第四章【84】「私の肩入れ」
目前で膨れ上がる闘気と殺意。
衝突した二者の鬼から発せられるそれらが、一層研ぎ澄まされモノであることを感じ取る。
決死と、相応する覚悟。肌を撫で息を呑ませる張り詰めた緊張は、まさしく、決着への最終局面。
いつかに見せられた、夜闇を照らす必殺の灯のように。アレに匹敵する程でなくとも、この重圧は、紛れもない。
間もなく終わるのだと、そう確信する。
「……真白っ」
そして、その決着は。
この場に居合わせる私たちによっても、大きく左右されてしまう。
「加減なしのデカいのお願い! 私が、――前に出て入り込むからッ!」
「うんっ、任されたよっ!」
不釣り合いな明るい返事と、不謹慎にも歯を見せて頬を吊り上げ。
けれども言葉に偽りはない。真白は容赦も躊躇いもなく、背面より巨大な骨腕を夜空へと掲げ、振り下ろした。
それが大地を叩くと同時に、私も走り出し、爆心地へと詰め寄る。
そこで縺れ合い、命を削り合い。
殺し殺され続ける鬼たちの狂乱へと、混ざり入る――ッ!
「ア――アアッ!」
両手の刀剣を左右へ広げ、後退する鬼へ。追い縋る片桐裕馬よりも、一手先んじて。
懐へ、飛び込み。
私は右手に取り出した深黒のナイフを、標的の心臓目掛けて突き出した。
「ヅ、――ザケッ!!!」
当然、真っ向勝負は通されない。
すぐさま振るわれた右刀が、その右腕を手首から断ち切った。
だけど、出血はない。痛みも、赤みを帯びた刃から伝わる熱さも感じられない。
落とされた腕の先からこぼされるのは、黒く腐食した肉の塊たちで。
その奥から、私は。
研ぎ澄まされた一突の骨棘を、刺し撃ち出した。
「――ゴ!!?」
だが不意打ちは、命中に届かず。寸前、ぐるりと身体が捻じられ、刺突は彼の左肩を穿った。
肉を沈ませ骨を砕き割り、貫通せしめたその先端が、向こう側から覗かれて。
直後には、逸らされた棘が返す刃で折り弾かれる。
だけでなく、瞬く間に振るわれた左右の刀剣は、私の喉元へと伸ばされ、複数の斬撃が骨身から肩口へと駆け上がり――。
「――っ」
右腕の外皮を、完全に斬り剥がされた。血も通わずに神経も潰れ、ドチャリと落ちるだけの死肉が、一帯へと散らされた。
恐らくは、立ち込めた腐乱臭に男が顔を顰める。けれど生憎、私にはそれすらも感じ取ることが出来ない。変わらず肉を削がれた痛みも、その刀捌きへの驚きすらも、どこか緩慢で目を見張る程には感じられなかった。
ただ淡々と、肘まで落とされ亀裂だらけの右腕を、骨身のままに持ち上げて。その断面から黒い塵が撒かれ、巻き戻しに腕の骨が再生されていって。
重ねて私は左手に、虚空より一丁の銃を取り出し、――引き金を弾いた。
合計六発。連続する発砲音が、瞬きに遅れて轟かされる。もっとも重なる低い衝突の響きが、それらの弾丸が阻まれたことを明らかにするが。
威力や速度が増され、小爆発すら施された強弾は、彼を僅かに退かせる。ソレそのものが必殺でなくとも、必殺へと繋がる一手となる。
次手、私は形を取り戻した右の骨腕を突き出し。
同時に、私の左へ隣り立った片桐裕馬もまた、黒塗りに覆われた右腕を振り抜いた。
切り返す斬破が私たちを斬り刻み、それでも。
二つの拳は勢いのままに、標的を強打し弾き飛ばす――ッ!
「――ゴ、■ボド!!?」
バキリと胸部や腹部に亀裂を入れ、内側へと沈ませるが、この程度では駄目だ。
私たちは更に、殴り飛ばした鬼人へと詰め寄り――。
同時に、私たちを大跨ぎに伸ばされた巨大な骨腕までもが、振り落とされて地面を叩いた。
地割れを起こし、土草を巻き上げる程の一打。
大樹を諸共に圧し潰す強撃を、転がり躱し切る。即座の反撃はなく、彼はそのまま木々の残る場所へと身を引く。
未だ紫電の明滅が続くその状態を、この機会を、決して逃しはしない。
「まだ――ッ!」
再度飛び出す私へ、続く片桐裕馬へ。
鬼人は前のめりのままに、血反吐をこぼしながら、――喚き、訴える。
「なン■■■! なン■、■ンデ、な■デ、なン■■■■■――――ッヅヅヅ!!!」
なんで、こうなるんだ。
こんなのは、赦される筈がない、と。
「■■■!!! ――人喰いのクソ鬼がァ、ソレも、死体ノ女に助けら■やがッてェ!!!」
「貴方がそれを言う? 私を殺した、貴方が、ッツ!」
「■■、あァ? テメェ、――――ハッ、そうかよ! よく見りャあテメェ、あの図書館ノ時■、面倒臭ェ肩代わりノ女かよォ!」
「そうよ。あの時殺された、その女よ――ッ!」
「だッたらそのまま死ンで■がレよ! 生気もナニも感じられねェ、気持ちの悪ィ屍がァァァ■アアア!!!」
獣のような四つ這いから、弾丸のように跳躍する。
瞬く間に左右の木々へと走り入り、月を遮る大葉らの下、夜闇に紛れ。
気付けば斬撃が左腕を駆け上がる。肩口を大きく削り取る。
脚部や腹部や、首元までもを開かれ肉がこぼれる。
先程までとは打って変わった、繊細で鋭利な連撃。
そしてその刃らには、叫びが乗せられている。
「なンで出て来やがッた! ソレも、ソイツを助けるッてかァ!? テロリストなンてつくづく頭のめでたい女ダと思ッていたがァ、いよいよイカレてやがる! 人殺しと人喰いの共存なンざ、吐き気がする!!!」
「ッ、――なに、をヅ!」
「それともアレかァ? テメェの獲物だから手を出すなッてかァ? そうだよなァ、テメェのテロを妨害した組織の男だァ! それも直接ぶつかり殺し合ッたッて情報も入ッてる! 認め合う、生かし合うなンざ、有り得ねェよなァ! アァ!!?」
「――生憎と、その有り得ない、よッ!」
背面より、不意打ちに骨腕を振るい、その右拳と二剣を打ち合わせる。
私もまた喉を晒し、声を上げながら。
「言ってしまえば役割で、条件で、命令よ! 私は片桐裕馬を助けることで、報酬を得ようとしている! 物やお金や、信用や立場! 私は私の為に、彼に肩入れしているだけ!!!」
「ンな訳ねェだろうがァ!!! テロなンてやり方で離反を形にするような女がァ、見え透いた仮初の利益なンてモンに飛びつくかよォ!!!」
「……ハッ。もっとも過ぎる指摘、ねっ!」
鋭敏な剣捌きや、身を削りながらも最小の傷で攻撃を切り抜ける選択。
暴れ回る狂気とは裏腹に、真っ当以上に見えているし、分かられている。
厄介極まる。果たしてこの身体でなかったなら、何度終わらされていたか。
一度敗れているから余計に、勝てる気がしない。
これまで相対してきた誰よりも、手強い。
難敵だ。
「オオオオオオアアアアアアアアア!!!」
雄叫び、割り入る片桐裕馬が、その拳を振るう。
弾かれた骨腕の下を潜って、そのまま肉薄して殴り付ける一打。鈍く重い削音が鳴らされ、けれどまたしても、続く刹那の金属音が腕を絶つ。
それでも、血肉と紫電を散らして、目を見開き牙を剥いて。
二角を生やした鬼人が、標的へと追い縋る。
鬼狩りはその突進を斬り弾き、蹴り飛ばして退かせ、――そのまま距離を詰めていた私へも、再び向き直り対応してみせた。
拾い上げ握り直していた右手のナイフを、またしても、骨の細腕ごと斬り伏せられる。
「――ッ!?」
「連携もナニもなッちャいねェ! テメェは雑魚で、アイツはただの化物一歩手前だ! このオレ様が、劣るワケがねェだろうがァアアア!!!」
「く、っそ!」
「だッてのに、なンでまだ腕を直しやガる! 拳を握りヤがる! 鬼を、コノ成れの果てを、ソレの為に命を張るのかよ!!! それ程のモンが貰えンのかよ、アァ!!?」
「言ってるでしょ、死んでるのよ! 貴方に殺された所為でね!」
「それデも身体を張る意味はねェだろうガ!!! そンな価値はねェだろうが!!!」
彼は、叫んだ。
「そんな、人喰いの人殺しの化物なンかによォ!!!」
「――――」
何度も言っていたことだ。
人喰い。――人殺し。
それはきっと、鬼を形容しているだけの侮蔑じゃない。
そんなのはこの男の叫びを、怒りを見れば明らかだ。
「なンとか言エよ、テロリストがァ! なァ、黒薔薇ァアアア!!!」
彼は。
「コノ化物は、もう何人も殺してンだよ!!! 鬼狩りを、子どもモ大人モ関係ナく、最初ッから手にかけてンだよ!!!」
「――――」
「そうダ! 最初の時点で、コイツが本土で一度暴れたアノ時点で、人殺しになッた時点で処分しておくべきだッたんだ!!! そうだろうが、アァ!!?」
「――――最、初」
それは、つまり。
私の知っている、――あの時に。
「答えろ! テメェが反発して暴力にまで訴えた正しさは、テメェの望む世界ッて夢物語には、――コイツの存在は必要なノかよ!!!」
「――――――――」
僅かな逡巡の間。
交差し振り上げられた二刀が、胸部を暴き死肉を散らせる。
「――――あ」
パックリと、内側の骨が晒される程に開かれて。
真っ黒に固くなった心臓や他の臓器が、バツンて弾けて宙へ飛ばされて。
それでも、なにも痛くなくて。
なにも感じられなくて。
――同様に。
「――――それだけ?」
「あァ!?」
「それ以外にはないのかって、言ってるのよ」
私は、この戦意を欠片たりとも取りこぼすことなく。
冷たい思考を、熱された感情を、そのままに。
「殺人鬼を相手に殺人の善悪を問うことが、間違ってるわ」
私は背後より巨腕を繰り出し、振り抜いた。
直後、轟かされる鈍い金属音。
応じる二刀が打突を軽減し、――だけど威力を殺し切るには至れない。
「ッ、ガアアアアアアアアアア!!?」
大きく退く彼は血塗れに、両腕は手首や肘が折れ曲がる。踏ん張りをきかせた脚部も震え、額や頬を伝う血の筋は、止まることを知らない。
「――――ま、づ」
まだだ、と。そう次手へと踏み出させるのは、何度目か。
互いに不死身と等しい化物。生を望み終わりを嫌う人喰いの鬼と、既に死に絶え尚も残り続ける怨讐の屍。繰り返される崩壊と回帰は、未だ終わりを見せはしない。
だから、まだ。
あの鬼狩りが朽ちるまでは、私が果てるまでは。
そして、それは。
先行して躍り出る彼も、同じだ。
「魁島ァァァアアアアアアアアアア!!!」
「ヅ、――ツツツ!!!」
それへと遅れないように。先にある終わりへ至る為に。
私もまた、この死に体を向かわせる。
「――勝手に、私の正義を語らないでよ」
接近に巨腕は邪魔だと消し去り、来たる次の隙へと温存し。
右も左も肉を剥がされた、骨身に黒い瘴気を宿らせた、この腕で。
「私の正しさは、――私だけのモノよ!!!」
例え歪んでいたって。
例え間違えていたって。
それらを認めて変えていけるのは、全部、私だけだ!
寄り添うでもなく否定するだけの言葉なんて、聞き入れてやる訳がない!!!
だから私も叫び、訴える。
私の言葉を、突き付ける。
「片桐裕馬は、誰かを殺しただけじゃない! それで、――救われたものがある!」




