第四章【77】「鬼将 鴉魎」
曰く。
鴉魎という半妖は、血の七割を鬼が占めている。
すなわち厳密には違えど、比率そのものは裕馬に匹敵する。
ならば同様に、正しく表現するならば、鴉魎は――。
「鬼人間ではなく、人間鬼」
「……如何にも」
鬼の血に、人間の血が混ざった状態。
妖怪の半人だ。
それは生まれ持った、変えようのない因子で。
この国においては、失敗作という拭えない烙印。
それが発覚するも、しかし鴉魎が裕馬のように、脅威として畏怖され囚われなかったのは。
彼の家柄と、その血に有する鬼の弱さが要因だった。
「運が良く、そして悪かったのでしょう。俺は、……良く出来た失敗作でした」
そもそもに、鴉魎はこの島の長の血筋に直系する。後には島を継ぐことも出来る立ち位置にあり、延いては存続に関わらせることも十分に考えられた。
我々凡俗な片桐の家とは違う。祝福の中に生まれた赤子は、多少の不備を背負っていようとも、手厚い庇護を受けられた。
その身の全ては彼を持ち上げ、祀り上げる為の要因として解釈された。
加えて彼は、出生時に母体へ牙を剥くこともなく、暴走などを起こすこともない。
幼少より実に落ち着いた様子で育った。
大凡の鬼に、あるまじき。
鴉魎の有する鬼の側面とは、大人しく御しやすい代物だった。力だけでなく、暴力性や加虐性までもが沈静化されていたのだ。
ただ、鬼の力そのものが弱いことを除けば。
鴉魎とは、組織が求める完成形に限りなく近い存在だった。
極め付けは、それでも生まれより、鬼の血を多く有する故に。
鬼血の力を活性化せずとも、彼は、――並みの人間や半妖の基礎的な能力値を、大きく上回っていたのだ。
「言ってしまえば、常時が鬼。片桐裕馬のように、抑え込む必要も、ない。俺は逸脱した鬼の側面を、そのままに扱うことを、許されていた」
まさしく鬼の力を取り入れることで、上の段階へ至った半妖の理想形。
その上で、修練によって磨かれた剣術はやがて、鬼将と認められる程に。広く外世界と比べても、特級に比例し劣らない戦士にまで。
鴉魎とは、生まれに欠陥を抱えながら、それが最もの要因となり。
鬼狩りとして追い求めてきた、最高傑作となった。
よく出来た話だ、と。
羅列された『側』の情報だけを切り取れば、軽率にそう捉えてしまえるが。
恐らく誰もが、そうしてしまって。
けれど、そうではなかったから……。
鴉魎は続けた。
そんな自身の扱いはまるで、仕舞い込まれた秘蔵の宝のようであったと。
「我ながら秘蔵の宝とは、その通り。大切に、壊れないようにと。修練ばかりの厳しい日々すらも、幼少には終わりを迎えてしまいました」
磨かれることすら無くなったモノは、ただ島の奥に囲い込まれて。埃が被らない様にと、それもまた持ち主の都合によって、時折の解放すらも勝手に取り出される始末。
理想とは希少とは、価値とはすなわち、得難く手放し難いという雁字搦めの制約でしかなかった。
自分に与えられたものは、柵という不利益ばかりであった。
だから。
「九尾らが来たあの日は、実に心が躍りました。先日の本土への攻撃も、今宵も、――こうなってもまだ、まったく、興奮冷めやらぬ」
「私も驚いているよ。そんなにお喋りだったとは、ね」
「……フフ。存外、こういうところは、鬼の血によって昂っているのかも、しれません」
聞けば、藤ヶ丘へ攻め入る前日は、近隣の街で夕食を楽しんだとか。
鬼将准鬼将共々ハメを外して、夜闇を飛び回ったらしい。
「今でも、鮮明に。ビルからビルへと、飛び移る際、――見える街並みは煌びやかで、絶景でした」
「…………」
「お恥ずかしながら、夕食は、物珍しさに甘い洋菓子、ばかりでしたが。それもまた、幼子のようで笑える話です」
「……まさか全てが、それら娯楽の為の口実ではあるまいな」
「勿論、娯楽は些事ですよ。……しかし、そのほんの些事すらも、――こうならなければ、叶わなかった」
鴉魎が、全てを掌握するまでは。
トップの首をすげ替え、異界の者たちを受け入れ、それらによってこの島を支配したからこそ。
そうまでしなければ、未だ、島を出ることは出来ていなかった。
たったそれだけのことで。
けれどもそれ程をしなければ、絶対に。
「俺はただの、後に血と功績を繋ぐ為だけの、――歴史の礎に刻まれるだけの、通過の一点でしか許されなかったのです」
「……お前は」
それで、なのか。
だから鴉魎は――。
「俺はただ、最高を、振るいたかった。この身に得た力を、才を、捨て置くなど出来なかった。そんなことは、御免だった」
歴史や時代の礎などではない。
ただこの瞬間の為の、自分自身の為に。
「蔵の内側でなど、堪えられる筈がないでしょう」
いっそのこと、かの鬼のように。
転がるままに放って、いざとなれば殺してしまえばいいと、そんな風に捨てられてしまった方が、よっぽどか。
「貴女の弟が、羨ましい。――と、言っては、怒られてしまいます、か」
「……そうまで過剰には取らない。そんな話を聞かされては、そういう側面も否定しないさ」
「フフ。お気遣いを、ありがとうございます」
囲われた中で、ぬくぬくと不備なく、不自由に飼い殺されるか。
野放図に、命の危険があっても、それでも多くのものに触れることを許されるか。
どちらも等しく、不条理を負わされながら。
けれども自分に感じられないものが、与えられなかったもう一方が、……どうしようもなく。
「……は、は。最高傑作などと、ただの飾りでは」
「お前も哀しいな」
「真っ当な人間でさえ、難しいと、言われているのに。人間を外れて生まれ、哀しくない者など……」
「それもそうか」
哀しさからの解放など。
楽なものなど、決して。
それでも。
その中で、なにかを見出すことが出来たなら。
型落ちでも少量でも、この手に幸せを抱き込むことが出来たなら。
それを求めて、私たちは。
私たちは、こんなにも懸命に……。
「お前は諦めたんだよ、鴉魎」
「……貴女が言うのか」
「私だから言うんだ」
私は後悔を諦めていた。
どうしようもないからと、この先の、未来に待ち受ける後悔すらも恐れた。
いっそのこと、終わらせてしまいたかった。
終わってもいいと、壊れると見えていた天秤に、投げ出してまで。
そんな無責任は通らないから。
物分かりのいいように取り繕うことは、本当は出来ないんだって、気付いたから。
「私はやめたよ」
だから、ここに来た。
鴉魎は。
私の後悔とは真逆に、――期待を諦めていた。
この先もなにも変わりはしないと。継続は不変であり、壊す以外に手を加えることは出来ないと。
崩壊の先にしか、道を見つけることは出来ないのだと。
鬼将程の力を持っていながら、それでも。
古くより積み上げられてきた地盤を崩すことは、困難を極めると。
「……まったく、お前も、私も」
似て、非なる。
私たちは、それぞれ別のものに、――怯えていたんだ。
失うことに。
得られないことに。
「本当に無理だったのか?」
「どうでしょう。貴女の言う通りに、諦めていましたから。規律とは、どうにも、頑ななものです。……鬼狩りとは、まさしく、規律を守る為の、組織ですから」
「人を守る為の、と言ってやれよ」
「馬鹿な。ならば我々、鬼の血を消すのが先決でしょうに」
「……ハッ」
確かにその通り。
人喰いの妖怪で、半妖であっても暴走の危険がある。なるほど存続の為に危険因子の排除とは言ったものだが、ならば自分たちを潰してしまえとは。
本当に、哀しい存在だ。
「この滅びも、どの道いつかは来るものだったか」
「ええ。……ならば、どの道来るなら、俺が幕を引きたかった。俺の生きる、最後に」
そして、その滅びの先に。
隠すことなく、正しき立ち位置として。
この国に仇名す存在として、弁えて生きるつもりだった。
「分不相応な、正義など語らずに。人喰いの血を流す鬼は、人間の脅威として。あるがままに、自然の摂理に沿って、……なににも、縛られずに」
「……私にはよく分からないよ」
自由を求めるだけであるならば、まだしも。
自ら望んで、人を害する、悪になりたいなどと。
では、話が通っていないのかと言われれば。
きっと、矛盾はしていない。
この男は、一貫して……。
「――不自由に囚われ、檻を壊した鬼の子」
私は、彼へと言った。
「自身という個、その自由と満足への献身を、――他者へと施すことは出来なかったのか?」
「…………」
「お前の持たないモノへの憧れを捨てて、与えられたモノの中で、柵を享受することは出来なかったのか?」
だって、きっと。
この男が今宵のこの時に、私たちの全てを斬り伏せていたとしても。
果たして、その先で得られたモノを。
今よりずっと、大切に出来るか、大切に思えるかどうかなんて……。
ああ。
でも、聞くまでもなかった。
「それは、不可能でしょう」
鴉魎はそう言った。
真っ直ぐに、私から目を逸らすことなく。
自身の芯を、ブレさせることもなく。
「不可能、か」
「ええ。――だって、俺も、貴女たちも」
私たちは、互いに。
まったく反対に、同じにはなれなかったのだから。
「俺には、分からない。不自由に、囚われた中で、……ソレを破れる、大きな力や立場を得ても、……役割の内側で、それでもと、手に収まる幸せとやらを、享受しようとして」
「それこそ、当たり前に思えるが」
「……俺には、不可能ですよ」
「だったらしいな」
結局は、理解は出来ても分かり合えない。
同情は出来ても、同行まではしてやれない。
それ故に、衝突して戦った。
コレは、そういう話なのだから。
「……ガ、ゴ」
やがて、鴉魎が大きく吐血を落とす。
明滅していた喉元の紫電も、いよいよ打ち止めだ。彼は全身より今一度、致命に届く血の飛沫を散らせた。
終わりの刻だ。
「無理をさせたな」
感謝も謝辞も不要だが、それだけは伝えた。
付き合わせたことだけは、忘れてはいないと。
「……な、に。勝者の、特権という、ヤツです」
「もう言い残すことはないか?」
「……そう、です、ね」
尋ねれば、音を立てて息を吸い。
カクリと頭を下ろしながらも、口元を、震えさせて。
「……ああ、一つだけ」
鴉魎は、最期に。
私へとソレを伝えた。
「……俺には、やりたかった、ことが。……見たかった、モノが、あります」
自分の生涯の中で。
自身が体感することの出来る、今代の鬼狩りにおいて。
「……滅び逝く、鬼狩りの、その最期に。……この、俺が、――完成させたかった、モノが」
「完成?」
「……ええ。完成、です」
彼は続けた。
正しく、鬼狩りという組織の悲願を。
この島の、半妖の先に理想を追い求め続けてきた、その積み重ねに一つの終止符を。
「ある種の、使命感で、あり。なによりもは、俺自身の、興味であり。……終わらせる、その前に、この手で」
「なに、を」
「恐らくは、完遂、されるで、しょう。……貴女方が、来たなら、もう、確定的、だ」
惜しむべきは、それが見られないことだけが。
最期の悔いだと、そうこぼした。
「……残念、です。色々と動いて、調整して、大変、……だったのです、が」
「――お前は、まさか」
「……フ、フ。少しくらいは、……感謝して、下さい」
そして、鴉魎は――。
「正しき、最高傑作は、……間もなく」
それだけを、残して。
君臨を続けていた鬼将が、崩れ落ち、横たわった。
その傍らには色落ちした、尖れた白刃を置き去りにして。
「……まったく」
私はその慣れ果てへと歩み寄り。
残された刀剣を、拾い上げ。
「どいつもこいつも、勝手なことばかり」
だからこうなった。
「――――」
私たちも、いつかはきっと……。
「……ああ」
本当に、哀しいだけの存在だと。
そんなことを呟いた。