第四章【80】「泥の底」
絶叫し、暴れ転がり。
ぬかるんだ大地を踏み割り、群れ成す大樹をことごとく砕く。
そんな、戦いのさなかにも関わらず。
不意に思考が、過去の情景を拾った。
思えば俺は、どうして。
どうして百鬼夜行として、戦う道を選んだのだったか、――と。
戦わないという選択だって、出来ただろうに。
ただ生きていくことだって、許して貰えた筈なのに。
調整されて、実験台さながらの俺は、ただそれだけで。
在るだけで一つの成果として、認めて貰える立場だったのに。
俺は、どうして……。
◇ ◇ ◇
「どうしたい?」
あの日、――中学で事件を起こした、その後に。
図書館へ呼び出された俺は、いつもの広々とした仕事部屋で、向き合わされた。
背高い本棚に囲まれた、俺たち以外には誰もいない物寂しい一室。なんの用意も聞かされていなかった俺は、なにも持たずにただ立ち尽くす。
対して姉貴はテーブルに肘をつき、だらりと背中を丸めて。加えて右手ではスマホを弄り、なんらかのゲームを遊ばせながら、……けれども眼鏡の奥の瞳だけは、俺の姿を映し続けて。
どうしたいのだ、と。
姉貴に、これより先への選択を突き付けられた。
「……俺、は」
果たして俺は、姉貴からどう見えていただろうか。
事件を起こして落ち込んでいた、それ以上に青褪めて絶望していたくらいか。
それとも、落ち込んでいるのは見た目だけで、あっけらかんと何事もなかったようだったかもしれない。
どう、捉えられていたのか。
少なくとも俺の意識的には、酷く落ち込んでいたつもりで。
どうすればいいのかって、混乱していたつもりで。
自分の正体、妖怪という存在、暴走という危険性。
百鬼夜行という組織や、そこに属する姉貴や千雪のことも含めて。記憶を調整されていた俺は、その時に初めて、常識の外側を知って。……今思えば、それらもまた虚実を含めたものではあったが。
それでも、なにも知らなかった俺には、全てが衝撃的で。自分がやらかしてしまったことも含めて、理解の外側のものばかりで。
俺にはもう、処理しきれなくて。
そんな俺を、恐らくは分かっていながら。
その上で姉貴は、問うたんだ。
全てを含んだ上で、なにを選ぶのか。
それともなにも選ばないのか。
「……俺は」
誰かの為に。
「っ」
出かけた言葉を、呑み込む。
違う。間違っている。それは、失敗した。
誰かの為になんて感情で動けば、また同じことになる。助けたいなんて身の程知らずの思いは、より事態を悪化させる。
俺の正体が人ではないというのなら、人の為になんて考えちゃいけない。人に関わることすらも、控えなきゃいけない。
そんな、正義感のような勘違いは、捨てるべきだ。
それでも、なにかをしたいと、そんな風に思ってしまうから。
ただうずくまっているのは、御免だって思うから。
「……俺は、この力を使いたい。――使って欲しい」
自分では、どうすればいいのか分からないから。
なにをするにも怖くて、なにも出来なくなってしまうから。
なにかを、したい。
それだけだから、――それでいい、と。
「姉貴についていく」
力がある俺にしか出来ないことを。
逆に、力がある俺は決して、やってはいけないことを。
自分にしか、出来ないことを。
自分には出来ると与えられたことを、達成するように。
「受動的で情けねぇって、言われるかもしれないけどさ」
分からないから、怖いから。
情けなくたって、きっと、それが一番いいんだと思った。最善なんだって思った。
「俺には、俺を扱えない、から」
未だ自分の限界も、底も、なにも見えていない。どれくらいのことが出来て、なにが出来ないのか。得手も不得手も、なにもかもが不明瞭だ。
分かったことはただ、普通の人間じゃないって、それだけなんだ。
「……鬼の血」
意識をすれば、ドクンと、心臓が高鳴る。
熱い血流を導けば、胸元へ持ち上げ広げた右手のひらの、――その爪先から、赤黒い泥が溢れ出す。
その泥が指を、手を、更には手首から肘のところまで、覆い包んで……。
コレが、鬼の側面。
黒々と淀んで粘りの強い、毒々しくて、凶暴な。
壊したい、暴れたい、好きにさせろって。
そんな、渇望が――。
「裕馬」
「……っ。お、おう」
呼ばれて、はっと浸食を留める。
すれば手のひらは、元の肌色へと剥がされていった。
そうだ。
俺はコレだってよく知らない。知っていかなきゃならない。
だから、それも込みで。
導いてくれる誰かが居るなら、俺は。
「頼む、姉貴」
そうしないと、また。
俺は、同じように……。
姉貴は。
「怖れている、か」
そう、小さく呟いた。
「え」
「自分のしでかしたことを畏怖し、もう嫌だと、そう思っているのか?」
「……ああ」
間違っていない。
ただただ苛烈な感情に支配されて、やりたい放題に暴れ回って。簡単に壊れて、血が散らされて。拳から伝わる、薄くて空っぽな、感触が。
あんなのは、もう二度と……。
すると、どういう訳なのか。
「案外、小心者だな」
言って。
姉貴はテーブルに頬杖を突きながら、ニヤリと口元を緩めた。
小馬鹿にするように。
それこそ、いつものように。
「どうやら、私はお前への認識を改める必要があるらしいな」
「小心者って。……そりゃあビビるだろ。自分がやべぇ力を持ってて、それで誰かを傷付ける可能性があるって」
事実それによって俺は、人を傷付けて。
今更に思えば、殺めてしまっていたのだから。
きっとそれまでも、姉貴は知っていた筈で。
「そうだな」
それでも姉貴は、小さく息をこぼした。
「だが、それで思い上がるヤツも居る。実際に何度も、そういうヤツを見てきた」
自分は他とは違うのだと。
違う自分は、相応の待遇を受けるべきだと。
「そんな勘違いを吼えて、勝手をするヤツが」
姉貴は続けた。
そう、勘違いなのだと。
違うからこそ混ぜて貰うしかない。一緒に在ることを、許して貰わなければいけないのだ、と。
「俗にいう、当たり前の生活。仲間に囲まれて、充実した毎日を送る。その為には他者を受け入れると同時に、他社に受け入れられる自分を作らなければならない。認めてやるから認めてくれと、簡単な関係は築けないんだよ」
「……って、言うと」
「端的に言えば、混ざりたいなら周りに合わせろ。そういうことだ」
それは誰しもが当たり前の為に、当たり前にやっていることで。
だけど俺たちにおいては、殊更重要になる。
ただでさえ外れた俺たちが、輪に加わるのは……。
「お前がそうしたいのであれば、いいだろう。身の振り方は教えてやるさ」
その身の振りを弁える限り。
姉貴は俺の望むモノや環境を用意すると、そう言った。
「悪いが確実に与えられる保証はない。用意するのはあくまで私だ。私の出来得る限りという話になるが、――それもお前の献身によっては、幅広く増えることになるだろう」
事件や問題を起こしてしまえば、それだけ姉貴が俺に出来ることも少なくなる。
規律を守り模範的な態度を示すのであれば、見合った待遇を与えることは容易になる。
「現状は厳重監視。当然ながら、当分学校には通わせられないが、それでもある程度の生活は守ってやった。単独行動を除けば割となんでも出来るが、――そうだな。監視も込で、私の手伝いでもして貰うか」
「手伝いっていうと、図書館のか?」
「ああ。年頃には中々に納得し難い不自由だろうが、飲んで貰う必要がある。――そうすることが、この先の次へと繋がるからな」
「……分かった」
「悪くない即答だ。が、別に、従順で居ろとは言っていない。お前も知っての通り、私も相応に怠慢だ。叱咤するも呆れるも、喧嘩になったって構わない」
ただ、離反だけはするな。
自由と勝手は違うのだと、謹んで弁えろ。
でなければ――。
「でなければその行動にもまた、相応の待遇が与えられることになる」
「……」
「人間以上に、だ。――そういった事態の為に、私たち百鬼夜行のような組織があるのだから」
それ以上はもう、聞くまでもなかった。
なによりも、姉貴の目が語っていた。
レンズの奥で、冷たく、鋭く、俺を見定めて。
お前が何処に立たされているのかを、正しく理解しろ、と。
加えて、その上で。
「お前が力を振るいたいというなら、理解し、我が物にしてみせろ」
この街の、この国の利益の為に。
自身の有用性を示し続ける為に。
自分は人間に利する存在であると、証明する為に。
「そして約束しろ。人を傷付けるな。――人を、喰うな」
「――――」
人を喰う、なんて。
そんなこと、ある訳がない……などとも。
その時の俺には、断言できる確証がなかった。
◇ ◇ ◇
それでも俺は、戦うことを選んで。
知り改めた自分で生きていくことを決めて。
……なんて、姉貴に導かれるままの道。
どうしようもないから、ただ流れに沿って。覚悟とも呼べない、決心とすら言えない、曖昧なままで選び進んで。
そんな中途半端で、薄っぺらいモノだった――筈、なのに。
いつからか、どこからか。
戦うことに、必死になっている自分が居た。
痛いのに歯を食い縛って。治るからって血を流しながら、肉を抉られながら、骨を砕かれながら無茶をして。
耐えられないって叫びながら、だけど絶えないこの身体を引き摺り回して。
出来ることを教えて欲しいって言ったのに。
出来ずに待っていることが苦しくて、そうして置いて行かれたその時に、大切な誰かが帰って来ないかもしれないって、怖くなって。
無理でもいい。便利屋でも肉壁でもいいから。
なにもしないでいることが、出来ないから。
「――――――――」
サリュと出会ってからは、それまで以上に。
戦わないことが、怖くなって。
失うことが、怖くて怖くて仕方がなくなって。
リリーシャと戦ったあの夜も。
神守黒音らテロ集団が占拠したビルへの特攻でも、その後に神守真白や中居暮男と戦った夜も。
異世界からの襲撃に巻き込まれた時や、――それから、図書館への強襲でも。
届かないのに、手を伸ばして。
及ばないのに、しがみ付こうと追い縋って。
身の丈の合わないことまでしたから、結局は――。
なにも守れず、自分を抑えることも出来なくて。
手も足もなにも掴めないままに、こんなところにまで落ちてきたんだ。
「――――あ」
落ちていく。
沈んでいく。
どこまでも甘えた考えで、浅はかで、軽率で。
未熟さのツケが、コレだ。
「――――」
色々と思い出したから、分かる。
俺は、根本からしておかしいんだよ。
血という核が暴力性を有して、人害であり悪性存在で。
誰かを助けたいって高慢な思いも、他人に植え付けられたもので。
どうして戦う道を――戦いたかったのかもしれない。
俺の血が、鬼が、安穏とした日々なんて退屈だと。なにもしないまままで塞ぎ込んでいるなんて、飼われ生かされるだけの毎日なんて、御免だと。
それで俺は、戦う為に、前線へ……。
どうして戦う道を――誰かの為に尽くしたかったのかもしれない。
俺を作ってくれたユウマが、俺に刻んだ感情。(他人に優しく、誰かの為に)って、与えてくれた、彼の願い。
だから人の為には間違っていると分かってながら、でも結局は、そんな正義感に縋って、頼りにしてしまっていた。仲間を助ける為なら構わないって、身投げを続けていた。
俺は、ユウマに導かれて、誰かの為に……。
それでも、ここを。
ここさえ、乗り切れれば、俺は。
俺は、ナニかを。
生きて、ナニかヲ――――。
「――――ソレ、でモ」
ソレでもッて、なンだよ。
ソレでモもナニも、ナニ言ッたッて、ナニしたッて、変ワらねェのニ。
「――――生き、テ」
生きテ、未来ヲ。
この先へ続く、道標ヲ。
「――――――――」
ソレだッて。
マダ終ワりたくナイッて、ソレだッて。
「――――――――――――――――ハ」
ソレだッて、本心なノか?
「――――俺は」
そうまでして、生きたいと。
生存を渇望しているのは、――俺なのか?
それだって、なにかによって。
作られたり導かれただけの、ハリボテなんじゃないのか?
「俺は」
俺は、本当に。
生きたいと、思っているのか……?