第四章【88】「諦められない」
「わたしは絶対に、あなたをここで終わらせないわ」
そう断言して、サリュが、一歩を近付く。
構うことなく、もう一歩も踏み出す。
決して遠い距離じゃない。
その気になればすぐにでも駆け寄って、手を差し伸べられる、その近くで。
「死なせない。殺したりなんて、……出来ない」
それでも一歩ずつ、ゆっくりと。
優しく、俺のところへ近付いてくる。
「ユーマ。わたしには……」
ああ、分かっていた、だろうが。
言えばよかった、なんて、我ながら支離滅裂だ。
「わたしには、――あなたが必要よ」
それが分かっていたから、俺は。
言葉ではなく、脅威で訴えるしかないって、拳を握ったんだ。
「ザ、リュ……ヅ!」
殺してくれないって、終わらせてもらえないって。
絶対に、諦めてくれないって、分かっていたから。
「――あ、アアアアアアアアアア■■アア■■■!!!」
絶叫を絞り出す。
やがて火矢の消えた穴だらけの両腕に、鬼血を巡らせ紫電を振り撒く。
骨芯を戻せ! 肉を繋ぎ合わせろ!
鬼血の硬化を、強靭な腕力を、暴力を膨れ上がらせろ!
彼女を潰す程に!
それ程までのモノだと、思い知らせる為に!!!
そんな俺に、サリュは。
「嫌。わたしも嫌なの。ユーマが居ないのなんて、嫌」
そう呟く。
言葉を、紡ぐ。
「……あなたのことを、オトメに聞いたわ」
鬼という妖怪についても、鬼狩りという組織についても。
そんな中で生まれた、片桐の鬼という存在についても。
それからその鬼の子が、どういう経緯の果てに、片桐裕馬という名前を与えられたのか。
如何に取り繕われた、ハリボテだったのか。
その全てを、知っている。
サリュは、知ってしまった。
「あ、アア、■ア■■■……!」
「だけどあなたと離れてから、この島でなにがあったのかを、わたしは知らない。なにがあなたをそこまで追い込んでいるのかが、分からない。――誰かを殺したってことも、今聞いて、驚いて……」
「ヅヅ■■■! それ以上の説明は、要らねぇだろ■が!!!」
人を殺した。
こうまで成り果てた。
死にたがっている。
それだけで、それ以上に。
一体、なにが要るっていうんだよ!!?
「限界だってのは、見れば、分かるだろォオオオ!!?」
「……そうね、分かるわ。だから、っ」
だから、尚更に。
「帰りましょう、ユーマ。休みましょう。それで、一緒に考えましょう」
「フザけ――――ヅヅ■ヅヅ■■■ヅ!!!」
途端に、持ち上がった両腕を振り上げ、叩き付けた。
容赦も加減もない、渾身の一撃。繕い治してすぐの剛腕は、けれどもまるで劣らない。
大地を割り砕く程の一撃は、衝撃と土煙を巻き上げ、その破壊力を表し――。
だが、またしても。
「……ユーマ」
「ヅヅヅヅヅ!!?」
サリュは、一歩も動くことなく。
叩き付けた拳の、ほんの少し向こう側で、また一歩を俺へと踏み入った。
伸ばしたその右手の、指先で。
膨れ上がった黒い拳へと、触れるように。
「――ヅ!!? 来るなァァァアアアアアア!!!」
途端に、飛び退く。
寸前にまで迫ったサリュから、大きく後ろへ引き下がる。
跳ねた泥や旋風が彼女の頬を撫で、激しく髪や衣服をはためかせ。
構いはしない。
彼女は尚も、俺へと歩みを進める。
脅したところで、距離を開いたところで、叫んだところで、――サリュは。
アイツは、言葉の通り、――絶対に。
「アアアアア■アアア■■アア■アアアアアアアアアア■■■アアアア!!!」
「罪の意識が辛いなら、一緒に背負うわ。それから逃げようとしてるなら、引き留めるわ。死んで終わりは、違うと思う」
「フザ、けんな!!! その先には、どの道、死だ!!!」
「いいえ、償える筈よ。――それでも、許して貰えないなら、その時こそ逃げればいいわ」
「逃げ切れない! どうせ、死ぬ!!!」
「どこまでも逃げればいい。この世界で逃げ切れないなら、別の世界へ行きましょう? ここではない、遠くへ。そうすれば……」
「無理だ! 絶対に追い付かれる!!!」
「追い付かれないように、ずっと遠くまで行けばいい。――それで、そこで新しい居場所を作りましょう。世界は沢山あるのだから、きっと、どこかで生きていけるわ」
「不可能だ!!!」
無理だ!
無理だ無理だ無理だ!!!
それに、たとえ逃げられたって……っ。
「どこに行ったって、俺が鬼であることは変わらない! 俺は、俺が、俺って存在が、害悪でしかない!!!」
「鬼であることが嫌なら、……それも、どうにかする方法を探しましょう。暴走しないように、或いは、血や種族そのものを変えることだって。簡単にとはいかないでしょうけど、どうにも出来ないとは、言い切れないわ」
「希望が過ぎる! 夢物語なんだよ! 異世界は、そんな便利なモンじゃねぇ!!!」
過酷なものばっかりで。
辛いことばっかりで。
そんな、都合のいいものなんて、用意されている訳がない。
「無理だ無理だ無理なんだよ! そんなことをするくらいなら、しないままに終わらせてくれよ! その方がずっと楽で、なにもならなくていい!!!」
「……っ」
「なんで分かってくれねぇんだよ!? ああいいさ、だったらいっそ、納得してくれなくてもいい! それでも、俺がこれだけ望んでいて、これだけ追い込まれていて、もう終わりたいんだって、それは伝わるだろ!!? それは聞こえてるだろ!!?」
「……ユー、マ」
「もういいから! もういいんだ! なんの説得も、なんの納得も要らない! ただ殺してくれって、それだけなんだよ! それ以外にはなにもないんだよ! なぁ、サリュ! サリュッツツツヅヅヅヅヅ!!!」
どうにもならない。
どうにも要らない。
殺してくれ殺してくれ殺してくれ殺してくれ殺してくれ。
なにもなくて、苦しくもない、終わりをくれ。
ただそれだけを縋った。
吼えて、喚いて、懇願した。
……だから。
「…………いい、加減に、っ」
それで、遂に。
サリュも、声を上げた。
「……仕方がないじゃない、――当たり前じゃない!」
叫んだ。
「全部が楽には、思い通りには、いかないわよ! いくわけないわよ!」
大きく、踏み込んでくる。
一層、詰めてくる。
逃がしてくれない。
殺して、くれない。
「あなたは鬼として生まれた! この世界は、鬼に優しい世界じゃなかった! あなたの苦しみは理不尽で、あなたの困難は不条理で、だけど仕方がないもので……。同情だってしてる! でも、じゃあそれで終わりって話にはならないでしょう!」
全てが閉ざされた訳じゃない。
抜け道がある。同じ立場で生きている妖怪たちがいる。隠れてやり過ごすことが出来る。
それが無理でも、知っている。この世界に拘る必要がないことを。こことは別の場所があることを、行けることを、知っている。
他でもない、妖怪という外れた存在だから。
外れた方法を、知らされている。
「生まれや待遇に不満があるのも、それが嫌だって立てなくなるのも、……仕方がないって思うけど。だけど、だからって、もう全部を投げ出して終わるのは、――哀し過ぎる!」
「黙れッ!」
勝手に訴えるな!
「来るなッ!」
勝手に踏み込んで語るな!
「――お前に、なにが分かる!!?」
お前に。
俺以外に、なにが――。
「分からないわよ! 分からないから、諦められないのよ!」
気付けばサリュは、涙をあふれさせて。
眉を寄せて、目元を赤くして、そんな顔を拭って、余計にぐしゃぐしゃに歪ませて。
それでも苛烈に、訴え続けた。
「分からないよ! どうしてユーマが頑なに終わろうとするのか、ちっとも理解出来ないよ!」
「……っ」
「なにも我慢しろなんて言ってないじゃない! 苦しいって言えばいい! 嫌だって叫んでくれていい! 辛かったんだって、泣いてくれたっていいの! 今だって、殺したくなかったって、もう戦いたくないって、そう訴えてくれれば、それでいいじゃない!」
「……違、う」
「帰って来てほしいの、休んでほしいの、……一緒に居てほしいの! 平気になるまで立てないままで居てもいいから、立ち上がれなくても、いいから……っ」
「……違う、違う!」
「違わない!」
断言する。
違っていない、と。
「世界に認められる必要なんて、ないじゃない!」
だから違わない。
「違ってたって、わたしは、わたしたちは構わないから!」
だから違うでは、否定させない。
「あなたを許す、わたしと生きて! あなたに居てほしい、わたしたちと生きて! あなたを否定する誰かなんて、どうでもいい!」
だから、
――だから。
「そんな知らない誰かを理由に、死のうとしないで」
サリュは、そう懇願した。
「わたしが嫌いだって言うなら、わたしがここから居なくなって、それでいいから」
それは。
それだけは、違う。
「そうじゃない、よね? そうじゃないって、思ってもいいよね? なら、――わたしたちの為に、生きてよ」
帰って来て。
今はただ、それだけでいいと。
「知らない誰かを恐れているなら、その必要はないわ。だってその人たちは、……わたしたちを知らないままに、交わらないままだわ」
なにも思わない。察することも出来ない。
嫌うことなんて、出来る筈がない。
街で起こった破壊の真相も、異なる世界や常識外の存在も、今この島で引き起こされていることも、多くの人はなにも知らない。
恐らくずっと、知らないままだ。
「わたしたちを知っている誰かだって、かいつまんだ話を聞いてるだけよ。決めつけられたって、怒ったり落ち込んだりしても、絶望する必要はないじゃない」
知られていても、関わっていないなら。
そんなのは、なにも始まっていないのと変わらない。
「知らない誰かなんて気にしないで。これから関わる誰かが怖いなら、怖がられないように頑張りましょう。大丈夫だって、一緒に居ようって、強がりからでも始めましょう」
そこで立ち止まっても、仕方がない。
そこで歩けないなんて、時期尚早にも程がある。
足を折ってしまうのも、終わりの線引きをしてしまうのも。
あまりにも、早過ぎる。
「だから、ユーマ――」
「――――煩いッツツツヅヅヅヅヅ!!!」
声を上げる。
もう手の届きそうな彼女に、吼える。
その最後の一歩を、踏み込ませない為に。
馬鹿みたいに大声で脅して、諦めてくれって、訴える。
「オマエはッ!!! お前は――ッヅヅヅ!!!」
お前は。
お前は……ッ。
「――――……お前は、強過ぎる……っ」
そんなの、俺には。
そこまで、俺では。
強くなんて、なれない……。
それを。
「強く、なんて……」
サリュは。
「強くなんて、ない!!!」
そう、声を上げて断言した。
「わたしは、――強くなんてないっ!!!」




