第四章【68】「羨ましい」
ああ。
気に入らない、嫌いだ、といえば。
もう一人。
カタギリオトメという女も、嫌いだ。
「あたし、あなたのことが嫌いよ」
それは本人にも言ってやった。
あの病室で、向き合い話を進めていく中で、叩き付けてやった。
あたしは、あなたのような。
大義名分を欲しがって、或いは相手にも与えてやらなければいけないって姿勢が、――とても不愉快で仕方がない、と。
「手厳しいな」
空気を入れ替えようと勝手に開け放たれた窓から、秋初めの生温い風と、日中の眩しい日差しが入り込む。冷房で心地よく調節されていた病室が一変、微かな不快をはらんだものへと戻されていく。
ベッドの傍ら、その日差しに膝先を触れさせて。
来客用のパイプ椅子に腰かけた彼女は、大して反応も示さない無表情のままに、頷いた。
手厳しい。
申し訳ないね、とまで。
「……ふん」
どうやら自覚はあったらしい。
いや、それよりも、自覚した上で呑み込みが終わっている。そういう自分であると受け入れてしまっているヤツだ。
その態度がまた腹立たしく気に障ったけれど、だからあたしは構うことなく、それを掘り起こしてやった。
「自分が動くにも、あたしを動かすにも、随分と理由を付けたがるじゃない。必要以上の説得を並べるじゃない。それってどういう了見なの?」
「了見、という程のものもないさ。単なる癖、処世術のようなものだ。長くの経験で培ってしまった、振り解けない自分のやり方ってヤツでね」
「そんなに格好のいいものにも聞こえないけど? そこまで納得したくて、させたいの?」
「大切だと思うけどね。妥協にしろなんにしろ、納得して吞み込むという形を取るというのは」
「……冗談でしょ。納得なんてしない、呑み込めない。それでもやるもんでしょ」
言って、あたしはベッドに転がされたまま。
右手を曲げてぎゅっと、左の肩口を握り掴んだ。
欠け失われてしまったその先を思い、あたしは大きく息を吐きだした。
これはあくまで個人的な考え方だって、分かってる。
だけどこの場に居るのはあたしで、この女に用件を出されているのも、あたしだ。だからこの主張を、控えるようなことはしない。
「言った筈よ。あたしはあなたに、あなたたちに納得出来ない。協力関係なんてごめんよ。――だけど、こちらの条件を呑むというなら、あたしたちは利用し利用される関係を結ぶことが出来る、って」
数日置いたところで、変わりはしない。
それが先日、彼女から出された提案への返答だ。
取引で、契約で、交渉で。
それ以上に『懇願』であった、彼女の要求への。
「一度だけ、あたしはあなたの力になる。全身全霊に命を懸けてでも、あなたの命令を遂行する。その見返りに、あなたはあたしの自由と解放を提示した」
束縛を取り除き、罪を許容し、この世界から去ることを見逃す。この世界に残り共生を望むのであれば、それさえも叶えてみせる。誰もあたしを傷付け裁くことはなく、あたしを追うことすらさせることはない。
カタギリオトメの持ち得る全てを費やして、百鬼夜行や騎士たちからの干渉を、生涯完全に絶つと誓う。その為に注力する。
聞けば彼女は所属する組織の中でも、かなりの立ち位置にはあるらしく。口振りや所作等からも察するに、本人の自力もそこそこに有る。彼女がそれを誓い行動にするならば、大凡その条件が破られることはないだろう。
悪くないどころか、こちらに天秤が傾き過ぎている程の好条件。自身の今の立場を思えば、これを不意にするなど有り得ない。
出し抜くにしたってそうだ。彼女があたしを必要とする程の状況で行動が許されるなら、下手に囚われの状態で暴れるよりもずっと勝算がある。
従うにしろ背くにしろ、これは絶好の機会となる。
……などという具合で、要するに。
やはりここで頷く以外にないという状況を、納得させようとしてきている。
だから、あたしは。
その好条件に加えて、もう一つを付け足してやった。
「ええ、いいわ。納得出来ないけど、あなたの条件でいい。――変わらず先日提示した、こちらの条件を追加で呑んでくれるなら、ね」
「……その条件について言い分などはないのかな」
「ないわよ。言ったまま」
「早い話だ」
「早い話だよ。色々細かく御託を並べたところで、結局、あたしたちってそういう関係でしょ?」
敵対関係だの、治療してやっただの、囚われの身だの、口付けによる婚姻の縛りだの。そんな立場や風習に、あたしはまるで拘っていない。それらは全て、現状事実の羅列であって、なに一つとしてこの先を左右する要素ではない。
少なくともあたしに限っては、なんの足枷にもならない。
だから。
「条件を呑めばお互いに利があって、尚且つ被害や消耗も少なく済む。条件を呑まなければ、今この瞬間にでも、あたしたちは互いに多くを費やして対立することになる」
「シンプルだが絶大だな。なるほど私は君を甘く見積もっていたようだ。追い込んでいたつもりが、追い込まれていた」
「それはお互い様でしょー。あたしだってキッチリ逃げられなくされてるんだから。だからこの関係を最後まで続かせたいなら、しっかり組み立てて崩れないようにね」
「忠告までされるとはね」
「当然でしょ。あたしの協力が得られるかどうかすら、駆け引きの一つとして取り込むなんて正気じゃない。そして恐らくあたしの力を得たところで、成否は定まらずそれで構わない。そんなことに使われるなんて、我慢ならないよ」
「…………」
「もう一度言うわよ。しっかり組み立てて崩れないようにして。半端な作戦には付き合えないし、力になんてなってやらない。――たった一つの命をなにに懸けるかは、あたしが決めるんだから」
そんなだから、あたしは付け加えてやったんだ。
どう転ぶか分からない、賭けなんてモノじゃない。
あたし自身が欲する、自由以上の、この先にある展開ってヤツを。
それで結局、腹立たしいことに。
この島に、こんな状況に駆り出されて。
こんなの絶対に、なあなあにすることなんて出来なくて。
全身全霊、命を懸けて戦わされている。
つくづく、馬鹿な状況だ。
危険因子であるカタギリユウマという鬼を助ける為に、危険を摘み取る鬼狩りという組織と対立して殺し合う。それだけを切り取ってしまったら、まったく有り得ない意味が分からない。
だけどそこに愛情や友情、仲間や絆なんて感情がごちゃごちゃになっちゃって。勿論それら全てを含めての現状なんだから、やっぱり馬鹿馬鹿しいけど否定は出来ないっていうか。
まあなんにしても、あたしはあたしの利益の為に手を貸しているから。
その辺りの彼ら彼女らの事情って部分は、正直流しちゃえばいいんだけれど。
でも、一つだけ。
関わりながらも第三者って不思議な立ち位置のあたしが、この状況に思ったことは。
本当に勝手ながら、――『羨ましい』なんて、そんな感想だった。
「――――」
大きな力を持ったサリーユや、あの子に劣るも優れた力を有したあたしは、万人に認められて、評価されて、讃えられて。
……けれどもそれ故に求められ、取り入れんとされる。他者から利益の為にと、忖度や譲渡を受ける。
あたしを戦力としたカタギリオトメも然り。
あたし自身、大親友などと偽って、あの子の傍らに置かれるようにと取り入ったように。
だけど、彼は少し違う。
彼という危険因子は、その存在を否定し断罪することこそが、大きなものへと取り入る手法として使われやすい。
世界の敵であると一致団結して潰しにかかる。そういった用途に使われることが実に分かりやすくて、メジャーで、多くの利益を獲得出来る筈だ。
だからこそ、……それは、返せば。
彼の傍に残ってくれるのは、そういう利益とは違った理由を持った連中で。
言葉の通り、お仲間ってヤツらで。
決して多くはないのだろうけれど、その一握りはとても得難く、あたしには持ち合わせていないもの。
だから羨ましいと思った。
腹立たしいくらいで、……じゃあやっぱりあたしは、カタギリユウマも大嫌いだ。
みんなみんな、大嫌いだ。
◇ ◇ ◇
「……ッハ」
炎に包まれた中、笑みをこぼす。
熱くて痛くて堪らない感覚を味わって、嫌気がさすと吐き捨てる。
錯覚の魔法とは、よくやってくれる。
穴を落ちるさなか、大きな魔法を撃ち合うに紛れて、こそこそと読み取らせていたワケだ。……しかも先刻ネネが言っていたように、より深く状況を読み取ろうとした故に、それを逆手に深みに入られた、と。
本当によく出来ている。悪辣極まっている。
殺す気はないなんて、どういう冗談。
ほんの出来心で殺せる状況にまで追い込んでおいて、ふざけた言い分だ。
けれど、その全てが今、――焼き払われた。
外と内に纏わりついた余剰の不浄、『穢れ』とやらに分類される要素が、取り除かれた。
「熱っつ」
ゆっくりとまぶたを開く。
首をもたげたままに開かれた視界は、土肌の上、力なく折り畳まれ汚れた膝を捉える。その左右には垂れ落ちた両手のひらもだらりと広げられて、我ながら無様に、脱力のままに座り込んでいたらしい。
その手も足も、身体中が。
明るい茜の炎に包まれて、熱い。
「……っ!」
だからあたしは、魔力を放出させ、纏わりついた炎をただ振り払った。
重ねて火元である、背面に仕込まれた不明の法則へ対しても、分からないままに力任せで封じ込める。発動を遮り、火の手を抑え込む。
そうして微かな熱を残して、小さな火の粉も掻き消し、真に自分だけの状態に戻されて。
あたしはゆっくりと、顎を持ち上げ視線を上げた。
座り込んだあたしの、正面には。
「……どういうことぉ?」
目を見開く、ネネが立つ。
「……」
彼女の疑問を聞き流し、あたしはまず、周囲の状況を確認した。
ここは、落ちてきた洞穴の最深部か。
光を奪われた闇とは一転、周囲の土壁には灯火が並び、薄暗いながらも空間を照らし出す。
広々とした一帯に、生活感はない。足元も土が剥き出しで、どうやらここは隠し拠点でありながら、就寝等には使われていなかったようだ。……別段魔法を使えば、その限りでもないだろうけれど。
まあ、だとしても、こんな。
壁沿いに幾つもの人影が横たわったこの場所で眠るなんて、正気の沙汰とは思えないが。
死んでいるのか、それともまだか。
どちらにしろ、彼らの状態は良いものとは言い難く……。
「ねぇ〜。ちょっとぉ」
「……」
再度、声をかけられて。
それであたしは、ネネへと視線を戻した。
どの道この空間は、多くの人型が転がる、闇に塗れた酷い最奥で。
目ぼしいモノはもう、彼女本人の存在と、その背後に匿われている鏡――『巨大な姿見』だけだ。
一目で理解した。
それはあたしたちの法則を宿した、あたしたちの世界から持ち込まれた、魔法具。
尋常ではない魔力の気配からも、察するに。
この『姿見』こそが、この島を覆う魔法の起点。
転移封じの中核だ。
「ほんと、どういうことぉ〜?」
その前へと、立ち塞がって。
ネネは桃色の髪を揺らしながら、首を傾げる。
「なぁんで戻って来られたのぉ? その炎、ネネたちの法則でもないよねぇ?」
「ッハ。さあて、なんでだろうね。悪いけどネネと違って、あたしは懇切丁寧に教えてやらないよ」
種明かしなどしてやらない。
そもそもコレの種なんて、あたしもはっきりとは知らない。
だってコレはそもそもに、カタギリオトメらによるあたしという脅威への保険なのだから。ソレを変則的に扱って、窮地を脱したに過ぎない。
いいや、扱ったというのも正しくないか。
この狐火とやらは、あたしが魔法の力を失った瞬間に発動されるようになっている。
より正確に言えば、あの病室を抜け出した時から発動し続けているモノを、魔法によって抑え込んでいたから、それが解かれて火を噴いたのだ。
「ま、ネネの言う通り。あたしたちの知らない法則で、本当に奇妙で気持ちの悪い仕掛けよ」
一度発動すれば、不浄を全て焼き払う。
それは魔法だけでなく、妖怪による干渉も、或いは別世界のモノも例外ではない。有利も不利も関係なく、全てを焼き剥がし、拭い去ることが出来る。
重ねて、解除にはそれなりの力と時間を要するが故に。
そのままに抑え込み、逆手に取れ。
抑える魔法が無効化された際に、その無効化を施した要素へのカウンターと扱え。
そう、勝手に仕込みながら、結局解除もせずに投げ渡されたコレが。
心底腹立たしいが、保険として効力を発揮したワケだ。
「……ったく、さぁ」
魔法の無効を無効にする策も、失敗する危険性はあった。なによりそれ以上の力や法則によって、より難解に魔法を封じられることも有り得た。その為の保険だった。
そしてあの女の忠告の通りに。
理解の外側から入り込まれて、あわや全てを奪われかけた、と。
「あたしもまだまだ未熟ね」
自身を、叱咤し。
やがて膝を立て、地面を踏み締め、今一度立ち上がる。
痛みも熱さも拭い切れないままに、重くて億劫な身体をなんとか起き上がらせる。
油断も慢心も、欠片も残さず捨て置け。
未だ口約束でありながら、全身全霊が条件なのだから。
情け無用、容赦なく。
あたしはあたしの望みのままに、かつて同じ枠組みに居ただけのこの子を、踏み躙れ。
「必要ないと思うけど、最終確認。どうするネネ、降参する? それとももう一回、頑張って闇に落としてみる?」
「うぅ~! 簡単に言うけどぉ、入念な準備が要るんだからねぇ! それこそ落ちてきた壁に幾つも幾つも、違和感を覚えられないように絵や文字を入れたり、魔法式を仕込んだり〜っ!」
「そ。じゃあもう一度頑張って、あたしを上まで打ち上げることね」
もっとも次は、そうされたところで、壁を壊しながら落ちてきてやればいい話だけれど。
だからもう、ネネはあの闇であたしを縛ることは出来ない。最深部故に他にも備えはあって然るべきだが、今程のものは大凡ないだろう。
なればここからは、正真正銘、力と力のぶつかり合いだ。
あたしは右手のひらを広げ、突き出し。
左肩の黒布をはためかせ、立ち直したこの足で地面を踏み締める。
背後に展開される十数の魔法式は全て、劣ることのない。
高火力高威力、一撃必殺の束だ。
「あ~もうっ! 結構しんどくてギリギリなのにぃ~っ!」
合わせて、ネネもその全身に光を纏わせる。
身体の隅々にまで刻まれた魔法式に魔力を放流し、追従して余りある破壊の渦を構えた。
後戻りは出来ない。
今度こそ、どちらかが倒れるまで終わらない。
なんて、やっぱり今更だから。
「殺すわ」
あたしはそのままに、宣告し。
一切の躊躇いなく、背後の力の全てを解き放った。