第四章【67】「嫌い」
闇の回廊に、囚われて。
あたしの意識は外と断たれ、内側へと落とされていった。
深い深い、真っ暗闇の中。
言葉が脳裏に響かされる。
それは音のない声。
全てから引き剝がされる前に、例の錯覚によって刻み込まれた、他人勝手な命令。
――最期を彩る回想を。
――あなたの過ごしてきた、その人生を。
――思い返せ。
「……………………」
抗えない指示は、他でもない自身の脳から発せられて。
……なんて、悪趣味な。
コレはネネによって引き起こされる、人為的な走馬灯だ。
◇ ◇ ◇
いつだったか。
最近なのは覚えている。少なくとも、一年以内。浮かび上がったその光景は、近年になってよく見るようになったモノだ。
ただ、果たしてどのタイミングの、何処での出来事だったのか。それがごっちゃになって、判別も出来なくて、よく分からない。
なにしろ、焼け落ち崩れ果てた街の光景なんて。
何処も大差がない程に、なにもかもが失くなってしまっているのだから。
「……」
小さく呼吸をしただけで喉が乾いて、砂埃のような粉末が張り付く感触。けれども舌の上にへばり付く薄い欠片は、苦みの強い小粒の炭だ。
不快に思うも、吐き出すのも億劫だった。なにより最近はこんなのばっかりだから、慣れてしまったというのもある。むしろコレがないのが違和感を覚えるくらいに、苦くて不快で虚しさを覚えることが当たり前になっていた。
最初はご飯が不味くなるって、嫌悪していたくらいだったのに。文字通りに後味が悪くなるからって、こういうのも全部消し飛ばしたり、防いだりに余計な力を使っていたのに。……気付いたら、そんなこともなくなっていた。
だってご飯の味なんて、そもそもあんまりしなくなっちゃったし。
そこまで余分な力を使う必要もなく、ただ焼いてしまうだけの方が楽で、それで十分だって分かってしまったから。
何回も、何十回も繰り返して、覚えてしまったから。
なのに。
だって、いうのに……っ。
「……ごめん、なさい」
焼け落ちて、真っ黒になって。
建物の太い柱や石壁しか残っていないような、そんな荒れ果てた有様を前に。もはや誰一人として命の残されていない、終わってしまった街を眺めて。
サリーユは今日も、泣いていた。
立ち尽くして嗚咽を漏らして、両手の甲で何度も目元を拭って、泣いて謝っていた。
他でもない、自分自身の手で魔法を振るって。
この破壊の一端どころか、その中枢に大きく関わっておきながら、……なのに。
だっていうのに、この子はいつも泣く。
ごめんなさいごめんなさいって、目を腫らすくらいに、喉が枯れるくらいに。
「……サリュちゃん」
あたしはこの子の友達でいたから、いつだって傍でそれを見てきた。落ち着くまで近くに居てあげて、収まってきたら肩を叩いてあげて、それでまた泣き出すから、話を聞いてあげて。
正直、最近だとこれが一番キツかった。
それは勿論、あたしが及ばない力を見せつけられ、挙句にそのことを泣き付かれていたからというのもある。どれだけ足掻き苦しんでも届かないサリーユの力を、こんなの間違ってる、こんなの要らないって、……そんなことを聞かされるのは、最悪以外のなにものでもなかった。
だけど、それ以上に。
この子の言葉は、悲しみは、あまりに生々しいモノだったから。
その街は、水に関わる物事が盛んだった。
中心部に大きな水路が張り巡らされていて、そこを船で移動したことがある。魚やその他の生物たちも街ぐるみで放し飼いに育てられていて、専門に扱った料亭での味わいは格別だった。
街全体にも活気があって、男性は大柄で快活な人が多く、かと思えば女性はお淑やかで静かな人も多い。道に迷った時などには沢山の人が手を貸してくれて、船の位置などもよく見られるようにって場所を譲ってくれたりして、親切な人ばかりで。
そんな街が失われてしまったのだ、と。
そんな場所を奪ってしまったのだ、と。
サリーユは泣きこぼして、聞き手であるあたしにも、突き付けてきた。
ほとほと残酷で、容赦のない子だ。
「……ねえ、リリ。こんなの、間違ってるよ……っ」
間違ってるかどうかなんて関係ない。
だってこれは戦争なんだから。どれだけ平和で明るい街だとしても、あたしたちの国とは別の考えを支持して、対立してしまったのだから。
「そうだね。こんなの、間違ってるよね」
「ねえ、……どうすればよかったの。……どうすればいいのっ!?」
どうにもしなくていいし、どうにも出来ない。
放っておいたら、あたしたちの国が攻め入られる。過剰だとしても、国やレイナ先生の判断は最善の一つだ。なによりそれに逆らうことなんて、許される筈がない。
「どうすれば、いいんだろうね」
「このままでいいのっ!? ……でも、こうしなきゃ、……それも分かってるの!」
分かってるなら、それでいいのに。
仕方がないんだって、それしかないんだって、むしろ国の為に力を振るった英雄だって、そのくらいに考えてしまったっていいだろうに。
「うん、うん。そう、だよね」
あたしには、むしろ。
未だにそんなことを言って泣くことの出来るあなたが、本当に、不思議で仕方がなかった。
自ら潰してしまったモノを哀れみながら。
生まれ持った大きすぎる力を疎みながら。
戦いや死に苦しみ葛藤と後悔を抱え続けながら。
だっていうのに、馬鹿みたいに。
美味しい美味しいって味わってご飯を沢山食べて。
占いや不思議なんてものを楽しんで心を動かされて。
友情や恋愛なんて形のないものに一喜一憂して転げ回って。
「サリュちゃん」
あたしには、本当に。
あなたって子が、よく分からなかった。
だから嫌いだった。
だから一緒に居るのは、苦痛だった。
でも。
でも、それだけじゃなかったから。
不服ながら、それだけではなかったから。
あたしはずっと、サリーユの傍に居たんだ。
あの子の友達で、居たかったんだ。
「――――――――」
さて、それじゃあ。
どうしてこの日なのか。
錯覚によって弄り遊ばれたあたしの脳は、どうしてこの時の情景を思い浮かべたのか。
街を襲った後に限ったって、もっと沢山の候補がある。サリーユとのやり取りだって、もっと別のものが山積みだ。
ネネがどういう魔法を組んで、どういう意図の命令を忍ばせたのかは分からない。だからあたしの何を起点としてコレを想起させたのか、まるで不明だ。
まあ、あの子のことだから、もっとも屈辱的だった時とか、怒りに身を焼かれる程の瞬間だとか、そういう悲観的な感情をトリガーにしているのだろう。
或いは理解の出来ない気遣いやら慈しみやらで、最期なのだからと大切な場面を贈り物にしていたり、そういう可能性もあるかもしれない。
ああ、でも。
どちらにしたって。
あたしの内側から『たった一つの場面』が掘り起こされるなら、この光景に行き着くのは必然か。
日付も時刻も曖昧で、場所だって正直、間違って覚えているかもしれないけれど。
その瞬間だけは、その言葉だけは、絶対に忘れられない。
だってその時に、初めて。
サリーユは、――あたしに。
「……リリ?」
不意に、こちらへ振り返ったサリーユが。
その泣き腫らした目を、驚いたように開けて、――それから。
「…………リリは、強いのね」
そんなことを、言ってのけた。
「――――――――――――――――」
果たしてあたしは、どんな表情をしていて、どう見えてそんなことを言われたんだろうか。
それからそんなことを言われて、あたしは、どう反応をしてしまったんだったか。
腹が立つくらいに、見当違いで。
だけどなにも間違ってはいない、目測通りで。
思い知らされた。
この子は能天気で、直情的で、天然で、馬鹿で、勘も悪くて見る目もない。だから、あたしのことになにも気付いていなかった。
けれど、なにも見えていないワケでは、決してなくて。
あたしのような疑り深さも、ネネのような敏いところも、レイナ先生のような怖い視点も、そういう類のモノはきっと、持ち合わせていなかっただろうに。
だけどその時サリーユは確かに、正しくあたしを、――あたしたちを捉えていた。
あたしよりずっと強いサリーユが、あたしよりずっと弱くて。
サリーユより弱く力のないあたしが、サリーユよりずっと強くて。
それが、それを口にされたのが。
あたしは、ただただ嫌だった。
◇ ◇ ◇
なるほどね。
最期を彩るとは、まさしく。
あたしの一番触れられたくないところを、堂々と抉ってくるワケだ。
「本当に悪趣味が過ぎるよ、ネネ」
こんなの、尚更に。
殺したくなっちゃうじゃない。
「……ああ」
そしてあたしは、ようやく。
この身が熱さに包まれていることを、知覚した。
「……っ、たく」
悔しいけれど、あの女に勝手に持たされていた保険が役に立ったみたいだ。
傷だらけのこの身に、重ね掛けして掘り刻まれた。
九尾の狐とかいう妖怪の、『不浄を祓う狐火』とかいう式が。