番外編【16】「前日譚ⅩⅩⅥ」
東雲八代子と話した後。
その日はそのまま和室に泊まって、明日には学園に帰る段取りになった。
学びは多々あった。
これ以上は必要ないと、そんな風に。
それで今日は終わり。
諸々はまた明日に、そう思っていたのだけれど――。
「乙女! 今から帰るサね!」
「えぇ……」
日付を跨いで眠りについて、深夜二時を回った頃。
唐突に訪れた九里七尾に、問答無用に叩き起こされて。
私はまた彼女に抱えられて、空の上へと連れて行かれた。
「――――」
肩に担がれ、ぶらりと手足を力なく下げる。
流れていく街並みはいつしか田畑になり、あっという間に山々になった。
昼間とは逆に変わりゆく景色。
色々あって遠くに錯覚するけど、昼に藤ヶ丘に来たばかり。滞在は十時間程だろう。
日付が変わったとはいえ、あまりにとんぼ返り。自分でも驚きだ。
結局自分の所属する百鬼夜行には顔も出せず、千雪とも会えず仕舞い。
でも、ノーとは言えなかった。
なにしろ九里七尾から――。
アッドの処遇が決まった。
文句を言えるのは今だけだと、そんな話をされたから。
「――……」
早いように感じて、でもすぐに思い直す。
学園の脱走、及び私への攻撃。
全てが正しく伝えられているなら、アッドの行動は明らかな敵対行動だ。
その日の内に決定を下すには、十分過ぎる逸脱。
東雲八代子が許容しても、学園が流すとは限らない。
むしろ、許す筈が……。
「浮かない顔サね」
「……顔、見えてないですよね」
「見なくたって分かるサ。さては、なにか蜘蛛に吹き込まれたサね」
「そういう訳では……ない訳でもないですけど」
「それについてはいつも通りサ。大事だと思うなら覚えておくといい。口煩くて面倒なヤツだけど、正論ってのは大切だからネ」
「……」
「ま、他に憂いていることについては、――当たって砕けてみるってのはどうだい?」
正論なんて投げ捨てて。
自分勝手に奔放に、ぶつかってみればいい。
九里七尾はそう言った。
「詳しくは知らないけどね。なんにしたって行動あるのみ! アタシはいつもそうしてるサね。勿論、無茶すれば痛い目はみるけどサ」
「駄目じゃないですか」
「でも乙女はまだまだ子どもだからね。課される責任も軽いし、我儘言ったって年相応。言い得で暴れ得だって思うけどねぇ」
「なんの得があるんですか。そんなの呆れられて、……見放されて」
「ハハッ。その程度で見放す訳がないサね。少なくともアタシは、そこまで乙女を見出している訳でもないからサ」
「――――」
それは残酷にも真っ直ぐに。
それこそ東雲八代子に言われた評価とは正反対だった。
見上げれば私の驚きを余所に、九里七尾は笑顔だ。
「やっぱり乙女は考え過ぎサね。まーもともとそうなところを蜘蛛の指導まで受けて、仕方ないっちゃあ仕方ないんだろうけどサ」
「駄目でしょうか?」
「ダメって訳じゃないけどね。でも勿体ないサね」
「勿体ない?」
「そうそう。アイツが先生なんだから、むしろ適当にやってやりゃあいいサ」
正しいことを教えてくれる。
規則や礼儀を仕込んでくれる。
間違えたら呆れて叱って修正してくれる。
そんな、道筋を整えてくれる相手が居るからこそ、多少はデタラメに振舞ったって構わない。
その為の先生であり、その為の仲間であり。
その為の、――組織だと。
九里七尾は歯を見せた。
「正直に言えば、百鬼夜行なんて組織は面倒事サね。それでもアタシが頭領を続けてるのは、そういう理由からサ」
苦手な諸々を押し付けている。
帰る家や街を綺麗にさせている。
千雪たち百鬼夜行の面々に、様々なことを任せっきりにしている。
その見返りが、自分という存在であり。
有事には力を貸し与えることも約束している。
無責任に見合った責任。
そういう釣り合いを取っているとか。
「ギブアンドテイクって言うんだっけ? 貰えるモノはありがたく貰って、返せるモノは返せる時に返す。アタシらが乙女に手をかけるのだって、そういう魂胆サ」
「……情けは人の為ならず」
「そんな感じサね」
全ては期待が花開く未来の為に。
居場所や知識を与えるなんて親身なように見せて、その大成した将来を丸ごと利用し活用してやろうという話。
勿論、私が不利になるだけじゃないけれど。
その未来においても大きなものを得られるとは思うけれど。
選択肢は奪われている。
籠の中の幸福は、されど幸福でありながら。
それでも――籠の中だ。
「お利口さんもいいけどサ。でも未来の可能性を代償にするには、今の乙女はちょーっとお行儀が良過ぎると思わないかい?」
「……どうでしょうか。こうして育てていただかなければ、私の未来なんて、あの島で終わっていたと思いますし」
「感謝感激って? ま、その辺りは乙女の感覚だからね。とやかく言えないけどサ」
でも、と。
九里七尾は続けた。
「でも、せっかくなんだからサ」
多少の我儘は言える立場にある。
勝手は許されていないけれど、無茶をごねるくらいはいい筈だ。
たとえ通されることはなくとも、訴えるだけならタダだ。
ダメならダメと叱責されて正せばいい、改めればいい。
それも学びであり。
当たって砕けることも経験であり。
望まれる未来の為にも、とても大切な――。
「まとめると、なにかで悩んでるならいってみなって話サ。アタシも聞くだけきいてやるし、面倒じゃなければ蜘蛛にも掛け合ってやるサね」
「……ありがとうございます」
「っと、でも考えなしはダメ。本当に馬鹿げたことを言ったら投げ飛ばすし、呆れるし、容赦ないサね。――むしゃくしゃするから世界を滅ぼしたいーとかなら、ノリノリで手伝っちゃうけどサ」
「ははっ。なんていうか、難しいですね」
「そうでもないサ。こんなに言っても、どーせ乙女は真面目でお堅いからね。その辺りはちゃっかり弁えるサね」
確かに、どうにも無茶苦茶なことは言えそうにない。
気になってしまうし、怖がってしまう。
自分のことも、この先のことも、……弟のことだってある。
見限られる訳にはいかないから。
許されていると理屈では分かっていても。
我儘を言ってもいいと納得出来ても。
私にはとても難しい。
それこそ九里七尾の言う通りに、どうせ私は、真面目でお堅いから。
だけど。
ほんの少しなら。
「――――――――」
自分が背負わされていたモノの重さを知って。
自分の至らなさや未熟さを暴かれて悔しくて。
そんなちっぽけな自分を自覚して。
今の自分ではどうにも出来ないんだって理解して。
背伸びしたってなににもなれないって判ってしまって。
それ程の自分で、だけど。
その程度の自分だって、思えるようになったから。
「九里さん」
「なにサね」
「一つだけ、聞いてもらいたいんですけど」
「一つだけって、まったくこの子は。――それで? なにサね?」
「――――私」
かっこつけずに。
大人振ることもせずに。
正しくその場所に歩み寄る為に。
私は九里七尾に一つの提案と、それについてのお願いをした。
◇ ◇ ◇
そうして二時間と少し。
色々と話していたからか、思っていたより時間がかかって。
私は再び学園へと戻って来た。
深い山の中に開かれた、ほんの小さな空間。
その校庭へと九里七尾が着地し、担がれていた私も降ろされ足を着ける。
気付けば見上げた暗空は、薄らと淡い白みを滲ませていた。
夜明けが近い。
それでようやく、地続きだった昨日との区切りがついた。
「…………」
重い倦怠感に肩を落とす。
すぐに部屋に戻ってベッドへ倒れ込みたい。その前にお風呂に入りたい。
狭い湯船に足を畳んで入って、肩までぬるま湯に浸かって、ただ脱力して疲れを流したい。
でももう少しだけ頑張らないと。
諸々面倒だけど片付けないと。
未熟は承知で、――だから私が請け負わなければならない。
東雲八代子に敷かれた道筋の上。
寧羅梓に乱された不自由な檻の中。
九里七尾に焚き付けられて前のめりになった今。
私は、私の意志をここに捻じ込む。
許容される中で、歪みにもならないちっぽけな変化を。
すでに幕引きを終えた、この舞台裏で。
私は次へと――彼を繋ぎ止める。
丁度。
向かいの校舎から、二人の影が姿を現す。
一方はくたびれた初老の教師。
不機嫌全開に眉を寄せた、山田重文だ。
自然と待ち構える形になった私たちを見るや、余計に眉間の皺を増やした。
そして、もう一方。
小さな背丈で細い体躯で、予想外にも従順に、先生に連れられて隣に立つ。
彼が――彼を、私は。
「アッド」
呼べばようやく、アッドは私に気付いた。
丸々と目を見開いて、小さく口を開けて、ぎゅっと両手の平を閉じる。
ああ。
その姿はまさしく、なんの強がりもない。
私と同じ、――未熟な子どもだった。
読了ありがとうございました。
次話は来週土曜日に投稿予定です。
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