第四章【91】「そして、夜明けに最後の」
「有言実行、事態解決。やるじゃん、ユウマ」
その声に、彼女の登場に。
空気が変容する。
ゾクリと背筋が震え、喉が渇き生唾を呑む。
それこそ、飛び起きてしまう程の緊張に――。
「ッ、が――!?」
思わず上半身を起こし、すれば当然に。
身体が悲鳴を上げ、激しく吐血した。
「愚弟め」
「ッ、あね、ぎ」
咄嗟に姉貴が傍へしゃがみ込み、背中を支えてくれる。お陰でそのまま倒れ込むことはなかったが、起きたままってのも、なかなかにキツい。
でも、悠長に横たわってはいられない。
なにしろ、目前で。
対峙する、二人の魔法使いが。
その緊張を、今以上に高めていくのだから。
「……づ」
座り込み起こした視界。
荒れた木々の向こうから、ゆっくりと現れる少女。
黒衣に身を包み、その左肩を大布で隠した、小さな魔法使い。
リリーシャ・ユークリニドが、歩み寄って来る。
まるで、俺たちの前に。
事態の収束の後で、尚も、立ちはだかるように。
「……違、う」
それは違う。
だから声を絞り上げ、サリュへと訴えた。
「違うんだ、サリュ。アイツは、……リリーシャは俺を助けに来たって!」
「知ってる」
即答だった。
こちらへ振り向くことも、驚いた様子もない。
ただ、俺たちの前に。
リリーシャから庇うように、遮るように立っていて。
「……知ってる、って」
恐らくはその通りに、サリュは既に、リリーシャの立ち位置を把握していた。彼女が俺を助けに来たのだと、知っていた。
なら、どうして。
「だったら、なんで警戒なんて――」
と、言い切る前に、気付いた。
違う。
「…………っ」
この場を包む緊張感や、競り上がっていく圧迫感は、サリュだけが発しているものじゃない。それは立ち会うどちらもが、併せ持ったものだ。
むしろ、一層に……。
「……リリーシャ」
中でも、色濃く冷たい敵意を――殺意を、発しているのは。
リリーシャだ。
「……なん、で」
その疑問に、彼女は応えない。
代わりに、姉貴が。
「落ち着け裕馬」
そう、俺を制した。
それから、動くな、と。
手出しはするな、と。
「そういう段取りになっている」
――など、と。
「段取り、って」
「リリーシャとの約束だ。契約だと言ってもいい」
「約、束。契約……?」
「ああ」
姉貴は言った。
リリーシャとは、交渉関係にある。
鬼餓島の件で、力を貸すこと。
命を懸けて戦い、片桐裕馬を味方し、作戦の成功を補助すること。
その条件に、束縛からの解放と、逃亡の自由を約束し。
それから――。
「――逃亡に際して、サリュとの戦闘行為を容認し、……一切の手出しをしない、と」
「なっ――!?」
「いいや、正しくは、――手出しをせず、手出しする者も許さない。リリーシャとサリュの間には、誰一人として介入させない。その為に尽力する。そういう話だ」
「なに、を」
姉貴、なんでだ。
なんで、そんな話に……っ!
「姉貴、なんで!」
「彼女の力が必要だった。そうだろう? そして彼女の力を借り受けるには、その条件を呑むしかなかった」
「づ!? ……でも、だったら!」
だったら、でも。
……いや、他には、……だけど。
だけど、っ!
「まあどの道お前は動けまいが。――神守姉妹! それから近くに来ているなら、ヴァンや皇子も! これからの事には、手出し無用で頼む!」
でなければ、不本意ながら、自身が立ちはだかることになる。
一切の介入を許さない為に、尽力することになる。
姉貴ははっきりと、そう宣言した。
有り得ない。
そんなの、全部終わって、だってのに。
企みがあったのは知っていた。そう公言だってしてた。
一筋縄ではいかないことだって、とっくに、分かっていた。
それでも、こんなのは――。
「リリーシャァァァアアアツツツ!!!」
血反吐の絡んだ叫びは、確かに届き。
けれども、一笑に伏せられた。
「なあによ、その顔。裏切られたとか、そんな感じ?」
くすくすと、頬を緩めて。
黙って見ていろと、嘲りを浮かべて。
「それとも分かっていたけど、なんでだって、憤慨してる?」
「つ、づづ!」
「ま、どの道まだ動けないでしょ。そこで座って見てなよ。――大事なカノジョが、惨たらしく殺される様をさぁ」
それだけ言って、彼女の視線は持ち上げられた。
リリーシャは、サリュだけを睨む。
向き合う魔法使いだけを、標的に定める。
殺意を、研ぎ澄ませる。
「改めて、サリーユ。無事でなにより。さっきは手を貸してくれて、ありがと」
「……リリっ」
「うん、そうだよー。リリ、リリーシャ・ユークリニド。サリーユ・アークスフィアが憎くて憎くて仕方がない、ヴァルハラ国の魔法使いだよ」
「……、……っ」
「へぇー、ふーん。色々呑み込んだね。どうしてとか、やめてとか、また押し問答になるかなって思ってたのに。ちょっぴりビックリ」
「……言ったら、やめてくれるの?」
「ッハ。分かってる癖に」
そして、間もなく。
リリーシャの身体が、眩い光に包まれた。
全身に浮かび上がる傷跡が、明かりを灯され、顕わにされた。
暗がりの中、照らし出された手足や頬は。
地面へと伝う赤い一筋や、未だ傷口も、開かれていて。
「痛くて痛くて、ほんとキツかった。急ごしらえだから、多分落としてるところもあるだろうし。なかなかキツい状況だけどー、……それはお互い様ってね」
「……ええ。全力でお断り願いたいわ」
「ッハ。だからこそ、って言うにきまってるでしょ」
「……ほんと、容赦ないんだから」
そうして、緊張が高まっていく中で。
一転。
スッと笑みを消したリリーシャが、冷たい声で、言った。
呟くように、語りかけるように。
サリュへと、届けるように。
「サリーユ。気が済んだら、あたし、――別の世界へ行くね」
と。
「……別の、世界」
「そ。ここよりずっと、ずっと遠く。管理だとか管轄だとかが、全部届かないところまで。そこで魔法の力を容赦なく使って、あたしの居場所を作るんだ」
それは時に、暴力的な手段を取ることもあるだろう。血を流させることも、自分が挫かれることもあるかもしれない。体裁を繕うような余裕なんて、ありはしないのかもしれない。
遠い異国は、なにが待ち受けるのかもまるで分らない。
けれど許されるのなら、手応えの無い、退屈なくらいの。
乱されることのない、平穏を。
それがリリーシャの示した、この先だった。
「と、いう訳で。あたしはここで颯爽と姿を眩ませて、気付かれない様に色々調べて、誰にも知られることなく、異世界へと旅立ちたいわけ」
「……そう」
「その為に従った、その為に戦った。その甲斐もあって、無事契約は受理されたってコトで、阻むものはなくなった。新たなスタートへの足場は、整った」
「そう、ね」
「うん、そう。――でも、ね」
でも、一つだけ、ね。
リリーシャは、サリュを見つめて、言った。
「この旅立ちの日に、花を持たせて欲しいんだ」
にこりと。
満面の笑顔で。
ふらつく足取りながら。
正面から対峙し、全身に光の線を纏わせて。
「殺されてくれる?」
と。
その殺意を、突き付けた。
「……リリ」
「ごめんね、これだけは譲れない。負けっぱなしって、悔しいから、……許せないから」
言葉とは裏腹に、浮かべられる、屈託のない笑顔。
それは本当に、仲のいい友達に向けるような柔らかさだった。
「せっかく新しいスタートを切っても、運よく平和な世界で最高の仲間を作ることが出来ても、素敵な人と出会って結ばれても。あたし、今日までのことをずっと引き摺ると思うんだよね」
たとえ未来の自分が、そんな遺恨を気にもしないくらいに成長出来ていたとしても。
今この瞬間の自分は、未来まで囚われ続けるって、そう思うから。
だから。
「だからさ、付き合ってよ、サリュちゃん」
薄闇の中で、リリーシャは。
そう呼んで、サリュへと求めた。
ああ、なんて狡い。
そんなのは、卑怯だ。
「……そう、ね」
サリュは、大きく息を吐いて。
それから合わせて気怠そうに両肩を落として、――すぐに、持ち直す。
リリーシャへと、向き直る。
「ん。分かった」
答えは決まっている。
「分かったよ、リリ。――わたし、やるわ」
「――ッハハ、ありがと。やっぱり腹が立つくらい優しいけど、笑っちゃうくらい頭良くないね、サリュちゃんは、さ」
「言いたい放題ね。……それじゃあ、わたしも言わせて貰うけど」
サリュもまた、その右手を正面に突き出し。
虚空へと、一冊の本を取り出して。
「――リリがここでまた負けても、次はないから。そこは頑張って呑み込んでね」
そう、宣言した。
そうなれば、もう、姉貴が抑える必要もない。
これは二人だけの、決闘だ。
「ッハ! 言ってくれるじゃない、――上等よ!」
そうして、最後の火蓋が、切って落とされた。
立て続けに巻き起こる爆発、粉塵。
二人の姿は煙に巻かれ、けれど彼女らの強大な力そのものが、光を放ち所在を示す。
逃げも隠れも出来ず、――否、その必要は無い。
彼女らの力とは、そういうモノだ。
始まりと同時に、リリーシャが声を上げた。
「絶対に勝たせない! サリュちゃんが言ったことよ!」
高らかに、嬉々として、
「あたしは花を咲かせるのが、誰よりも得意だって! お前よりも、ずっと上手だって! ――だったら、自分で持つ花は綺麗に出来て当然でしょ!」
ああ、クソっ。
もうどうすることも出来ないし、どうにもしちゃいけない。
口を挟むことも、手を出すことも、許されはしない。
二人だけの、二人だけで、二人にしか――。
これは、真にこの場の全てを終わらせる為の。
必要な、最期の戦いだ。




