第四章【92】「友達だから」
腹立たしいことに、憎らしいことこの上ないことに。
サリーユ・アークスフィアは、この戦いが避けられないモノだって、呑み込んでいた。
あの子のお気に入りの男が、困惑して眉を寄せている中で。外野の双子がなんの事態だって、口を挟むことも出来ない中で。きっと他にも誰かが居たなら、同じように「どうして」とか「無意味だ」って呆れそうな状況で。
嫌に物分かりのいい、あの共謀した女と。
……どういうワケか、あの物分かりの悪過ぎるサリーユが。
二人だけが――この戦いが、あたしには必要不可欠なんだって。
分かっていた。
だからサリーユは逃げなかった。
説得してくることも、駄々をこねることもなかった。
いや、或いは――。
戦いが避けられないなら、その後でいいと。
戦いを制して、それから話せばいいと、そんな風に思われているのか。
だって、あたしと向き合う、その瞳は。
「――――――――」
なにも諦めていない。
なにも絶望していない。
全てを手に入れてみせるって、強引でも我を通してやるって。
我儘で、高慢で、揺らぎなくて、子どもみたいで、どこまでも真っ直ぐな――。
「ッハ」
ああ、最悪だ。
この世界へ来て、あたしと戦って、それからもきっと、何度も戦って傷付いて。
あの夜から、もっと……。
「……強く、なって、さァ」
未だ甘さは拭えなくても。
辛さや弱さに眉を寄せて、懸命に堪えていても。
それでも、あの頃よりも、ずっと。
ああ、心底うんざりだ。
本当に、大っ嫌いだ。
だからあたしも、容赦も躊躇いもしない。
倒す。叩き伏せる。踏み潰す。
あたしはこの子を跨ぎ越えて、それで新しい旅を始めるんだ。
その門出の花を、自らの手で摘み取ってやるんだ。
だってのに、この子は、……本当に。
最大最優最強で、――最悪の相敵だ。
「アアアアアアアアアアアッッヅヅヅ!!!」
「はぁぁあああああああああああああ!!!」
声を上げ、破壊を振り撒き。
互いの足は自然と、土から離れ空を蹴っていた。
未だ微かに星の跡が残る、白さを帯びた夜の名残を背景に。
浮遊し対面するあたしたちは、幾重もの光を交錯させる。
百を上回る光の束へと、同数かそれ以上の束をぶつける。巻き起こる爆発は途端に前面へ広がり、向こうの姿を遮るけれど、――もはや位置取りなんて、互いに目視する必要がない。
肌を埋め尽くす魔法式に包まれ、あたしの身体はもう、ただ魔法を行使するだけの方式そのものにも等しい。撃ち放つ破壊に相応する濃密な魔力は、この島程度の範囲内なら、どこに居たって瞭然だ。あたしを見落とすことなんて、早々有り得ない。
そして、サリーユも。
彼女の構えた、浮遊する本も。
「――ッヅヅ」
ソレは、あたしの魔法式に等しく、――いや、それ以上に。
あまりにも、埒外だ。
硝煙や明滅の合間、遠目ながらに見定める。
開かれた頁が矢継ぎ早に捲られ、薄らな光を発する分厚い書物。恐らくは、アレそのものが魔法を発動しているワケではない。近似する不思議な力を纏ってはいるが、少なくとも、攻撃的な法則ではないだろう。
サリーユはソレを、記録する物として扱っている。
魔法使いが自らの爪や指先に、魔法式の紋様を記すように。あたしが全身に傷跡として刻み込んで、残しているように。
もっとも、その媒体としての物量は、遥かに破格だ。
「――魔法書」
身体以外の物品に魔法式を刻むことそのものは、決して珍しいものではない。
この島でも鬼狩りたちが、ネネやレイナ先生によって魔法式を宿された刀剣を振るっていた。話に聞いた、日本国へ襲撃したという異国の連中らも、マントや核となる部分に魔法式を刻んでいたらしい。
式の構築を短縮し、即時の発動を。或いは他者へと譲渡することで、持ち主にはない力を引き出す。簡易でありながら、確実性のある手法だ。
でも、だからこそ。
膨大な量の魔法式を、それも、それぞれが独立した方式を刻み持ち歩くなんてことは、その用途からズレてしまう。
あたしの全身の式であっても、出力や破壊の方向性を以って纏められている。多種多様に千差万別ではなく、戦う為の兵器として必要なものが調整されている。
だからあの子のやり方は、間違って――いや、違う。
そうじゃない。
それを、あの子は。
あの子は、成立させているんだ。
魔法を以って、魔法の発動を制御する。
そんなやり方で、多種多様で千差万別を、操ろうとしているんだ。
「……それでも、まだっヅ!」
恐らくは、まだ完成されていない。繰り出される魔攻には、一定の種類と周期がある。
威力や速度もまちまちで、標準も幾らかあべこべだ。あたしがあの子へ目掛けて集中砲火をする一方で、矢継ぎ早に雨のような礫が広域に放たれてくる。
規則性と粗さが目立つ。それこそ防御を高めるでなく、回避に専念すれば、弾幕の合間を容易く抜けられるくらいだ。
掠めるも大怪我、直撃すれば瀕死は避けられないけれど。
それでも撃ち合える、戦える。
あたしは、まだ――――。
「――――――――ア」
なんて。
誰がどう見たって、強がり以下の、バレバレな大噓の。
もう、限界だ。
「――ッ、――ア」
閃光が肩をかすめる。爆炎が頬を焦がす。
突き出しかざした右手も、幾度の衝撃に打たれて骨身が傷んでいる。攻撃に集中すればする程に、防御や治癒に意識を割けなくなって。痛みも誤魔化しが効かなくなって、噛み堪えるしかなくなって。
「――ガ、ァ、ァ、ヅ」
視界も薄ら暗くて、ぼやけてブレてを繰り返して、何度も吐いている。
口の中が酸っぱい。かと思ったら、ギトギトした鉄の味。喉も焼けるように熱くて、胸の内側も、固くて重くて、呼吸をするのにも、力一杯じゃないと、とても。
痛い、苦しい、気持ち悪い。
――嫌だ。
「――――ハ」
撃ち合える?
戦える?
そんなワケない。
こんなの、続けられない。
続けられるワケがない。
つくづく、あたしも大馬鹿だ。
真正面から撃ち合って、もう限界なんてとっくに超えてる癖に、正々堂々なんて。
「――――――――」
なにもしなければよかったのに。
なんの文句も垂れずに、全部呑み込んで、ただ許されるままにとっとと何処へでも行けばよかったのに。
しなくてもいい苦労を、自分で、背負い込んでいる。
「――――――――――――――――づ」
するにしたって、もっと上手いやり方があっただろうに。
優位に立てるように、なんらかの条件を付けて縛ってやればよかった。罠を仕込んだり、それで感情を搔き乱してやったり。
なんなら今からだって、下りてあの子の仲間を人質に取れば、それだけでずっと楽に、優勢に――。
だって、いうのに。
思い付いているのに、分かっているのに。
それじゃあ満足出来ない。
納得出来ない、なんて。
あたしは大馬鹿で、……贅沢で。
「……あ、――アアア、っ」
分かっているんだ。
あたしは、勝てないんだって。
今だって、撃ち合って見えているだけ。お互い消耗しているから、少規模な小競り合いの爆発ばかりで。決定打がないから、ズルズル引き摺ってるだけで。
それだって、このまま続けばあたしが折れる方が早い。実力的にも、精神的にも、あたしが挫ける方が、早いに決まっている。
どの道、同じだ。
どんな舞台でも。
どんな条件でも。
どんな準備をしても。
どんな策を凝らしても。
どんな手段を取っても。
――あたしなんかでは、なにをしたって。
――あたし程でも、どう足掻いたって。
あの、どこまでも遠く向こう側を見続けている瞳には、――映らない。
その遠くへと迷わず突き進んでいく、図々しいくらいに大股な歩みには、――追い付けない。
同じ場所には、居られない。
乗り越えることなんて、出来る筈も…………。
だから、せめて綺麗に。
スッパリ諦められるように、なんて。
なんて、めちゃくちゃな。
「アアアアア、アアアアアアア!」
分かっているけれど、黙っていられなかった。
諦めているけれど、捨てられなかった。
「アアアアアアアアアアアア、アアアアアアアアアアアアアアアア!」
大馬鹿でも、愚か者でも、どんな言葉で罵られたって関係ない。
あたしが何で、何処に居たって、弱くたって、――関係ない!!!
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
叫び、矢継ぎ早に魔法を打ち出す。
掻き消されても、呑み込まれても。やがては防戦一方に、捌くことで精一杯になっても。手も足も出せない寸前にまで、追い込まれても。
退かない。
退けない。
あの子の意地が、幸せを求め続けることにあるというなら。
その為に痛みや苦しみに歯噛みして、それでも戦い続けることが出来るというなら。
あたしの意地は、あの子に負けたくないって。
たとえ勝てないと分かっていても、勝てないという事実を突き付けられた程度で、折れてやらないってモノで。
あの子の虚像に圧し潰されるようなことだけは、絶対に――ッッッヅヅヅヅヅ!!!
「サリュちゃんッヅヅヅ!!!」
負けるのも、諦めるのも!
もう一度、今度こそ、――本当に屈した、その時だけだ!!!
だから彼女を呼ぶ。
だから彼女へ縋り、叫ぶ。
「この自分勝手、この、自分善がりを!!!」
裏切って、一人で何処かへ逃げて、あたしを捨てておいて。
それでもあたしを友達だって宣うなら、――ああ、その言葉を信頼して、叩き付けてやる!!!
「あたしの怒りも、虚しさも、やり切れなさも!!!」
全部!
全部全部全部全部全部全部全部全部!!!
「友達だってんなら、受け止めてみなさいよッツツツ!!!!!」
軋む右腕を一杯に突き出して、血が噴き出す指を開いて。
この眼前、手のひらをかざした先へと、魔力を搔き集め発動させる。
あたしの悪意を!
あたしの闇を!!!
「……ヅ、ツツツ!!!」
満身創痍で、限界スレスレで。
それでも展開される『黒の球体』は、あの夜の全力に匹敵している。
朝焼けの空に、一点の黒点。
禍々しきは、全てを呑み込む『黒渦の魔法』。
接触した悉くを削り千切り、粉々に圧し潰す、濃密な破壊の渦。
コレが、今のあたしの渾身!
あたしの全力を――ッッツツツ!!!
「リリ、――っ!」
サリーユも、遅れてすぐさまに右手を掲げる。
全面に開かれていた本が閉じられ、背面へと飛び去り引き下げられ、――彼女もまた同様に、その身を以って魔法を構える。
煌々と揺らめき燃え滾る、焔。
彼女の持ち得る最大火力、その大剣を抜き身に携える。
「焔の――――!!!」
名を宣言する、サリーユの声が。
届くよりも先に――。
「――焔の、大剣」
あたし自身の呟きが、微かに鼓膜を震わせた。
それから目を見開いて、息を呑む。
一度この身に受けているから、更には模倣し真似てやったから、余計に分かってしまう。
躍動する焔の熱量も、内包される魔力の総量も。
それらの全てを、欠片も取りこぼすことなく紡ぎ合わせてみせる、あの子の力量も。
やっぱり埒外で、あたしたちの範疇を遥かに越えていて。
本当に、別世界の領域みたいで。
……ああ、クソっ。
……だけど、まだ、……あたしは、負けて――。
「――――大剣ッツツツツツ!!!!!!」
そして、傾き放たれた、彼女の大刃へと。
「――――――――――――――――――――――――――――――――!!!」
あたしは、こんなちっぽけな、闇を。
それでも、撃ち合わせた。




