第四章【83】「嗚咽」
遠くない場所で、戦いの余波に震わされながら。未だ立ち上がることの出来ないままに、治癒と崩壊を繰り返して。
それでも、淀んだ水面に映る鬼へ、訴える。
立て、戦え、殺セ。
――生きろ。
だけどその全てが、脳裏を上滑りしていく。
どこにも引っかかってくれない。どこにも響いてくれない。もう一度立ち上がれる程に、持ち上げることが出来ない。
早鐘を打っていた心臓さえも、落ち着くことこそないが、一定の律動を刻み続けている。これ以上が、ない。
限界だからなのか。
これがこの身体の、終着点なのか。
「――――ち、」
違う。
これは、俺の所為だ。
他でもない、ただ一人。
俺の、――片桐裕馬の所為だ。
だって、俺以外は、ずっとしつこく、煩く。
殺セって、生きろって、何度も何度も、何度も何度も何度も。
諦めルな、未来ガ、繋ガる、残ス、次ヲ。
だから殺セ、潰セ、殴り付ケろ、千切リ散らセ、踏み壊セ、喰ラい付け、暴力ヲ、鬼ヲ、化物デ、悪逆非道デ、自由に、やリたイ放題、――ソノ為に生キろ。
みんなが、誰かが、誰かを、守って、生きて、懸命に。
人を喰うな、命を粗末にするな、狂乱に落ちるな、他者を大切に、繋がりを、健全に、正しく、間違えないで、孤独でなく、多くの、帰る場所、誰かの手、――生き続けて。
終ワリタクナイ、死ヌナ。
死にたくない、生きていたい。
「――――――――うる、せぇ」
土を握り締め、血反吐と一緒に吐き出す。
煩い。
煩い、煩い、煩い。
勝手なことばっかり、言うなよ。
みんなが来てくれた。
――だからどうなる?
姉貴たちが力を貸してくれる。
――それでどうなる?
ここを抜ければ。
――その先になにが?
きっとナニカが。
――それに見合うか?
なにをしたって。
――どう足掻いても。
「――――俺、は」
俺は――。
――俺は。
生キル。
――お前じゃない。
殺ス。
――お前じゃない。
誰かの為に。
――お前も違う。
誰かと一緒に。
――俺とは違う。
生きていたい。
――俺じゃない。
俺は――。
「……俺、は」
俺、は。
「――――――――――――――――――――――――――――――――」
俺は、なんで。
なにが、なんで――。
なんで、――――――――こんななんだ。
「――――――――――――――――あ」
なんでだ。
なんでだ、なんでだ、なんで、なんで! ……なんで?
なんで普通の人間じゃないんだ。
なんでただの半妖じゃないんだ。
なんで鬼に近しく生まれたんだ。
なんでユウマは俺に残したんだ。
なんでそのままを許されたんだ。
なんでみんなと知り合えたんだ。
なんであんな事件起こしたんだ。
なんで鬼だって教えられたんだ。
なんでそのまま戦わされたんだ。
なんでみんな助けてくれたんだ。
なんで希望なんて、未来なんて、この先なんて。
なんで、あの時だって。
あの日に、事件を起こした時だって。
――どうしたい?
――お前がそうしたいのであれば、いいだろう。
「――――■貴、なん、で」
■■は、なんで。
あの夜に、暴走した時だって。
――あなたはわたしの運命の人よ。鬼じゃないわ。
――ね、ユーマ。あなたはどうしたいの?
「――――■■■、っ。サ、■■っ!」
■■■も、なんで、……なんでっ。
なんで、あの時に、全部。
俺に、全部、後も先も、希望も後悔も、なにもかも。
――全部。
諦めさせて、くれなかったんだよ。
「――――ああ」
こんな、ぐちゃぐちゃな身体と中身で。
こんな、辛いことが沢山で。
こんな、得るのも失うのも、怖くて嫌なことばっかりなら。
もう、いい。
「好きにしろ」
それで、俺は。
最後の枷を、外してやった。
「アアアアア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■アアア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ア■■■■■■■■■■■■■■■■■アアア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■アア■■■■■■■■■■■■■■■■■アアア■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!」
好きに暴れればいい。
好きに助ければいい。
やりたい放題やって、思う存分自由にやって。
それで、終わってくれれば。
このまま立てなくなってしまうか、それとも。
いっそ、殺されてしまえば。
それで、いい。
――それが、いい。
「殺■!!!!!」
じャあ、殺そう。
神守姉妹や助けに来てくれたみんなが、コイツと戦わなくていいように。これ以上消耗して、危険なコトをしなくていいように。
なによりコレは、そもそも俺の所為なんだから、俺が終わらせなきャいけないんだ。
せめてコイツだけは。
最期に、魁島だけは、俺の手で――。
すれば、身体が動き出した。
両手のひらを地面から離し、ゆっくりと半身を持ち上げていく。そのままに、跪いていた右足を折り曲げ、踏ん張りをきかせ立ち上がらせる。
メシメシバキバキと身体中が軋んで悲鳴を上げて、その度に大慌てで、眩しい程の紫電が発光して。痛くて痛くて汗と一緒に血も噴き出して、目元を拭えば血の涙だって止まらない。
もっとも拭った手の甲を見下ろしても、一面赤黒くなってて、ほんとに血だったのかどうか、分からねぇんだけど。……そんなの、どうだっていいか。
ようやく立ち上がれた。ようやく動いてくれた。
終わる事さえ待つだけじゃ駄目なんて、ほとほと、クソだよ。
でも、これで終わりになるなら。
もうひと頑張りくらいはしてやろうじゃねぇか。
「アア■■■アア■アア■■アアアア■■■アアア■アアア!!!!!」
態勢を立て直し、雄叫びを轟かせた。
鼓動が加速し、腕が膨れ上がる。拳を握れば頑丈に閉じられ、微かな震えも納まりがついた。戦うには未だ、十分過ぎる力が残されている。
限界だというなら、限界のままに。
この命を削り切るまで、暴れ回れ!!!
そして、目前。
巨大な黒刃が、戦況を激変させる。
「邪魔すンじャねェェェエエエエ■エエエ■■エエ!!!!!」
左右、横薙ぎに振り開かれた二刀が、突き出された姉妹の骨腕を斬り伏せた。
四刀ではなく、二刀。根元の腕そのものも二本へと戻され、――しかしその理由は明らかに、二刀の刃が長大に増幅されている。
魁島を優に覆い潰す程の巨手へ対し、更に上回る巨大な黒刃だ。
ヤツは自身の血を刃へ凝縮させ、がしゃどくろを斬り払ったのだ。
「うそっ!?」
「そんな、……っ!?」
咄嗟に身を引き、すぐさま後退する二人。
間もなく先端を絶たれた骨腕らは、再び彼女らの背面から新たに作り出されるが――。
彼女らが切り返すよりも、先に。
しいては魁島に、次への用意を整えさせる前に。
「――下がッてロ!!!」
大地を踏み締め、飛び出し。
僅かに退いた姉妹の間を、走り抜け。
一瞬で、零距離へ。
俺は魁島へと、右の黒腕を突き出し、打ち貫いた――!!!
「オ、オオオオオ■オオオオオ■■オオオオ!!!」
「ガ、ガギ、ガゴゴ■ゴゴゴ■――!!?」
胸部への直撃。
人体ではない硬過ぎる感触が、拳を伝い腕まで亀裂を奔らせる。
だがそれ以上に対象の胸部を大きく歪ませて、内部をも力尽くに圧し潰す。肉が、内臓が、骨がブチブチと千切られる音が、確かな実感を響かせた。
遅れ、重く轟く爆音が鳴らされて。
この拳は鬼人の巨体を、大きく吹き飛ばし退かせた。
「ご、ボォ!?」
「まだァ――アアヅ!!!」
それを更に、逃がすことなく追い詰める。
再び地面を踏み締め、飛び出し、ヤツの懐へ――ッ!
「ヅヅ■■ヅ――クソ、がァァァア■アアア!!!」
声を上げ、魁島は反り返った上半身を振り戻す。
そして両足を落とし土を巻き上げ、けれどすぐにはとどまる事なく、――されど勢いを殺し切る前に、右腕の巨刃を繰り出した。
左側面から右側面へと目掛け、振り切られる一斬。
阻む森をも諸共に斬り絶ち、俺の身体へ刃を届かせる。
だが、その大振りは必殺に等しくとも。
緩慢で、躱すに困難ではない。
「ヅ――!!!」
咄嗟に滑り込み、身体を落として刃を潜り抜ける。
脳天スレスレを抜けた斬撃は、衝撃と旋風で微かに外皮を削るが、致命的には程遠い。
そうして潜れば、今一度即座に飛び出し。
大振りを終えた魁島へと、肉薄する――ッ!
「ヅヅ■!!?」
「オ――アアアヅヅ!!!」
振り被る右腕を、もう一度ヤツの胸部へ。
ヒビ入ったその内側へと、心臓部へと一撃を届かせる為に。
だが、今回は詰め切れない。
直前に、魁島の肩口から、――二本の血の槍が噴き出した。
その真っ赤な刺突が、突進したこの身体を貫き――。
「アアアアアアアアアアアヅヅヅ!!!」
構いはしない。微かに勢いを削がれるが、止まることはない。
肩部や右胸を穿たれたままに、血飛沫を散らされながらも、懐へと飛び込んだ。
そして再度この腕を、ヤツの胸部へと打ち下した。
踏み止まる必要なんてない。
俺がこの拳で、叩き落してやった。
「ゴ、オオオゴガ!!?」
嗚咽を上げ、吐血を散らせる。
拳撃もそれに相応し、深く胸部を沈ませた。
それをもっと奥まで、コイツの急所にまで。
届かせろ! 斬り裂け! 潰して壊せ!!!
ここで終わるなら、この先がないなら。
せめてコイツだけは、殺せ――ッツツツ!!!!!!
「魁島ァァァアアアア■アアアア■■■アアアアア!!!!!!」
「こンのクソ鬼がァァァ■アアア■アアア■■アアア■アアア■■■ア!!!!!!」
呼応する叫びが重なる。
血の飛沫と紫電が散らされる中で、互いに喉を晒し吼え猛る。
バツンと、魁島は両腕の大刃を弾けて砕かせた。上塗りされていた外装の刃を解き、元の鋭利な長刀へと形を変える。
膨張していた腕までもが割れ裂かれ、分離し元の四腕四刀へと振り戻される。
当然の対応だ。大振りの刃では、接近した俺を斬り伏せられない。重く強大な斬破はしかし、緩慢に落ち回避が容易になる。致命の一撃は、当たらなければどうにもならない。
切り替えは必然に、妥当に、――でも。
それでは先刻と同じく。
俺以上のモノには通用出来ない――ッ!
もつれ合う俺たちへと、大きな陰りが被さり。
「一緒くたに、行くよ――っ!!!」
頭上より、巨大な骨手が振り下ろされた。
「――ゴ■■!!?」
魁島諸共に、大地へ叩き付けられる。
硬化された身体もバキバキにヒビ割れ、内側の肉や骨も砕かれ、重い振動が意識をブレさせ視界が黒ずむ。直撃を受けた俺は勿論、地面へ落とされた魁島のダメージだって、半端なものではない。
「ヅ、ヅ」
下がってろって言ったのに、余計なことをしやがって!
大体オマエの姉が言ってたことを聞いてなかったのか!? 俺が死んだら意味ないって、そういう話だったんじゃねぇのかよ!?
フザけやがって!
お陰様で、お互いズタボロで散々だ!
「ヅ、――アアアヅ!!?」
撒き上げられた土砂の中。
魁島は白腕の下を飛び出し、大きく退き四つ這いに構えた。
俺もまたそれを追い縋り、ヤツへとこの拳を握り締める。
不意に叩き潰され、身体の芯からブチ壊された。部位どころではない損耗は、到底即座の回復が追い付かない。膨れた巨躯を保ち続けることも困難だ。
血だらけに紫電に包まれた魁島の身体は、気付けば元の状態を取り戻している。未だ衣服を剥がれた上半身を鬼血で覆われながらも、頬や腹部に肌の色を覗かせる程に、削がれている。
両腕も刃と同化していたが、今は顕わになった刀剣をその手で握り締めて――。
「オオオオオ■オオアアア■■アアアアアアア■■■アアアアアア!!!」
風を纏いし右刀と、真っ赤に熱を帯びた左刀を携え、――俺たちを、真っ向から迎え撃った。
「――神守ィ! 続けェ!!!」
余計な茶々を入れるってんなら、使ってやる。諸共で構わない、俺ごとヤツを削れ。
共倒れか、或いは俺が先に倒れたとしても、確実に殺せるように少しでも消耗させろ。
ここでコイツを、終わらせる為に。
問答無用で、――叩き潰せ。