第四章【94】「勝手なことばっかり」
「また同じになるよ」
今度はきっと、ユウマが。
あたしではなく、彼までもが。
「また大切な人に、殺されることになるよ」
きっと、そうなる。
「――――……」
跨り押し倒し、見下ろしたサリュちゃんは、大きな瞳を一杯に潤ませて。唇を固く結んで、赤くなった頬や額に眉を寄せる。
傷付いたように、堪えるように、噛み締めるように……。
「……ねえ、サリュちゃん」
あたしは尋ねる。
「どうして?」
どうしてあたしに殴られていたの?
なのにどうして、突然それを受け止めたの?
「殴られても仕方がないって思いながら、――でも、ユウマを侮辱されたから?」
されるがままだった癖に抵抗して、口答えして、今だって手を離さない。
痛いくらいの力で握り締めて、あたしの勝手を許さない。
それだけの力が残っていながら、だけどあたしを退けようとすることはなくて。
きっとあたしよりも余力だってあるのに、魔法を使おうともしないで。
「どーせ、さぁ」
でもどうせ、あたしが今突然に、ユウマたちの方向へ魔法を放つことが出来てしまったら、……咄嗟に容赦なく、あたしを叩きのめすんでしょうね。
あたしの指摘に噛み付いたみたいに。
それだけは許せないって、それは許容出来ないって。
当たり前の優先順位。
鞍替えして、乗り換えて、――だからあたしに殴られても仕方がないって気持ちの悪い献身なんかよりも、あの男が関わることの方が、ずっと大切。
だってのに、あたしを払い除けられないのは、今更綺麗子ぶりたいから?
そんな悪いことは出来ないって、善悪の基準や正義感やから?
違うでしょう?
未だにあたしも大切で、だけどそれよりもあの男の方が大切だ、なんて。
そんな馬鹿げた天秤の釣り合いを、必死に取ろうとしているんでしょう?
「そんなのは、通用しない」
同じになる。
また、同じに行き着く。
「サリュちゃんの望みは、願いは、運命の人との幸せな未来なんでしょう? あの世界で、レイナ先生の下で兵器を続けて、あたしと仲良しこよしは違うんでしょう?」
「……それ、はっ。……でも、それ、だって」
「じゃあ今更戻る? ……ううん、もう手遅れだよね。もうそれは出来ない」
なによりも。
お前がこの世界へ来て、この世界に居着くことを選んだ時点で。すぐにでも戻って来なかった、戻ろうとさえもしなかった時点で。
あたしたちの世界も、あたしも。
お前にとっては、一番じゃない。
「期待させるなよ。だから愛玩で、押し付けで、自分勝手なんだよ」
そんなことを繰り返していたら、絶対に。
いつかユウマも、あたしになる。
ユウマでなくても、チユキや、あの姉やキザ騎士が。あの子の周りに居る誰かが、唐突に手放されて苦しんで、恨むことになる。
駄目だよ、それじゃあ。
無理なんだよ。
「払い除けて。拒絶して。殴り付けて」
要求する。
懇願する。
もう、あたしを縛らないで。
あたしの負けだから。
お前も、あたしを諦めて、――負けを認めてよ。
「悪いことをしたと思うなら、もう自分の手は汚れてるって、最低な人間だって、本当に自己嫌悪があるなら」
だったらもう汚れたままで、不誠実に、今度は間違えないようにしなさいよ。
良い子ちゃんじゃない悪者上等だって宣うなら、歯を食い縛って切り捨てなさいよ。
「――友達だって、言うならさぁ」
今更、取り繕おうとしないでよ。
全部綺麗になんて、しようとしないでよ。
あたしで、間違えなさいよ。
あたしで、失敗しなさいよ。
あたしを、背負いなさいよ。
ねえ、サリュちゃん。
「……ッ、ハハ」
我ながら、あたしも、ここまで言ってあげるなんて。
本当にお節介で、……じゃあやっぱり、成程。
あたしたちは案外、お似合いで、結構似た者同士で。
仲良しだったのかも、しれない。
項垂れたままに、見下ろしたままに。
向かい合う彼女へ、あたしは続けた。
「ユウマは、お前を好きじゃない」
「……うん」
「聞いたんだけどさ、プロポーズの話だって、勢いの成り行きじゃない。それしか方法がなかったってだけ。お前だって古臭い仕来りを馬鹿正直に守ったってだけ」
「……うん」
「サリュちゃんたちの始まりは、大凡恋愛なんて呼べるやり取りじゃ、ない」
「……で、でもっ」
「なによ」
「でも、リリが古臭いっていう仕来りが、わたしには大切なモノなの」
「…………」
「肌を見られた相手にはそれなりの報復か、それとも責任を取って貰うか。……この国でもそういうのは、「お堅い」って言われてるみたいだけど、――でも、大事なことじゃない」
「……ッハ。そうみたいね。お堅くて、古臭くて。……それで?」
「だからこそ、運命的だと思わない?」
「……………………」
「仕来りを大切にするわたしに、……ユーマは仕来りを尊重して、プロポーズしてくれたの。 責任を取るって言ってくれたの。成り行きなら、そうするしかなかったなら尚更に、それは運命よ」
「……ッハハ。それで? 勝手に舞い上がって恋人面したワケ? 殺されそうになったユウマが、どんな思いでそれを受け止めていたんだか」
「それ、は……。でも、今は――」
「そうだね。今は満更じゃない。だけど恋慕じゃない。だからいい感じであっても、手を出されることはなかった。ユウマは先に進めることをしなかった」
「っ」
「それが分かっていたから、サリュちゃんもなにもしなかった。そうでしょう?」
ユウマにはその気がなかった。
だから魅力的だと言いながら、恋人や近しい距離になることが出来なかった。そうなる程にまで進展しなかった。
そう、二人は、――恋人になれなかったんだ。
「親しい間柄の恋愛ごっこ、おままごとの恋人遊び。ドキドキした? ワクワクした? 一緒に戦って信頼も生まれていた? ――そんなのは仲間、オトモダチだ」
「っ、……っ」
「そんなモノに縋ってここまで追い駆けて来て。結局お前は、運命なんて虚構にいつまでも酔ってるだけ」
「それは、――違う」
「違わない。だったら想像してみなさいよ」
あたしは突き付ける。
ソレは間違いだと、暴いてやる。
「あの男の姉が、カタギリオトメが攫われていたら、お前はどうした?」
「……オトメ、が」
「それがチユキなら? あのキザ騎士でもいい。いや、アイツはちょっと怪しい? まー別に誰でもいいんだけど。……なんなら、あたしが病院からこの島へ連れ出されたって話だったら、サリュちゃんはどうしてたと思う?」
「……それ、は」
「命を懸けて、助ける為に戦う。そうでしょ?」
答えさせるまでもない。
サリーユ・アークスフィアとは、そういう少女なのだから。
だから、それはあの男への献身にはならない。
あの男がそういう立場に居るから、恋心だという理由を付けているだけだ。
「誰にでも優しいサリュちゃん。誰にだって命を賭けられるサリュちゃん。……その癖、自分の為なら、手放して捨て置くサリュちゃん。ほんと、好き勝手ね」
「……う、づ」
「ユウマはお前を好きじゃない。それにこの調子じゃあ、サリュちゃんがユウマを好きかも怪しいよ。じゃあやっぱり、いつかユウマも、あたしみたいにされる」
いつか勘違いでない、本当が現れたら。
きっとこの子は、哀しみと苦悩を抱えながらも、容赦なく。
その勘違いを、ユウマを、また突き放して――。
だから、諦めろって。
そんな、簡単な話なのに。
「……か、」
この子は、サリュちゃんは。
理想ばっかりで、頭がお花畑な癖に。
「勝手なことばっかり、言わないでよ!」
憎い程に、大嫌いになるくらいに。
強くて固くて厄介極まりない、頑固だから。
◆ ◆ ◆
「勝手なことばっかり、言わないでよ!」
わたしはリリに叫んだ。
声を上げるだけで頬が痛い。ただ横たわっているだけで頭が痛い。全身に力が入りづらくて、リリの手を受け止めている右手も、今にでも折れて下がってしまいそうだ。
魔力だってほとんど空っぽだから、もしもの為に治癒に避ける余力もない。傷は開いたまま血は止めどないまま、痛くて痛くて仕方がないままだ。
おまけに言葉も、痛いところを突いてきてばっかりで。
必死に懸命にユーマを繋ぎ止めて、身体だけじゃなくて心だって、とっくに消耗しきって限界なのに。
でも、まだ。
「リリだって、勝手よ!」
聞き流せばいいのかもしれない。頷けばいいのかもしれない。
事実、リリの指摘はほとんどその通りだ。突き付けられた罵倒や叱責は、全部間違ってない。目を逸らしていたことも、先送りにしていたことも、仕方がないって呑み込んでそのままにしていたのも、全部全部、わたしの怠慢で高慢さだ。
だから、リリの言う通りに。
わたしは自分を変えなきゃいけないって、そう思う――けれど。
「裏切ったって、勝手にどこかへ行ったって、切り捨てたって、そんな風に言ってばっかりだけど……!」
わたしにだって、言いたいことはある。
文句の一つや二つは、ある!
「そもそも、そうなったのはリリが提案してくれたからでしょう!!?」
忘れてない。忘れない。
わたしはそれを、幸せを願ってくれた友達の言葉だって、思っていたから――っ!
「どこか遠い世界で、運命の人に出会えますように。――わたしが宝箱に願った言葉は、リリが教えてくれたんじゃない!!!」
運命の人に出会いたい。けれどあの世界では、レイナの元では、到底その願いは叶えられない。
だから、その手が届かないくらいの遠くに行けば。それも一緒に願えばいいって。
そう提案してくれたのは、リリだった。
「その時、わたしは言った筈よ。リリと離れ離れになっちゃうって。そうしたら言ってくれたわ。わたしはどこでも幸せになれるから、不安や心配はないって。――それが嫌だなんて、止めようとなんてしてくれなかった!」
「づ、…………それ、は」
「だからわたしは、この世界に来た後も戻ろうとはしなかったの! 遠く離れても幸せを願ってくれてるんだって! リリもきっと、自分の手で幸せになるに違いないって!」
なのに、違った。
全然違った、全部違った、なにもかも嘘だった。
そんなのないじゃない。
そんなの、違うじゃない!
「リリの、嘘吐き!!!」
「ッ……ええ、そうよ! どころか、嘘ですらない! 適当に言っただけ! どうせそんな願いなんて叶うはずがないから、似合わず落ち込んで気持ちが悪かったから、適当に話を合わせてただけよ!」
「そんなの酷いじゃない! わたしはそれを信じて次に進めたのに! その上、手のひらを返して裏切り者、殺してやるって! リリがその背中を押してくれたのに!!!」
「そんなつもりなんてなかった! お前が居なくなるなんて、一人で逃げるなんて思いもしてなかった! 本気にしたお前が、サリュちゃんがおかしいだけだ!!!」
「本気だって思うじゃない! そういう風に見せていたじゃない! 言葉や励ましが本心なんだって、そう思うようにしていたのはリリじゃない!!!」
「ッ、ヅヅヅ!!!」
「嘘吐き! 嘘吐き嘘吐き嘘吐き! 友達だって信じてたのに! お互い別々の場所で幸せを見つけて、それでも友達で居るんだって、そう思ってたのに!!!」
「ふざけるな!!! あんな世界で、レイナ先生やネネのところで、幸せになれるワケがない!!! 適当言わないでよ!!!」
「それでもリリなら! わたしの思ってたリリなら、そう出来るって信じられていたの!!!」
「とんだ勘違い馬鹿! なにも見えてない、なにも分かってない!!!」
「見えなくしてた癖に!!! 分からないようにしてた癖に!!!」
「煩い!!!」
「黙れるわけない!!!」
それに、リリのことだけじゃない。
ユーマのことだって。
「ユーマのことだって、勝手なことばっかり言わないでよ! 聞いた話って、その場に居たわけでもないくせに語らないでよ! その後のことも、ユーマ自身のことも、わたしの気持ちも、なにも知らないくせに!!!」
「ッ、ぐ……!」
「分かってる! わたしだって、分かってるの!」
言われなくたって。
言ってくれなくたって、分かってるの。
「わたしだって、リリと同じで、……相手にだって想って欲しいの! 想ってくれる相手がいいの!!!」
だからわたしは、薄情にも。
選んでいる。優先している。
「傍に居てくれるだけじゃ足りないの! どんな人でもいいんじゃないの! みんなが大切で、みんなを守りたくて、――でも、それ以上の人が欲しいの! 特別が欲しいの!!!」
たった一人が欲しい。
それと、――その人のたった一人になりたい。
みんな大切で、大好きで、ずっと一緒に居てほしいけれど。
だけど、わたしは――。
「ユーマが好きなの。……ユーマが、一番なの」
嗚咽交じりになりながら、それでも応えた。
「ユーマの方が、……リリよりも、……好き、なのっ」
それをリリが望むならって、吐き出した。
「初めて、わたしを求めてくれたの。言葉にしてくれたの」
褒めてくれるでもなく、認めてくれるでもない。
最初は勢いだったかもしれないけれど、……それでも、一目で惚れたって、責任を取るって、そう言ってくれたの。
一緒に居たいって、手を差し伸べてくれたの。
どうしたいって、わたしに尋ねてくれたの。
初めて、だったの。
「そんなユーマと、……誰よりも、一緒に居たいの」
見上げるリリの表情が、滲んでいてよく見えない。
怒ってる? 意味が分からないって眉を寄せてる? それともやっぱり小馬鹿にして、笑ってるかもしれない。
少なくともわたしは、もう。
零れていく大粒の涙を、止められなかった。
「確かにユーマは、わたしのことを好きじゃないかもしれないけれど。満更じゃないだけで、あくまで友達だって、仲間だって、そう思ってるかもしれないけれど」
それでも、嬉しくない訳がない。
友達でも仲間でも、わたしの想い人が、わたしを受け入れ必要としてくれている。傍に居てくれている。その時間を楽しんでくれている。
それ以上が欲しいけれど、でも。
それ以上じゃなきゃ嫌だなんてことは、有り得ない。
今はそれでいいの。
ユーマからは、それで十分なの。
「わたしが好きなのよ!」
まだ出会って、ほんの少しの時間だけれど。
それだけは確信できる。この気持ちは、勘違いなんかじゃない。
言うならばきっと、わたしの方こそ、ほとんど一目惚れみたいなもので。
抑えきれないドキドキも、胸を焦がす熱さも。
味わわされた寂しさも、遠く離れた不安や苦しさも。
間違いなく。
「わたしの恋なの! ――わたしの、片想いなのよ!」
だから、一方通行で当然だ。独り善がりで当然だ。
この恋はまだ、わたしから始まったばかりなんだから。
叫んだ。
訴えた。
悲しくて。
怒って。
伝えたくて。
それで、――リリは。
「……ッハ。……だったら、尚更でしょ」
言いたい放題で、自分勝手なことばかりで。
だけど、そんなのどっちもで、……お互い様で。
だから。
「だったら尚更、――余所に構ってる余裕、ないじゃない、馬鹿」
「……う、…………あ」
失敗ばっかりで、同じになりたくなくて。
大切な人たちが沢山いて、守りたい場所もあって。
その上、初めての恋は、片想いで、……なんて。
「……リリは、……わたしが嫌い?」
「嫌いよ。大嫌い」
「……リリは、……一緒には、居てくれない?」
「もう言った」
「……うん。……別の場所で、始めるって」
「そういうこと。――だから、さぁ」
リリは、わたしに言った。
「別々の場所で、別々の人たちと、……これから一切、交わることなく」
今度こそ、きっと適当なんかじゃなくて。
ありのままのリリで、真っ直ぐに、向き合ったままで。
「あたしも勝手に幸せになるから、勝手に幸せになりなさいよ、サリュちゃん」
だか、ら。
「ま、なんて、腹立たしいことこの上ないけど。お前は放っておいても、どこでだって幸せになるんでしょうね」
「――――――――」
だから。
「嫌なら尚更、お前がやるのよ、――サリュちゃん」
「……あ、…………あ」
ぐっと、押し込まれる。
受け止めていたリリの右手に、再び力が込められる。
合わせて、リリの身体に、淡い光が灯り始めて――。
とても微弱な魔力。
大した魔法は使えずに、簡単な魔法であっても、下手に複雑なモノを試せば勝手に解けてしまうだろう。
それでも、同じく消耗したわたしに、受けきることが出来るかは……。
「…………リリ」
分かってる。
もはや魔法で返す必要もない。
ほんの少し離れるだけで、なにも届かなくなるって、分かってる。
受け切る危険は冒せない。
対抗する危険も、加減を誤ればリリを酷く傷付けてしまう可能性も、到底出来ない。
だから、もっとも簡単で。
リリの、思い通りで…………。
……だから。
「……………………っ」
だから、ごめんなさい。
「ごめんね、リリ……っ」
わたしは、ぎゅっと握って受け止めていた、リリの手を――。
ゆっくりと押し返して、手離して――。
突き、放して――――。
倒れていく彼女を、見送った。




