番外編【02】「前日譚Ⅻ」
広大な山の奥深く。
誰も寄り付かない中、殊更人避けや認識阻害の類によって孤立させられた空間。
この学園は私たち、常識から外れた者たちを対象とした教育施設だ。
古くは妖怪の為の場所だったらしいけれど、近年は異世界から訪れた転移者も教育の対象に。
その結果以前に増して、厄介者だらけを集めて蓋をした蠱毒のような空間になってしまった。
最低限の勉学や常識を身に付けさせ、同時にその厄介者ばかりのコミュニティーでの生き方を覚えさせる。
年齢や出身地どころか、種族まで大きく違った者たちの集団生活。
到底簡単な筈はなく、だからこそ必要な経験が育まれる。
ようは世間様の後ろで生きる為の下地作り。
それから、外に出せるかどうかを測る為でも。
鬼が島を出た私は、早速と連れられた藤ヶ丘の喫茶店で分からないままに働かされて。
九里七尾の下で、行き当たりばったりで失敗し学びを積まされて。
東雲八代子に頻繁に呼び出され、あれやこれやと小難しいことを詰め込まれて。
そしてこの学園へも言われるがままに放り込まれた。
自立、自学、自尊。
なんにしろ「独り立ちしろ」と葉っぱをかけられて。
文句はなかった。それらが必要なことだと分かっていた。
同時に私には簡単なことだと、そんな余裕と慢心さえあったくらいだった。
だって誰もが通って来た道だ。喫茶店に居た妖怪たちや、案内された図書館等の施設で働いていた転移者たちがごくごく当たり前に身に付けていることだ。
私に出来ない筈がない。難しい筈がない。
だから全てはただの通り道。
学園での生活も、気付けば過ぎ去っている通過点の一つでしかない。
そんな風に考えていたのに――。
けれども初日から、問題だらけで。
私の甘い考えは、大きく搔き乱された。
◇ ◇ ◇
放課後の校舎。
なんの気配もなかった廊下で、突如背後を取られた。
「寧羅梓いいます」
黒い長髪に真っ赤な着物、金色の帯や刺繍。
私よりずっと高い背丈の彼女は、にこりと笑ってそう名乗った。
「どうぞよろしゅうお願いします、百鬼夜行のお姫様」
加えて私を百鬼夜行のお姫様と呼ぶ。
派手目な和装や名前の響きからも間違いない。日本国の関係者だ。
一見は年上の女生徒を思わせるけど……。
「あれまぁ、聞こえてますぅ? それともやっぱり口調が変ですやろか? 京の都に呼ばれてるから練習中なんやけどぉ。下手くそですいまへん」
「……いえ、私も方言には詳しくないけど。……その、驚いてるだけで」
「あら、驚いてるん? 脅かしたのに声も上げへんし表情も固まってるから、冷静な女の子やなぁ思うてたわぁ」
「……正直に、身構えてて。あんまりこういうのに、慣れてなくて」
「にしては、物凄く素早い反応やったけど」
「それは、反射的なやつだから」
ふと遅れて思い返せば、こういうのには慣れていた。
鬼餓島では頻繁に気配を消して背後に立つ悪戯をされていた。言っても常習犯は特定のあの子だけだったけれど。
音もたてずに忍び寄って、耳元で軽口を囁いて。その度に振り向き様の拳をお見舞いしてやったのに、結局は一度たりともくらわせることが出来なかった。
なるほど素早く反応出来たのも納得がいった。
だけどまさか島を出てまで、あの子以外にもこういった洗礼を受けるなんて……。
と、辟易して、――すぐに反省した。
「――――」
もしもを考えれば、緩み過ぎている。
新しい土地で見知らぬ誰かとの集団生活。なにも分からない中で背後を取られるなんて、体たらくが過ぎてる。
おまけに振り向き応対するだけで、拳を振るうことも身を引くこともしなかった。
警戒を強めるべきだ。
「……ねら」
「寧羅梓。丁寧の『寧』に森羅万象の『羅』。木と辛いを足して『梓』。よろしゅうね」
「私は片桐乙女。片方の『片』に――」
「ああ、ええよええよ。乙女ちゃんって呼ばせて貰うし。ええかな?」
言って、ゆらりと背筋を伸ばして立ち直る。
やっぱり高い。百六十くらい、もう少しありそうだ。
「大丈夫。よろしく――お願いします寧羅さん」
「ふふ、そやね。敬語は大事やし、覚えんとね」
私の名前を知っているのは、名簿とかもあるし朝のホームルームで自己紹介もした。
特に読み辛い名前でもないし、覚えられていても不思議じゃない。
気掛かりなのは、私が彼女のことをまったく覚えていないことだ。
一つの教室で十数人の全校生徒。自己紹介の際、空いていた机は私と欠席者の二つだけ。
私はその欠席者がアッくんとやらが言っていたキザ騎士だと思っていたのだけれど。
それは的外れな思い違いだったんだろうか?
彼女――寧羅梓がホームルームを休んでいたんだろうか?
私の名前も事前に名簿や先生の紹介で知っていただけで、私の自己紹介を聞いていた訳ではないんだろうか?
それとも。
彼女は、その場に居たのに……?
「それでぇ? 乙女ちゃんはこんな遅くまでなにしてたん? アレかな、お説教かな」
「あー、はい。まあ、そうです」
「校庭で盛り上がってたもんなぁ。山田センセもカンカンやったやろ。喧嘩売られた側やのに、初日早々から難儀やわぁ」
「買った私も私だから」
「ふふ、それ言ったらセンセ余計に怒ったんとちゃう? センセ、物分かりが良い子の方が嫌いやし」
図星だった。
怒る程ではなかったけれど、明らかに不機嫌になっていた。
「人間やのに巻き込まれて、妖怪や異世界やゆう話に色々と文句もあるみたいやさかい。なかなか複雑やし面倒なセンセやけど、悪い人ではないし嫌わんといたってや」
「そうなんですか」
「そうそう。いっつも不機嫌や市口煩いしネチネチしつこいし、嫌味も陰口も多いし煙草臭いし汗臭いけど――って、なんや山田センセほんまケッタイなセンセやなぁ」
なんて、まるでフォローになっていないことを並べられたけれど。
とにかく寧羅梓としては、悪い先生ではないみたい。
ともあれ、と。
彼女は話題を変えて、私について尋ねた。
「センセのことは置いといて、乙女ちゃん。上の階から見てたけど、なかなかやるみたいやね。アッド君らをまとめて一網打尽、見事やったわぁ」
「アッド?」
「リザードマンの子やよ。他の子がアッくん呼んでなかった? ワンパクでヤンチャで見栄っ張り、仲良し三人組を仕切ってる子やで」
最初から最後まで噛み付いてきていたリザードマン。彼がアッくんこと、アッド。
そのまま聞くとやっぱり彼は、今回と同じように新入生や転校生が来る度に決闘を申し込んでいるらしい。
大抵は面倒事を起こしたくないからと流したり断ったり、彼の中では「決闘から逃げた臆病者」と認識されて、それで終わりになる。
少々でかい顔をされることもあるが、見下されていいように言われるようなことはないとか。
そんな中、珍しく決闘を受けて叩き伏せてしまったのが。
例のキザ騎士って人と、私だって話。
「ヴァン君は見るからにって感じやったけど、乙女ちゃんも負けず嫌いなんかなぁ。まあ二人ともまだ十歳過ぎたくらいやし、お年頃といえばお年頃かぁ」
「やっぱりよくなかったですか?」
「ええんちゃう? 上下関係は大事やし、アッド君もいい勉強になったやろ。……でもさっきすれ違ったらちょ~っと荒れてた気もするから、もう少し面倒事は続くかもやけど」
「気を付けます」
「ふふ、男の子らはすぐ『これだから女はぁ』『女にはぁ』とか言うけど、ウチらからすれば男の子かってよっぽど面倒よねぇ」
「……そうですね」
どっちもどっち。性別とか関係なく、誰だって面倒に思う。
その証拠に――。
「それで、寧羅さんはなんで残ってたの?」
「そんなの決まってるやん」
寧羅梓はまた、にこりと満面の笑顔を張り付けて。
「乙女ちゃんとお友達になりに来たんやでぇ」
そんな面倒なことを言った。
◇ ◇ ◇
自室へ戻ったのは十八時を回ったころだった。
仄かな空腹感を覚えたけれど、今はそれよりも疲労が勝る。
私は一目散にベッドへ向かって、重力に身を委ねパタリと倒れ伏せた。
新品の柔らかな羽毛布団に包まれ思わず息を吐き――視線を部屋へ戻して、再度深く溜息がこぼれた。
散らかっている訳ではなくて、むしろ綺麗に整理整頓されている。だけどそれらは積み並べられた段ボールたちだ。
転校初日だから仕方のないことだけれど、気が滅入った。
動いてみれば一時間、長くても二時間くらいで終わるだろう。大きな家具の設置は終わっているから、後はそのタンスや棚に並べて詰め込むそれだけだ。
でも今の私には、たったそれだけがあまりに億劫過ぎた。
なにもしたくない。
「……」
新しい拠点、慣れない環境。
いきなりの決闘、嫌なところを突いてくる説教。
結局あの後、寧羅梓とも小一時間くらい話した。
一つであれば取り留めのない波風だけど、まとめて来られると流石に大波だ。
どうしたって疲れてしまって、上手に捌けず付き合ってしまった自分にも辟易する。
やっぱり私はまだ、なにからなにまで未熟だって思い知らされる。
きっとそんな自分を理解する為にここへ来たのだと分かっていても、その未熟さを見抜かれていたことが悔しくなる。
「…………」
今日はもう店仕舞いにしよう。片桐乙女は営業終了だ。
空腹感もやらなければいけないことも全部後回しにして、今はただこの虚脱感に流されて目を閉じてしまおう。
そう決めて、襲いくるまどろみに意識を潜り込ませて――。
「…………っつ~」
眠りに落ちる間際。
微かな物音に気付き、繋ぎ止められてしまった。
「…………なに」
気怠いながら身体を持ち上げて、ベッドを降りて玄関へと向かう。
すると、玄関扉の下の隙間から一枚の用紙が滑り込まされていた。
「……………………なに」
拾い上げるまでもない。考えることもない。
要件は明白だった。
用紙にはただ、『二十時頃、校舎屋根上にて待つ』と書かれていた。
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