第四章【86】「三つ目の終結と――」
脳裏を過ったのは、本土の街並みだった。
図書館に攻め入る前日に、鴉魎と飛び回った、あの夜の景色が。
なにもねぇ、くたびれた島とは全然違う。夜が深けても明るいままで、人の通りもなかなか途切れず、色んなモンが縦横無尽する。
鴉魎の提案で、似合わねぇ菓子ばっかり食わされた。ビカビカ眩しくガンガン煩い店で、ジュースかよって感じの薄くて甘ぇ酒を飲まされた。
アイツはいつもの冷えた笑顔で、だってのに、軽快な口調で言葉数も多くて。
オレだってくだらねぇってグチグチこぼしながらも、なんだかんだ、全部口に入れて、味わって、楽しんで。
知識にしかなかったモンを、本当に、この目に見せられて。
アイツは一体、なにを思っていたんだろうか。
その時には既に、悍ましい絵を描きやがって、こうなっちまうように仕組んでやがったクセに。
オレも、どうだったか。
これから施設を襲って、クソ野郎を奪いにいって、あわよくばブチ殺してやろうって、企みながら。
なんだ、どっちもどっちじゃねぇか。
……あァ、心底。
綺麗なだけのモンなんて、なにも残ってねぇよ。
◇ ◇ ◇
懐で、炎が炸裂した。
「■■■――――ガ」
絶叫が、掻き消される。
感情のままに震わせた怒りが、更なる轟音に上書きされる。
なにかの妖怪の力か、それとも単純な爆発物を使われたのか。いつの間に、だったのか。どこで誤って、差し込まれたのか。
狂気に霞められた理性では、なにも、分からなくて。
気が付いたら、熱さと痛みに遅れて、爆炎で腹を開かれていた。血肉も骨も全部飛ばされて、撒かれて、暴かれた。
より堅牢に守られていた、この身体の真核も、周囲を千切られては保ち続けることが、出来ない。
視界に、宙へと放り出された、――脈動する心臓が。
ソレへと。
鬼人が、迫り来る。
「――――――――っヅ!!!」
硝煙を突き抜け、爆炎に焼かれるのもお構いなしに。
炸裂した破片に穿たれることも、その足を止めるには及ばない。
鬼は目を見開き、牙を剥き。
血と紫電を散らせる右腕を、振り上げ、距離を詰めてくる。
このオレに、トドメを刺す為に。
「――――ガ」
だらりと、広げられた両腕が動かない。感覚もなく、指一本を震わせることすらも出来ない。足だって踏ん張るのに精一杯で、飛び出すことも、崩れ落ちることさえ自由がきかない。……なんなら、熱も痛みも全部、もうとっくに感じられなくなって。
こうまで傷付けられては当然に、全身全霊で塞ぐのに注力だ。動かない腕の代わりを作る余裕も、到底有り得はしない。
手も足も出ない。
オレは放り出された心臓に、ヤツを迎え入れることしか出来ない。
やられた。
「バ、ガ――ヅ」
負けた。敗れた。殺されて、終わる。もう身体が持たない。
クソ鬼相手だけじゃない。この屍どもや、雪女やクソ騎士や、果ては魔法使いの女や、――同じ鬼狩りだった、アイツにまで。何度も割られて、何度も殺されて、その度に塞いで立ち上がり続けてきた。
それも限界だ。
既に疲弊していたところを、骨の巨腕で全部削ぎ落されて。回復も硬化も強化も追い付かなくされ、更に追い込まれ、追い詰められた。
「――――」
畜生が。
そして、ヤツは、――片桐の鬼は、その右腕を振り下ろし。
「魁島ァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
オレの心臓は、尖れた黒爪を受け入れ。
握り潰され、破裂した。
「――――――――」
パッと広げられたのは、真っ黒な、ヘドロみてぇな血で。
最期の最期まで、ほとほとに、クソな人生で。
だが、まァ、……ナニもないよりは、ずっといい。
これからも続くよりも、ずっと、マシだろ。
「ガ――――」
死ぬ。
それに今更驚くことはない。
ただ、コイツに殺されるのだけが。
コイツが生き続けるのだけが、どうしようもなく。
悔しかった。
赦せなかった。
「――――――――ヅ」
その上、なんだその目は。
せめて勝ち誇っていれば、殺しを愉しむサイコ野郎と罵ってやったのに。眉を寄せていれば、勘違いの偽善野郎と吐き捨ててやったのに。狂気に呑まれていても、化物と、そう突き付けてやれたのに。
ワザとらしく、雑な怒りで取り繕いやがって。
「――――ハ、ッ」
テメェ、自暴自棄じゃねぇか。
狂気でもなければ、正気でもねぇ。どこまでもクソだよ、オマエ。
だから、残す言葉はコレだけだ。
「――――憐れむな」
そのまま死に逝く時か、もう一度、馬鹿みてぇな理想で立ち直った時か。
どちらにしろ、正気に戻って間抜けた面を晒しやがった時に。
決して、オレに遺恨を残すな。
そんなふざけた真似だけは、絶対に赦さない。
好き勝手に吼えて、好き勝手に苦しんで。
雁字搦めにされた中で、精々死にやがれ、クソが。
「――――…………あァ」
意識が落ちる、その寸前。
今更に、知覚する。
鴉魎の気配が、ない。
どうやらアイツも、終わっちまったみてぇだ。
正真正銘、これで、鬼狩りも――。
「………………………………クソ、っ」
幾らかはマシだろうが、やっぱり最悪の気分だ。
――最悪の、最期だ。
黒ずむ視界、最期に視えたのは。
開かれた頭上に、ずっとあった、物寂しい唯一の、光だった。
◆ ◆ ◆
「――――憐れむな」
そう残して、男はその身を崩れさせた。
両腕を左右に広げたままに、仰向けに倒れ込み、やがては微かに震えることすらなくなる。紫電の明滅も、拭い去られる。
准鬼将、魁島鍛治はここに死んだ。
大きく疲弊しトドメを刺されたヤツは、完全に息絶えた。
俺の手によって、心臓を潰されて。
俺に、殺されて。
「……づ、う」
握り締めた右手を広げれば、ボドリと零れる肉片と、それから泥のように濁り粘った血流が滴る。ソレも微かに紫電の線を発したが、ここから振り戻されるのは、不可能だった。
終わらせたんだ。殺したんだ。
俺が、この手で。
殺した。
あの日に庇って飛び出してきた、鬼狩りのように。
殺した。
襲い掛かってきた、年端もいかない少年たちのように。
殺した。
リリーシャの不意を突こうと迫っていた、あの二人のように。
殺した。
図書館を滅茶苦茶にして、千雪やヴァンを傷付けて、――俺に何度も化物だって突き付けて、相対し殺し合ったその男を。
俺や仲間を傷付ける、ソイツを、殺したんだ。
「…………俺、は」
俺は間違ってない。
仕方がなかった。
そうしなければいけなかった。
そうすることが役割だった。
コイツを上回ることが、コイツを仕留めることが、コイツだけは絶対に殺さなければいけなかった。
だからそれを全うしたんだ。
和解の道なんてなかった。
許される筈がなかったし、許すことも出来なかった。
コイツと俺は絶対に交われない、正反対で、どちらかが死ぬ以外になくて、だから死なせるしかなかった。
奪われたくないから、壊されたくないから、奪って壊すしかなかった。
これが最善だ。
これが最高だ。
こんな最低最悪で後味の悪いモノが、今の俺に選べた唯一ってヤツで、それ以外には有り得なかったから。
俺は、その最高に。
目指していた絶望の先に、辿り着けたんだよ。
なぁ?
これが一番、良かったんだよなぁ?
多くの命を奪って。
交わらない主張を、ただただ叩き付けあって、罵りあって、否定を続けて。
その先で、相手を捻じ伏せて、それで――。
「……………………そう、なんだよ」
自問自答なんてしなくていい。
誰かに聞く必要もない。
きっと、自他共に誰もが認めてくれる。納得してくれる。
俺はよくやった。
俺は達成した。
これが、最善の結末だ。
「……………………ああ」
だから。
……だから、さぁ。
――もう、嫌なんだよ。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
もう嫌だ。
もういい。
役目も果たせた。
だから、終わろう。
終わらせて貰おう。
死ニタクナイ――――黙れ。
生キタイ――――黙れ。
自分ノ為ニ――――黙れ!
誰カノ為ニ――――黙れ!!!
俺は、もう。
生きたく、ないッ!!!
「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――!!!」
絶叫する。
空を仰ぎ、咆哮を散らす。
加速する鼓動が全身に血を巡らせ、骨と肉が繋ぎ合わさり、崩壊を上回る勢いで全てが上書きされていく。
軋む軸を補強しろ! 剥がれる外皮を更に重ねて、この身体を膨れ上がらせろ!
持てる全てを発揮して、暴れ回れ!!!
もう嫌なんだよ。
痛いのも、怖いのも、戦うのも、奪われるのも、奪うのも。飼い馴らされるのも、暗闇に閉じ込められるのだって、御免なんだよ。
なにも感じたくない。
生きていたくない。
だから暴れろ! 全部壊せ!
もう取り返しがつかないって、終わらせるしかないんだって、そうなるくらいに!
化物なんだから、それくらい、出来て当然だろうが!!!
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――!!!」
「……片桐、裕馬」
向けば、彼女らが。
神守姉妹が、俺を見ている。
神守黒音は未だ地面へ倒れ伏せ、僅かに首だけをこちらへ傾けて。傍らにしゃがみ込んだ神守真白は、静かに見据えて、なにも言わない。
神守なら容赦はしないだろう。以前のように、問答無用で殺してくれる。ただ襲い掛かればそれだけで、害敵とみなし力を振るう筈だ。あの骨腕で磨り潰して、終わらせてくれる筈だ。
必要があると、そう認識させることが出来たなら、アイツは俺を。
そうやって暴れていたら、時期にヴァンたちも現れて。こう成り果てたら千雪や姉貴だって、流石に許容出来る筈がなくて。
リリーシャやアヴァロン国の皇子様も、絶対に処分してくれる筈で。
だから大丈夫だ。俺は今日、絶対にここで。
この先まで苦しむことなんて、怯える続けることなんて、なくていいから。
俺の望むとおりに、それこそ、次の最善に辿り着く為に。
その結末が、全部、めでたしめでたしってなるから。
だから――――っ。
「ユーマ」
来たる、その声に。
訪れた彼女へと、俺は、振り返り。
向き様に、勢いのままに。
この膨れ上がった右の拳を、撃ち放った。
予想外だったのは――。
「――――は?」
彼女が、そんな見え見えの一撃に対して、なんの防御も行わなかったこと――と。
この拳が、なんの抵抗もなく、それでも。
彼女の寸前で、ピタリと止まってしまったことだった。
「――――――――」
果たしてこれこそが、なんらかの魔法による干渉だったのか。
……いいや、きっと違う。彼女はなにもしていない。だって、なにも感じられていない。不思議な光も発さなければ、手や指を動かしてもいない。
確信する。
彼女はなにもせず、ただ、俺の名前を呼んだだけで。
止まったのは、――俺だ。
当たり前だ。少し考えれば、分かる。
だって、アイツが傷付けるから、奪うから、壊すから、殺したのに。その為に、痛いのも苦しいのも我慢して、死に物狂いで挑んだのに。
なんの抵抗もしてくれないなら、それを。
殴り付けることなんて、出来る筈がないんだから。
「ユーマ?」
高くなった声色に、伸ばされた腕を戻せば。
膨れ上がった拳の向こうに、隠れてしまっていた、彼女が。
小首を傾げる、サリュが。
「……あ、……あ」
唯一、どうあっても、終わらせてくれなくて。
終わらせなくてもこの場を収めてしまう、最高の魔法使いが。
俺の前に、立ち塞がった。




