第四章【73】「一つ目の終結」
紅焔一閃。
わたしが得意とする焔の大剣の、その威力を一点に絞り凝縮させた一閃だ。
本来であれば広範囲を焼き尽くす為に、巨大な焔剣を振るうか放つ必要がある。必殺に相応する渾身の一撃は、遅くはなくとも、速さを持ったものではなかった。発動からの着弾までは、並みの炎弾や光線の方が遥かに速い。
それ故に、一閃へと凝縮し、弾き飛ばした。
ビルでの戦いでクロが使っていた、この世界の拳銃という武器に似せた魔法攻撃。
「――!」
その速さは、我ながら目を見張るも、既に事は終わってしまっている。威力も申し分なく、阻む全てを容易く貫通した。
焔を凝縮した弾丸の作成と、撃ち出す砲台を構築する魔法式。それぞれ別個に多くの要素を含めた、複雑な用意を必要としたけれど、――それが間に合ったのは。
他でもない、新たに手に入れた力の。
式を保存し複数の展開を容易にする、――この本があったお陰だ。
そして、なんらかの次手を発動される前に。
ネネはその左肩を、焔の弾丸によって撃ち抜かれ。
「――ごめん」
わたしは、たじろぐその隙へと、魔法の礫を追撃させた。
百を上回る魔攻は、どれもが強力な破壊を内包する。
すぐさま態勢を立て直すも、咄嗟の防御や返す攻撃では、到底敵うことは出来ない。幾重もの盾も、奔る稲妻や光線も、ネネの用意した魔法はことごとくを突破され。
その小さな身体が爆発に呑まれていくのを、わたしは最後まで見届けた。
「――――」
断続的に広がる炎と、吹き散らされる衝撃の渦。この地下一帯どころか、恐らくは島全体をも震えさせる程の振動が繰り返す。
思わず崩落の危険に身構え、対抗策を頁へと刻んだが、その手の被害は落石程度に収まった。剥がれた中小くらいの欠片たちを、簡単な風の魔法で掃うに終わる。
勿論、背後のリリにも降らせることなく、戦いの余波を届かせないよう周囲を把握して……。
それで、分かった。
一帯への感知が、届いた。
間もなく最後の爆発が巻き起こり、収束していくに、先んじて。
ネネが変わらず、その場所に立ち続けていることが。
「……っ」
抵抗の突破は確かだった。けれども威力の減衰は避けられず、本来のダメージを大幅に削減されていた。それも含めた上で、必要に届いていたつもりだったのに。
やっぱり百数では足りなかったのか。後先を考えず無茶をしてでも、十分以上を用意して強襲するべきだったのか。
いや、きっとそうじゃない。
それ以上に、わたしに足りなかったのは……。
やがて、硝煙も薄れた後。
彼女の姿に、息を呑む。
くすんだ桃髪は余計に乱れて、黒衣はボロボロに焼け落ち散々で、火傷も流血も、目を背けたくなるくらいに酷い有様で。
左目は重くまぶたを閉じられて、残る右目も細められている。同じく左半身の損傷が大きいようで、左腕は肩口からだらりと、力なく繋がっただけの状態だ。
深い呼吸を繰り返し、息も絶え絶えに。
それでもネネは生きて、そこに立ち続ける。
ゆっくりと、緩慢に持ち上げられた右手のひらをこちらへかざして。
淡い光を灯し、弱々しくも構えながら。
「……は、ッ、ははぁ~。残念だね、ぇ、……サリュちゃん」
ネネは擦れた声で、わたしへ言った。
結局は、そうなんだね、って。
「あぁ、……痛い、痛いよぉ。だけどぉ、それだけ、なんだよねぇ」
「……ネネ」
「ネネとしたことが、失念、してたよぉ。直前で、思い出した、けどぉ。……そう、リリーシャちゃんじゃ、なくてぇ、サリュちゃんが、相手、だもんねぇ」
命懸けではあったかもしれないけれど。
決死の覚悟は必要なかった、と。
「さっきの肩を貫いた、一撃ぃ。頭を撃ち抜けた、筈だよねぇ……」
でも、そうしなかった。
どうして、何故。
そんなのは、決まっている。
「サリュちゃん、だもんねぇ」
「……分かっていながら、っ」
「分かってる、から、だよぉ。そうなればぁ、しっかり、自分の周りを固めれば、いい。取り返しのつかないところだけ、厚く守ればぁ、受け切れる筈だもん」
そして悔しくも、その判断は的確だった。
まんまとネネの言う通りに、わたしは……。
「ほうら、……服とかはボロボロでぇ、痛くて痛くて仕方ない、けどぉ、どこも欠けてないでしょぉ? 五体満足にぃ、命に別状もない。儲けもの、だよねぇ~」
「だとしても、もう戦えない。そうでしょう!」
「そう、だねぇ。……だからぁ~」
言って、ネネは。
ぐにゃりと、口の端を吊り上げて。
「お願ぁい、レイナ先生~♪」
そう呼びかけた、瞬間。
ネネの背後、彼女の身体と同様に、――いや、彼女自身以上に無傷のままで守られていた。
巨大な姿見が光を纏う。
「っ!?」
なんらかの魔具の類だとは思っていたけれど、ソレは。
その鏡は、鏡面を通して、ここではない別の世界へと繋がっている。
それによって、眩く見えない向こう側から、世界そのものが別たれたこの場所へと。
魔力と魔法式が、まるで同じ地点で展開しているかのように送られているんだ。
そして、今。
発動された魔法式は、ネネの前へと現れた半透明の魔法壁と、それから。
その身体をここから逃がす為の、異世界転移の魔法だ。
「ネネ、逃げる気っ!!」
咄嗟に、同様の紅焔を。
撃ち抜かれる一閃は、塞がる魔法壁を貫通せしめる、――けれど。
ネネへと穿たれる、寸前。
直進していた筈の紅線が屈折し、彼女の身体をかすめることもなく、背後の土壁を貫くに終わった。
「な、あ――」
ただの防壁ならば、なんの障害にも成り得なかった。感触からするに、恐らく十に匹敵する魔防が展開されていたけれど、それでも全てを撃ち抜くことは出来ていた。
だけど、重なる盾たちは、あろうことか。
細かに一定方向へと微動することで、貫通する一閃の挙動を、ほんの少しでも逸らしてみせたのだ。
ネネの右肩を撃ち抜くか、或いは、躱されてもそのままでも、姿見を貫いていた筈だったのに。
外された。
とても初見ではない。今までの全てを観測されていた。その姿見がこの場にあった以上、それ事態はなんの不思議でもないけれど。
それでも、二撃目にして対応された。防ぎ切るまではいかずとも、退けてみせた。
「レイナ、っツツツ!!!」
魔力からも明らかに。
最後まで、思い通りにはさせてくれないっ!
「……当たり前じゃ、ない。逃げる、そりゃあ逃げるよぉ。リリーシャちゃんの相手だけでも、めちゃくちゃ疲れてるのにぃ。その上、これ以上の連戦とか、無理無理ぃ~」
「あくまで、そっちなのね」
「勿、論~☆」
だから降伏ではなく、逃げる。
この場だけを終わらせることで、仕切り直す為に。
「面倒だけどぉ、ネネには、他の役割もあるみたいだからぁ。こうして、手を焼いて貰えるくらいにはぁ、頑張らないとねぇ~」
「……次はないわ」
「……そうだねぇ」
その身体がブレ、魔法式が発動される、間際。
ネネはもう一度だけ、にこりと目を閉じて笑って。
「もう二度と、会いたくないなぁ」
そんなさよならを、残していった。
◇ ◇ ◇
それからネネが消え去った、直後。
バギンと、巨大な姿見が、黒い閃光によって撃ち抜かれた。
丸い黒穴を穿たれ、それを中心に大きな亀裂を入れられ。
やがては纏わっていた魔力の残滓までもが、完全に消え失せる。
振り返れば、震える右手を突き出して。
立ち直ったリリが、その破壊に頷きを示した。
「……なによ。向こうと繋がってるのよ。レイナ先生から変な干渉されたら、最悪じゃん。あたしの判断、間違ってないと思うけど」
「そう、ね」
「だったら先にやれって話。相変わらず行動が遅過ぎ。感傷に浸るのは勝手だけど、せめて浸れる余裕は自分で作って貰える? あたしも回復に注力したいんだから、気を遣って」
「……そう、ね」
ネネは逃げ、鏡も壊された。レイナがその気になれば、きっとこんなのなくたって、単身で乗り込んでくるだろうけれど。
それでもネネを連れ帰りに来るのではなく、転移だけをさせたところを考えると。……今のところ、その気配はないと思っていいだろう。
つまり、この場での戦いについて、ひと先ずは。
「終わった、のね」
そう言える状況へと、至ることが出来たんだ。
当然、ここが終わったところで、全てが解決した訳ではないけれど。
それでもまず一つ。わたしは、わたしのやるべきことを――。
「――フ」
だから、一息だけ吐いて。
わたしは両手で持ち直した魔法書を、ぎゅっと力強く抱きしめた。
終わった。なら、次だ。
一息吐いて、ふっと肩を下ろした。それだけでいい。
リリの言う通り、感傷は後だ。
悔恨も、これからのことも、今じゃない。今は今に集中して、それ以外のことは全部、終わってからだ。
切り替えろ。
次にわたしがすべきことは、なんなのか。
「そーいうワケだから、あたしはちょっと休ませて貰うね」
考える前に、リリはそう言って、もう一度その場に座り込んだ。両手を地面について、お尻を下ろして、それからそのままに、だらりと仰向けに転がる。
全身に淡く纏わせた明かりは、治癒の魔法だ。言っていた通りに回復に注力するって、そういうこと。
それは間違いなく、今のリリがすべきことで、必要なことだから。
「大丈夫?」
「大丈夫に見える?」
見えない。
黒衣から覗いた手足は傷だらけで、汚れで判別しにくいけれど、顔色だって相当に悪い。大きな呼吸を繰り返す度に眉も寄せて、寝転がっているだけでも厳しい状態だ。
それでもひとまず、命に別状はないところで安定している。
……これ以上の無茶さえしなければ、だけど。
「手を貸した方がいい?」
「要らない。サリーユだって、それなりにキツイでしょうが。ムカつくから、そういう気遣いはお仲間にして」
未だ余計な力を垂れ流す余裕なんて、ありはしないのだから。
リリはそう、わたしの申し出を鬱陶しげに跳ね除ける。
「……分かった」
反論なんてある訳がなかった。
頷きを返して、視線を頭上へと向ける。
わたしもまた、注力する。
地上の状況の把握と、わたしが必要である戦いを探して。
だから、今は。
リリのことも、この後で……。
「……また話しましょう」
「そうだね」
リリは、弱く擦れた声で。
それでもわたしに届く、はっきりとした強い口調で。
「あたしにはもう一度、絶対に会ってもらうから」
そう、またねを言葉にした。




