番外編【11】「前日譚ⅩⅩⅠ」
暗闇を睨み付ける。
走り抜けて来た道を探り続ける。
強化した視界にも、左右離れた岩肌は薄っすらと見える程度。
暗さに慣れたからか、行く先に続く地面はそれなりに遠くまで見通せるようになった。
それでも真っ直ぐ虚空を見つめれば、底なしの闇が大口を開いているばかりだ。
微かな向かい風が皮膚をなぞる。
その冷たさが、一層体内の熱を感じさせる。
高鳴る鼓動や発熱する脳に、血液が沸騰しているんじゃないかとさえ思ってしまう。
熱い。
「――――」
それを抑え込む。
凍てついた理性と、煮え滾る本能を上回る危機感という警鐘によって。
暴れたいか、なら死ぬぞ。
死にたくないか、なら暴れるな。
落ち着け――と、自制する。
そうして立ち尽くし、ただ暗闇と向かい合って。
やがて、その風に運ばれてきた声が――。
「――あら、ずーっと待っててくれてたの? 乙女ちゃん」
彼女の甘ったるい声が、空気を伝い鼓膜を震わせた。
ヤツが現れた。
「寧羅、梓」
「まだそう呼んでくれるんやねぇ。てっきり『化物ぉ』とか呼ばれると思ってたけど」
「正直怪しいところだけどね。今更呼称を変えるのも面倒だし、寧羅梓本人にも義理とかないから気にしないことにしたわ」
「そんな言い方されると嫌な気分になるなぁー」
話しながらに歩み寄って来る。
その姿形は変わらない。
長い髪に、柔和な笑顔。
真っ赤な目立つ着物で、なのに気配を感じられない。
肩口から『蟷螂の鎌』を持ち上げて、腰元から十数の『触手』を蠢かせて。
背後には大きな『蝶の翅』広げ、――今またひょっこりと、頭に『猫の耳』を生やした。
加えて見開かれた大きな瞳が辺りを見渡し、なるほど猫の要素があるなら夜目も利くのかと察せられた。
ああ、おぞましい。
嫌だし気持ちが悪いし、……怖い。
勝てる気がしない、私の策なんて届く筈がない。
そんな風にさえ思ってしまう。
でも。
それでも。
「……オマエがどんな生物なのか、なにが狙いなのか、同情の余地があるのか。私にはまだ、分からないけれど」
私は退かない。
これ以上は逃げない。
「オマエのその力は、思想は、行動は、――赦されない」
私はソイツに、刀剣の切っ先を向けて。
宣告した。
「――殺す気でいくから。嫌なら投降しなさい」
そして右足を踏み込む。
続く二歩目の左足が踏み締める地面は、――あっという間に寧羅梓の真正面だ。
「フ――ッ――」
刹那。
右手の刃を小さく持ち上げ、すぐさま振り下ろす構えに。
肉薄寸前の真っ赤な着物へと、一閃、斬り入れようと左足を踏み込む!
「ツツツ! ――ッヅ!!?」
が、――ダメだ。
私は踏み込んだ左足で地面を蹴り、後退した。
合わせて咄嗟に、持ち上げた刃を宙へと振るった。
飛び退いた頭上から下ろされていた触手らを、一斉に斬り落とした。
遅れて、バンと鳴らされた破裂音と衝撃。
左右から叩き付けられた触手が、私が立っていた場所の空を挟み潰した。
爪先を強風が掠める。
後少しでも前のめりだったなら、間に合わなかった足を千切られていただろう。
でも、その対応も想定内だ。
私はすぐさま、足下で閉じられた触手をも斬り伏せ――。
それから正面。
振り迫る濃緑の鎌へと、下ろした刀を持ち上げギリギリで打ち合わせた。
「っ、ぐ!」
「へぇ。よう間に合うたなぁ」
言葉通り、間に合ったそれだけだ。
ただ打ち合わせただけの刀では防ぎ切れず、鎌の切っ先が肩口に突き刺さる。
私はその鎌の勢いのままに振り投げられ、地面へと叩き下ろされた。
「――っ、ツ!」
しゃがみ込み着地に成功するも束の間。
続けざまにまたしても降り注ぐ触手の追撃が、息を吐かせることも許さない!
「――――っ」
強引な着地で足が動かない。
左膝は地面との衝突で割れた。
右脚は膝を立ててはいるけれど骨と筋肉が軋んで震えている。
再生は間に合わない。
退くことは出来ない。
肩の傷も深い。
腕が血塗れになっている。
だけど繋がっている。
動いてくれる。
力も入る。
――使うしかない!
「――は」
右手の刀剣を前へ構える。
そこへ左手を添え、切っ先を地面へと傾け下げる。
両腕から流れる少なくない量の血を白刃へと伝わせる。
そして――迫り来る触手へと刃を振り上げた。
間もなく私を押し潰す筈だった無数の攻撃は――その寸前。
パックリと、同じく無数に発生した真っ赤な斬撃によって斬り払われた。
斬り伏せ弾き飛ばした。
「――あら?」
刻まれバラバラと落ちていく残骸の向こうで、寧羅梓が目を見開く。
口を開けて呆けているけど、……腰元からはまた別の触手が、或いは先程斬り伏せた触手が根元を伸ばして装填されている。
想定とは違ってみせたが。
この類の攻撃は、既に見られて織り込まれている。
「蜘蛛の糸だけじゃなくて、そういうやつもあるんやねぇ」
「っ!」
それでも構わない。
織り込み済みであろうとも、ヤツに斬撃が有効であることは揺るぎない。
再生を終えた足を立ち上がらせ、私はもう一度踏み込もうと構え――。
「な――」
踏み止まる。
今度はこちらが目を見開く。
ヤツは斬撃の類を織り込んでいる――だけじゃなかった。
対策している、対応しようとしている。
再び用意されていた触手の束。
それらの先端が、彼女の肩口の鎌とまったく同じモノへと変質している。
『蟷螂の鎌』を備えた、伸縮自在な無数の『触手』へと変化している。
本人が有象無象の混ざりものだ。
それぞれの要素を混ぜ合わせることだって――ッ!
「変に時間を稼がれるのもなんや恐いし、ウチもしっかり見せていかんとなぁ」
「……いいじゃん、来なよ」
「気を付けてなぁ。いつ隠し玉の本命を潜ませるか、分からんで――っ!!!」
「そっちこそ――ねッ!!!」
上下左右。宙を貫き、壁を削り、天井や地面を這い回り。
あらゆる方面から迫る鎌が、この身だけを狙いに定める。
まったく、たった一人の小娘相手に大袈裟が過ぎている。
大盤振る舞いもいいところだ。こんなの苛めだ。理不尽だ。
なんて、文句を垂れている場合でもない。
でもまあ、そんな文句を呑み込んでいるような余裕もないから。
いっそのこと吐き出してしまえばいいと、愚痴りながら走り出した。
「最悪! こんな小娘相手に、大袈裟が過ぎるって!」
先に接近する、正面から直進してくる十数の鎌。
また右手だけで持ち替えた刀を振るい、先程同様、赤い斬撃を飛ばし放つ。
それで私は、真っ向からその鎌を打ち砕く――には至らなかった。
血の斬撃は全弾命中。
でも完全に砕き千切ったのは八割程度。
残った少しの鎌はヒビ割れるに形を保って、更にその内の三つが私へ到達した。
右肩と左脇腹と左の太腿。
深々と肉を抉られ、鮮血が飛び散らされる。
「――ぎ、ヅヅヅ!!!」
それに構っている間も、ない。
治癒もおざなりにする。
硬化し防御を固めることもしない。
鬼の血も思考の集中も、全ては血の斬撃に回せ――!
「大盤振る舞い過ぎ! 苛めだ! 理不尽だッツツツ!」
傷に捉われるな。
噴き出した血は武器だ。
流れ出す熱に意識を溶かせ。
複雑な考えは必要ない。
ただ刀剣に乗せろ。
刃に伝わせろ。
そうでないものも合わせろ。
刃を振るう、ただそれを合図に。
そのタイミングで、その方向へ。
この全身から――血の斬撃を繰り出す!!!
「全部、斬り落としてやるッッッツツツツツ!!!」
私は飛び出し、転がり、退き、それでも再度踏み込み。
降り注ぐ斬打の連撃へと、刃を打ち合わせ続けた。
◇ ◇ ◇
正直に、勝ちにこだわる必要はなかった。
そして戦いを避ければ逃げることは難しくなかっただろう。
あのままアッドを連れて地下の奥へ進んでいく。
東雲八代子が、ここは別の拠点へ繋がる地下道だって言っていた。
進めばどこかに辿り着き逃げ切ることが出来た筈だ。
背後からの攻撃を警戒して、襲われても退くことに専念する。
気配のない不意打ちにだけ備え生き残ることに専念する。
戦うよりもずっと安全で最適解であるとさえ思える。
逃げることこそが正解だったのかもしれない。
私はまた大事な場面で失敗したのかもしれない。
でも逃げたくなかった。
逃げられなかった。
所属とは違うけれど、お世話になっているお店を襲われた。
東雲八代子に追え無力化しろと、任せると言われた。
どこをどう進むのかまるで分からないけれど、この地下が弟のところに繋がっていると聞いた。
なにより私自身が襲われた。
利用された。手玉に取られた。
なんなら一度殺されたと言ってもいい。
そして、ここで逃げるということは。
ここでヤツを逃がすということは、その脅威が残るということになる。
気配のない、あらゆるモノを取り込む化物を野に放つことになる。
一度は退いた。
でも今ならまだ戦いの中にある。
策がある。
まだ勝ち目の全てが潰えた訳では、ない。
ならば、私は。
だから、――――私は。
◇ ◇ ◇
戦い続ける。
縋り続ける。
血塗れになりながら、それでも抗い続ける。
全身をズタズタに引き裂かれて、頭からも喉からも紫電を撒き散らして。
いつしか刀も取りこぼして、赤黒く染めて握り締めた拳で。
その指が欠けても、手首を落とされても、剥き出しの骨肉で殴り続けた。
腕が失くなったら戻るまで頭を叩きつけた。牙を剥き出しに噛み千切ってやった。
噴き出す血飛沫も全部ただ硬化して、小粒の針を飛ばしてやった。
理性なんて気付けば飛ばしていた。
思考だけが取り残されて、身体はもう獣と大差がなかった。
真っ赤にまみれて暴れ回る凶獣は、まさしく鬼に違いない。
熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い。
頭が痛い。
痛い痛い割れるようで突き出すようでナニかが在るようで。
でも心地が良い。
このただ力の限り本能の赴くままに暴れ回っていることが、正当化されていることが心底愉しくて仕方がない。
「■■■ハ■■バハ■■■■ガ■■□□■■■!!!」
ああ、笑みを抑えられない。
そんな余裕がない。
――愉しい。
彼女にとっては、そんな私の姿が。
この上ない程の――脅威なのだろう。
「…………化物っ」
幾重に刻んでも立ち上がる私へ、更に鎌を振り乱して襲い続ける。
どれだけ血を流しても決して屈しない私を、それでも挫き伏せようと追撃を続ける。
なのに笑みさえ浮かべ、睨み続ける私の視界の先で――ヤツが青褪めている。
攻撃を止めればその瞬間、脅威は飛びかかって来ると。
それを避ける為には殺すしかないと、死ぬまで殺し続けるしかないと。
私からは逃げられないのだと、――怖れている。
だから、――――今だ。
沸騰し暴れ狂う本能は、獲物であるヤツを鮮明に睨み続け。
その視線に怯え、僅かに退く筋肉の動きさえ捉えて――――。
向こう側。
彼女の背後に動いた影をも、私は見逃さなかった。
読了ありがとうございました。
次話は一週間後、十一日の水曜日に投稿いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。




