第四章【82】「悪転」
長髪を振り乱し、細い身体のラインを顕わにした、黒尽くめのライダースーツを身に纏う少女。
額を覆っていた面が剥がされているのは、既にその正体が知られている故か。冷たく尖れた瞳を隠すことなく、対面する標的と、それから俺の姿を捉える。
黒薔薇の仮面。
そう呼ばれ、かつて殺し合った相敵が、今一度俺の前へと現れた。
それから、もう一人。銀色の髪を二つに結って、いつか見た白黒のメイド服に着飾った少女。
相変わらずこの場に似つかわしくない、飄々と口元を緩めて、明るい雰囲気を振り撒いているヤツが。
コイツもまた、殺し合った仲の後輩。
神守真白が、戦線へと躍り出た。
「な――」
目を見張るのは、その登場にもだが。
それ以上に、二人が携え持ち上げている、――巨大な白腕が。
見覚えのある、くすんだ骨手が。
息が詰まる程に重々しい、驚愕と畏怖を発露させていた。
「ヅ」
見間違いも、感覚の違いもない。
ソレは対面した覚えに相違ない、あの人の腕と同種の存在だ。
大妖怪、がしゃどくろの骨腕。
全てを握り圧し潰す、強大な力を宿した異形だ。
それに、加えて。
「……お前、ら」
どういう訳なのか。
神守姉妹には、命の気配がなかった。
今こうして対面して、視認してもまだ、なにかの間違いのように思えてしまう。そういう風に感じ取ってしまう。ただ禍々しい圧が渦巻いているだけで、彼女らの存在そのものがまるで掴めない。
だから俺も、魁島さえも、接近に気付けなかった。
二人が、動いているだけの死に体だから。
そして、そんな二者の割り込みと続く攻撃によって。
「■■ガ、■ァ■、■……ヅヅ■■ヅ!!?」
殴り飛ばされた魁島は大きく退かされ、やがて土を巻き上げ踏み止まった。
埒外から穿たれた直撃は、ヤツの身体を折り歪める。あらぬ方向へ捻じ曲げられた右腕二本や、骨の突き出した左足。それらは一見すれば、戦闘継続を絶えさせるに等しいダメージだ。
しかし絶叫と共に、紫電が奔り手足が逆巻きに戻され。ほんのひと息の間で、魁島は元の脅威を再現し四つの大刃を構え直し。
振り切っていた狂乱を僅かに解き、微かな理性下に吼え訴えた。
「ナニ、がァ■ッヅヅ!!! なンだッてンだァ、テメェらはよォォォオオ■オオオオオ!!?」
地面を震わせ、大気を打つ咆哮へ。
その次の手を、そんな猶予を与えることなく。
「ん~っ! やっぱり鬼ってしぶとくて面倒~っ!!!」
神守真白は自身の右手を突き出し、それに呼応して、背後の骨手が空を切った。
肥大化した俺や魁島の身体を、悠々に上回り叩き潰す程の拳が。
前面阻む木々をことごとく打ち砕き、一直線に標的へと振るわれた。
土塵巻き上げ大地を震わせる打突は、完全に殺す攻撃。
再度繰り出された真正面からの一撃に、魁島は今度こそ、四手の刃を打ち合わせ――。
だが、巨大で頑強な骨拳を前には。
少なくない欠片を剥がし散らせるも、無力化するには及ばなかった。
特級の力とされたその腕は、相応劣らぬ力尽くを以ってして。
再び真っ向より、鬼人諸共に森を穿った。
「っ、まだまだぁ~っつつ!!!」
続けざまに、重ねて発現された左の白腕をも振り被り。
引き戻された右腕と入れ替わり、島全体を震わせる一撃を叩き込む。
容赦も加減もなく。
確実に圧し潰す、殺しの拳撃を。
その光景を、遠目に。
崩れた態勢を立ち直し、追い付くことが出来ないままに。
「……なん、で」
疑念をこぼした。
なんでその力を神守が?
なんで命の気配を感じられないんだ?
なんで神守が、魁島に襲い掛かる?
なによりなんで、この島に二人が?
この島は今、転移封じの影響下にあった筈で。
俺たちすでに戦っていた面々以外には、誰の干渉も出来ない筈で――。
「っ」
それで、今更に気付く。
遠くに感じていた戦いの、ぶつかる大きな気配は――。
「……サリュ」
サリュだ。
サリュが来ている。
だけじゃない、姉貴も居る。
神守姉妹だけじゃない。外からこの島への干渉が、許されている。
でも。
千雪やヴァンの気配が、……リリーシャの気配さえも、弱くなっている。
サリュだって、とても全快には思えない気配に。
「……づ」
楽観視は出来ない。
それでも状況が、こちらに向いているのは確か。
好転はもう、目と鼻の先に。
ほんの少し足を伸ばせば、手が届く距離に、みんなが。
だかラ、ここヲ乗り切レ。
ナニも考える必要ハなイ。力ノままに暴レ尽くシテ、障害を叩キ壊セ。
殺■――――。
「――ッ、ガ」
不意に。
ドクンと、鼓動が高鳴り、――だけど。
同時に。
「が、ヅ!!?」
去来した嘔吐感に、逆らい切れずに吐血した。
加えてグラリと視界が傾き、その場に膝を落とす。平衡感覚すら曖昧になり、両手のひらをも地面へ叩き付ける。
跪き、胸や喉を焼かれるような痛みで削られ。
紫電を奔らせながら、尚も吐血を続ける。
「……な、ン」
「――片桐裕馬、っ!?」
攻勢に入る神守に遅れ、神守黒音が足を止めた。
しかし、すぐさまに。
「■■■■■■■■■■■■■■――――!!!!!」
向こうより鳴らされる怒号が、欠片も衰えない脅威を示し。
未だなに一つとして、気の抜ける状況ではないことを知らしめる。
神守黒音は視線を標的へ戻し、声だけを上げて。
「難しそうなら休んでて! 貴方が死んだら、全部意味がないんだからっ!」
そう、俺へと残した。
「づ、ッ」
返す言葉もままならず。
神守黒音も妹に続き、背面より骨腕を持ち上げ魁島へと迫った。
貴方が死んだら、全部意味が。
じゃあやっぱり神守姉妹は、俺を――。
「ヅ、ヅ!!?」
その疑念を上書きする程に、高熱に似た痛みが全身を駆けずり回る。
皮膚の内側にヒビが入り、筋肉や血管が千切られ、骨芯に幾度も亀裂が奔る。比喩や類似する痛みではなく、実感としてソレらが引き起こされている。
懸命に明滅して何度も修復を繰り返しているが、それによって止めどなく、いつまでもこの身を痛みが蝕む。継ぎ接ぐ残痛だけは、取り除かれることがない。
今さっきに始まったのか、それとも気付いていなかっただけか。
どちらにしろ、この身体は既に、治癒を続けなければ維持出来ないところまで……。
限界が近付いている。
「……ヅ、……ヅ」
そうだ、当然の話だ。未だ倒れることなく、落ちて果てることなく、戦い続けていられても、――決して、不死身ではない。
だからこの血はこんなにも、生存を求めて脈打っているんだ。
「ツ、ヅ――――」
そして、立ち上がれない状態で。
手を落としたままに、視線を落とせば、そこには――。
薄汚れた泥水に、濁りながらも僅かに反射し映った。
自分の顔が、あった。
「――――――――――――――――」
思えば、昏睡してから初めてだったか。
自分の顔を、ようやく視認した。
淀んだ水に、不安定に揺らいで。
目を剥き、牙を覗かせる、――鬼の形相を。
「――――――――あ」
頬を、額を、顔全体を黒で覆われ。眼球までもが黒に塗り潰され、――ただ真っ赤な一点の眼光だけが、パックリと開かれている。
頭上にも額から突き出した二角が存在し、大凡その影は、到底人間のものとは掛け離れているだろう。
眉を寄せ、爛々と、生き汚い執着を瞳に宿して。
喉を晒して、浅ましくも、続けることに縋りついて。
死にタくナイ。■にたク、ナい。
だかラ■セ、殺■、と。
「――――…………」
今更に、尚も思い知らされる。
その姿も、内側も、やっぱり俺はどう足掻いたって鬼の化物で……。
重ねて、唯一。
俯く視界の端をかすめた、汚れ色褪せた赤髪が。
化物の角に分けられながらも、未だに残る馬鹿な主張が。
この身体は俺なんだって、思い知らせてきやがった。
「…………馬鹿、ガ」
あの日から、分かっていたことだ。
だからこの髪にしたんだろうが。
誰も近付くなって、自分から誰かを拒絶しているように強がって。
本当は誰にも近付かれたくなかったって、そんな情けなくも懸命な思いを持って。
いつか自分を理解することが出来たら、その時に。
こんな弱々しい赤色を流せるようにって、そんな願懸けみたいなモンを。
「……アぁ」
ああ、なんて、馬鹿馬鹿しい。
こんなに成り果てて、こんなにも、どうしようもないくらいに鬼で。
なにも知らなかった俺は、コレを、どうにか出来るって。
結局今日の今日まで、そんな見当違いな履き違えを続けたままで。
こんなの、どうやったって。
続けることしか、続くことしか。
それだけしか、出来ねぇよ。
それも、こんな有様の、最悪を。
これからも変わらず、残し続けることしか……。