第四章【97】「エピローグⅡ」
静まり返った深夜一時過ぎ。
閉館後の図書館の、地下の一室。
二人だけのこの場所で、ベッドに腰掛けて、自分のことを好きだと言ってくれた女の子に、抱き締められている。
頭を抱えられて、胸元へと抱き寄せられている。
開かれた素肌に頬が触れて、しっとりとした柔らかな感触に、鼓動が一際高鳴る。
どころか収まりを知らずに、ドクンドクンと、際限なく一層と高まっていく。
いや、普通に考えて、抑えることなんて出来る筈がなく。
本気でヤバい。本気で、マズ過ぎる。
「さ、サリュっ……!?」
思わず声を上擦らせながら、素っ頓狂に彼女を呼んだ。
一体どういうつもりなんだって。これはいわゆる、そういうつもりなのかって。
それとも勘違いで、ただ単純に、大切だからとか、安心したから思わずとか、そういう――。
「ごめんなさい、ユーマ」
すると、サリュは最初に謝った。
微かに震えた、小さな声で。
けれど、続いたのは。
「わたし、……嬉し、くて」
「嬉し、い?」
「勿論その、用意はしてたの。その為の服なの。わたしの部屋で休んで貰ってたのも、大丈夫そうだったから、……目覚めるならここにして欲しいなって、そういう考えで」
「……え?」
「本当は目を覚ました時に傍に居られたらって思ってたんだけど、それはタイミングが悪かったみたいで、すっごく悔しくて。……で、でもっ、帰って来て目が合った途端、すぐ目を逸らして、――それくらいドキドキしてくれたんだって、分かっちゃって」
「……えっ、と」
「か、勘違いしないで! チユのことも凄く心配で、それが大丈夫だったから、それは伝えなきゃって思って! ほ、本当は他の状況についても、色々話さなきゃいけないって、分かってるの! ……分かってる、んだけど」
「さ、サリュ?」
「だめ、なのっ! もうなんだか、嬉しくて、愛しくて、我慢出来なくなっちゃって! 帰って来てくれた、一緒に居られる、生きてくれてる! ああでもわたし、告白しちゃってるし、勢いで凄く沢山の気持ちをぶつけちゃったし! 恥ずかしいのも凄くあって、でも、強引に引き留めちゃったことも謝りたくて、――もう、もうっ!」
「お、落ち着けサリュ!」
矢継ぎ早に捲し立てられても困る。
あと正直、内容的にもまったく内容を処理し切れない。ただでさえ混乱しそうな含みのある事柄を、そんなに並べ立てられたらパニックになる。
こっちはもう柔らかな感触とかで一杯一杯で、どうしようもないんだから!
「落ち着こう! マジで、分かんないから!」
サリュの肩に手を回し、なんとか引き剥がす。
その際、イヤイヤと言うばかりに強く抱き寄せられ、それはもう凄いことになったりしたのだが、――とにかく、今一度、真正面から向き直る。
そうして視線を合わせれば、サリュは――。
サリュは、頬を真っ赤に染めて、瞳を潤ませて。
なんというか、もう……限界って、そんな感じだった。
「好きっ! 好きなのっ! 抑えられないのっ!」
首を振るって、声を上げる。
半ば泣きじゃくるみたいに、訴える。
「ユーマが戻って来てくれたのが嬉しくて! チユも、他のみんなも、大丈夫だって分かって! だから、不安とか後悔よりも、嬉しくて、嬉しくてっ!」
抑えきれない程に。
我慢が出来なくなってしまう程に。
「おめかししたら、凄く恥ずかしそうに目を逸らしてくれて! 今も、すっごくドキドキしてくれてるのが、分かっちゃって! 恥ずかしいけど、嬉しくて!」
そんなの、もう。
歯止めがきかなくなってしまう、と。
「ズルい女でごめんなさい! でもっ、本気だって、気付いたからっ! 居なくなって、会えて、ユーマやリリに打ち明けて、――それで、分かっちゃったから、っ!」
成程、つまりは。
この状況も、このドキドキも、図られたものだと。
サリュが本気で、俺のことを。
つまり、その……。
「……俺のこと、落そうとしてる?」
「そうに決まってるじゃないっ!!!」
その宣言に、呆気を取られて。
そうしたら、その隙に、今度は、肩に手を伸ばされて。
そのまま体重をかけられ、――力尽くに、もう一度ベッドへと倒されてしまった。
有り体に言ってしまえば。
俺はサリュに、押し倒されてしまった。
「っ、まっ!?」
涙ぐんだ瞳を、見上げる。
気付けば息も荒く、高揚しているようで。
可愛らしいながらも、薄生地ではっきりと分かってしまう身体や。
するりと耳元からこぼれる湿った髪や、なにより、この距離が――。
いや、いやいやいや、でもこれは流石に!
いくらなんでも、――ちょっと、駄目だろっ!
「さ、サリュっ! ちょっと情緒がヤバ過ぎる! 落ち着け落ち着け!」
「無理よっ! 絶対無理っ!」
「い、いくらなんでも、勢い過ぎるだろ!」
「勢いだけど、勢いじゃないもん! 積み重ねてきた、当然の決壊だわ!」
「決壊してんのかよ! 積み重ねてきたって、確かにそうかもしれないけど!」
「それにっ! それに――っ……」
目前。
一層近付いたサリュが、呟くように、こぼす。
「まだ片想いなのは、分かってる。まだユーマがそこまでじゃなくて、わたしの気持ちの方が大き過ぎるって、……釣り合いが取れてないって、分かってるけど」
でも、その上で。
「でも、……満更じゃないのも、分かっちゃってるから」
我慢出来る筈がない。
求める相手が求めてくれているのに、抑えられない。
「……さ、リュ」
「だから、ごめんなさい。……もう、四の五の言わせるつもりはないの」
本気じゃなくてもいい。
本気じゃないなら、むしろ、手を引くことなんて出来ない。
サリュは、続けて。
「逃がさないから。絶対に、本気にさせるから」
そう、宣言した。
◇ ◇ ◇
それからはもう勢いで、なし崩しで、場当たり的で。
持てる知識を総動員しても、経験のない俺にはやっぱり、なにがなんだか。
サリュの方も好奇心で色々と聞き調べ齧りはしたらしいが、そういう知識も基礎が俺になってるから、めちゃくちゃ悪戦苦闘して。
やっぱり血は出た。
爪を立てられたりしたから、俺も何度か浅く裂かれて、でもすぐ治って。
そんなだからサリュも魔法を使えばいいって言ったんだけど、そういうのも大事にしたいって返されて、……なんか、ちょっとだけ羨ましいとか、そんな変なことを思って。
それから繋がってるってのは、予想以上で。
なによりも、触れ合って、抱き合って、「心も身体も一つに」なんて在り来たりなヤツが、本当に心地良くて。
結局は、よく分からないままに進んで、よく分からないままに良くなって。
でも、一つだけ。
確かにはっきりと、覚えているのは。
「ユーマ、泣いてる」
そう指摘されたのは、ほんの最初のキスだった。
お互いの些細な触れ合いが、少しずつ熱を帯び始めて、身体も寄せ合って。
いよいよこれからだって雰囲気の、その最初の最初で。
五秒にも満たなかった、ほんの僅かな、触れ合う唇の感触が。
俺よりもむしろサリュからの、押されがちな口付けが。
恥ずかしそうに離れながら、微かに零れた吐息が。
思わず口元へ手を寄せてしまった、薄っすらと消え入りそうな、それでも確かな名残が。
今までの、冗談みたいな触れ合いとは、決定的に違って。
分かっていたけれど。そんなの、命まで賭けて貰いながら、今更過ぎるけど。
言葉だけでなく、本当に。
――俺は、そんなにも、想って貰えていて……。
「……好きだ」
気付けば、そうこぼしていた。
こんなにも与えられて初めて、ようやく、なんて。
本当に情けなくて、駄目駄目だって、思うけど。
でも、ここまでされて、ここまで魅せられて。
こんなにも好きにならない方が、おかしい話だと思う。
「……ちょっと、ユーマ、早過ぎない? これからが、本番なのにっ」
そんな風に、茶化して。
サリュも、涙でぐしゃぐしゃになりながら、笑って。
それから何度もキスをして、その先も、二人で……。
心底、自分には過ぎたものだって、思うけれど。
不釣り合いで、許されなくて、贅沢で。なにやってんだって、そんな話かもしれないけれど。
だけど、この子が求めてくれたから。
少なくともこの部屋には、俺たち以外には、誰も居ないから。
サリュだけで、サリュだけが、許してくれたから。
だから、俺も――――。
「――――――――――――――――」
俺も、この子の想いに、応えられるように。
互いが相手を求めて、相手に返せる、この場所を守る為に。
これからもずっと、続いていけるように――。
「好きだ、サリュ」
俺も、戦う。
サリュからも、この先からも、逃げない。
逃げたくない、と。
そう、覚悟を決めた。




