第一章【22】「魔法使い リリーシャ・ユークリニド」
目を覆う程の光が放出され、標的の少女を包み込んだ。
その斬撃の威力たるや、余波の風圧に身体が浮き上がる。踏みとどまることも出来ず、気付けば再び宙へと投げ出されてしまった。
果たしてこの一撃が夜空へと昇らなければ、どれだけの被害が出ていたのか。などと考えゾッと背筋に寒気を覚えるが、もしもを空想している余裕なんてない。
光の下、俺の身体は打ち上がる花火たちと並行している。
まあ、少し安堵しているのは確かだ。きっと大丈夫だろうと思える。
千雪やあの男が駆け付けた現状、彼女が来ていない筈がない。
「ユーマ!」
待ちわびたその声が迫る。
ビルを飛び立った時と同様に、宙を自在に飛び回り向かってくる。
と、そのまま真っ直ぐ接近して。
「むぐ!?」
なんと驚くことに、彼女は空中で正面から俺の身体を受け止めた。結果、顔面から彼女の開いた腕の中へ、胸元へと突入してしまう。
なんてこった。あまりに柔らかで力強い弾力に、この状況で馬鹿な幸福感に包まれる。
そんな俺とは対照的に、サリュは一層がっしりと頭を抱きしめてくれるのだ。
宙ぶらりんで首が大変痛いのだが、千切れなければどうということはない。
ここは是が非でも耐え抜き、この感触に集中しなければ。
「サリュ、ありがとう。本当にありがとう」
「いいえ、わたしも遅れてごめんなさい。……って、なんか感謝の意味違ってない?」
「違っていない」
「嘘でしょ。絶対なんか喜んでるでしょ」
「喜んでない!」
「ええい胸元で叫ぶな! ていっ!」
調子に乗りすぎたみたいだ。無慈悲にも解放され、空へと投げ捨てられてしまった。
残念ながら、死ぬほど頑張ったご褒美は終わりらしい。
ついでにこのまま落ちてしまうのだろうか。
そんな筈も無く、丁度足元に氷の足場が発生した。空気中の水分を固定させて作られたのだろう。
無事着地に成功し、近くのビルに降り立った千雪へ手を振る。
「千雪、助かった」
「馬鹿やってないで集中! このおっぱい星人!」
怒られる。まったくその通りだ。
千雪の背後には、甲冑の騎士たちがぞろりと並び立ち。他の建物の上にも、アッドやオークたち武装した集団が肩を揃えている。
どうやら時間稼ぎには成功したらしい。
「状況は」
先程の建物を窺う。
騎士、ヴァン・レオンハートが立つ屋上。煙が立ち上り、光の残滓が埃のように舞っている。
しかしやがて風に煽られ、視界が開けていった。
そして驚愕させられる。
「冗談だろ」
リリーシャ・ユークリニドは、その場に立っていた。
無残にも左腕を失いながら、それでも生存している。
あれ程に高出力の光に包まれて尚、身体を残している。
ズタボロにされたフードの下、未だにこちらを睨んでいる。
果たしてあの男が手心を加えていたのか。でなければ、千雪によって魔法を封じられていた彼女が、どうやって一撃を凌いだっていうんだ。
でも、これで終わりの筈だ。
百鬼夜行の面々やアヴァロンの騎士たち。それに加えてサリュを含むこれだけの多勢を、まともに戦える筈がない。
勝敗は決した、その筈だ。
「リリっ!」
叫び、飛び出そうとしたサリュ。
しかし、それを制したのは、意外にもリリーシャだった。
残った右手をこちらに突き出し、駆け付けようとしたサリュを拒絶する。
「っは、ははは」
低く響く、笑い声。恐らくその笑顔をサリュは知らない。
嫌な予感は、ここにきて形となった。
「……リリ?」
サリュの瞳が、確かに揺れた。それが引き金になったのだろう。
リリーシャが吐き捨てる。
「ッハ。なによー、その目。その間抜け顔」
「……どういうこと?」
「心配、哀れみ、それとも慈愛? 正しく高い立場に居る者が、誤り低い身分の者を糾弾する表情ね。どうしたんですか、大丈夫ですか、なんて手を差し伸べて。――いい気になって、偽善を振りかざしてッ」
「……なにを、言っているの?」
「サリュちゃん。サリーユちゃん」
名前を舌の上で転がす。
玩ぶ様に、味わうように。
息を呑む。サリュの動揺が伝わってくるからだ。
混乱が、緊張が、荒い呼吸と動けない身体に現れている。
その震えに呼応され、感情が沈殿していく。
そんな様子が、堪らないのだろう。
リリーシャは余計に口元を引きつらせた。
「期待以上だね。そこまで動揺してくれるなんて、本当に間抜けな子。きっとなにも気付かなかったんだね、知らなかったんだね。ずっとずっと、――ずっと!」
「リリ、なにが」
「なにがもなにも、ずっとこうだったって言ってるのよ! サリーユ、サリーユ・アークスフィア! ああ、最高だわ! 貴女のその顔を見ただけでも十分に出向いた甲斐がある!」
狂声が轟く。
何度火花が弾けようとも、どんな鮮やかな色合いが開かれようとも、――決して塗り潰されない憎悪が顕わになる。
「あなたはいつもそうね。戦争が始まった時も、他国を滅ぼした時も、そんな間抜け顔をしていた! こんな筈じゃない、こんなの知らないって、子どもみたいに眉を寄せて!」
「違う、そんなつもりじゃ、嘘よ」
「そう、嘘! 全て嘘よ! あたしはあなたの友達じゃない! 信頼も友情も積み重ねてきた時間も、全て偽りだらけの虚構よ! ッハ、ハハハハハハハッツ!」
リリーシャが打ち砕いていく。
魔法以上に強烈で、凶悪な言葉を叩き付けてくる。
彼女は言った。
サリュにとって決定的となる、その宣告を。
「――あたしはね、あなたを殺せるからこの世界へ来たのよ」
そして勢いのままに、彼女のフードが剥がされる。今まで隠されていた全てが明らかにされてしまう。
短く切りそろえられた黒髪と、サリュを睨んで離さない黄色の双眸。共有されていた情報に違いはない。……彼女がリリーシャ本人であることは疑いようがなかった。
だが、見るからに異様なモノが目に映った。
「……あ、痣?」
傷痕。
フードに覆われていた頬から首元の辺りに、赤黒く変色した痣が幾つも刻まれている。直線や螺旋が重なり合った、注視し難い深い傷痕。
そんな特徴は聞かされていない。きっとそれは、サリュも知らなかったモノだ。
だけど、心当たりならある。
「リリ、嘘でしょう。魔法式を」
「あなたを殺しに来たんだよ? これくらいの用意は当然だと思うけど?」
「どうしてそこまで、どうして!」
「あなたが憎いからに決まってる!」
叫びに呼び起こされ、傷痕が光を帯びる。
再び彼女から発散される、圧倒的な力の奔流。
大気が震わされ、光の周辺が歪んでいく。
間違いない。アレは刻まれた魔法陣だ。
それが首元だけに収まらず、彼女の全身から光を発している。
サリュは言っていた。彼女らは魔法陣を爪先に刻むことで、瞬時に魔法を発動出来ると。
それが身体中ともなれば、一体どれ程の魔法が発動されるのか。
想像は難しくない。
咄嗟に、千雪が動いた。
ビルから飛び出し、彼女へ接近して冷気を放つ。
だが、止められない。氷点下の白い空気に包まれながら、少女の身体が凍り付くことはない。
「空間温度の上昇。お生憎様、同じ手は効かないよ」
次に一瞬遅れ、ヴァン・レオンハートが動く。
もはや問答の余地はないと、聖剣を振り被り肉薄する。
しかし大刃が下ろされるよりも先に、十数の黒雷が彼の頭上から降り注いだ。
「確かに問答は無用だね。強者が全ての権利を保有するんだから」
雷撃は男を呑み込んで尚、絶え間なく落とされる。
やがてはその連撃によりビルの屋上が削り取られ、壁面を抉り破壊していく。
炸裂する瓦礫と硝煙の中に、彼の無事を確認することは出来ない。
続けて距離を詰める千雪へ、各々ビルに控える騎士たちへ向け、複数の黒い閃光が放たれた。
直進する黒色の束が、彼女らの姿を塗り潰してしまう。
いとも簡単に、たった数秒の出来事。
サリュは言っていた。リリーシャはヴァン・レオンハートに匹敵する力を持っていると。
その筈が、――それを容易く叩き潰したというのは。
今の彼女は一体どれ程の力に。
「あたしの力だけでは、到底あなたに及ばない。だからレイナ先生に協力してもらったの。あたしにサリーユを滅ぼす力を下さい、ってさ」
「……いや、いやッ! 嘘よ!」
「本当だよ」
「どうしてなの、リリッ!」
サリュの頬を、一筋の雫が伝う。
目に映るもの、聞こえてくるもの全てが信じ難いと、頭を抑えて激しく振るう。
そんなことをしても駄目だ。現実は彼女を追い詰めていく。
リリーシャは決して、サリュを逃がしはしない。
「あたしはあなたが嫌い。そして逃げたあなたを許さない。必ず殺す」
リリーシャの身体から、より強い光が発せられていく。
誰もが呆然と立ち尽くす。事態を止められる力の持ち主は、もう残されていない。
「そんなに信じられないなら、友達としてお願いしてあげよっか?」
俺たちはなすすべもなく。
「死んでよ、サリュちゃん」
それが終わりの合図だった。
――辺り一面を、多彩な光が覆い弾けた。