番外編【04】「前日譚ⅩⅣ」
学園に来て三日目の昼頃。
昨日と同じように午前の授業が過ぎ去り、各々テーブルに配膳された給食でお昼を済ませる。
私はスープや肉類野菜をかきこんで、パンとパック牛乳だけを持ち出し教室を後にした。
後ろから寧羅梓に呼び止められた気がするけど、気がしただけということで聞き流す。
嫌いとかではないけど、せっかくの休憩時間は気を休めたかった。
小走りに廊下を抜けて、校舎を出て裏側へ。
窓から覗かれるのはごめんだから、角を曲がってすぐのところで立ち止まる。
思えば藤ヶ丘の喫茶店で働いていた時も、こうやって店の後ろで休憩を取っていた。
「……ふぅ」
ひと息吐いてパンを齧る。
別にコソコソ隠れてなにかをするつもりはない。ただ一人の時間が欲しいだけ。
それは慣れた場所でもそうでなくても同じだ。
色々と思い返す。
クラスメイトの動きとか癖とか、どうでもいい授業内容とか、朝読んだ本とか。
大事なことから適当なことまでなんでもいい。反芻して思い耽る。
自分の中を満喫する。
「…………」
風に揺れる木々の騒めき。
遠くに聞こえる声の残響。
それからズズズとストローを鳴らして、喉の音さえ大きく聞こえる。
私は一人、そういえばと授業に出て来た「戦士と階級制」について思い返し――。
その時だった。
不意に響き渡る、甲高いベルの音。
ジリジリと鳴り続ける不快な異音は、明らかになにかを訴えるもので――。
「――よっ、と」
そして間もなく、私の目の前に。
――九里七尾が現れた。
「…………え?」
「やっほーい、乙女。おひさーってネ」
目を惹く金色の髪と、赤と紫が混ざり合った煌びやかな着物姿。
落ち着きと華やかさを振り撒く高価な和装は、けれど帯が緩まり胸元が大きく開かれている。
足元も左足が大きく覗いており、到底見合わない動きやすさすら感じた。
ニッと満面の笑みを浮かべて、頭の耳を小気味よく動かして。
彼女はいつも通りの様相で、私の前に降り立っていた。
「…………なん、で?」
「迎えに来たサね。あれ? 騎士の子から連絡受けてない? 昨日の内に伝えとくって言ってた筈なんだけど」
「いえ、それは、昨夜聞いたけど。……え、一週間後って話じゃ?」
「一週間後も今日も一緒サね」
「…………えー」
全然違った。
違ったけど、それが通じる相手じゃないというのも知っていた。
だってこの人は別世界の人だから。出身がどうとか、そういう話じゃなくて。
九里七尾は根本的に、私たちとは大きくズレた人だから。
「午後からも授業なんですけど」
「いやーそれだけはちょっとだけ心苦しいんだけどサ。アタシも明日からキュウヨウで遠出しちゃうから」
「急用ですか」
「そうそう、キュウヨウ」
あっけらかんと笑顔のままで言う。
……一応の確認だけど。
「また温泉とかですか?」
「そうそう、北国にドーンって湧いちゃってサ。なんか一緒にガスとかもドドーって感じで近寄りがたいみたいだから、今の内に楽しんでやれってネ」
「なるほど」
休養だった。
いつもの温泉巡りだった。
なんでも聞いた話、ハマっている時は毎晩全国各地の違う温泉を楽しむとか。
更には二度風呂三度風呂もザラで、今回のような天然温泉が見つかった際には飛んでいく程の熱量があるらしい。
「それで今日に」
「蜘蛛女も今日明日なら空いてるらしいしネ。特に大事な授業じゃなければ、目をつぶって来て欲しいんだけど――って、いつまでもブザーがうるさいサね」
ふと不機嫌そうに話を折る。
確かに彼女の言う通り、変わらずベルの音は鳴り続いていた。
だけど私には訪問が突然過ぎて、未だそれどころじゃないというか。
なんて動揺し言葉に詰まっていると、遅れてベルが止まった。
それから同時に、――怒鳴り声が響き渡る。
「なにをしとるんだ、キサマはァ!!!」
声に振り向けば、反対側の校舎の角から現れたのは――山田重文だった。
山田先生は眉を寄せ目を見開き、顔を真っ赤にしながらズケズケと大股で歩いてくる。
また私がなにかをやらかしたと怒鳴られる。
反射的にそう思ったけど、予想外にも、彼の怒号は九里七尾に向けられた。
「九里七尾! キサマまた結界の陣をブチ破りおったな! 事前に解除するから連絡を入れろと再三言っているだろうが!」
「あはー、ごめんごめん。忘れてた」
「忘れてたで済むか! また陣を張り直す為に関係者を集めて、その為の予定を調節して、生徒たちにも目を光らせねばならん! どれだけ迷惑か分かっておるのか!」
「ひーっ。相変わらず山ちゃんの怒声は重いねぇ。ヤダヤダ」
「嫌なのはワシだ! いい加減にしろ!」
その光景に呆気に取られた。
正直、本当に意外だった。
九里七尾が怒鳴り散らされていることもだけど、それを山田先生が叩き付けていることにも驚かされた。
それも私と同じように、問答無用で罵詈雑言でだ。
「報告連絡相談! 生徒らにも言い聞かせ注意することだ! それをキサマが守れず叱咤されて、恥を知れ恥を! キサマそれでも大妖怪か!」
「いやー、いつも思うけど、山ちゃんその大妖怪相手に全然ビビらないよネ」
「相手が誰であろうとこの学園に来る者への教育指導を行えと、そう契約させたのがキサマらだからだろうが!」
「はっはー、ほんとその通りサね」
「しかもこの問題児に用事か? 昨日今日は大人しくしているんだ、余計なことを吹き込まないで欲しいんだが!」
問題児。
その一言に、九里七尾が私を見てニヤリと口元を緩めた。
くそっ。これ絶対後で聞かれるやつだ。
「なにが優等生だ! 初日から揉め事を起こしおって! それも姑息で可愛げもない、よくもこんなひねくれ者に仕立て上げたな!」
「そこまで言うかい、うちの可愛い新入りサね。それに教育担当は八代子サ」
「なお悪いわ! あの性悪女郎蜘蛛め! うちの新入りと言うなら預け先はもっと考えろ! どうせ面倒だったから放り投げたんだろうが!」
「いやーまあ、その辺は色々あるっていうかねぇ」
「まあいい。なにも良くないが、今はうちで教育中だ! 親バカの授業参観なら大人しくしていろ! 手出し無用口出し無用で早々に帰ってくれ!」
まくしたてる山田先生。
けれど残念ながら、間の悪いことに。
「あー、山ちゃんごめんね。その問題児をちょっと借りていくのサ」
「キサマ――っっツツツ!!!」
その後、先生がヒートアップしたのは言うまでもなかった。
◇ ◇ ◇
「はははっ、結局こっぴどく怒られちゃったサね」
かれこれ一時間弱。
九里七尾は説教からそのまま職員室へ連行されて、諸々の書類にサインをさせられていた。
私も私で外出届というものが必要らしく、その手続きで同じく何枚かの書類に名前を書いて。
でも大半は待ち時間で、大妖怪が人間に渋々と従うところを見ていた。
そして終わってみれば、彼女は大口を開けて苦笑い。
私たちはそのまま校舎を出て校庭へと歩みを進めた。
「ごめんね乙女。まさかこんなに時間がかかるとは思わなくてサ」
「いえ全然、むしろ私を連れて行く為に色々と申し訳ないです」
「いいサいいサ。いやー、そのまま連れ去るつもりだったんだけどね。ああまで怒られたら流石に従うのがスジかなって」
連れ去るつもりだったんだ。
確かにそんな勢いだったけど。
それにしても。
「意外でした。山田先生、九里さんにもあんな感じなんですね」
凄い剣幕で凄い怒声で。
正直私は、もっと――。
「ははっ、もっと嫌なオジサンってイメージだったかネ?」
「嫌なオジサンって。そうじゃなくて、こう、生徒には威張り散らすけど上の人にはへりくだるみたいな」
「嫌なオジサンじゃないか」
「……そうですね」
そう、そんなイメージだった。
だから意外だった。彼女にあんなにも強く出るなんて。
「そうサねぇ。山ちゃんはああ見えてというか、見たままに感情的だからね」
怒りっぽくて頑固で、相手に非があるときは徹底的に指導する。
誰に対しても等しく同じであり、それはひとえに、自分の感情が最優先だから。
自分と自分の考えを強く持っているのだと、九里七尾はそう言った。
悪いことは悪い。
そして悪いことをしたのに態度が悪い。
そんな相手が許せないという自身の考えや感情は、絶対に間違っていない。
山田重文はそういう類の人間だ、と。
「なーんて、外側を切り取ってるだけだけどネ」
「? それで矛盾してないように思いますけど?」
「だから外側サね。矛盾してない内面なんてないでしょう?」
「…………」
分かるようで分からなかった。
同時に今の私ではきっと理解出来ないって、そう思った。
「さて、それじゃあ遅くなったけど行くサね。特に用意とかは大丈夫?」
「一応バッグと読み終わった本は持ってます」
「ならオッケー。帰りの荷物が増える時は、まあ向こうでまたバッグでも段ボールでも貰えばいいサね」
流石に段ボールは持たされたくないけれど。
なんて、私の返答は、言葉にする間もなく――。
「舌嚙むんじゃないよ」
不意に。
私はぐっと、彼女に抱き寄せられ。
身体が密着した、――次の瞬間。
私の視界は、空にあった。
さっきまで居た校庭が、足元にあった。
「――い、づ!?」
遅れてやってきた浮遊感にようやく事態を把握する。
飛んでる。私は抱えられて空を飛んでいる。
「な、な――」
「おーっと、また落ちて跳ぶから、舌出すんじゃないサね!」
「――――っつつツツツ!!?」
途端に、一気に重力に引かれた。
視界一杯に近付く木々のてっぺんが、私には串刺し刑の針にも見えて――。
だけどまた重い衝撃と同時に、身体がふわりと浮き上がる。
加減をしてくれたのか、今度は大きく地面から離れることはなかった。
それでもピョンピョンと近付き遠ざかる緑の景色は、事態を呑み込むのに時間がかかった。
「――跳、躍」
喉につかえ擦れた声に、彼女が笑う。
九里七尾はその通りと応えた。
「そんなに珍しいかね? アンタも出来るんじゃないかい?」
「流石に誰か担いでってのは無理だよ」
「慣れの問題サね」
慣れの問題なんだろうか。
私も今より成長したら、いつかは同じように出来るんだろうか。
……無理そうに思うけど。
と、不意にチラと。
九里七尾は私を抱えて跳躍しながら、もう一度学園の方を確認した。
私も視線を追ったけれど、遠ざかっていく小さな敷地はもう木々に紛れて見えなくなった。
「九里さん?」
「あー、いや、ね。――運良く今日は飛行機とかヘリが通らないといいなーとか」
「ええ……」
深刻な問題だった。
そんな不安な呟きをこぼして、彼女は私をここから連れ去った。
読了ありがとうございました!
次話は来週14日の水曜日に投稿予定です!
年末へ向けて少しペースを上げます!
よろしくお願いいたします!




