第四章【78】「二つ目の終結」
思えば、この手で命を奪ったのは、随分久し振りになるか。
もっとも、直接的でなければ、多くの命を奪って来ている。
立場上後方という安全圏から、指示や命令だけを飛ばして、いとも簡単に。標的だけでなく、味方や身内にも無茶をさせ、幾つもの命を散らしてきた。
今更、自分が綺麗であるなどとは思っていないが。
それでも一人の未来を奪ったという感触は、久しく深い嫌悪感と、重くずっしりとしたやるせなさを覚えさせる。
「…………」
横たわる剣士を見下ろして、その背中に開かれた空洞を捉える。そしてそれを穿った、自らの右手のひらを視界へ持ち上げる。
赤黒く変色し、硬化され尖れた爪先には、もはや血の一滴も残ってはいない。ただ、骨肉を貫通せしめた、生柔らかな余韻だけが……。
だがきっと、呑み込み難い嫌悪を忘れてはならない。
後方に控えるからこそ、余程に、実感を持って覚えておく必要がある。
「ありがたく、引き摺らせて貰うよ」
死に続く、私の道先へと。
人でなしに図々しくも、有効活用させて貰おう。
この左手に拾い上げ、携えた。
鬼狩りに伝えられてきた、刀剣と共々に。
そうして視線を上げれば、今一度。
周囲の光景に、小さく息を吐く。
床板や木壁を幾つも裂かれ、未だ氷塊や喰い千切られた血肉の残る大広間。散々たる惨状は、お世辞にも無事にとは言い難いが、――それでも、静寂が取り戻された。
終結には早過ぎるが、この場所での戦いは、少なくとも。
「……千雪」
続け様に。
私は向こうで、気付けば横たわる白着物の少女へと、駆け寄ろうとして。
「……ヅ」
踏み出した一歩を、踏み締めることが出来なかった。
上手く力が入らずに、前のめりに引っ張られ、そのままバタリと倒れ込む。
咄嗟に体重を右へと寄せて、なんとかギリギリに死体の上に倒れ込むことはしなかったが……。
まんまと右肩を、それから頭を勢いよく落としぶつけた。
当然ながらに、抜き身の白刃も取りこぼしてしまう。
「……痛ぁ、ヅ」
バチリと、ほんの少しだけ紫電が奔る。多分、軽い脳震盪を起こすくらいの衝撃だった。
足を捻ったとかそういう訳じゃない。単純に力が入らなかった。自重を支えることが出来なくて、倒れ込んでしまった。
どこも悪くはない筈なのに。傷や不調の類は全部、勝手に治癒される筈なのに。
いいや、違うな。
コレはそういうのとは、逆の。
「――ヅ、ヅヅヅ、――■■ヅ」
目を剥き、歯を食い縛る。
湧き上がる暴力の感情を、手のひらを握り懸命に堪える。
静まらない鼓動は、抑えられず。
昂る攻撃的な衝動は、歯止めなく止めどない。
ならば行動にだけは移さない。
どうしようもないモノにではなく、最後のラインだけは超えないようにと、それだけを全力で抑え込む。
「……■、雪」
でも、あの子も。
あの子の無事も、確かめなければ。
そう、這いばいながらもこの手を伸ばして――。
それを、ふと。
私の傍らにしゃがみ、膝を下ろした騎士が、制した。
「ご安心を。スズヤマチユキは無事だ」
「……ヴァン」
顎を上げ、見上げれば。
右腕を失い、顔色の悪い彼は。
眉を寄せながら、それでも柔和な表情を浮かべていた。
「セーラを、妖精を確認に飛ばした。安定した呼吸が繰り返されている。……もっとも手足や頬に氷面の部分が多く見受けられ、大丈夫とは言い難い様子だが」
「……そう、か。なら、ひと安心■が、急ぎ手当も」
「では肩を貸そう。それとも今は、手を出さない方が?」
「ありが■いが、気を付けてくれ。なにしろ、血の本能的なモノだ。不意にお前■喰ってしまう■もしれない」
「それはそれは。……生存本能、か」
「ああ。まったく面倒なことに、同族を減らして■まったからね」
これまでも、この手の事態は何度かあったが。
今この時のコレは、他とはまるで比べ物にならないレベルだ。
なにしろ生き汚いヤツが、多くの同胞を喰らったものだから。
「……果たして、何人、鬼の血が残っているやら」
私は半ば、ヴァンの左肩にしな垂れかかる形で立ち上がり、こぼした。
血が生きたいと、欠けたくないと叫んでいる。
恐らく鬼の血の同胞は、もはや十と残っていない程に……。
「……すまないが、ヴァン。刀を拾って貰え■か」
歩み出そうとした際に、視線を落とし彼へ伝える。
足元に、取り落としてしまった刀剣を持って行きたい、と。
「生憎と、片腕の身だ。もう一度しゃがみ、自ら拾って貰う他ないが」
「……ああ、すまない。含むとこ■はない。失礼したね」
「なあに、僕も未だ慣れないよ。困ったことに、こうなっては自分の剣すら拾えなくてね」
などと、乾いた苦笑を混じらせて。
ヴァンはもう一度、態勢を低く屈ませようとして。
それより、先に。
「――結構。吾輩が拾おう」
低い男の声が。
見れば、いつの間にか。
目前に立つのは、見覚えのない男だった。
「尽力に感謝を。そして見事と、称賛を」
言って、屈み込み刀を拾い上げる。
くたびれた金色の長髪に、痩せこけ、健康的とは言い難い顔色。目の下に隈まで浮かべ、気力や生命力の類が大きく削がれているように窺える。
一見すれば、なんらかの病気のようだとさえも。
だが身に纏う白の礼服は、似合わぬ程に豪勢華美。
煌びやかな金飾りに覆われて、――幾つかの血痕を含ませて尚も、煌々と輝きで持ち主を讃えている。
所属を明らかに、立場もまた明白だ。
なによりも、その真っ直ぐな瞳は揺るぎない。
芯の通った固い強さを、携えていた。
「……第一皇子」
「如何にも。第一皇子、シュタイン・オヴェイロンである」
それから私は、彼より刀を受け取った。
失礼ながらも左手だけで、支えられたまま、頭を下げることしか出来ずに。
「……片桐乙女です。申し訳ありません。出会い頭に、このような状態で」
「よい。このような状態、分からぬ吾輩ではないし、礼節を弁えよと叱咤する癇癪もない。よくぞ生き抜き勝ち取った」
加えて、第一皇子は。
ヴァンに回していた私の右腕を取り、そのまま右側面へと、回り込んだ。
かの騎士を、押し退けて。
自分が割り込み、私を支える形で。
「シュタイン皇子、なにを!?」
「退け、ヴァン。そして貴公は剣を取れ」
「しかし、っ!」
「弁えよ。貴公は騎士であり、ここは未だ敵地である。武具を捨て置くなどとは、恥知らずも甚だしい」
慌てふためくヴァンへと、皇子は続けた。
――なにを赦しているのだ、と。
「ヴァン・レオンハートの損失が、我が国にどれ程の痛手か。その片腕の重み、国力を揺るがす致命の事態であると、正しく理解しているか?」
「……ッ」
「赦さぬし、悪いがそう易々と解放などもしてやらぬ。我が国が育て上げた第一級騎士、今後も我が国に尽くすが正道」
それは、なんて厳しい叱責なのか。
なんて、重い言葉なのか。
「忘れるな。――剣を投げることなど、決して赦さぬぞ」
紛れもない。
彼こそは、人の上に立つ者だ。
「……は。畏まり、ました」
返す言葉もない。
ヴァンは急ぎ、放られていた自身の大剣へと駆け出した。
肩で息をさせながら、半ば身体を倒れ込ませるように、前のめりに。
ただ懸命に、――強がりを、拭うことなく。
「と、いう訳だ。我が騎士程に安定した支えではないが、生憎ヤツには役割がある。吾輩で我慢して頂きたい」
「滅相もない。感謝致します」
ふいになど、出来る筈もない。
それに刀さえ握っていれば、血についても大丈夫だろう。
問題といえば、皇子そのものか。
呼吸も大袈裟に、随分冷えている。身体の細さもあって、とても私を支えて大丈夫には思えないが。
「…………」
それを口にするのは野暮であり、なによりそんな気遣いは、慢心だ。
皇子の言葉の通り。ここは未だに敵地であり、私たちは全員、相当に消耗した状態にある。無様でもあべこべでも、構えを解いてはならない。
ああ。
ならば、やはり。
「……私も、大丈夫です」
支えを解く。
皇子から離れ、自身の足で踏み止まる。
怪我がある訳でも、欠損がある訳でもない。ただ消耗して、内側で血が暴れているだけだ。なにも立てないことなど、ありはしないのだから。
甘えない。
私もまだ、戦わなければ。
「よいのか?」
「はい。これ以上に借りを作っては、後のご褒美に響きそうですから」
「……クク。褒美とは、図々しい。そちらの国の揉め事であったというのに」
「それでも、皇子を助けたとあっては、相応のものがあってもよいのでは?」
「如何にも。吾輩も単独行動故、国からの謝礼などはなかろうが。――吾輩の心象という部分でよければ、それなりに覚えておこう」
「ありがとうございます」
それは、なによりもだ。
今回の件だけでも、こちらに幾つか失態がある。後に続く戦いを考慮しても、心象が良い以上に必要なものはない。
状況を打破する為には、より親密に、手を取り合うことこそが。
恐らくは皇子も、それが分かっているから。
と。
丁度、その時だった。
「オトメ!」
遠くから響く声が。
すれば広間へと、黒衣の魔法使いが躍り出た。
多少の擦り傷や、火傷の跡はあっても。
五体満足に大きく声を発する、私たちの最大戦力である少女が。
「……サリュ」
「オトメ無事? それに、ヴァンも、――ッ、チユっ!」
そして慌て、千雪へと駆け寄る。
私も急ぎ、歯噛みし彼女へと駆け寄った。
「大丈夫だ。意識を失っているが、命に別状はない」
傍へとしゃがみ込み、この目で改めて確認する。
ヴァンの言葉に偽りはなく、呼吸は深くも安定しているようだった。
しかし、着物から覗く手足や、頬や額に氷面が浮かび上がっている。
あまりいい状態ではない、か。
「どうなってるの? どうすればいい?」
「恐らくは、過剰に力を使った反動だ。どちらかといえば補うのではなく、膨れ上がった妖力を放出してやってほしい。出来るか?」
「やってみる。……けど、その、他は――」
「大丈夫だ。今はここでいい」
全員がそれぞれに満身創痍。
サリュもまた、疲弊しきってはいないものの、万全とは程遠い。リリーシャの不在が気掛かりではあるが、無事制したというなら心配はないだろう。
暗躍していた魔法使いと、この島のトップである鬼将。
どちらも突破して、ここでその牙城を崩される訳にはいかない。
合流を果たしたここで、状況を立て直すべきだ。
それに、ヤツが残した言葉。
その意味するところが、私の予想通りなら……。
「裕馬の戦いは、今はそのままで、いい」
「オトメ?」
「別段、賭けや投げ出した訳ではない。――コレは」
コレは、恐らくは。
裕馬の為の……。
「裕馬の戦いを、続けさせてやってくれ」
直後。
遠くより轟く爆発は、この島に残された、最後の戦いで。
それこそサリュの介入があれば、あっという間に決着がつくかもしれなくて。
それを、私は。
「…………」
私は、呑み込んだ。
どう転ぶか、じゃない。
この先を見据えた、その上での。
裕馬を続かせる、その為の。
私の、選択だ。
読了ありがとうございました!
次話は一週間お休みをいただいて、来週土曜日に投稿予定です!
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