第一章【21】「闇夜」
◆ ◆ ◆
攻撃の中を駆け回り、必死で頭を回す。
とにかく少しでも事態を把握しなければ。
「ちょろちょろと逃げ回らないで、よッ!」
叫び、放たれる連撃。サリュの情報通り、黒雷を主としている。
フードの姿やそこから覗く黒髪もまた、間違いなく彼女がリリーシャであることを裏付けている。
だが、サリーユという呼び方や、扱いが違い過ぎる。サリュの言っていたリリーシャとは、人となりがまるで噛み合わない。
……それでも考えたくはないが、辻褄を合わせるなら。
と、考えている内に、左腕を消し飛ばされた。転がり込むが、もがき苦しむ暇は許されない。すぐさま起き上がり回復と回避に移る。
そう身構えたが、黒雷は続かなかった。少女は攻撃の手を止め、口元を抑えて笑っている。
「ほんっとにしぶといねー。右へ左へ転げ回って、無様で滑稽。おまけに身体を千切ってもすぐに生え変わって、化物そのものじゃんか」
「ふざけ、やがって」
「とっとと死んでよー。必要なのは、貴方の死体だけなんだから」
そうして口元から、再び右手を空へ掲げる。それを号令に、彼女の背後に大きな光の円が現れた。
重なり合う螺旋や理解できない文字記号の羅列。その円が一つまた一つと、瞬く間に数を増していく。
「魔法陣ッ」
「魔法についてはサリーユから聞いてる? だったら光栄に思ってよね。わざわざ時間を掛けて魔法式を組み上げていくなんて、面倒この上ないんだから」
そして少女が宣言する。
「建物ごと吹き飛ばしてあげる」
「ッ!?」
「黒焦げのバラバラになれば流石に死ぬでしょ。あーでも、それだと死骸の判別が難しくなっちゃうかな。ま、必要なのはあなたが失われたって事実かぁ」
冗談だとは思わなかった。
彼女が発生させている魔法陣が、優に二十を超えて尚、展開を続けているのだから。
背を向ける。走れ逃げろと、なによりも優先に自身へ命じる。このビルを吹き飛ばすというなら、もはや目視で対応出来るレベルじゃない。
でも駄目だ。逃げ回ってすでに屋上の端側へと追いやられている。行く先に足場が無い。終着点だ。
もうすでに、この建物は終わっている。
だけどここに居たら、間違いなく殺される。
「じゃ、死んでねーっ!」
発光。振り返らなくても分かる激しい光が、足元に影を落とす。
やがてその影が街並みに紛れ、合わせて爪先が空へと到達してしまう。
逃げないと。これ以上逃げるって、どこへ?
そんなの、一つしかない。
「くっそおおおおお!」
この建物の外、少し離れた位置にある、ここより背の低い別のビルの屋上へ。距離にして、二十メートル弱だ。
どの道死ぬなら、少しでも可能性のある方へ。
立ち止まるな! 行くしかねぇ!
「おおおおおおおおおぉぉぁぁああアアアアアアアアアアア!」
力一杯踏み込み、足場のない空へと飛び出す。
遅れて背後で花火が弾けた。そうに違いないと思える程の、重い衝撃と爆音。鼓膜が破れて音を失くし、平衡感覚も奪われ視界すら明滅する。
なにがないやら分からない中、ただただ浮遊感に身を任せる。
そして、固い何かに腹打ちした。
「ご!?」
空気を吐き出す。広がる鉄の苦み。けれどそれこそが生きている証だ。
地面にしては着地が早すぎるし、なにより木端微塵の筈だ。
つまり、
「成功した、ってか、クソっ!」
声を上げ、両手を地につけ立ち上がる。何本か骨がイカれているが、腕も足も在る。
動けるならまだ逃げられる。振り返ることもなく、すぐさま走り出した。
けれど無情にも、正面へと影が立ち塞がる。
「お見事。空も飛べないのに、大ジャンプなんて」
戦慄し、すぐさま方向転換をと、踏みとどまり。
瞬間。両腕両足になにかが突き立てられた。
長く鋭い、光の柱だ。
「あ、――が」
柱は鬼血や骨肉を容易く貫き、床板へと突き刺さる。痛みを堪えて動き出そうにも、その光によってその場に縫い付けられてしまった。
まるで標本のようだ、と。リリーシャが笑顔で、俺を見据える。
「蝶とか蛾とか、羽虫をこうして飾る文化があるんだよね。平和といいながらも、そういった残酷な発想は何処の世界も付き物と。勉強になるなあ」
こいつにとって、俺の命はその程度か。
まあ、違いない。殺して飾り立てサリュに晒してやろうっていうんだ。
彼女の背後にはまた、複数の魔法陣が展開している。
今度こそ、逃げられないか。
「さて、満足?」
「……んな訳ねぇだろ」
「意外性も面白味もない答えをありがとー。じゃあ今度こそ、殺すね」
フードの下、くしゃりと口元を楽しげに引きつらせる。再び右手を空へとかざし、魔法陣の群が一斉に発光した。
けれど、同時に。
「……まだだ」
俺には、見えた。
彼女の背後の魔法陣。
その更に後ろから迫る、――仲間の姿が。
翻る真白の着物。
ふわりと揺らめく銀色の髪。
直後、彼女の触れる空間が、一瞬にして凍りに眠る。
「ッ」
リリーシャが振り向くが、すでに遅い。
彼女の背後に控えていた魔法陣の全ては、分厚い氷塊の内側へと閉じ込められている。
光も力も、その全てが氷点下の凍結により静止している。
「嘘、これはッ」
「実体の有無は関係ない。――私は全てを凍らせる怪」
妖怪、雪女。千雪の力により、リリーシャの魔法陣は封じられた。
どころか、気付けば少女の足元までもが凍り付く。膝下を氷に包まれ、今度は彼女がその場へと縛り付けられる形になった。
遅れて、こちらの身体を貫いていた光も消滅した。自由になった身体をすぐに引き下げ、距離を開ける。
これで状況は整った。
千雪だけじゃない。――駆け付けたのは、もう一人居る!
「そのまま下がっていろ! カタギリユウマァ!」
「なッ」
「大妖精の輝きよ!!!」
その声に、少女が視線を上げる。
雪女の背後から飛び出した、聖剣を携えた騎士へと。
咄嗟に右手を突き出すリリーシャだが、それも無駄だ。
かざされた手のひらもまたすでに、氷の力で固められている。指先に刻まれた魔法式は全て、光を発することが出来ない。
だから、終わりだ。
「聖剣・キャリバァァァアアアアアアア――!!!!!」
雄叫びを持って、男の剣が振り下ろされる。
響き渡る号令に応え、光の束が夜空を斬り裂いた。