第一章【23】「後戻りは」
◆ ◆ ◆
わたしは全てを投げ出して来た。
だから、これは罰なんだろう。裁かれて当然の罪を、清算しているのだろう。
――どこか遠い世界で、運命の人と出会えますように。
本当に叶うとは思っていなかった。なんて、言い訳にもならない。なによりその願い事には、わたしのどうしようもない諦めが含まれている。
今の環境では決して、願いが叶えられないと。
レイナの手の届かない所へ。争いとは無縁の、兵器でないわたしで居られる場所へ。遠く離れた異国でなければ望みはないと、リリに言われるまでもなく知っていた。
だから彼女に言われて腑に落ちた、納得出来たんだ。やっぱりそれしかないんだって、諦め、受け入れてしまった。
叶えられるとは思っていなかった。
けれど願った。たった一つの希望に縋り、宝箱へと訴えかけた。
リリの言葉通りだ。わたしは逃亡を望み、叶えたんだ。他でもないわたしの意思で。
恨まれて当然だ。殺意を持たれる程であっても、それを理不尽だと糾弾することは出来ない。彼女にしてみれば、なんて酷い話。
リリ。わたしのたった一人の親友。
わたしは彼女を裏切った。
いいえ、そう思っているのはわたしだけ。
全ては偽り、虚構だったのだから。罪悪感もまた、わたしの勝手な感情にすぎない。
……それも、当然の話か。
だってわたしは彼女の見せた表情も、感情も、本当を一つとして知らなかった。想像もせず、知ろうなどとは思いもしていない。
たったの一歩すら、わたしは彼女に踏み込めていなかったのだから。
「……だけど」
最初は、きっとそうじゃなかった。
声を掛けてくれたのは、他でもないあの子からだったのだから。
リリはわたしよりずっと優秀で、わたしは彼女から学ばされることばかりだった。草花を育てる魔法は、今でもリリ程上手に出来る自信が無い。
わたしに出来ることは破壊ばかり。本当はリリの魔法こそが認められるべきなのに。
「……ああ」
ずっと、リリが認められる世界であればよかったのに。
花を咲かせて、街やお城のお手伝いをして。争いが起こされなければ、きっとこんな風にはならなかった。彼女に傷付けられることなんて、なかった筈だ。
ずっと平和であったなら、この世界へ来ることも、なかったのに。
でも、
「……それで」
それでわたしは、よかったのかな?
リリのことも世界のことも、なにも知らないわたしでよかったのかな?
わたしは、どうして。
……どうすれば?
◇ ◇ ◇
横たわる身体を起こす。
光にやられた視界はチカチカ明滅し、ふらふらと平衡感覚を失っている。腕も足も全身が痛くて、口内に広がる鉄の味がなにより気持ち悪い。
ここまで傷だらけにされたのは初めてかもしれない。思えばどんな相手を前にしても、ずっと圧倒してきた。それだけのものは持っている自信もあった。
なのに、この有様。この世界ではこういう慢心を、井の中の蛙って言うみたい。
立ち上がり、周囲を見渡す。
「……ユーマ、チユ」
一瞬の出来事だった。幾重もの魔法が弾けて、辺り一帯を殲滅した。
咄嗟の防御でも防ぎ切れない、一つ一つの爆発が強烈な一撃。集まっていた百鬼夜行の面々も、アヴァロン国の騎士たちも、全員が吹き飛ばされてしまった。……果たして何人が無事で居るか。
分からない。
今目の前に広がっているのは、崩れてしまった現実だけだ。
上階を大きく削り取られ、半壊したビル群。爆風で煽られた破片の数々も、一体どれ程の甚大な被害を与えているだろう。
街中から立ち昇る炎や煙が、無惨な破壊痕を表している。逃げ惑う人たちの、混乱した悲痛な叫びも聞こえてくる。
わたしはその光景を知っていた。その後、全てが消え失せた終焉も、――わたしはこの手で引き起こしている。
「本当に気に入らない子。自分だけを守っていれば無傷で乗り切れたんじゃないの?」
「……リリ」
浮遊し、荒れ果てた街を見下ろす彼女。わたしが親友だと空想していた、わたしを殺したいと願う魔法使い。
つまりは、敵だ。
その敵を、彼女を見上げる。
「なーによ、その目は。まさか、まだ無駄な問答を続けたいの?」
「……少し、思い出していたのよ。リリと出会った時のこと」
「ッハ、やっぱり無駄なこと考えてた。本当におバカ。……でも出会った時といえば、そうね。あの時のあなたは本当に可愛らしい女の子だった。才能はあるけれど要領が悪くて、特に美的センスが平凡。あなたが魔法で作ったものは、全て凡作ばかりだった」
「……そう、ね。悔しいけれど、今でもリリに勝てる気がしないわ」
「その通り。だっていうのに、あなたはずっと影で練習を続けてたよね。見るからに劣っていながら、負けじと努力なんて汗臭いことを繰り返してた。それが――滑稽だった、可哀想だった! だから良くしてあげたんだよ。あなたと友達で居ることは、とても心地が良かったから!」
だけど、状況は一変した。リリの才能は、国の有事に発揮されるものではなかったから。
わたしの才能は、その状況でこそ有能とされるものだったから。
「戦争が始まって、ようやくあたしは理解した。レイナ先生がずっと、あなたを評価していた理由。あなたは誰もが認める、最高の兵器だった。街人に持て囃される程度のあたしとは違う。世界が脅威に思える程の、圧倒的な力を持っていた!」
「そんなもの、要らなかった!」
「それが一番気に入らない! なによりも腹が立つ!」
再び、リリの身体が光を発する。全身に刻まれた深い傷跡に、破壊の魔力が流し込まれていく。
彼女の怒りを顕わすように、悲痛な叫びに応えるように。
「あたしが持っていないモノを持っておきながら、あなたはいつも要らないって眉を寄せていた! 影で磨いていたあたしを馬鹿にするように、時には涙を流して不幸だって吐露していた! どうして、どうしてどうして、どうして! 要らないなら寄越せよ!」
目を剥き、歯を剥き出す。
それが本当のリリ。わたしが知らなかったリリだ。
「要らない要らない要らないって、耳が痛くなる程聞かされて、持っていないあたしを考えたことはあるか? 認められない褒めて貰えない落第点を押されるあたしを、思ったことはあるか? ある筈がない! お前にはあたしなんて、視えていないんだから!」
「リリ」
「最後まで自分の優位性をあたしに吐露して、挙句の果てには願いがどうだの、くだらない相談を持ち掛けて! そして異世界へ逃げた! ふざけるな、ふざけるなよ、ふざけるなよッ! そんなの殺してやるに決まってるだろッツツ!!!」
彼女の怒りが、限界を超えた。
だから形となり、放たれる。わたしを殺す黒雷が、一直線に撃ち出される。
わたしは、
「リリ、ごめんなさい」
わたしは、右の手のひらを彼女へとかざした。
「わたしは、っ!」
もう、後戻りは出来ない。