番外編【15】「前日譚ⅩⅩⅤ」
私をどうしようとしているのか。
私になにを求めているのか。
どうしてそれが私なのか。
薄暗く閉じられた小さな部屋の中。
机を挟んで向き合う東雲八代子に、私は尋ねる。
自分でも少し唐突感がある物言いだと思った。
だけど、聞かずにはいられなかった。
見えていない、なにも知らない。
そのままで居ることも、それを利用されているような疑念も、我慢出来なかった。
「教えて下さい」
私は何処へ導かれているのか。
私はなににされようとしているのか。
どうして。
なんで――……。
「なんで、私なんですか」
私の問いに、彼女は――。
「決まっておろう。お主には――期待しておるからじゃよ」
東雲八代子は、そう言った。
将棋もチェスも書籍の貸出も、延いてはあの学園への転入も全て。
彼女個人による私への――――期待だと。
「なにをどうしようと、というのは簡単には説明出来ぬが。何故お主なのかという問いの答えは、その一言に尽きる」
「…………どういうこと?」
「それは疑念か相槌か。いいや表情を見る限り純粋な疑問であるようじゃ。やはりまだまだ子どもじゃな」
「疑問に決まってる。……意味が分からない」
私に期待?
なにを?
「まあ、まだまだ未熟な期待の芽じゃがな」
「……だとしても、私は百鬼夜行です」
万が一に、その期待が本当だったとしても。
育てる意図が分からない。
育てるにしても、今の状況が理解出来ない。
「ほんとに分からない。後から育てた恩で引き抜こうとか、そういう考えですか?」
「勿論それも良いが、――お主は百鬼夜行に置いておくのが丸いじゃろうな。妾にとってもそれが利になる」
「それ、は……?」
「簡単に言えば、お主を育てることで女狐の及ばぬところを埋める。百鬼夜行の不足を補う。大きく言えば、百鬼夜行の運営を握らせる。それが妾の企みじゃ」
東雲八代子は続けた。
それ程に、百鬼夜行という組織は穴だらけであり。
首領である九里七尾は君臨こそすれ、組織を率いることなど有り得はしないだろうと。
「……君臨」
「そうとも。古くより多くの妖怪どもが『群れ』を組織などと謳っておるが、実際は大妖怪に付き従う集団が居るというだけよ」
所詮は吹聴がほとんど。
その吹聴が知らぬ間に呼称となり、非公式ながら気付けば形となっているだけ。
大妖怪が自ら組織を立ち上げるなど、滅多には有り得ない。
そんな勝手な徒党。
祀り上げられただけの首領が、運営も存続も、責任を持つはずがない。
「殊更、あの女狐は自由奔放。愛着はあるようだが、精々その程度。そも妖怪社会に頓着もなければ、異世界との連携など頭にはなかろう。よって、組織を回す者は別で用意しなければならぬ」
「それは千雪じゃないの?」
「そうじゃな。アレは女狐には珍しい良き拾い物じゃ。あの雪女は優秀な参謀になるじゃろう。当の本人は大いに苦労しておるようじゃがな」
でもそれだけでは足りない。
一人で全てを回すことなど出来る筈がない。
もし可能であったとしても、それはあくまで『表向き』が限界だ。
だからもう何人か見繕う必要がある。
育てる必要がある。
それも『表向き』ではなく、『裏側』にも精通した誰かを。
その一人が。
その候補として育てられているのが……。
「私に、それを期待してるの?」
「そうとも。繰り返すが、お主には芽がある」
「芽?」
「期待の芽。――成長の芽じゃ」
期待、成長。
果たしてそれらの言葉は、やっぱり自分には不釣り合いに聞こえる。
だけど東雲八代子はそのままに、小さく笑って語る。
「芽吹きを見たのは鬼ヶ島での一件じゃ。お主は弟を救うために策を編んだ。今のままではだめだ、変えなければ、――殺してやらなければ、と」
「……」
「はてその方向性は中々に過激じゃ。策についても、よりにもよって妾ら大妖怪を利用してやろうという算段。大馬鹿者よ」
「…………」
「じゃがそれでも、お主は一つの策を形にした」
策を編み出し実行した。
結局殺すことには失敗し、けれども現状を大きく変えることには成功した。
囚われ不自由にあった弟を、島から出すことが叶った。
全ては策を実行したから。
その起こりは現状への不満から。
今この状況は他でもない――片桐乙女が引き起こしたものに違いない。
東雲八代子はそう言い切った。
それは持たざる者が決して持ち得ないもの。
持ち得たとしても風前に消え失せる灯火。
大きく燃やすは、万人には至れない。
――変化への躍進。
価値のあるものだ、と。
「お主には才がある」
「……私に」
「そうじゃ。もっとも、その芽も育ててみれば伸び代が低いこともある。じゃが仮にそうだったとしても、お主の躍進は必ずや、何処かには辿り着くであろう」
どれ程小さなものであろうと。
或いは大きく時代に刻み付ける程の。
なにかの結果、成果――変化へと。
「……それを、百鬼夜行にですか」
「然り。妾らは所属を別にしても、同じ妖怪として隣を歩き生きる者。変化は連鎖的に、良くも悪くも避けられない。よってお主の行いは妾にも益となり、――同時に下手に動かれれば、妾の首さえ絞められる」
「運命共同体ってことですか?」
「間違ってはおらぬな。付け足せば、妾の組織は妾が如何様にも出来る。お主ら百鬼夜行を安定させる方が、妾には急務であると言えるか」
だから別組織の人員であっても、知を持たせる。
それが巡り巡って、自らに返って来るものになるから。
「情けは人の為ならず、じゃ」
「…………」
私は納得した。
同時に、戦慄した。
これは、認められている訳じゃない。
背負わされているんだ。
期待を、責任を、将来を。
百鬼夜行やこの街の、これから向かう行く末を。
「……そう、ですか」
ああ。
その道行は、なんて。
あまりに一方的で、あまりに重過ぎる……。
「まあ安心せい。どうせ最初は上手くいかぬし、程々に成長したとて失敗する。積み上げてきたものを崩すことも、多くの命を散らすこともあるじゃろうな」
「そんな責任ある立場なんて、……私には、とても」
「さあてどうか。お主がその道の覚悟を決めれば、或いは花開くかもしれぬ。少なくとも妾はそれを期待しておる訳じゃが、――こればかりは成るようにしかならぬのでな」
だけど、臆病風に吹かれてこの道を退いたとしても。
期待や責任を振り解いて、何者にも成り得ない道を選んだとしても。
どこへ行こうとも、なにをしようとも。
全てからは逃げられない。
私たちは、雁字搦めの中でしか生きられない。
「どこに立場を置こうとも、妾らは絶対に誰かの死と向き合わされる。隣り合わせに生きることになる。――そういう生まれであり、そういう時勢であるが故に」
その考え方は、どうにも。
以前尋ねて返って来た、彼女の言い分とはまったく違ったもので。
「東雲さんは、そんな現状に不満や反感はないんですか?」
「ない」
即答だった。
それから続けて――。
「不自由で結構。過酷などとは甚だしい。妾らは幸せじゃよ。この平和な、――人間様の世界に生きることが出来てのう」
そう加えた。
その考え方は、今の私には到底理解が出来なくて。
納得も出来なくて、呑み込むにも眉を寄せて。
でもきっと、九里七尾であれば笑い飛ばすんじゃないかって。
違うスタンスだって手を弾いても、それでも一理あるって肯定すらしそうで。
私は、全てから置いて行かれている自分が。
仕方ないとは分かっていても、今は流されるしかない自分が。
――悔しかった。
読了ありがとうございました。
次話は来週土曜日投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。




