉じ込められ、一方的な規則に従わされる。
転移孤児らは、そうすることでしか生きることを許されない。
アッドもまたその窮屈さに、不満に煽られていた。
そんな状況下からの帰国は解放だ。
慣れた土地へ戻り、見知った顔に囲まれて、馴染んだ規則の中で生きる。
雁字搦めにされていたアッドには、あまりにも救いであり。
意志を折られた心には、縋り付く希望でもあるだろう。
「オレはもう、帰ッて、それデ、……終わりなンだよ」
アッドが肩を落とす。
また視線が下がっていく。
「決闘にも勝てねェ。配下になッてもナンの役にも立たねェ」
強がることも出来ないままに。
こぼれる無力感を留めることも出来ずに。
項垂れている。立ち尽くしている。
もうこの道は進めないと。
私と同じ道を歩くことは出来ないと。
「オレは――、…………無理ダ」
「……………………」
そこまで言うなら。
いいえ、――そこまで、言うから。
「アッドの力を貸してほしい」
俯きながら、それでも微かに肩を震わせた彼へ。
私は右手のひらを差し出した。
そこまで判っているならもう、力尽くでは通らない。
強制も強要も出来ない。諦める以上の甘い話も思い浮かばない。
ならば真っ直ぐに言うだけだ。思うままに求めるだけだ。
言い付けるでなく、乞うでもなく。
私の思いを伝えるだけだ。
「アッドには私の下で戦ってほしい」
「……………………」
「私は百鬼夜行の一員で、百鬼夜行はアッドを求めてない。育て親である東雲八代子も、お前を必要とはしない。アッドが欲しいのは私個人よ」
「……………………ナニ、を」
「そして私はアッドより強い。言った通り、アッドでは私に勝てない。だから同じ立場で、友人や協力者としての関係は難しい」
対等は望めない。
そうなれば私は、彼に膨大なものを求めてしまう。
私が満足出来るものを要求してしまう。
「アッドにそれは出来ない。私もそれを持ちかけることは出来ない」
隠さない。
先程の地下と同様に、ありのままを伝える。
「私とお前は対等じゃない。私の下にアッドが居る。その上で――」
それを判っているなら。
私とアッドは――。
「私たちは、主従としてこの道を進める筈よ」
先へ行ける筈だ。進める筈だ。
強くなれる筈だ。
「私たちは今回の件で、世界を知ったんだ」
そう、アッドだけじゃない。私だってそうだ。
鬼餓島からの連続で、一人では歯が立たない化物と戦った。
治癒力がなければ首を落とされた時点で死んでいた。血の力がなければ時間を稼ぐことすら出来なかった。
私だけでは寧羅梓に勝てなかった。
九里七尾や東雲八代子もそうだ。勝てない。勝てる訳がない。
たかだか並外れた治癒力や腕力を持ったところで、埒外な大妖怪に敵う筈がない。
彼女らにしてみれば、私もアッドも大して変わらない。
等しく力のない弱者だ。
そんな相手に、噛み付くなんて馬鹿馬鹿しい。
そんな格上に、抗うなんて意味がない。
諦める。折れる。逃げる。媚びる。従う。
ぶつからない。戦わない。居合わせない。
どうにもしようがない。
それが、――この世界なんだ。
「私たちは、そんなどうしようもない相手が存在する世界の中で、どうしようもないって生きていくしかないんだよ」
もしも、それらとぶつかることが避けられなくなっても。
それでもどうしようもないって、戦うしかないんだよ。
「分かってるの? アッドの世界が見つかった、帰れる。それはつまり、お前の世界が異世界と繋がったってことなんだよ?」
山田先生が言っていた。騎士団が迎えに来るって。
なら騎士団たちの所属する国が、異世界を管理する彼らが、アッドの国を補足したってことだ。
当然、管理対象からは逃れられない。
その世界の住民たちもまた、異世界との交流は避けられない。
「この先アッドの世界がどうなるかは分からない。開かれたその世界になにが来るかも分からない。和平が結ばれるのか、もしかすると戦争になるかもしれない。なにも分らない」
「……ッ、……ヅ」
「今は穏便に済んでも、これから先は? それも分からない。なにもかもが上手く行くかもしれないし、全てが失敗して最悪に向かうかもしれない」
「……でも、…………そンな」
「寧羅梓のようなヤツが、アッドの世界でもなにかを画策するかもしれない。それが多くを傷付けるかもしれない。もっととんでもない、大妖怪みたいな化物が世界を破滅させるかもしれない」
有り得ないとは言い切れない。
少なくとも私たちは、それが可能な存在や力と相対してしまった。
それが有り得る世界なのだと、判ってしまった。
目を背けることは出来る。
なにもしないと諦めることも出来る。
だけど私たちは知ってしまった。
その脅威が存在することを、それが生み出す影響を。
もしもの時には勝てないどころか、逃げることすら困難になると。
「だから、アッド」
俯き歯を食い縛るお前は。
両手を握り締めその場に踏み止まるお前は。
世界を知り無力感に打ちひしがれながら、それでも、尚。
もう一度、顔を上げて。
差し出した私の右手の平を睨む、――その真っ直ぐな瞳は。
私には、――芽に思えた。
九里七尾や東雲八代子には、取るに足らない小さな芽でも。
私にとっては十分に価値のある、得難いものだった。
「私に力を貸してほしい」
昨日今日だけでなく、これからも。
出来ることなら、ずっと、永く。
「私と一緒に、成長していってほしい」
それはあまりに理想的な、綺麗ごとかもしれないけれど。
本当は泥沼に進む、自ら死へにじり寄る愚かな道かもしれないけれど。
未熟な今に掲げる初心だから。
行く先を見失っても、どれだけ歪んで不格好になっても、一つの指針に出来るから。
それくらい大それたことを言った方が、きっと後にも栄える筈だ。
「――世界と戦おう、アッド」
囚われた中で、それでも我儘に、自分の為に。
降りかかる全てが少しでも、自分たちの為へと傾くように。
読了ありがとうございました!
次話は明日夜に投稿予定です!
次話にて番外編は終了となります!
どうぞ、よろしくお願いいたします!




