番外編【07】「前日譚ⅩⅦ」
情け無用の一撃。
振り向き様の右脚での蹴打。
私は背後に迫っていた小さな影を吹き飛ばした。
手応えあり。確実に叩き込んだ。
ただ予想していたよりは軽くて、でもそれは彼の身体に重みがない身体と思って。
――いや、これは僅かに。
「――づ!」
それでも私は幼いリザードマンを、勢いよく向こうの壁へと弾き飛ばした。
重い衝撃音が響き渡る。
「ッ、ご……!?」
「――っ」
低い唸り声。
その声が消え入るのと同じタイミングで、今度は私が飛び出し彼を追った。
蹴り飛ばした方向へと一直線に、また暗闇へ逃がさないようにと距離を詰める。
もっとも今の一撃がしっかり届いているなら、身動きも取れない筈だけれど。
そう考えて――。
「ッ、ザァアアアあああ!!!」
「やっぱり」
肉薄し、右手を振るって満身創痍の身体へと掴みかかる寸前。
彼は咄嗟に、私の左側面へと飛び退いた。
私の手から逃げ出さんと動いてみせた。
想定外の動き、ではない。
それに生憎と対応出来ないものでもなかった。
恐らく直撃は避けられているけれど、重いダメージには間違いない。
満身創痍の回避には、左手を伸ばすそれだけで十分に届いた。
そしてそのまま触れた彼の首元へと、掴みかかり。
力尽くに。
その軽々とした身体を地面へと叩き伏せた。
腕力のままに引き寄せ、足を浮かせ、勢いを付けて振り落とした。
「ゴ、オ……ぁ」
「咄嗟に身を引いて衝撃を逸らしたってところ? 相変わらず、凄い身体能力だと思うけど――」
それだけだ。
それ以上ではなく、それを私はもう知っていた。
襲撃者がアッドだと露見した時点で、私には対応出来るものになっていた。
コイツは避けてくる。
それくらいの力は持っている、と。
「さて、誰の入れ知恵なのかな」
首を絞めたままに態勢を下げ、私はアッドを更に地面へ押し付ける。
決して逃がさないと抑え付ける。
目を細め半ば白目を剥いていても、加減はしてやらない。
なにせコイツはこの地下の上の、あのお店の惨状に関わっている。
従業員や客に明らかな危害を加えている。それに与している。
油断ならない。気を緩められない。
コイツは、――敵だ。
「誰に命令された? 誰と一緒に来た? 誰と手を組んでる?」
でもコイツが一人でないことも分かっていた。
だってコイツ一人ではあの惨状を起こせない。
全員まとめて背後を取り、誰にも止められることなく事を終わらせることも。
それを物音も立てずに、気配すら悟らせずに実行することも。
なにより今、この暗闇の中とはいえ。
またしても真正面から特攻してきたコイツに、そんなことが出来るとは思えない。
「答えろ。お前をここに連れて来たのは、誰だ」
大体検討は付いていたけれど、それでも問い詰めた。
ギリギリと首を絞め、答えたくても答えられない程に追い詰めた。
答えたくなるように、従順になるように絞め上げた。
だから少し予想外だった。
返答させるために、僅かに首を緩めた――その瞬間。
私の右腕が、ザンと斬り飛ばされて宙を舞った。
走り抜ける痛みと熱がこぼれだす感覚。
視界を外れていく肘から上の手。
――今度こそ、驚かされた。
「――――」
振り上げられたアッドの右腕に握られているのは。
初撃で私の手元を弾かれ失われていた、――白刃の日本刀だった。
目を疑った。
半ば驚愕さえしていた。
だから私は、私が誤っていたのだと察した。
私は今、私の考えや策を瓦解されたのだと。
「ッ、ガア――ッ!」
「っ!」
左手を下ろすが間に合わない。
リザードマンは即座に私の下から飛び出し、そのまま後ろへ退いた。
まんまと距離を取られた。
まだ踏み込めば畳み掛けられるかもしれない。
けれど進めた一歩が、深くその場に縫い付けられた。
なにか勘違いをしているのかもしれない、と。
「…………っ」
間違いなく、なにかを。
掛け違えてしまっているのだろう、と。
当然だ。
考えるまでもない必然だ。
私はコイツをなにも知らないのだから。
「……アッド」
このまま攻め込めば取り返しの付かないことになる。
また予想外をくらわされて、今度こそ致命的になる。
未だ動揺が消え切らない中で、それだけは確信した。
そう、知らない。
私は決闘を受諾しただけだ。
私は彼を投げ飛ばしただけだ。
私は幼いその実直さに呆れただけだ。
私はリザードマンの身体能力に対応出来るだけだ。
私は睨まれ執着されていることを感じているだけだ。
私はその居心地の悪さと面倒さに、……距離を置いていただけだ。
「……お前は」
間合いを開き刀剣を構える。
暗闇の中、強化した視界に映る彼の姿。
私はその様相にも、目を開かされた。
知らなかったんだ。
予想もしていなかったんだ。
私に刀を向け、爛々と目を見開き。
けれども怯えたように切っ先を震わせる、この小さなリザードマンを。
「……ハ、ッ……ゼ、ッ、ぐ、ゴ……ッハ」
「お前は、なんだ」
「……な、にが……ッ」
カチカチと刀が音を立てる。
肩を大きく上下させて、荒い呼吸を繰り返している。
身体もふらふらと左右に揺らして、なのになんとか立ち続けている。
必死に見えた。
懸命に思えた。
どうしてコイツは、そんなになっているんだ。
「学園を抜け出して来たの?」
「……カ、っ。……見て、分かンだろうガ」
「私を追って来たの?」
「……そうダ」
「学園の規則を、罰則を、全部を分かって覚悟して来たの?」
「……そう、ダ」
「そうまでして、私に勝ちたいの?」
「そうダ! いちいち分かッてることを聞くンじャねェよ!!!」
アッドは声を上げた。
呼吸を鳴らしながら、血反吐すらこぼしながら、それでも訴えを轟かせた。
そうまですることなのだ、と。
「報復だ! リベンジだ! このオレが、女にまで負けるワケにはいかねェンだよ!!!」
「それが私を追って来て、暗闇から奇襲した理由? この腕一本で満足?」
右腕を突き出す。
先を失い血を散らして、肉と骨を晒した断面を見せつける。
これがオマエの望みなのかと、問い質す。
アッドは僅かに身を引き、小さく唸りをこぼして。
だけどすぐに、再度声を張り上げた。
虚勢で全てを誤魔化すように、自らの行いから目を逸らすように。
「ああ、――ああ! 満足ダ! ザマーミロ! オレを舐めてやがルから、そうなッた! 大満足ダッてンだよ!!!」
「この後、確実に処分されることになっても?」
「ハッ! ンなモン逃げ切ッてやるよ! なンとでもなァ!!!」
「逃げられると思ってるの? この特級の拠点から、この街から」
「なにが特級だ! オレの速さの敵じャねェ!!!」
「逃げて逃げて、生きていけるの? お前の知らない、この世界で」
「なンとでもしてやるッて言ッてンだろうがァ!!!」
「……そう」
そんなに声を震わせながら。
そんなに目を泳がせながら。
それでもそう声を張り上げるのね。
――だったら。
「お友達は、どうなってもいいの?」
「……………………あァ?」
果たして、これは可能性でありハッタリでしかないけれど。
十分考えられるそれを彼へと叩き付ける。
「学園で一緒に居たオークや河童の友達は? あの二人はいいの?」
「…………どう、なるッてンだよ」
「不穏因子、危険因子。分かる? お前の行動の所為で、お前と仲良くしていた二人は思想や行動を疑われる。なんなら学園脱走に関わった内通者とも考えられる」
「二人はナニも関係ねェよ!!!」
「どうせ庇ってるだけでしょ? そうやって私たちを騙して乗り切った後に、二人も脱走して三人で逃げるつもりだ。この街に、この世界に反旗を翻すつもりだ」
「そンなつもりはねェ!!!」
「隠すのが下手ね。――なんて、そう思われるよ。もしかすると今頃お前の脱走が発覚して、二人とも、もう」
動揺を誘え。心を崩せ。
同時に、打開を探るんだ。
彼に吐き出させろ、この状況を覆す妙案を。
だから、追い詰めてやれ。
退路を奪え。
「それから、家族は居ないの?」
「ッ、テメェ! ――それが居れば、苦労はねェンだよ!!!」
恐らくはそれが決め手だった。
彼は刀を振り下ろし、絶叫した。
「父チャンも母チャンも居ねェンだよ! この世界には、ドコにもォオオオ!!!」
「――」
「なンだこの世界はよォ! 異世界? 日本国? 転移? フザけンじャねェ!!! なにが教育だ生き抜く術だルールだァ! 勝手に押し付けてくるンじャねェよ!!!」
「――――」
「勝手に捕まえて、ナニが同類の先輩だァ! あンなナヨナヨした知りもしねェ男に、ナニを学べッてンだよ! それで一発入れてやッたら山奥の学園だァ? フザけンなフザけンなフザけンなァアアアアア!!!」
転移孤児。
東雲八代子に教わった、その単語が頭を過ぎった。
予期しない転移によって突如異世界へと飛ばされた子ども。
親も友人も居らず、積み上げて来た常識や経験がなにも通用しない場所に飛ばされた。
孤独な、たった一人の迷い子。
それがアッドの正体。
それこそが、アッドが奥底に抱えているもの。
「……その先輩とやらが誰かは知らないけど、それでどうして私に執着するのよ」
「オマエがオレを舐めやがッたからだロうが!」
「舐めた覚えはないけど」
「恥をかかされた! オレはあの学園を支配し、この世界を乗ッ取るンだ! そンなオレ様を、オマエは投げ飛ばしやがッた! 許せるワケねェだろうがァ!」
「……そう」
「あァ、そうダ! そして満足ダ! 痛い目ェ見せて悪かッたよ、女ァ! この店の連中にも迷惑掛けたなァ! 安心しろよォ、オレは子分には優しいンだぜ!!!」
「…………そう」
「ッハハ! ハハハ! そうダそうダそうなンダよ! オレは強ェ自慢の子なンだ!!! オレ様が全員を子分にして、この世界を支配してやるンだ!!!」
「…………」
そうか。
それがお前か、アッド。
「……それでいいんだな、アッド」
「あァ?」
「そういうことで処理していいんだな、――なあ、アッド」
私は彼を呼ぶ。
先を失った右腕を彼へ向ける。
そして――バチリと、紫電を迸らせて。
私は右腕の再生を、押し留めるのをやめた。
すれば、あっという間だ。
紫電の渦巻く中、軸となる骨が形成されていく。
その骨を伝って細かな血管が走り、筋肉が発生し膨れ上がり、やがては皮膚が覆い包む。
腕の半分なんて、物の数秒で終わる。
私は指を開いた右手を、アッドへかざした。
それから宣言した。
目を見開き固まる彼へと、言い下した。
「やっぱり私の勝ちだよ、アッド」
ああ、残念だけれど。
お前がその程度だというなら、やっぱり。
私は間違っていなかった。
私は私の思うままに、押し潰してしまってよかった。
事情も境遇も関係ない。
可哀想とか同情の余地があるとか、それも違う。
子どもだからとか馬鹿だからとか、それでも済まない。
動揺していても本心じゃなくても、言葉は取り消せない。
許されはしない。
コイツは危険因子だ。
取り除かなければ、ならない。
「て、テメェは……っ」
「――――――――」
そう教えられた。
それが私に与えられた役割だ。
私は私の為に。
私は私の弟の為に。
この不安定で世間知らずな転移者を――――始末するんだ。
「――鬼血」
鼓動が更に加速し昂る。
再生した右腕を、赤黒い泥が覆い塗り潰す。
視力や身体能力を上げるだけじゃない、攻撃力を強化する。
この腕で殴り飛ばす為に。
この爪で切り裂く為に。
硬化し全ての攻撃を弾き、制圧する為に。
全ては仕留める為に、この身の鬼の側面を剥き出しにする。
殺してやると。
お前の為にも、ここで終わらせてやると。
「――――ガ、ア」
地面を踏み締め、上体を倒し構える。
決して逃がすまいと目を尖らせ、絶対に潰すと拳を握り締める。
そして、ひと息に。
飛び出そうと、ガキリと岩肌を踏み砕いて――。
「いやあ、怖いわぁ~乙女ちゃん」
耳元で震わされた囁きに――。
「――――――――あ」
気付けば私の視界は、ごろりと転がされていた。
天井が逆さに、アッドの姿が、重力とは反対になって……。
「ちょっと怖いし、口にするのは憚られるなぁ」
消え入りそうな甘い声が、遠ざかっていき…………。
…………………………………………。
次に気が付いた時、――もう一度意識が振り戻された時。
私は背後へと振り返り、赤黒い右腕を振り抜き叩き込んだ。
読了ありがとうございました。
次話は引き続き今週土曜日に投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。




