第一章【02】「異世界の少女」
例えば、バミューダトライアングルと呼ばれる海域が存在している。
通った船や飛行機がなんの痕跡も残さず消失してしまう、魔の三角地帯だ。
例えば、暗闇の洞窟が存在している。
観光客が突如姿を消し、二度と見つかることはなかったという。
沈んだら決して出られない底なし沼や、帰って来られない心霊スポット。
人や乗り物が原因不明に消えてしまう場所。
オカルトや怪談の定番と言えるだろう。
それらの現象が発生するのは、その場所が異世界に繋がっているからだ。
教えてくれたのは祖父だった。
「いいか裕馬。世界は無数に存在しているんだ。アメリカとか中国とかそういう世界じゃあない。こことはまったく違う別の、異世界ってのがあるんだ」
幼少期、何度も何度も聞かされた。
竜が火を噴き飛び回る世界。
魔法使いが杖を振り不思議を巻き起こす世界。
日本より遥かに優れた科学力で、巨大ロボットを作り出した世界。
子どもの頃は、そんな摩訶不思議な話に心を躍らせていた。
いつか自分もどこか遠くの世界に行って、まったく違う常識に出会う日が来ると信じていた。
けれど中学の頃には、そんな話は作り物だって分かっていた。
面白おかしい子ども騙しだと、聞き流すようになっていた。
いつしか祖父とも距離が遠くなって、……見送ったのが三年前。
それで話を聞くことも、出来なくなった。
異世界なんてもの、本当にはあり得ない。
いつしかそんな存在も頭から忘れ去っていた、その頃。
ある事件をきっかけに、俺は偽りのない本当を知らされることになった。
◇ ◇ ◇
そういうわけで。
突如、姉貴の私室に現れた魔女っ娘は、積み荒れ果てた本の山へと埋もれてしまい。
俺はそれを助け出せたものの、……勢い余って衣服を剥がしてしまった。
黒のワンピースが大きく捲れあがり、同じく黒色の大人びた下着が丸見えになっている。
綺麗なくびれや可愛らしいおへそも大変よく見え、……本人は諦めたのか、顔を真っ赤に頭のとんがり帽子を抑えるようになった。
頭隠して尻隠さず、というやつか。
違うな。
「■■■■■■■■■!」
少女が叫ぶ。
聞いたことの無い言語でまったく理解出来ないのだが、恐らくは羞恥を訴えかけているのだろう。
助ける最中の叫びやもがきも、そういった要素があったのかもしれない。
面目この上ない。
だが生憎と、こちらは捲れあがった素肌などには目もくれない。
綺麗な肌だなとか攻めた下着だなとか、思ってもその程度の感想だ。
目を離せないのは隠された上部。
――胸だ。
「ッ」
生唾を呑む。
小さな身体に幼い顔立ち。細めながらもふっくらとした体躯。
にも関わらず、胸が。
ギリギリのところでワンピースが捲れなかった胸部。
その大きく膨れ上がった黒い布地に驚愕せざるを得ない。
引っ張り出した時に大きく反り上がった弾みも見逃さなかった。
その時ほんの少しだけ覗いた丸みの残滓も、あれが紛れもない本物であったことを裏付けている。
「――こ、これが!」
これが、異世界転移か!
感動に声を上げた、次の瞬間。
「■■■■■!」
彼女がなにかを訴えると、カッと視界が光に包まれ、
気付けば部屋の外、廊下へと投げ出されていた。
いや、正確には――吹き飛ばされた。
「――がッ」
突然の出来事に対応できず、背中を床に強打し嗚咽する。
直後視界が暗転し、次はチカチカと明滅し始めた。
だがそれ以上の眩しい光が被さり、咄嗟に右方へ転がり込み――。
間一髪、小さな破裂音。
パンと弾け、なにかの欠片が散らばった。
壊されたのは床か壁か。振り向いて確認する暇はない。
当然痛みに喘ぐ隙も、だ。
「マズッ、た!」
すぐさま起き上がり駆け出した。
途端にまた激しい光が何度も瞬き、足元に影を落とす。
続けて、連なる先程同様の破裂音。
だがそれも少しずつ大きくなっていき、やがては強い風が背中を押した。
まだ踏みとどまれる。どころかその風圧を受けて走りを早める。
駆け抜け廊下の角を曲がる際、ちらりと振り返れば。
「■■■■! 待■■■■よ!」
少女は顔を真っ赤に仁王立ちし、光に包まれた右手をこちらに構えていた。
「これはやっちまったぞ!」
とにかく逃げるしかない!
◇ ◇ ◇
ここ国立藤ヶ丘南図書館は、藤ヶ丘市で最も大きな図書館である。
……と、いうのは表向きで、秘密裏に異世界からの移民を受け入れ職を与えている。
例えば書庫の整理であったり、閉館後の清掃活動諸々。
広大な敷地は、その為に国が用意したものだ。
訳有ってこの世界に来た訳有りたちの訳有り職場。
リザードマンのアッドも然り、エレベーターでのスライムさんも。異世界からの転移者として住民登録され、業務を全うし生活を保障されている。
しかし、まさか受け入れ先であるこの場所に、直接転移をしてくる奴が居るなどとは。
一体全体、誰が想像できただろうか。
それも、とびっきりの危険な狂犬が。
「うおおおおああああああ!」
爆発音。
もう十何度目になるか。爆風に煽られ前方へと転がる。
運が良かったのは地下の階段を抜け、ようやく大広間へ逃げて来られたことだ。
そして騒ぎを聞きつけて何人かの職員警備員が集まってくる。
どうした、なにがあった、喧嘩かテロか。口々に捲し立てられるが、生憎応えていられる余裕が無い。
「駄目だ! みんな、とにかく離れ――」
だが、警告もままならない。
再びの爆発。今度は一層大きな衝撃に全身を煽られ、硝煙の中を転がされた。
受け身も取れず腹部を強打し、両膝も側頭部も床板に弾かれ青あざを作る。
「ッ、ガ、……っあ!」
痛い。けれどまだ動く。
立ち上がる。
だけどまた次の一撃が放たれ、また爆風が巻き起こる。
ふらつく足元をすくい上げられ、転がり大きな柱にぶつけられた。
背を打つ骨身にこたえる衝撃。振動に指先が、視界が小刻みにブレる。
「し、死ぬ」
絞り出された弱音。
その間にも爆発は続いた。
悲鳴、混乱。
駆け回る足音が数を増し、次第と離れていく。
周囲に残されたのは、警備員たちと逃げ遅れた従業員たち。
横たわり背を丸めた、彼ら彼女らの呻き声だけ。
なんて有様だ。
異世界転移者を受け入れ管理する図書館だぞ。色んなトラブルに備えられている筈だ。
それがいとも簡単に、たった一人の少女によって一瞬で。
「冗談、だろ?」
絶望の狭間、煙の中に立つ影は一つだけ。
彼女だ。
「逃げないで!」
凛とした声だった。
今までのものとは違う、はっきりと理解出来る日本語。
つまりは異世界転移し、この世界に定着したことを意味する。
「ふーん。ここは図書館、というのね。……不思議な感じ。覚えのない知識に知らない言語。ちょっと気持ちが悪いわ」
呟き、彼女の視線が周囲を見渡す。
目が合った。
「さあて、言葉が理解出来ているのではなくて? あなたみたいな人のこと、不良っていうのかしら」
「……悪かっ、た」
「ん。おっけー。しっかり聞き取りも出来てるみたい。それに第一声が謝罪というのも悪くないわ」
少女は高圧的な視線のまま、ゆっくりと歩み始める。
とっさに逃げようとしてみたが、駄目だ。
痛くて立ち上がれない。
足は熱さと疲労でパンパンだし、腕は痺れて指を動かすのもやっと。
呼吸をするだけで胸も背中も痛い。
そんなこちらの状態を把握した上で、彼女は声高らかに続ける。
「赤髪で鋭い目付き。それに力強い乱暴な手付きだったわ。まさに不良。わたしに欲情して不埒を働くつもりだったんでしょう! そうに違いないわ!」
「……ねぇ、よ」
欲情したかどうかはさておきな。
「その証拠にずっとわたしの素肌を凝視していたわ! この変態!」
素肌は見てねぇよ。
むしろ隠れていた胸元を――とは言うまい。
「死罪ね」
少女が右手をこちらへかざす。
「女を辱めたということは、死ぬか、結びの契りを交わすか。つまり、死ぬのよ」
「……マジ、かよ」
そこまで極端な世界からお越しとは。
こいつは本当にとんでもないハズレくじを引かされたみたいだ。
ああくそっ、失敗した。
こんなことなら放っておけばよかった。
これだけの力を持っているんだから、最悪本を焼き尽くしたり、地下ごと吹き飛ばしてでも脱出しただろう。
……それはそれで巻き込まれて大惨事だっただろうが。
なるほど。
つまりどの道、命の危機に変わりはなかったと。
「ふざけ、んなよ……」
かざす彼女の手が光を帯びていく。
それがマズいのは分かってるんだが、やっぱり身体は動いてくれない。
少女がそのまま呟く。
「そうよ、死ぬしかないの。死ぬか結ばれるかなのよ」
「……っ」
「そうよ、死ぬか結ばれるか。……死ぬか、……結ばれるか」
すると何故か、彼女の動きが止まった。
それどころか、みるみる内に顔が赤みを帯びていく。
先程までの怒りで真っ赤にという感じではない。
これは、なんだ?
「結ばれる、か? ……え? む、結ばれって、そういう。その可能性って、あるの?」
「は」
「あ、でも、わわたわたし確かに転移すすする時、う運命のでで出会いがっっって!」
なんだか分からないが、動揺しているらしい。
これはもしかすると、助かるか?
などと、期待したのだが。
「な、ななななななない! ないない! ありえない――――ッツツ!」
カッと閃光が瞬き、一直線。
赤白いビーム光線が眼前に迫った。
死んだ。
そう確信した。
だが、
「行くゼ!」
直後。
ぐわっと、勢いよく。
身体が、宙へと浮き上がった。