番外編【14】「前日譚ⅩⅩⅣ」
学園へ行く前。
島を出て藤ヶ丘へ来て、一週間くらいの頃。
喫茶店クローバーで働いていた傍らで、私は九里七尾に尋ねた。
あなたは妖怪という存在についてどう思っているのか。
あなたは妖怪が置かれている状況に納得しているのか。
あなたは大妖怪という立場で、なにかを企んでいるのか。
「なんだいそりゃ?」
休憩室のテーブルに突っ伏していた九里七尾は、気怠げに身体を持ち上げる。
多分ずっとそうしていたんだろう。朝見た時は頬杖を付いていた。
向こうのテレビに映る温泉地のロケ番組は、観るからに退屈そうだ。
ともかく私はもう一度、今度は掻い摘んでまとめて聞いた。
今に不満や反感はないのか、と。
「不満、反感。んー、なんでそんな小難しいことが気になるんだい?」
「だって島を出ても、同じだから」
決められた範囲でしか動くことを許されない。
なにをするにも誰かに見張られ、確認や許可が必要になる。
その上で、日々働いて、学び覚えることまで強制されている。
目新しい物は多くて、退屈とは遠いけれど。
それらを自由に見て回ることは出来ない。
雁字搦めに縛り付けられている。
「結局はあの島が、この街に変わってただけで」
予測していたことではあった。
島も外も変わらない。私たちは人の中に紛れることしか出来ない。堂々と歩くことなんて出来ない。
それでも、広いこの街で生きることは贅沢だということも。
……分かってはいるけど。
「……」
むしろ街を歩いてしまったから、余計にそう感じてしまった。
当たり前のように行き交う人たちを、くだらないことで歯を見せあう同じ年頃の学生たちを。
私が通り過ぎてこぼしてしまった日々を、笑顔で駆け回る子どもたちを。
見てしまったから――感じてしまったから。
それはあの島で生まれたから、だけじゃない。
私が、妖怪の血を持って生まれてしまったから。
――妖怪だから。
「私たち妖怪は、これからもずっと、なにかの檻に囚われ続けているの?」
分かっている。
だけど呑み込めない。
こんなのは質問じゃなくて、ただ不満を吐き出しているだけで……。
そんな私に、九里七尾は――。
「なんだいそりゃ?」
再度そう言って、首を傾げて。
どころか――鼻で笑った。
「自由とか檻とか、文豪みたいなことを言うサね。アンタそういうの目指してんのかい?」
「……いえ、そういう訳では」
「だったらそんなことを気にしてるんじゃないサ。妖怪だからとか、人間だったらとか、考えるだけ無駄サね」
そう一蹴した。
取り付く島もないままに。
「どーせなら、妖怪だけどとか考えたらどうだい」
そう言った。
「妖怪だけど好きに生きてる。自由がないけど日々を謳歌してる。人間じゃないけど人間らしく、日陰者だけど日陰では堂々と。どうサね、同じ否定でも幾らか前向きサ」
肯定出来ない気持ちも分からなくはない。
恵まれた誰かと比べてしまうことも仕方がない。
だから全てを前向きにすることは出来ない。
だけど。
だけど、前を向くことは出来る。
満喫出来る。
楽しめる。
「なーんて、日陰の女王みたいなアタシが言っても説得力はないサね」
「……そんなことは」
「それと、子ども相手に現実的な話をするなら。将来依頼とかをこなすようになるとね、お金の面ではまったく苦労しないサね。なにしろ、命懸けが覆いから」
「お金、ですか」
「そうそう。まだ乙女には見えてないだけで、人間は稼ぎに苦労して落ちていく輩が多いサね。人間社会ってのは案外汚いもんサ」
ある意味では妖怪の世界よりも。
余剰や離反者を切り捨てることも難しい、厄介極まりない世界だと。
いつか見えてくる、と。
「ま、なんだかんだ言ったけど全部忘れな。乙女には早い話サね。そんな余計なことを考えてる暇があったら、常連のいつもの注文とかを覚えな」
それで話は終わりだと、九里七尾は席を立った。
なにか予定があったのか、単なる気分でどこかへ行ったのか、それとも単純に話すのが面倒になったのか。
なんにしても、今の私にこれ以上話すことはないって、そう言われた気がして。
きっとそれは気の所為じゃなくて、間違いでもなくて。
私はまだまだ見ていないものが多いし、知らないことも沢山で。
本当に、――未熟だ。
◇ ◇ ◇
目を覚ますと薄暗い天井が見えた。
綺麗な木色は見慣れたものではないけれど、畳の匂いと同様に覚えがある。
ゆっくりと身体を起こせば、すぐに。
答え合わせと、近くに座っていた彼女が小さく笑った。
「お目覚めじゃのう、乙女」
「……東雲、さん」
部屋は、先程までと変わらない。
ゲーム半ば、放り出したままのチェス盤が広がる机。
それを挟んで向こう側に、東雲八代子が居る。
同じく変わらない黒い着物のままで、暗く沈んだ落ち着きのままで。
見る限り、なにかをしていた訳でもない。
彼女はただ静かに正座のまま、そこで待っていたようだった。
……それとも、そんな状態でもなにかをしていたのかもしれないが。
「あの後は、……いえ、今はいつで」
「安心しろ、まだ日は変わっておらぬ」
ざっと半日ほど。
倒れた私を、東雲八代子がここへ運んできてくれたらしい。
「とは言っても、妾ではない妾じゃがな」
「……そう、ですか」
気になる部分ではあったけれど、今は聞き流す。
それよりも知るべきは、その半日で物事がどう動いたかだ。
あの後、寧羅梓はどうなったのか。
意識を奪っただけなのか、それとも本当に終わらせたのか。
……いいえ、そんなの聞くまでもなく。
「あの、――寧羅梓は」
「始末した。なんじゃ、最後まで見ておらんかったのか」
「はっきりとは、覚えていなかったので」
始末された。殺された。
糸に絡めとられ、縛られ、刻まれ、潰された。
今目前に座る、東雲八代子の手によって。
私も立場を違えれば、容赦なく。
きっとこの結末は、その教訓でもあるんだ。
「じゃあお店の人たちは?」
「全員無事じゃよ。治癒も滞りなく、妖怪や転移者らはもうピンピンしておる。人間の者たちも大丈夫じゃろうが、念のため病院へ送っておいた」
勿論、記憶の操作も忘れずに。
店への被害はほぼゼロに修復したと、そう言った。
残念ながら、ただ一人。
捕食された猫耳の従業員だけは、どうにもしようがなかったけれど。
「ちなみにあのリザードマンの小僧じゃが」
「……アッド」
そうだ。
寧羅梓と同じく、学園を脱走して、私と敵対した彼は――。
「ヤツは学園に送り返してある。処遇の全ては学園に委ねると、そうも言い付けた。山田のジジイめは、心底面倒そうに眉を寄せておったがのう」
「――そう、ですか」
「なんじゃ? そう驚くことか?」
「いえ、その。……よかったんですか?」
「いいも悪いもない。妾の店を襲ったのは、あの転移生物であろう」
リザードマンは同行し、それを見ていただけに過ぎない。
彼には埃の一つも立てられていない。
よって、東雲八代子が直々に処分を下すことは有り得ない。
彼女は心底どうでもよさそうにそう流した。
「事態に流されただけの馬鹿者で愚か者。そんな小僧を相手にとやかく言うほどに、妾は癇癪持ちではないぞ」
「そうなるん、ですね」
「もっとも出し抜かれた学園や、直接土をかけられたお主は厳しく当たるべきじゃろうな。気に入らないなら処分せよ。――気に入っているなら教育してやれ」
言って、ニッと歯を見せる。
果たしてその含みのある笑みに、私はなにも答えなかった。
ともあれ、どうやらアッドは生き永らえているらしい。
すぐに送り返されたということは、多分重傷でもなかったんだろう。
しぶといヤツだ。
それで終わり。
寧羅梓は処分された。
アッドは学園に戻された。
お店も無事修復された。
私も五体満足で、無事に戻って来ることが出来た。
それが事の顛末だ。
「ま、先程も言ったが及第点じゃ。よくやったと褒めてやろう」
「…………」
「反省も後悔も多かろう。諸々不平や不満もあろう。じゃがひとまず今日はお開きじゃ。このままこの部屋で眠るもよし、女狐めの拠点へ戻るもよし。どちらにしろ、夕食くらいは用意させるが――」
「……なんで、ですか」
私は思わず、口を挟んだ。
――なんで、と。
「なんなんですか、これって」
疑問。
そして不平でもあり、不満でもある。
分からない。
なにも分からないままに、なにかをさせられている。
なんで?
なにが?
なにを?
「東雲八代子、さん」
私は彼女に問うた。
「貴女は一体、私をどうしようとしているんですか?」
貴女は。
九里七尾も、しいてはこの街も。
私の置かれたこの環境は、一体――――。
「私に、なにを求めてるの?」
どうして。
どうして、――なんで。
「なんで、それが――――私なの?」
私は。
私は――――……。
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