番外編【03】「前日譚ⅩⅢ」
学園へ来て翌日。
その日は特に問題もなく、聞いていた通りの退屈な授業日を過ごした。
国語の授業に始まって算数や社会、本当に基礎的なものばかり。
島での教育で既に終えた範囲だったし、復習するような内容でもないから手持ち無沙汰。
だけど後ろの席からクラスを見渡せば、半分以上の生徒が解説や板書とノートに向き合っていた。
それもその筈、クラスメイトの顔触れはほとんどが幼い。
五歳六歳くらいの子たちが多くを占めて、そうでなくとも勉強が必要な転移者たちばかり。
年齢も種族も世界も違った数十人は、この世界で生きていく為の最低限を学ぶために集められている。
真面目な姿勢は当然だし、私もそれを倣おうと思った。
そんな授業の中、社会科目だけは興味を惹かれた。
この日本国の歴史を学びながら、同時に現代の常識も学ぶ。
生き抜く知識の土台ともなる科目だからか、毎日三時間以上のコマも割り当てられている。
その解説や、配られた教科書に出てくる写真や図解が、私には目新しいものだった。
「……そうなんだ」
思わず呟きが漏れる。
例えば携帯電話。
本土に来てから何度も目にしていたし、喫茶店でも実際に使ったことがある。
だけど最低限の操作しか教えて貰っていなかったから、メモ帳やカレンダー、更にはゲームまで楽しめることは初めて知った。
他にも結局立ち寄ることのなかった百貨店や運動施設、イベントやゲームセンターなど、知識はあるけどまだ知らない場所の話は自然とワクワクした。
私も自立してしっかり分別をわきまえるようになったら、自由に訪れ楽しむことが出来るようになる。
恥ずかしいけれど、そんな未来への想像が止まらなかった。
ただ、一つこの授業に大きな難点があるとすれば。
「いいかオマエら。こういう遊びは必要のないものだ。知識として教えているが、一生行かなくてもいい場所だ。分かったか?」
その社会の担当が山田先生であり、こういった小言が物凄く多いことだった。
興味を惹かれるのだけれど、あまりにネガティブな要素を取り出し並べ立てられるので少し気落ちしてしまう。
「もっとも身を忍ばせるオマエらには、こういった施設を楽しむ機会も少ないだろうがな。喜ばしいことだ、こういう場所は成長への悪影響にしかならん。粛々と学び働くのだ」
「……」
「だがまあ日々のストレスというものもある。そこでオススメなのは旅行と食だな。日本国の妖怪は地方の観光スポットに拠点を敷いている者も多い。関係者の割引を使えばそれなりに贅沢を楽しむことも出来るぞ」
「……旅行」
「それから食だな。この世界はとにかく食の種類が豊富だ。比較的治安の良い国だという評価が主流らしいが、食文化に惹かれる転移者も多いと聞く。和食は勿論、ハンバーガーやラーメンも人気がある」
気付けば山田先生はそのまま食文化の説明に入ってしまった。
個人的には旅行の、妖怪たちが拠点としている場所の話を掘り下げて欲しかったのだけれど。
いや、それより。
先生の話がどうこうより、私には――。
「――――ッち」
「……アッド」
離れた前の席から、ギラつく視線を向けてくるリザードマン。
今朝からこうやって度々振り返り睨み付けてくる、彼の視線の方が気になった。
本人に聞くまでもなく、物凄く意識されてる。
というよりは目の敵にされてる?
どちらにしろ、視界の端にちらつく彼の挙動が目に付いた。
とはいえ直談判に行けばまた厄介事になりそうだし、こうして気付いてないフリをして無視を決め込む。
休み時間等も授業のギリギリまで教室を離れて、下手に干渉されないようにしていた。
どうしてこんな面倒なことにって思うけど、やっぱり半分は自業自得な気もするから仕方ないよね。
「熱烈に注目されてるなぁ、乙女ちゃん」
「っ、言わないでよ」
右隣の席から小声でからかわれる。
ちらりと窺えば、寧羅梓は口元に手を寄せて頬を緩ませていた。
昨日と同じ真っ赤な着物姿。やっぱり派手だし凄く目立つ。
教室に居ることに違和感を覚えてしまうくらいだ。
なのに今、声をかけられて小さく驚いた。彼女が隣に居たことを完全に失念していた。
かれこれ今日だけで同じようなことが三回あった。
多分意識を授業に戻したらまた、彼女に声をかけられて不意を突かれることになる。
「どうなんやろなぁ。大方は恨み辛みなんやろうけど、愛憎渦巻いてとも言うし。案外ほんまに惚れられたとかもあるんちゃう?」
「授業中ですよ」
「大丈夫大丈夫。山田センセが昔話するときは色々思い出しながら話してるから、滅多に気付かれへんで」
「へえ、なるほど」
「それに何回か聞いた話やしね。授業についても大体ぜ~んぶ知ってるし。ウチ今年で十七やから」
その歳でなんでこの学園に?
とは気になったけれど、聞かずにおいた。
それぞれ抱える問題は色々だ。変に突くべきではないだろうし、下手に逆鱗に触れたらまた厄介なことになりかねない。
だからそこは笑顔で流して。
続けざま、次の話題も彼女が切り出した。
「でもやとしたら、乙女ちゃんモテモテやなぁ。昨日の晩も呼び出されてたもんなぁ」
「――なんでそれを?」
「あのお手紙忍ばせたのウチウチ」
「…………そう」
そうだったのか。
言われて思い返せば納得した。
咄嗟に玄関を開けて、でも誰も居なくて、誰の気配もなかった。
寧羅梓の持っている力が私の認識している通りなら、当たり前に出来る芸当だった。
「余計な詮索はするな~って言われてたから黙ってお届けしただけやけど、やっぱり気になるやん? どうやったん? 昨日の夜」
「あー、詮索しないでもらう方向で」
「二人揃っていけずやわぁ。せっかく取り持ってあげたのに」
「そういうのじゃないですから。それに私も口止めされているので」
「なら聞くなら向こうからやねぇ。まったくもう、転入早々楽しませてくれるわぁ」
両手を頬にあて、心底楽しそうな表情を浮かべる。
……うん、友好的なんだとは思う。そう思うんだけれど、やっぱり面倒な人だ。
「オイそこ! 寧羅と片桐! 知った授業でも大人しくしとけ! それからアッド! オマエはしっかりノートを取らんか!」
なんて軽く話していたら、先生に怒鳴られてしまった。
話が違うなと寧羅梓を見れば、ごめんなと両手を合わせていた。
それから小声で「そういえば乙女ちゃん、センセにも気にして貰ってたね」と一言。
ほっといてほしい。
ともあれ、注意され授業へと意識を引き戻される。
再開された先生の小話に耳を傾け、気になったところだけをノートにメモして――。
「……ふふ。ヴァンくんと内緒事なんて、隅に置けんわぁ」
そんな呟きに、頭の片隅で昨夜の出来事を思い出していた。
◇ ◇ ◇
十九時五十分頃。
女子寮を抜けて約束の学園へ。
すれば校舎の屋根の上には、既に一人の男が立っていた。
木々に囲まれた暗い夜闇の中、けれど今日は満月が明るく光を下ろし、彼の存在をはっきりと際立たせる。
私に気付いた彼は屋根から飛び出し、自然な所作で静かに校庭へと降り立った。
金色の髪と真っ白の礼装。
身長は私と同じくらいで、にこりと浮かべた柔和な笑顔には幼さがある。
歩み寄る私へ、少年はすっと一礼した。
「初めまして、片桐乙女さん。ヴァン・レオンハートと申します」
立ち直り、きゅっと胸を張って背筋を伸ばす。
その所作や態度や口調。聞いていた『キザ騎士』の呼称に納得だ。
ヴァン・レオンハート。
彼が手紙の持ち主で、私をここへ呼び出した張本人。
「……ヴァン」
見覚えはなかった。
やっぱり今日欠席になっていたのはこの少年で間違いないだろう。
私より前にこの学園へ来て、アッドの決闘を受けて倒した人。
足を止め対面して、思わず息を呑む。
近付いて分かった。この子は――別格だ。
武器を手にしている訳ではない。身に付けている白い衣装も多分特殊なものじゃない。
でも、そうして立っているだけで気圧されそうになった。
勿論、九里七尾や島のあの子に匹敵する程じゃないけど。
少なくとも私とは比べ物にならない。
……アッドはコレを相手に決闘を挑んだのか。
「御足労いただき恐縮だ。訪問も考えていたのだが、いかんせん女子寮に男子は厳禁でね。夕刻女生徒に便りを届けて貰った。回りくどく申し訳ない」
「別にいいけど」
果たして誰に届けさせたのか。気になったけれど置いておいた。
それより呼ばれた本題だ。
「ごめん、えっと――ヴァンくん? 疲れてるから手短にお願い出来たりする?」
「失礼。転入初日だとは知っていたが、そういった要素を失念していた。」
「そこまでではないからいいんだけど。急ぎの用事だよね?」
「いや急用ではないんだ。ただ僕がここに来られるのが今晩くらいだから。本当に申し訳ない」
「あーうん、大丈夫。それじゃあ仕方ないし」
また果たし状的なものか、もしくは今日中の案件かと思っていたけれど、そうではないらしい。
彼の多忙が原因だった。
聞けば要件も、確かに急ぎではなかった。
「次週の明朝、迎えが来る。その迎えと藤ヶ丘の街へ来て欲しいとのことだ」
「藤ヶ丘へ。……帰って来いってこと?」
「どうだろう。僕がその場で聞いていた限りでは、「様子見」や「宿題を渡す」といった話をしていたが」
多分、話していた二人についても分かった。
そして恐らく完全に帰って来いという感じでもないだろう。
一週間の感想を言うのと、言葉通りなら宿題を渡される。
そうなると今渡されている二十冊程の参考書や小説についても期限は一週間か。
後でそれだけは出しておこう。
そして誰が来るのか、どのように帰るかは分からない。
預かったのは迎えの言伝だけだという。
ヴァン・レオンハートからの本題はそれだけだった。
「要件は以上だ。たったこれだけの為に呼び出してすまない」
「こちらこそ。それだけの為にわざわざ来てくれたんでしょう?」
「便利に使って貰っているからね。だけどせっかく来たんだ、そのまま授業を受けて放課後ゆっくりお話ししたいけど」
「確かに。私もヴァンくんに学校のこと聞きたかったわ」
「おっと、それは嬉しいな。でも時間が限られているし、なによりここにはお洒落なお店もないからね。君があの街で百鬼夜行に所属するなら縁も続く。その時に改めて、関係を深めていこう」
「…………うん」
キザ騎士だ。
話しやすいし悪い子ではないと思うんだけど、なんかちょっと独特だ。
この感じ、一見は人間だけれど転移者に違いない。彼のお国の距離感なのか、それとも日本国デビューに失敗したのか。
どちらにしろ、やっぱり楽な相手ではなさそうだ。
「では、また縁があれば」
最後にそれだけ言い残して、彼はこの場を去った。
驚く程の跳躍で再び校舎の屋根に飛び乗り、再度の跳躍で山の中へと消えていく。
続く微かな木々の騒めきからも、彼がそのままの勢いで飛び去っていくのが想像出来た。
脱走対策の陣があったり、そもそも脱走出来るような規模の山ではなかったり。
そのまま単身で抜けられるようにはなっていないと聞いていたけど、なにか特別な道でもあるのかもしれない。
……それとも彼は、それ程の別格なのか。
ともかく私は初日の最後に、件のキザ騎士と出会った。
そして彼の口から、一週間後に迫った迎えと期限を知らされた。
私と彼の初対面は、本当にそれだけのことだった。
◇ ◇ ◇
そんな風に思い返したり、別のことを考えたり、気になるところは真面目に聞いたり。
あっという間に授業は終わり、二日目は最後までこれといった問題に巻き込まれなかった。
山田先生には時折訝しげに睨まれて。
寧羅梓とは適当なことを話して交流を深め。
アッドからは頻繁に視線を向けらながらも結局話すことはせず。
他の生徒とも軽く挨拶をして、昨日とは一転順調な滑り出しだった。
夕食を終えて部屋に戻り、心地良い疲労感の中ベッドに倒れ込む。
未だに段ボールは積み上がったままだけれど、必要な物から取り出している。
このまま少しずつ片していけばいいと思うことにした。
渡されていた本についても隙間時間で二冊読み終えた。
少し遅いペースだけど、それも一週間あれば間に合うだろう。
ちょっと退屈なくらいに、拍子抜けしてしまうくらいに平和だった。
このまま当初考えていた通りに、ただ通り過ぎていくだけの日々を終えて、この学園を卒業する。
明日もその通過点の一日になる。
どうかそうなってほしいと。
そんな風に思いながら、私は疲労に沈んで眠りについた。
◇ ◇ ◇
だけど、そんな安穏にいくはずもなく。
迎えた三日目は、――九里七尾が学園を訪れた。
読了ありがとうございました!
次話は引き続き、来週土曜日投稿予定です!
どうぞよろしくお願いいたします!




