第四章【99】「エピローグⅣ/プロローグⅠ」
思案が陰る。
正常な推考が滞る。
有り体に言えば、我ながら、情けないが――。
これは、つらさだ。
僕の、……弱さだ。
「…………」
重く、大きく、息を吐く。
その事実に、改めて肩を落とし、頭を振るう。
残念ながら、事は、僕が想定していた通りに。
いつか、「やらかすのではないか」と、怖れていた通りに……。
「ヴァン、顔を上げよ」
「っ」
呼ばれ、はっと引き戻される。
気付かず俯いていたことを自覚し、足元の煉瓦から視線を上げる。
ここは、センタービルの屋上階。
藤ヶ丘の中央に聳え立つ高層ビルであり、我らがアヴァロン国の日本支部が有する階層。天井や壁面を硝子張りで覆われ、床の一面を芝が多い、煉瓦造りの真白な通路が敷かれる。
我々にとっての重要拠点であり、つい先刻も、特級会議なる会合で使われた。
そして以前と同様に、今一度。
僕を含めた数人、――それも、今後を大きく左右する有数の重役たちが揃い、並び立つ。
それこそ、名を連ねし特級たちや、アヴァロン国の皇子が――。
「――――――――」
似て非なる情景。
またしても顔を合わせた者と、そうでない、別の参加者たち。
あの日とは、違う……。
「…………ああ」
ああ、そうとも。
あの会合に来ていた、あの方は――アイツは、もう居ない。
どころか、今になって考えれば、アイツは。
あの時には既に、こうなるように、などと……。
「ヴァン。辛気臭い顔をするでない。士気に関わる」
再度呼ばれ、叱責される。
窺えば、けれどもアイツではない皇子は、――このお方は、僕を見てはいなかった。
下げられた金髪の奥から、瞳は真っ直ぐと、対面する彼女らへ。
白の礼装には、華美な装飾が輝きをこぼし。抜き身の蒼白剣は、静かに煉瓦へ突き立てられるも、緊張を解くことを許しはしない。
第一皇子、シュタイン・オヴェイロン様は。
左右に我々騎士を携え、この街の代表らへと、改め向き直った。
「――御意」
その立ち姿に、この身もまた改める。
気を引き締め、淀んだ思考を冷たく研ぎ澄ませる。
すれば、皇子の向こう側、――左方に控えるヒカリもまた、僕へと頷きを返した。
僕と所属を同じくし、僕の遥か上を行く、特級騎士の彼女が……。
では、始めよう。
そう切り出し、皇子が上げたのは――。
「我が賢弟にして愚弟なる第三皇子、アレックスが、――我が国を乗っ取った訳であるが」
そう、現状。
我々に立ちはだかった、あまりに異質に、あまりに大き過ぎる、懸案事項だった。
◇ ◇ ◇
既に、大枠の話は行き渡っている。
第三皇子、アレックス・オヴェイロンが、クーデターにより内部からアヴァロン国を乗っ取った。
そして、よりにもよって、その片棒を担いでいるのは。
否、実質的にそれを率い実現させたのは。
ヴァルハラ国の魔女。
レイナ・サミーニエなる魔法使いだ。
「現在、アヴァロン国は先刻の鬼餓島と同様の、転移封じの魔法によって外界からの干渉を遮断している。この状況は数日前から変わらず、よって、情報もまた新規のものは少ない」
もたらされたのは、その転移封じの発動以前に、事が起こって間もなく逃げ延びた者たちの言葉のみ。
しかも、彼ら十数者たちがこぼしたものは、総じて、絶望的な情報ばかりだ。
「王の間にて現王の首が落とされ、魔女が高らかにそれを掲げる。間もなく数名、その場に居た皇子らも身を焦がされ、身を断たれ、――第三皇子だけは、己の剣で敵対者ら同様に、皇子らを殺めていたと」
駆け付けた騎士らも、ことごとくが成す術なく払われた。
魔女の手により、連れ添っていた協力者らの手により、あっという間に王宮は支配された。
中枢を破壊され、加えてその桁違いの制圧状況を聞くに。
国が完全に落とされるまでに、半日もかかりはしなかっただろう。
「逃げ延びた騎士らには、よく辿り着いたと休息を与えている。あえて逃がされたとも考えられるが、どちらにしろ、最善を掴み取った優秀な者たちだ」
続けて、立ち会わせる彼女が。
片桐乙女が、皇子の言葉に補足を加えた。
「皇子。あれから彼らの容体は安定しております。重体であった二人も回復に向かい、残りの者たちも、精神的にも落ち着いたようです。今後は無理のない範囲で、詳しい状況を尋ねるつもりですが」
「尽力、痛み入る。……生憎とこのような事態では、返せるものもありはしないが」
「いえ、勿体なきお言葉です。私どもにつきましても、アヴァロン国やかの魔女の問題は避けては通れないもの。こうしてお力添えをいただけるだけで、これ以上のものはありません」
「そこまで遜るでない。我輩はもはや、裸の皇子である。……だが、敬意とは期待である。この思考、この身、全てを以って、戦力としての体裁を保たせて貰おう」
言って、頭を振るい、くたびれた金髪を散らせる。
これまで同様に、……否、これまで以上に、深い隈を刻んだ目を強く細めて。
「話を戻そう。とはいっても、アレックスと魔女の手により、アヴァロン国は落とされた。これ以上もこれ以下もありはしない」
現状の把握は困難だが、予想するに。
王宮の内情は凄惨たるものであろうが、しかし国そのものの状態は、それ程悲観するものではないだろう。
皇子は続ける。
「アレックスは民衆の支持があった。それはヤツ自身の行動の結果だ。ヤツの性質が民衆に与えた影響だと言えばよいか。故に、不用意に手を出すこともなかろう」
重ねて魔女もまた、聞き及んだ情報によっては、無為な殺戮を好む者ではないらしい。むしろ体面を取り繕い、真なる支配を敷くのだと。
ならばどちらも、表面上は静かに。
国を乗っ取ったことさえも、勘付かせまいとするかもしれない。
「その為に、残された騎士らをどう扱っているかは、恐ろしくはあるが」
まさか皆殺しはあるまい。
全てを挿げ替えてしまう程に悪辣で、残虐ではないだろう。
「王宮運用の為、国の自治の為。我々も含めた外部異世界からの攻撃への備え。それら全てにおいて、騎士や従者を抹消は有り得ぬ」
それでもクーデターの時点で、決して少なくない血が流され、多くの傷跡を刻み付けられている。
到底、看過出来ない事態であることは変わらない。
「アレックスめは魔女と手を組み、反旗を翻した。……果たしてその主導権をアレックスが握っているかは怪しいところだが、恐らくは、甘言に誑かされた訳ではあるまいよ」
シュタイン皇子は断言する。
僕もまた、それには同意見だ。
だが、彼を知らぬ者には察することなど出来ない。
「よいじゃろうか」
口を挟んだのは、小柄な少女を装う者。
車椅子に腰掛けた彼女は、右手を挙手する。
皇子もまた、それに頷いた。
「よい。意見を述べよ」
「うむ、では恐縮じゃが、その根拠を話して貰いたい」
黒の着物を身に纏う、白肌の少女――女郎蜘蛛なる東雲八代子は、続けた。
「生憎と、妾は第三皇子様を詳しくは知り得ておらぬ。何度か顔を合わせてはおるが、恐らくは上っ面をなぞった程度。特別物事に口を出す場面もなかったが故に、妾はヤツめを掴めておらぬ」
或いはそれすらも、思慮の上でのものだったのか。
声が大きくお調子者で、大事な場に居合わせるだけのお飾りであると。そんな印象を与え、底を探ることを許さなかったのか。
「全てが計算づくであったなら、成程、かの皇子と魔女の共謀には納得じゃ。それ程の者であるならば、な」
でなければ魔女に使われている可能性や、最悪、操られている可能性を否定出来ない。
だからアレックスが、果たしてどれくらいのものなのか。手を組むまでに持ち込めるならば、それはどれ程の脅威と考えられるのか。
東雲八代子は、アレックス・オヴェイロン個人に対する認識を、正しく改めさせろと言った。
「そうサねぇ。アタシも同感だ」
重なる声は、東雲八代子の隣に立つ、彼女から。
金色の長髪に赤い和装。同じく古くより語り継がれる、大妖怪にして特級の一角。
九尾の狐、九里七尾もまた、我々へ問うた。
「タイミングにもよるけどサぁ、まさかつい最近意気投合して、ご一緒に国盗りしましょ、って話にはならないよねぇ」
ある程度の期間を経て、それなりの用意を以って。
段取りを見るにも、即興では有り得ないだろう。
そうなれば、当然に。
「第三皇子は、例の襲撃も知っていた。なんなら関わっていた可能性が高いサね」
そう、先刻の特級会議にて、同日巻き起こされた襲撃。異世界から現れた魔法を扱う兵士らによる、街への総攻撃。
そして同時刻の、図書館へ対する殺戮さえも……。
だとすれば、狡猾が過ぎる。
自身がこの国へと訪れているタイミングを図ることで、あたかも自身すら襲撃の対象になっているやもと、周囲に振り撒いて。
更には――。
「知っていた、狙っていた。その上で、飄々とアタシらの前に立っていたサ」
アレックスは、それを欠片も悟らせることなく、我々と対面していた。よりにもよって攻撃を仕掛ける街の、組織の長らを相手に。
それも、特級レベルの桁違いの戦力らへ対して。
とてもではないが、尋常ではない。
実際はなにも知らなかったのだと、今も話に乗せられたか操られているだけだと、そちらの方が幾分にも現実味がある。
「全ては魔女の策略。第三皇子も、鬼狩りのヤツらも、上手いこと利用されていただけ。――って言いたいところだけど、確か鬼狩りは鴉魎の極めて個人的な都合で、利用し利用されな関係だったって話サね」
もしも、そこにアレックスが含まれるなら。
それらは全て、三者による共謀ということになる。
「……うむ、そうだな」
シュタイン皇子は、右手を持ち上げ顎に触れ、僅かな思案の後に。
やはり、変わらず断言した。
「恐らくは、その通りであろう。ヤツならば、それら全てを腹の底に呑んでいても、不思議ではない」
それが、僕らの。
アレックスを古くより知る、自分たちの認識だ。
「もっとも我輩の見立てでは、ヤツは頭が回るが、思慮深くはない性質だ。長くクーデターを企てていた訳でも、この国を滅ぼす算段があった訳でもなかろうよ」
故に、民への献身も、この国への注力も、全てが取り繕われたものではなく。
飄々とした態度も、軽快な言葉も、屈託のない表情も、嘘偽りの類ではなく。
でも、だからこそ。
きっとアレックスは、同じように、なんの気なしにいつものように。
「唐突に機会が訪れ、本人にも思うところがあった。ヤツならばそれを以って、正気のままに手を汚すだろうよ」
即ち、操られていない確証はないが、操られる必要もなく、それくらいのことはするだろう。
ならば自らの意思であると、そう捉えておくべきだろう。
それが、我々の判断だった。
「よって、そのように認識を改めよ」
再度、皇子は宣言する。
この場に居合わせる全員へと、その認識を伝わせる。
「敵の主格はレイナ・サミーニエなる魔女と、第三皇子、アレックス・オヴェイロンである」
加えて。
その日に確認されていた、ヤツらの協力者には――。
「そして向こうの戦力は、第一級以上が推測される複数人の魔法使いらと、――ヤツらの側についた、特級戦力である」
そう。
先刻の会合にて、ここに居合わせ。
けれども今、この場所に立っていない、彼らが――。
「機械人間なるグァーラ。オーク属の戦士、ドギー。ヤツらもまた、敵対勢力らの主戦力である」
それは、明らかなる。
絶対的な、――脅威だった。




