第四章【70】「盤外Ⅶ」
「――悪いが私に、命を賭けてもらうよ」
説得の後、そう宣言したオトメに連れられて。
わたしたちは隠れ家を後にし、すぐに別の場所を訪れた。
戦うと決まったなら、島へ向かわなければならない。
その為の用意も、すでにさせているのだ、と。
そうして、わたしたちが訪れたのは……。
『よォ。待ッてたぜェ』
「……あなたは」
全ての始まりの、ユーマが連れ去られたあの日。
わたしを無力化して、なにもさせなかった当の本人、――機械の老人。
特級、グァーラが待ち受け、わたしたちを迎え入れた。
この藤ヶ丘センタービルこそが、その用意の場所だと。
件の屋上階は、特級会議の時と変わらない。
緑の草花が彩る庭園。見上げれば高くまで硝子張りになっていて、深夜ながらも明かりが灯る街並みを透けさせている。
その中央部、円の形に作られた白い石畳のところで。
骨張り金属や配線を剥き出しにした老爺が、ギョロリと真っ赤な左眼の光体を、怪しくこちらへ輝かせた。
わたしとオトメと、それからシロとクロ。
全員を見定めて、大きくガシャリと、肩を落として。
『……ふゥ。結局こうなッた、なァ』
そう、吐息交じりにこぼした。
「グァーラ、あなたは……っ!」
『おおッと。因縁ってんなら、今は置いておいてくれよォ』
咄嗟に右手を突き出したわたしへ、彼もまた右手をかざし、手のひらを広げて制止を促す。細かなコードが引き延ばされて、またしてもギシギシと小さな音が鳴らされた。
合わせて、屋上階全域が微かに震える。ほんの少し、気のせいかってくらいの振動だけれど、恐らくなんらかが構えられた。
まさしく一触即発。
だけどわたしにはそもそも、攻撃の意思はない。
これは防御であり、あくまでその時、すぐさま攻撃へ移れる為の。
対象への、標準合わせだ。
「あなたがなにもしないというなら、わたしも構えるだけに終わるわ」
『ギシシ、まァそれが妥協点だよなァ。なにしろ不意打ちを喰らわせちまッた立場だ。信じろッてのが無理な話かァ』
「……なにか言うことはないの?」
『あるなァ、あり過ぎるくらいだ。許して貰えるッてんなら弁明させてほしいが、……今はそんな時間もねェだろ』
「……それもそうね」
『だが聞かれた以上、簡単にだけ言わせて貰おう。儂にも理由があッた。儂にもこうなるとは思ッていなかッた』
曰く、あの時の彼の行動とは、わたしという戦力を無力化すること。或いはあの場所へと縛り付けることであり。
つまりわたしが介入出来なくされた別件でなにが起こるかは、なにも知らされていないし、なんの関与もなかったのだ、と。
『勿論、それで儂が得た物がある以上、責められて当然の立場だよなァ。……だが軽率だッたことは認めよう。だから、用意をした』
謝罪や禊の意味がない訳ではないが。
あくまで均等に、マイナスをプラス寄りに、ゼロへと近付ける為に。
今この時は、グァーラはわたしたちへと加担するのだという。
「それだって、中立性を維持したい自分の為じゃないの」
『ガララ、手厳しいが違いねェ! だが中立を保ちたいなんてヤツは、総じてそういうモンだぜ。純真無垢なのは美徳だが、他人に、しかもこんなジジィに求めるのは筋違いだ』
「……そう」
『そうだとも。だがこの件に関しては、それなりに安心しなァ。用件は確実に、誠心誠意で当たらせて貰ッたぜェ』
歯を見せ、ガラガラながらも声高らかに宣言する。
そんな反応に、一歩。
続けて踏み出したオトメが、彼へと言い付けた。
「それで、グァーラ。言っておいた通りになった訳だ。誰かしらはここに来る。だから頼むってね」
『あァ。そして儂も言ッていた筈だ。分かッた、七人程は連れていける用意をしておこう、ッてなァ』
「ちょっと余分に作らせたね」
『いいやァ、遠慮すんな。転移も転送も大して変わりはしねェ。――それに、丁度急用のお客様も増えたみてェだしなァ』
言って、グァーラがその赤い眼を逸らせば。
部屋の奥からこちらへ歩いてくる、二人の影に気付いた。
先導する金髪の青年と、控える巨躯の従者は間違いない。白服に身を包んだ一国の皇子と、緑肌の大剣を携えしオークの戦士。
アレックスとドギー。先刻、墓地で別れた二人だった。
「おお、丁度いいタイミングだ。流石は俺、運が味方している。百鬼夜行も行動開始という訳かな、片桐乙女さん」
「これはこれは第三皇子様。先程はウチの魔法使いを誑かそうと画策していたご様子でしたが、……いかがなさいますか?」
「ははっ。ちゃっかり嫌味も交えて、抜け目のない参謀様だ。しかし安心してくれ。俺の方に連れて行くつもりはない。こちらの問題はまた別件で、――だから、そちらにしっかり連れて行ってほしいんだ」
それから、アレックスは。
「鬼餓島へ向かうのだろう? どうやらそちらも重要になりそうだ。努々、しくじらぬように頼みたい」
笑顔の消えた真剣な表情で、そう続けた。
◇ ◇ ◇
立て続けの緊急事態。
それ故に猶予はあまりなく、けれども説明を省く訳にもいかない。
だから最低限に、必要な情報の共有を。
切り出したアレックスは、まず、先程わたしたちと離れた際の別件について語った。
「まずサリーユたちに話した通り、ヴァンの不可解な転移。そして続けて、――我が国の第一皇子までもが、単独で不可解な異世界転移を行った」
「第一皇子?」
「第一皇子、シュタイン・オヴェイロン。国王と女王に次ぐ、実質的なナンバースリーと思ってもらえればいい。その観点でいけば第三皇子の俺はナンバーファイブな訳だが、つまり俺より重要な役どころの皇子様って感じだ」
「その人が、転移を」
それも単独によるもの。
通常の方法であれば許される筈がなく、加えて第一皇子が自身で転移の力を持っている訳でもない。なんらかによって正規の手順を掻い潜り、転移を行った。
「耳が痛い話なのだが、別段、無断転移そのものは珍しくもない。転移を管理するところと繋がりを持っていれば、上手く手引きが出来る。実際に俺もそれをよく使い、今この日本国へ訪れたのも、類似する手段だ」
立場や貨幣を以ってすれば、幾らでも方法はある。
しかしその立場故に、たとえ秘密裏に転移を行ったとしても、所在の記録だけは残されてしまう。
だからアレックスも第一皇子も、現在地は常に、国に把握されているのだという。
「すなわち目を盗んでとはいっても、半ば事後承諾という形だ。事前に要請したところで通らぬ故の、強硬策ってヤツだな」
「それが問題になってるってこと?」
「それもある。方や好き勝手しまくり無許可転移を繰り返すガキの俺とは違い、シュタイン皇子は至極真面目で大人だ。立場もあり、滅多にそういう騒がせ方はしない。それも戦争が囁かれる物騒な時期に、不必要に不安を煽る人じゃない」
つまり、そんな情勢下で転移を行ったということは。
それだけの事態である可能性が高い。
重ねて、その転移を行った先が。
「更にあの人が向かった場所は、この国の境界、――ヴァンが転移した場所と同じ、鬼餓島だ」
「えっ」
そして、なによりも。
「そして、現在その鬼餓島への転移が、なんらかの法則によって阻害されている。壁のようなもので遮断され、転移不可能領域となっているんだ」
騎士の不可解な転移。
合わせてその場所へ、第一皇子も転移を行い。
その島が孤立した、転移不可能領域となっている。
それが、彼らアヴァロン国が直面している問題。
「……転移、不可能」
『それについては儂が補足しようかァ』
続けて、グァーラが。
立ち会わせたわたしたち全員へと、その現象を紐解いた。
『転移を阻害し遮断する法則。ソイツの正体は大凡、――ヴァルハラ国の魔法だァ』
「っ」
『それだけッてワケじャあねェ。他にもよく分からねェ法則やら、例の岩人形共の法則やらも混ざッてやがる。だがまァ、主軸となッてるのは、間違いなく魔法だなァ』
聞けば、島の周辺を調査していた際に。
突如として展開され、島の存在そのものが、覆い包まれたのだという。
『いやァ、驚いたぜ。まさか乙女嬢ちゃんの用意を進めていたら、バツンだもんなァ』
「……つまり、あの島へ向かうのは不可能なのか?」
オトメの問いに、グァーラはギシギシと歯を鳴らす。
現状は難しく、恐らくは不可能と言えるだろう、と。
『あの島は磁場の歪みによッて異界かした境界だァ。アヴァロン国の連中はご丁寧にも異世界転移で訪れているがァ、そんな必要はねェ。磁場を調整してやりャあ、海を渡ッて行ける』
「そうだ。古くより本土の私たちは、その手法で島へと船で訪れていた。それも難しいか」
『あァ、駄目そうだァ。調査に放った無人の小型船までは送れるだろうがァ、それより先は介入出来ねェ。磁場ごとゴチャゴチャにされてやがる』
法則を解こうにもかなりの難度で、その上、常に微細な変化を続けている。短時間での掌握はおろか、数年単位を費やしても詳細を把握出来るかどうか。
内側から開かれるのを待つしかない。
それが、グァーラの示した現状だった。
『島一つ丸ごと呑み込んじまう程の代物だァ。当然、なんらかの核は存在してるだろう。ソイツを壊しちまえば、解除されて然るべきだがァ』
それからグァーラは、グルグルと赤い瞳を回して、今一度わたしを捉えた。
魔法使いであるわたしへ、問うた。
『リリーシャ・ユークリニド、だッたかァ。先行したお嬢ちャんは、妨害を掻い潜って侵入していた。海域上空で物凄ェ放電が起こッてたから、まァ力尽くだろうなァ。幸か不幸か観測上、その侵入後により強固に再構築されちまッたようだ』
「そう、リリが。……なら」
『なら、出来るッてかァ?』
「正直、見てみないことには。――だけど、出来ると思う」
果たしてどれ程のモノなのか。
けれど大凡の作りが魔法であるなら、なにかしらの攻略は出来る筈。少なくとも、彼の言った現状以上の部分へと、触れられることは確実だ。
力尽くという方面に関しても、同じく。
リリの全力に匹敵する魔法は持ち合わせている。
「転移への妨害を突破することには、挑戦出来る」
「よし。なら後はこちらの情報だ。――言っても、すでに多くは周知だろうが」
オトメもまた続ける。
自分たち百鬼夜行が把握する、鬼餓島に関する情報を。
「件の鬼餓島には愚弟が幽閉されている。それを助け出す為に、私は協力者である涼山千雪やヴァン・レオンハートを送り込み、――捕獲状態にあったリリーシャ・ユークリニドをも、島へと向かわせた」
「これまた俺が言うのもアレだが、随分と大規模な事後報告だ。全て独断による行動ではないのか?」
皇子の指摘へ、頷きを。
否定もしなければ、謝ることもない。
全ては必要なことだった。
オトメはそう言い切った。
「私とて先刻のグァーラ同様だ。弟という身内への忖度がゼロとは言えないが、コレが先へと繋がる重大な局面だと考えている。むしろ自分の弟を囮に使ったと、そう思われても仕方がない状況では」
「それはそれで気の置けない相手になる。……まあ今更、気の置ける相手にも出来まいが」
だが結果として、目論見通りとは言い難くとも。
恐らくは、暗躍していた何者かを引きずり出せた可能性が高い。
オトメは続けた。
「先日の東地区への転移攻撃と、図書館への襲撃。アレは明らかに結託された動きであり、加えてグァーラによる足止めは、鬼狩り側からの依頼であったそうだな」
『あァ、違いねェ。任務の大きな脅威と成り得る、サリーユ・アークスフィアの行動を抑制しろ。それだけが、儂が与えられた依頼だッた』
「それも含めて考えれば、鬼狩りたちは予め、サリュが別の場所に居ることを把握していることになる」
よって、わたしを誘き出せではなく、抑制しろ、だった。
やっぱりあの転移はそのものが、鬼狩りの事を優位に進ませる為の計らいだったってことだ。
そして、それが鬼狩りという組織だけによって計られ、起こされたものではないことも。
その暗躍するモノらについても、明らかにされた。
奇しくもこの状況、ユーマが連れ去られたことによって導かれた、今によって。
「岩の人形らに使われていた法則。そして現在我々を阻む、転移に対する妨害。どちらに対しても使われているソレは……」
「――わたしたちの、魔法」
暗躍者とは、魔法使い。
わたしの友人や知人や、――きっと、あの人が。
レイナが。
わたしの師である、レイナ・サミーニエが、関わっている。
「妨害とは予想外だったが、やることは変わらない。サリュがやってくれるというなら、私はそれを信じよう」
だから、中断はない。
わたしたちは、話を詰めた通りに。
「これよりわたしたちは、サリュの力によって妨害を切り開き、島へと攻撃を仕掛ける」
直接、鬼餓島へと殴り込む。
それだけだった。