第一章【20】「それは始まりの」
◆ ◆ ◆
ある日、わたしは王室へ呼ばれた。
レイナから、国王様の話があると言伝を預かったからだ。
直接呼ばれるなんて初めてだった。
だから期待よりも不安が勝っていた。今尚戦時中だ。
なにか重大な任務を任されるに違いない。
気を引き締め、王室の扉を開ける。
すると、
「え?」
王室たる広間は静けさに包まれていた。
物音一つ無いばかりか、赤い絨毯の上には甲冑の護衛たちが何人も倒れている。
そんな中、王座に腰掛ける国王様が一人。彼だけは無傷のままそこに座している。
だから、異常だ。この状況でどうして、他に構わず真っ直ぐわたしを見ていられるのか。
「国王様? 一体なにが、どうして?」
尋ねる。けれど答えは返って来ない。
当たり前だ。どうして国王様だけが例外だと思ったのか。座っているから、外傷が無いから。だから無事だと?
そんなこと、ある筈がないのに。
「国王、様?」
もう一度名前を呼んでも同じだ。彼はなにも答えてくれない。
ただそのままに、王座に鎮座するだけ。……もうなにもかもが、手遅れだ。
だっていうのに、その状況で。
「フフ。ビックリさせすぎたかしら」
甘く蕩けるような声が、楽しげに聞こえてくる。
その響きを、わたしはよく耳にしている。
嘘だ。そんな筈ない。
でも、確かに。
「レイ、ナ?」
「ええ」
王座の後ろから、レイナが姿を現す。
白の修道福に身を包み、淡い桃色の羽衣を纏った長髪の女性。
わたしの、師。
「どういうこと、なの」
「簡単な話でしょう」
ああ、なんてこと。
それはつまり。
「サリーユ。この国は、私のものになったのよ」
わたしはレイナのそんな表情を知らなかった。
ぱっくりと、耳まで裂けたような笑みを。
「サリーユ。私が国王に取り入れたのは、貴女の成果があってこそよ。それが私の信頼を作り、ここまでこれた」
「わたし、が?」
どういうこと?
わたしが花を咲かせたから。
わたしが傷を治したから。
わたしが人を殺めたから。
わたしが敵国を滅ぼしたから。
だから、こうなった?
「は、はは……」
「ええ、そうよ。笑ってサリーユ。そんな貴女にはご褒美をあげないと」
そう言ってレイナはわたしに手渡した。
両手で収まる程の小さな箱。――小さな小さな、おもちゃみたいな宝箱。
「王室の奥にあったの。なんでも、どんな願いも叶う宝箱らしいわ。貴女、そういうの好きでしょう?」
それが終わりで、同時に全ての始まり。
「どんな願いも」
「ええ、お好きにしなさい」
もしそれが本当だったら、わたしは。
「――わたしは」
わたしは、どうすればいいんだろう。
◇ ◇ ◇
国王様がレイナに殺されて、その翌日。
わたしはリリに声を掛けられ、ようやく我に返ることが出来た。
「どうしたのサリュちゃん。元気ないけど」
「ごめんなさい」
どうしていたのか。気付けばわたしは城壁にもたれて、ただ空を見上げている。
一体、どれだけの時間が経ったのだろう。わたしは、なにをしているんだろう。
「サリュちゃん変だよ。朝からずっとぼーっとしてるし。目を離したら居なくなって」
「リリ」
「いつもならあたしの四倍は食べてる朝食も、今日は同じくらいしか食べてなかったし」
「四倍って」
それは流石に盛りすぎじゃないかしら。
そう返したのだが、逆にわたしが冗談を言っていると流されてしまう。
四倍、四倍かぁ。
「それで、どうしたの?」
「……そうね」
右手を持ち上げ、人差し指を振るう。
なにも無い空間に光の通路を作り出し、部屋から例の宝箱を取り寄せた。
ぽとりと、両手に収まる程の小さな玩具。
本当のことは、全部飲み込んだ。
「これね、どんな願いでも叶えてくれる魔法の宝箱らしいの」
「ヘーソウナンダ」
「信じてないでしょ」
「だってサリュちゃんいつもそういうの持って来るけど、大体ハズレだもん」
「うぐ」
痛いところを突かれてしまう。確かにいつもは失敗ばかり。
未来の見える水晶も、大金が手に入る幸運の壺も。運命の相手を見つけてくれる恋のペンダントも全部嘘っぱちだった。
だけど今回のこれはレイナがくれた王室の物。
可能性は、十分にありえる。
「もしかして、そんなことで悩んでたの?」
「そーよ。悪い」
「ううん。いつものサリュちゃんでちょっと安心したかな」
笑われてしまう。
いっつもこうだ。
「じゃあサリュちゃんは願い事を考えてたんだね」
「そう、ね。なにせどんな願いでも叶うんだもの」
わたしは一体、なにを願えばいいんだろう。
沢山の人を殺めた。多くの国々を滅ぼした。信じていた筈の師は望まぬ道へ進み、自国も近いうちに失墜するだろう。
こんな状況で、わたしにどうしろっていうんだ。
思い付かない。考えれば考えるほどに、間違いや後悔ばかりが頭の中に渦巻く。こんな玩具箱一つでなにを思い悩んでいるんだと、馬鹿らしくなってさえしまう。
けれど、そんなわたしとは対照的に。
リリは、当たり前のように。
「そんなの、運命の相手でしょ!」
そう、断言した。
それはいつも、わたしが口にしていたことだ。
「やっぱり今日のサリュちゃんは変だね。いつもならなにも考えずにそう言ってる筈だよ」
「運命の相手、ね」
「だけどそれだけを叶えちゃうと、お国のこととかも面倒だよね。サリュちゃんは今や重要な戦力だし、恋愛なんて絶対レイナ先生が許してくれないよ」
「はは」
違いない。あの人は決して、別のことにかまけることを許してはくれないだろう。
わたしはあの人の兵器なのだから。
あの人の手からは逃げられない。
だから、
「じゃあ、それも含めて願えばいいかな」
だからこそだと、リリは笑ってくれた。
「ここよりずっと遠いお国で、運命の人に出会えますように。これならどう? 完璧じゃないかな」
他でもない、わたしの願いを口にしてくれる。
あまりに無責任で、独り善がりな幸せの形を。
「……そうね。だけどそうなると、リリとも離れてしまうわ」
「確かにそうだけど、サリュちゃんならきっとどこでも幸せになれると思うから、心配や不安は無いかな。悔しいけど」
「なんで悔しいのよ」
「あたしには無理だもん。サリュちゃんだからどこでも幸せを掴めるんだよ」
そんなことまで言ってくれる。
自分は無理だなんて言うけれど、きっとわたしを持ち上げてくれているだけだ。
リリの方がよっぽどか要領よくて、なんだってこなせる。どこへ行ったってやっていけるに違いない。
わたしも遠くで運命の人と出会って、リリも違う場所で成功して。
わたしたちなら離れ離れでも、きっと幸せになれる。
それはなんて素敵で、夢のような。
「そうね、リリ。運命の人。そうだわ、それが一番」
「……ったく、本当に。なにつまんないことで悩んでるんだか」
「リリ?」
「ううん、なんでもないよ」
「ありがと、リリ」
なにもかもを忘れていた。夢も希望も無いって、なにも叶わないって俯いていた。
馬鹿だ、わたしは。状況がどうであろうと、わたしはわたしなのに。
なにを願ったって、構わないのに。それなのにくよくよ悩んで。本当に、なんの意味も無い。
夢は夢だ。
わたしは、運命の人に出会いたい。幸せになりたい。
もう忘れたりしない。
「リリ、決めたわ! 願いを叶える!」
「はは、そうそうそれそれ。そういうバカっぽくてこそ、サリュちゃんだよ」
「言ってくれるじゃないの! 見てなさい!」
「はいはい、どうするの?」
「今晩、この宝箱の開封の儀を執り行うわ!」
「うんうん、なるほど。だけどあたしは夜弱いから、一人で勝手にやってねー」
「そこは付き合いなさいよ!」
「やだよー」
◇ ◇ ◇
結局言葉通り、リリは来てくれなかった。
だからわたしは一人、宝箱を開く。
半信半疑のままに、どうせ叶わないだろうって。
冗談半分に、けれど親友が気付かせてくれた願いを、しっかりと言葉にする。
「どこか、遠い世界で」
運命の人に出会えますように、と。