番外編【13】「前日譚ⅩⅩⅢ」
刀剣が解けた。
長丈の白刃が予兆もなく、パッと別たれ開かれた。
「――――」
いいえ。
今更ながら、それは刀ではなかったと気付かされる。
解かれ無数に広がる細糸こそが正体だ。
私たちが扱っていた刀剣とは、その糸の束が形を成していたんだ。
「な、にが――!?」
寧羅梓の動揺が響く。
流体へ変容したからだが揺れ動き、絡みつく糸から逃れようとしている。
でもその糸の発生源はヤツ自身だ。
アッドが刃を刺し込んだ胸の内だ。
どれだけ藻掻いても逃げられない。
重ねて降りかかる糸らは、ヤツの流体を擦り抜けなかった。
大きく膨れても、薄く広がっても、伸び縮みし掻い潜ろうとしても。
より多くの糸が交差し合い、縦横無尽に絡まっていく。
拘束していく無数の糸は、その粘性で貼り付き執拗に捕えていた。
そして、事態はそれに止まらない。
寧羅梓を襲う群とは別に、ヤツの正面の虚空へも。
私と寧羅梓の間に割り入るように、幾重もの糸が集まっていき――。
やがて宙を縛り纏まっていく糸の塊が、――人の形へと整えられて。
波打ちひるがえる長い束が、――艶やかな黒の髪へと彩られて。
その塊の構成を隠し偽るように、――白い肌が表面を覆って。
この暗闇に落ちる程の、漆黒の着物すら羽織り。
大きな目を見開き、その奥にも色深い黒を濁らせて。
糸は、見紛うこともない。
――東雲八代子へと、成った。
「な――――」
今度こそ、私もまた驚愕した。
恐らく等の本人を除いたこの場の全員が、突然の出現に言葉を失った。
刀が糸へと変容し。
糸が寧羅梓を縛り上げ。
加えてその糸が、東雲八代子を作り出した。
信じ難いけれど、当然、姿形だけの人形や偽物じゃない。
彼女が本物だと、正真正銘の脅威だと、心身ともに重厚な緊張を叩き付けられていた。
「――ッ!?」
呼吸が抑えられる。
鼓動が激しさを増しながら、だけど全身の熱が冷まされ静まっていく。
脅威を前に委縮し、息を潜めていく。
圧力――いや、重力とでも言うべきか。
この重苦しい緊張は、間違いようもない。
もはや本物かどうかなんてどうだっていい。
アレは東雲八代子に等しいモノだ。
桁違いな大妖怪の力を有したモノだ。
「――……なに、が」
理屈も理解も及ばない。
ただ目の前の光景を呑み込むことだけに、思考の全てが費やされる。
それ程の混乱だった。
なのに、東雲八代子は。
そんな私に首を傾けて、ニヤリと頬を持ち上げた。
「フム。及第点じゃが、――よくぞここまで辿り着いた」
この選択も間違いではなかった。
数ある最善の一つには辿り着いた。
そう、続けた。
「……………………」
「妾が貸し与えた刀、なんの仕込みもない筈がない。よくぞ見抜き、そして仕込みの発動条件も読み取ってみせた。上出来じゃな」
「…………発、動」
発動条件。
刀を握った使用者よりも、戦う相手が遥かに格上だった場合。
つまりは使用者が難敵にぶつかって初めて、秘められた力を発動してくれる。
不利的状況へと一石を投じ、或いは戦力差を覆す切札にも成り得る。
果たしてその線引きがどこなのかは分からないけれど。
この場においては、アッドが使用することで引き出すことが出来た。
先刻の糸の斬撃、今の突き刺した刀の変容。
どちらも私ではなく、アッドだったから。
……に、したって。
まさか刀本体が本人に成るなんて、思いもしていなかったけど。
「…………」
それに、私ではなくアッドになら力を貸したのは。
私なら――私一人でも、自力でヤツに勝ち得たという判定だったのか。
それとも全ての状況や背景を把握した上で、私に「アッドの力を借りざるを得ない」という難題を出していたのか。
「フフ、おまけにしっかり幼子を懐柔までしてみせたな。見込み通りであるが、末恐ろしいとも言うべきか? いやあ良い良い」
「…………」
分からない。
分からないけど、なんにしろ、私は東雲八代子に試されて。
彼女の言い分を、鵜吞みにするなら――。
「――後、は」
「うむ?」
「……後は、任せてもいいの?」
「任せるもなにも、――もう終わっておる」
言って、東雲八代子は歯を見せた。
それで私は、ようやく理解が追い付いた。
全てを台無しにすることなく結末まで辿り着いたのだと。
この盤面を勝ち取ったのだと。
「……は、ぁ」
途端に膝から崩れ落ちる。
変わらない緊張の中、立ち続けることが出来なくなった。
さっそく気を抜くのが早いという叱責を受けたけど、それよりも脱力が勝った。
手足に有った痛みの残滓が消えていく。
微かに迸る紫電の瞬きもなくなって、逸っていた血流も落ち着いた。
後はなんとか手繰り集めた義務感で、意識は繋ぎ止めた。
見届けなければならない。
他でもない、この渦中の私が、事の終わりまでを。
そうして顔を上げれば、決した戦いの幕引きが始まる。
ここから万事の糸を握るのは、東雲八代子だ。
「さて、ではまず」
「ぐ、……づ」
気付けば寧羅梓は人型に戻り、全身を蜘蛛糸に絡めとられ。
四肢を天井と地面から伸びる糸束に縛り引かれ、磔にされていた。
背面や腕からなにかが持ち上がろうと蠢くも、幾重にも巻き付けられた糸に阻まれる。
指先や足先を流体へと変えようとも、すぐさま行く先を巻き取られ閉じられる。
膨張の類も同様に、ギリギリと締め付ける糸が引き千切られることはなかった。
隙間から覗き零れる真っ赤な着物はボロボロに。
対する漆黒の少女は、微かな解れもない暗闇で立ちはだかる。
ここから奥に光はないと、――終わりだと突き付ける。
「最初に言っておこう。貴様は絶対にここで――殺す」
「っ、な……」
「妾の拠点を襲っただけでなく、従業員や客に危害を加え、どころか妾の駒を一人喰らった。許される筈がなかろう?」
「ま、待って! その子が、――私は、この中で生きてるよ!」
すると瞬時に、寧羅梓の顔が変わった。
猫耳の生えた黒髪の少女のものへと、変容した。
見覚えがある。
それは間違いなく……。
「姿形や能力だけじゃないの! 記憶も経験も、感情も全部あるの! だから、私は私でっ! だから――、――――あ、――――だか、……ら」
「……だから、なんじゃ?」
「……だから、……だけど、私、……――殺されちゃうんだ」
「成程、本当のようじゃ。では妾の温情に感謝せよ」
「――ッ! 待って待って! ウチは京の都の所属やで! 喧嘩売る気ぃなん!?」
またしても寧羅梓に振り戻る。
けれど目を見開き狼狽するその表情は、何故か【彼女には違っている】ように思えた。
そんな違和感を隠すこともなく、彼女は訴えを続ける。
「ウチを預かってるんやろ!? あの学園は中立地帯なんやろ!? 所属も種族も生まれた国も関係ない、公平な教育機関! 手出し無用やろ!」
「そうじゃ。中立にして公平、故に罰則や処遇もまた容赦なく降りかかる。貴様の所属など知らぬ。貴様の行動はどう足掻こうとも、死罪に他ならぬよ」
「っあ、ぐ……!」
「そもそも貴様は寧羅梓を模っただけの転移生物であろう。貴様に味方など居らぬ。居るとすれば精々、実験動物として飼ってやろうという物好きだけじゃろうさ」
「そ、そうや! ほなその実験動物として、ウチの実態を――――」
と、寧羅梓は続けようとして。
「その程度の命乞いしか出来んなら用済みじゃな」
刹那。
磔にされていた寧羅梓から、水色の液体が噴き出した。
それが変容による脱出ではないことは、その表情を見れば明らかだった。
重ねて、――絶叫が響き渡る。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――!!!???」
ギチギチと軋む糸が。
ブチブチと鳴らされる音が。
飛び散り零れていく体液が。
東雲八代子が右手を持ち上げ、手のひらを突き出し。
寧羅梓を蹂躙していく。
「――――――――――――――――!!!!!!」
「この状況下で手を引く背後を匂わせることもなし。実に無益。ただ偶発的に現れた害獣など、速やかに狩る以外にない」
「――――――――!!! ――――――――!!!!!!」
「そもそも寧羅梓の本体とて、この地下を何故知っている何故知らされている? そしてそのような情報と企みを共有する貴様を、万が一にも逃がすと思うておるのか?」
「――――――――!!? ――ダ、っ――たラ――――!!!!!!」
「あー、企みについては要らぬぞ。どうせ小娘にくれてやった戯れなど、妾に土を付けてやろうという程度の不愉快な悪戯じゃ」
「ヅヅヅヅ――――!!! ――――ウチ、はァァァァァアアアアアアアア!!?」
加減も容赦もある筈がない。
東雲八代子はただ冷徹に処分する。
その身が糸の斬撃を物ともせずとも。
刀で胸部を貫かれ、尚も平然と動く身体であっても。
内側から別のナニかを顕わに暴れ回っても。
流体へ変化し拘束を逃れようとしても。
なにもかもが手遅れであり、手詰まりだ。
この地下に、この喫茶店に、――東雲八代子の領域へと踏み入った時点で。
私が成功しようとも、失敗しようとも変わりなく。
寧羅梓を名乗るこの化物の行く末は、既に決まっていたんだ。
「聞くに堪えぬ断末魔、見るに堪えぬ無様さ。精々この場の幼子らに刻み付けるがいい。杞憂にも本懐にも、噛み付く相手はよく考えるのだと」
そして、東雲八代子はゆっくりと指を閉じていき。
やがてはその手のひらを、ぎゅっと握り締めた。
「妾こそは大妖怪――――女郎の蜘蛛であるぞ」
絶叫が鳴り止む。
残響すらも、暗闇深くへと呑まれ消え失せた。
静まり返った後にこだましたのは、ただ一定に落ちる雫の音だけ。
私も彼も、この閉幕では舞台裏だった。
けれど全てが終わってしまえば、また始まってしまう。
力なく座り込む私も――霞んだ視界の向こうで、唖然と立ち尽くすアイツも。
また始まって、まだまだ続いて。
これからも、何度も何度も――……。
「…………東雲、さん。…………ア、……ッドは――」
最後まで言葉に出来ていただろうか。
私にはもう、私の声さえ聞こえなくなっていて。
繋ぎ止めていた意識も、もう握ってはいられず。
倒れた痛みも感じることなく、私は思考をプツリと打ち切った。
読了ありがとうございました。
これより番外編はエピローグに入ります。
次話は28日(土)に投稿予定です。
どうぞよろしくお願いします。




