第四章【93】「また同じに」
奇しくも、ネネ・クラーナに色々とほじくり返されたから。
あたしはサリーユへの感情を、見たくないと目を逸らしていたところまで、思い出し自覚させられてしまった。
恨みも辛みも、劣等感や拒絶感も、……大切に思っていたってことも、全部。
だからあたしはこの時に、清濁の全てを叩き付けることが出来た。
都合の良い悪感情だけじゃない。都合の悪い、あの子に対する尊敬や執着も。
一方的な否定だけでなく、肯定をした上で、……それでもやっぱり許せないから、って。
お陰様で、この闇は、濁りなき真っ直ぐな悪意を孕んだ――。
……でも、そんなだから。
真っ直ぐさだけでは。感情だけでは。
濁りも淀みもない、力と力のぶつかり合いでは――。
「――――――――」
指先から、痛みや恨みを剥がされていく。
撃ち出した黒渦が、あたしの手から失われていく。
合わせて、視界が焔に覆われていく。
あたしの闇は拮抗するも、やがては呑み込まれて、焼き尽くされて、掻き消された。
そのまま焔は収まることなく、広がり、被さり。
この身体へと、包み込むように火の手を伸ばして――。
「――――」
死を、覚悟する。
だけど、その向こうから。
焔の奥から、火の手を払い除けて。
「――――リ、リ」
あの子の声が。
あの子の、手のひらが。
「――リ、リっ!」
「…………」
目前。開かれた指先が、淡い光を帯びる。
それを起点に焔が収まり、高熱が取り除かれていく。
不意に訪れた微かな浮遊感も、同じく彼女からの恩恵で。
遅れてようやく、自分の身体がもう、落ち始めていたことにも気付いて。
空から離れていく、そのさなか。
伸ばされた小さな手が、あたしを助けようとしているんだって、分かって。
だか、ら。
「……………………っ」
だからっ。
「――――ッ!」
あたしはサリーユの右手を、弾いて、払い除けて。
もはや手の届くそこに居る、サリーユを。
差し出された、目を見開いたその間抜け面の、鼻っ面を――。
「――あ、あああッツツ!!!」
引き戻した右手の拳で、思いっ切り殴り付けてやった。
ゴツリ、って。
音にならない感触が、閉じた指の甲から感じられた。
柔らかいようで、だけど脆くはなくて。
確かな手応えがあった。
「――づ、あぁ!?」
目をつむり、声を上げて。
軽く身体を仰け反らせ、サリーユは引き下がる。
その直後、浮遊の終わり。
あたしたちはほとんど同時に、爪先を地面へと届かせた。
「づ!?」
途端にのしかかった重圧に、思わず膝を折り低く縮こまる。
突き出した右手を下ろして土草を握り締め、なんとか倒れないようにと踏み止まった。
見上げればサリーユの方は立ち凌いで、あたしが拒絶した右手のひらで鼻を抑えている。
涙ぐんだ瞳やポタリと零れた血を見れば、直撃は明らかだ。
「リ、リ……っ!?」
「……ッ、……ハ」
素っ頓狂な声に、その様相に、思わず笑えた。
だけどそれ以上に、痛くて、意識ももう、朦朧と揺蕩っていて……。
「づ、……ぐ」
それでも。
困惑して、フラつくサリーユに。
立ち続けながらも不安定な、それを崩す為に。
「……ザ、……サ、リ」
自分をなんとか繋ぎ止める。
これで最後だと、これだけでいいんだと奮い立たせる。
あたしの負けだった。完敗だった、手も足も出なかった。
誰がどう見ても明らかに、あの子が迷わず助けの手を伸ばした程に、情けを施される程に、絶対的な敗北だった。
ああ、認めてる。
あたしは負けた。虚像などではない、本当のサリーユに敗北した。
勝敗は決した。
戦いは、終わったんだ。
……だから、これは。
本当に意味のない、正真正銘、最後の――。
「サリュ、ちゃん――ッツツヅヅヅ!!!」
ぬかるんだ地面を蹴り付け、立ち上がり、前のめりに倒れ込む。
たったの一歩を、それだけで、ピシリと身体中で嫌な音が鳴り響いた。
土を握り締めたままに、固く閉じた右拳を持ち上げて。
黒布はためく奥では、もう失くなってしまったのに、左の肩にも力が入った。
これ以上の魔法は使えない。
だけどあたしには、まだ、残っているから。
満身創痍で、それでも動いてくれる、この身体と。
言ってない文句と、問い質したい本心と、叩き付けたい罵倒と。
「お前は、お前、なんて――っ!」
この最後に、伝えたいことが、残っているから!
「――お前なんて、友達じゃ、ないッヅ!!!」
「ッ!!?」
目を見開くサリーユの、その動揺の横っ面を殴り付けた。
打たれ僅かに退き、振られた彼女の左の頬は、すぐに赤みを帯びる。
そうして右手を離された鼻は、同じように赤く、微かに腫れてさえいる。
拭われても残った血痕や、止めどなく続いた赤い筋は、――滑稽で、不格好で、無様で。
「ッハ! ッハハ!」
思わず、大口を開けて笑った。
初めて「やってやった」なんて、下卑た実感に破顔してしまった。
当然、それで終わりになんてしてやらない。
あたしはまた右手を持ち上げて、振りかざして――。
「お前なんて大嫌いだ! 自分勝手で、お調子者で、裏切り者ッ!!!」
再度、殴り付ける。
今度は咄嗟に組まれた両腕が遮り、阻まれ、その腕を殴るに終わるけれど。
「友達だって、思ってたのに!!!」
「ッ――――!!?」
だけど続く一打は、また見事に彼女の額を叩いて。
二発、三発、四発って、続けざまに殴り付けてやった。
「嫌い! 嫌い嫌い嫌い! 大嫌い!!! 気に入らなかった、いけ好かなかった、邪魔だった鬱陶しかった気分を害した! だけど、今更だけど――対等な関係だって、歪んでいても仲間で友達だって、そんな風に思えていたのに!!!」
「づ、……リ、リ」
「なにが運命の人だ! なにが異世界だ! 一人で勝手に逃げて、一人だけで幸せになろうだなんて!」
不意に、サリーユの身体がガクリと下がった。
膝を付き、座り込み、やっぱり向こうだって息も絶え絶えになって、――だからあたしは尚更に、彼女へ飛び込み覆い被さった。
あたしも立っていられないから、諸共に。
襲い掛かって、押し倒して、馬乗りになって見下ろして。
あたしは一方的に、サリーユを、殴り付けた。
「世界を見捨てて、罪から逃げて、あたしを放っておいて、それも、――あんな男と!!!」
でも、今度こそ、その振り下ろしたあたしの右の拳を。
サリーユは、対する右手のひらで受け止め、握り掴んだ。
「づ!!?」
力なんてないに等しい。
受け止めたサリーユの手は本当に弱々しくて、振り解くのなんて簡単だって、その筈なのに。
なのに、掴まれたままに振り払えない。どころか掴みかかる弱々しい握力に、骨を砕かれたかのような痛みさえ与えられる。
それを言うなら、何度も殴り付けているのに、ほんのり赤みを帯びるばかりで。本気で殴ってるんだから、もっと、青くなったり砕けたり、酷い有様だっていいのに。
サリーユ以上に、あたしの力がない。
引き剥がすことも、いっそ押し伏せることも、出来ない。
ただ組み敷いて、見下ろし睨み付けることしか出来なくなって――。
おまけに、この子は。
「あんな男じゃ、ないっ!!!」
そんな、心底どーでもいいところに。
歯を剥くくらいに声を上げて、力を入れて、抵抗してきやがって。
「ユーマは、あんな男じゃ、ないっつつツ!!!」
なんで、コイツはいつだって――っ!!!
「こ、のッ!!!」
ムカつく!
ムカつくムカつくムカつく!
ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく!!!
「フザけんなッツツツヅヅヅヅヅ!!!」
あたしはのしかかったままに、見下ろしたままに、叫びを打ち付けた。
「あんな男よ! あんな男の、どこがいいっていうのよ!」
あんな男の、どこが、なにが!
なにを、なにも、なんで!!!
「半妖の人外! それも暴走なんて危険が付き纏う不良品で、だってのに、あたしたちにしてみれば強くもなんともない! アレの正体は、暴れ回って実害を振り撒くだけの化物よ!」
「化物じゃない! それに、ユーマは強いわ! 暴走だって、前も、今回も、なんとか出来た!」
「なんとか? ッハ、どーせ運が良かっただけよ! これからだって何度も起こる! いつか大失敗して、取り返しがつかなくなる!」
「何度だってなんとかするわ! なんとか出来るわ!」
「ッハ! そりゃそうかもね! お前の方が強いんだもん、断言も出来るよねぇ! ……だったらそうやって、ずっと愛玩して面倒見てやりなさいよ!!!」
「っ、そんな言い方!」
「なにも違ってないでしょうが!!!」
事実だ。
この子にとっては、あの男も、……あたしも。
ただ、大切にされているだけ。
目かけて貰っているだけに過ぎない。
本人に自覚がなかろうが、悪気がなかろうが、どっちにしたって。
あたしたちは、この子に囲われているだけだ!!!
「あの夜に、あたしの前でユウマを受け止めた時もそう! サリュちゃんは自分の都合を押し付けただけで、拒絶を受け入れずに踏み荒らして、強引に手に入れただけだ! なにも解決しないのに目を逸らさせて、――だからこうなったのに!!!」
「……それ、は」
「どうせ今だって、聞き心地のいい能書きを並べただけに決まってる! 一緒に居て欲しいだとか、受け入れたいだとか、希望をチラつかせてその場凌ぎに依存させたに決まってる! どこに行ってもリリ、リリって、ちょろちょろ掻き回して来た時みたいに!!!」
「っ、そんなの、違う!」
「お前にとっては違うだけだ!!!」
だって、あたしは。
少なくとも、あたしが。
「あたしは、サリュちゃんより勝っていたかった! お前みたいな能天気で偽善者な魔法使いに、劣っているのなんて嫌だった!」
その上で、傍に居て欲しかった。
そういう友達で居たいって、そんな風に思っていた。
劣等感に苛まれ続けるのも。
綺麗ごとを聞かされて『気付かずにいたいモノ』に傷付けられるのも。
羨んで、だけど認めて、誇らしくすらあって、――けれど憎くて仕方がないのも。
そんなの、嫌だった。
「傍に居てくれるだけでいい? どんなあなたでも受け入れる? ッハ、ッハハハ! それを本気で言ってるんだったら、そんなの本気で言うのは、お前だけよ!!!」
あたしはそうじゃない!
だから、だからッツツツ!!!
「自分が相手を好きならそれでいいって、その押し付けが一番嫌いなんだよ!!!」
そんなだから、お前だけが。
今だって、あんな男に、一方的に――ッ。
「ユウマは、お前を好きじゃない」
今度こそ、逃がさない。
今度こそ、その間違いから目を逸らさせない。
「絆されているだけ。依存しているだけ。サリュちゃんの力に、甘言に、それがなければ生きられないって、サリュちゃん自身の言葉で勘違いさせられている」
だから、そんな歪な糸で繋がれた運命なんて。
形ばかりのハリボテの関係なんて、……絶対に。
「また同じになるよ」
今度はきっと、ユウマが。
あたしではなく、彼までもが。
「また大切な人に、殺されることになるよ」
ねえ、答えてよ。
それでもお前は、「それでも」って言うの?
それでも、なんて言ってみせるの?




