第四章【89】「これからもここに、一緒に」
「バカ! バカバカバカバカバカ! ユーマの大バカ!!! 分からず屋!!!」
その瞳から、大粒の涙をこぼして。
声を震わせて、歯を見せて、両手もぎゅっと強く握り締めて。
「強くなんて、……強いわけが、ないじゃない!!!」
全身全霊で、サリュが、言った。
「こんなにも言ってるのは、あなたが死ぬのが怖いからに決まってるじゃない!!!」
それからは、もう、止まらなかった。
彼女は自身の言葉だけを、サリュの都合だけを。
サリュの想いと、願いだけを。
「あなたが居なくなるのは嫌なの! あなたが遠くに居るのも耐えられなかったの! あなたがそんなになっても、それでも、生きているだけで無事だって、心の底から安堵出来たの! それくらい怖くて、怖くて怖くて仕方がなかったのに!!!」
「分からず屋! わたしは、――わたしの為に生きてって言ってるの! わたしはあなたが必要不可欠だから、絶対に失いたくないから、命を懸けて助けに来てるの! 勘違いしないでよ、大バカ!!!」
「わたしはユーマの願いを叶えに来たんじゃなくて、わたしの願いを叶えに来たんだから!!!」
「だから終わらせない。死なせてなんてあげない。わたしはわたしの為に、あなたを絶対に連れて帰る!」
「戦うのが嫌で、痛いのも嫌で、辛いのが嫌で、失うのも嫌で。ユーマは不幸になることを嫌って、不幸になりたくないって叫ぶけど、――わたしは、違う!」
「わたしは幸せになりたいの!」
「運命の人と出会って、幸せになるの! その為にこの世界に来た、その為にここまで戦ってきた! だからっ!」
「だからわたしは戦う! 痛くたって、辛くたって、怖くたって、絶対に諦めない! ……たとえそれが許されなくたって、誰かを傷付けることになったって、――それでも!」
「わたしは幸せになる為に、何度だって戦える! その幸せを祝福してくれる人たちを守る為に、戦ってみせる!」
「……ユーマが死んだら幸せになれない。ユーマが死んだらみんなが悲しむ。それじゃあわたしの望みは、なにも叶わない。全部が失敗で、全部がおしまいなの」
「だから、絶対に死なせたりなんてしない。――これだけは、譲れない」
「それに、人の所為ばっかりにしないでよっ!」
「この世界へ来たのはわたしよ! ――だけど、そんなわたしを助けたのは、ユーマでしょう! ユーマがわたしに触れて、わたしを引っ張り出してくれたんでしょう!」
咄嗟に、口を挟む。
「お前、ッ!」
それは、その時の話をするなら、っ。
「そうだ! 俺がサリュを助けた! サリュに手を伸ばした! ああ、それで始まったって言うなら、それでもいい! でもな!」
あの時、お前は。
「そしてそんな俺を、お前は殺そうと――」
「そうよ! 殺そうとして、だけど――死にたくないって言ったんじゃない!!!」
「――――――――」
「ユーマが死にたくないって、わたしに縋ったんじゃない!!!」
「――――――――――――――――あ」
ああ、そうだよ。
そう、だったんだよ、馬鹿が。
「だったらどうして、あの時に死ななかったの! ユーマの言う通り、なにかが起こる前に、わたしの干渉を受ける前に、死ぬことが出来たじゃない! あの時に死んでいたら、それでよかったって話じゃない!」
それを、死にたくないと言ったのは。
それを、生きようとしたのは。
「都合のいいことばっかり言わないでよ!!!」
サリュが、叫んだ。
サリュが、俺を突き刺した。
「あの時あなたが死にたくないって言ったから! あの時あなたが、結婚してくれって言ったから! だから、――わたしは始まったのに!!!」
「――――――――あ、あ……」
「死にたくない、あなたがそう言ったから始まったのよ! 責任を取る、そうも言ったのよ! 忘れてない、――忘れないっ!」
「――――あ、……が」
サリュが、並べる。
それらはすべて、あなたの言葉だと、行動だと。
「その夜ヴァンに襲われていた時も、助けてくれって言ったわ! 必死に戦って、必死に足掻いて、生きようとしてたじゃない!」
「リリが来た時にだって、懸命だった! それに、わたしを励ましてくれた! 受け入れる、逃げない、どうしたいって、わたしに手を差し伸べてくれた! 鬼に呑まれそうになっても、戻って来てくれた! ……それは、わたしと居てくれるから、戻って来てくれたんでしょう?」
「クロと戦った時も、一緒に来てくれた! ドジして倒れたわたしを守ってくれたり、がしゃどくろとの戦いでも、わたしを支えてくれた! わたしと、戦ってくれていた!!!」
「わたしだけじゃない、ユーマもそうだったから! わたしたちはみんなで、ずっと今まで戦って来たんじゃない! 生きようとしてきたじゃない!」
「わたしは一人じゃない。ユーマがみんなと繋いでくれたから」
「あなたも一人じゃない。わたしの手を引いてくれたんだから、わたしと一緒だったんだから。一人だけで終わるなんて、――そんなの、酷過ぎる! 見過ごせない、諦められない!」
だから。
だか、ら。
「絶対に、逃がさない」
サリュが、両手を左右に広げる。
遮るように。言葉の通りに、逃がさないように。
それから。
自分も決して、逃げることは、しないって。
受け止めて、――受け入れてくれるように。
「ユーマ」
「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
今度こそ、俺は。
ただ叫ぶ以外に、言葉を返せなくて。
なにも言えないままに、拳を振り上げることでしか。
サリュの頭を、力尽くで。
どうあっても譲らない彼女を、叩き潰そうと、して。
ああ、でも。
やっぱりそれこそ、出来る筈が、なくて。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!!」
だってこの叫びは、この情動は、とっくに片桐裕馬で。
この拳だって、片桐裕馬が握り締めていて。
それを、彼女に目掛けて、――馬鹿の一つ覚えみたいに、ずっと俺が必要だって、そんなことを言ってくれる相手に、対して。
暴力を、破壊を、……死を。
振り下ろせる筈が、なかった。
「あああああ、……ああ、……ああああ、づ」
俺は、諦めた。
「……あ、…………ああ」
だってこれは、全部、俺が招いたことで。
死にたいのが、俺の所為だってんなら。
死ねないのも、俺の所為だ。
嫌だった。
生きるのも、戦うのも、苦しいのも、辛いのも、先が続くことも。
でも、嫌だった。
彼女をそのまま潰すのも、彼女の言葉を否定するのも、彼女の手を払い続けるのも。
前を向く彼女を、ただ終わりたいだけの俺が、引き摺り落とすのも。
そんなのは、……我慢出来なかった。
それを我慢出来る程に、強い筈がなかった。
もはやこの手は、地面を叩き付けることもない。
気付けばだらりと、力が入らなくなって、両腕を下ろして。……見ればあれだけ真っ黒だった手のひらも、元通りの頼りないモノに戻っていて。
膝を落とし、そのまま前へと倒れ込めば、柔らかな温かさに抱きとめられる。
ああ。
額にも、もう。
それを阻んで拒絶する角が、削ぎ落されて残っていなくて。
……情けねぇ。
散々喚いて、暴れ回って、それで。
結局は、まんまと。
手の内に収められて、思うままって話。
でも、それが。
だって、それが。
「――あなたが好きなの、ユーマ」
抱きしめ囁かれた、その言葉が。
「…………あ、あ」
聞けてよかった、って。
馬鹿正直に、そう思えた。




