第四章【59】「狂った師弟」
あたしがレイナ先生の弟子になったのは、サリーユよりも前だった。
一年くらいだったか二年くらい前だったか、その辺りは曖昧だけれど。少なくとも同い年ながら、弟子としては先輩だったことは覚えてる。
にも関わらず、出会って間もないころから、あたしとサリーユの間に力や技術の大きな差はなかった。
なにしろあの子の家は、いわゆる貴族ってヤツで。先生の下へ来る前から、当たり前に魔法を学んでいた。ある程度の知識を持った上で、あたしたちに合流したのだから。
対して、その真逆。
これを知っているのは、あたし自身と、先生だけだけれど。表向きには、サリーユや他の子たちと同じように、魔法使いの名家の出だってことになってるけれど。
あたしは両親の居ない、いわゆる戦争孤児ってヤツで。
運良くレイナ先生に拾われて、それから魔法を学んだ。
「私と一緒に来ますか?」
崩れ落ち、焼け果てた街の中。
そう言って、息も絶え絶えなあたしに手を差し伸べてくれた。
今でも確証はないけれど、そもそも街を襲い攻撃したのは先生だったのかもしれない。あの人だけの仕業でなくとも、あの人を含めた一団による侵攻だったのでは、と。
そうでなくとも、あの人がそうして炎の中から連れ出したのは、あたしだけだった。誰これ構わずじゃなくて、完全に利己的な観点。あたしに魔法の才があって、それを見抜いたからこそ、手を掛けて拾ってくれただけ。
使えるから、役に立つから、あの人の物として掬い上げられた。
先生の目的の為に、懐に入れられ育てられた。
それでも感謝はしていた。
もう顔も思い出せないけれど、生みの親に比べれば幾らもマシ。
「いつか誰かが」なんて風なことをほざいて嘘も盗みも嫌って、善性や思いやりに尽くして、乏しい生活を押し付けて来た両親なんかよりも、ずっと良かった。
時に厳しく、時に傷付けながらも、相応の力と生活をくれて。我慢や善意による自己満足なんて、形のないものじゃない、しっかりとした報酬をくれて。
あたしにとっては、最高の育て親だった。
残念ながら、狂った人ではあっただろう。邪悪な魔女と言われてもやむなしで、あたし自身、実感を以てそれを肯定する。
でもあたしは、あたしの望むモノを与えてくれた先生を、今でも好いている。……もっともだからといって、これ以上利用されるのはご免だから、離れた今もう一度戻ろうとは思えないんだけど。
まーそんな、割としっかり与えるものは与える人だったし。おまけに表向きは聖母みたいに取り繕っているから、恐ろしくも人望を集めていた。
弟子にもそれこそ信者みたいな子たちが沢山いたし、国の人たちとも良い感じの関係を築けていたようにも見えていたし。――結局、最後には国の中枢にまで取り入って、支配したワケだ。
本当によくやる、狡猾な魔女だ。
それで、そんな人のところで、魔法を学んだ仲で。
恐らくあたしと同様に、先生の本性に勘付いていながら。
それでも、サリーユよりもあたしよりも前から、レイナ先生の下に居て。
今でも変わらず、手先として魔法を振るっているのが。
ネネ・クラーナという魔法使いだ。
◇ ◇ ◇
その日のことは、よく覚えている。
いいえ、ネネのことを思い出すなら、その日以外には有り得ない。
それはあの子が初めてあたしへ踏み込んできて、その時互いに、コイツとは馬が合わないと納得したのだから。
「ふぁ~。寝坊しましたぁ~」
正午過ぎ。
お城の中庭で魔法について教わっていた際、ネネはそう欠伸をこぼしながら、遅れてあたしたちへと合流した。
国も大きな戦いを終えた後で、比較的平穏な頃。
だから講師の人もレイナ先生とは別の人で、魔法も攻撃ではなく治癒方面の授業だった。
とは言ってもそれなりにレベルの高い授業で、講師の人もかなりの腕だ。
先生の古い知人で、何度も教わった人で、……だから、ネネの遅刻にも慣れたもの。その人は大きく肩を落とすだけで、他の周りの子たちも、いつもの調子に頬を緩めるのだった。
「ごめんなさ~い」
そんなだから、ネネも大した反省を見せない。
だめだよーなんて仲の良いグループの子らに軽く注意されても、目立つ桃髪をくしゃりとかきながら、えへへと笑って終わりだ。
その様子を、生徒ら集団の中に居ながら、ほんの少しだけ引いた場所で眺めていたら。
「今日はぁ、リリーシャちゃんのお隣ぃ☆」
「あらら」
不意に、ネネはそのまま、いつものグループへ加わることなく。
あたしの隣へと、やってきた。
「珍しいね」
一体どういう風の吹き回しなのか。……なにが狙いなのかって、訝しんですらいたくらいだ。
けれどもあたしは笑顔を取り繕って、「じゃあよろしくー」なんて、返したのだけれど。
ネネは、いつもと同じ、あざといくらいに明かるげな表情で。
「今日はサリュちゃん、レイナ先生の用事で留守だし、別にいいんじゃなぁい?」
そんなことを、開口一番にぶちまけてきた。
それもあたし以外には聞こえないよう、授業が再開されてから、小声に抑えて。
だから、確信犯なのだと分かる。
鎌をかけるでもなく、そのまま叩き付けられたのだと。
「……なにそれー」
煽っているのか、腹を割って話そうという魂胆なのか。
どちらにしろ、面倒事には違いない。
ネネにそういう面を見せたことは、――見せたつもりはなかった。
だけれど、サリーユが居ないときのあたしは色々と素っ気なくしていたし、その時の授業のように、一人では一歩引いた位置に居ることも少なくなかった。いつもはサリーユに連れられて最前列に居るから、そのズレを勘ぐる子たちは、何人も居た。
でもそれには、『引っ込み思案なあたしを、サリュちゃんが引っ張ってくれる』『サリュちゃんが居ないと、やっぱり後ろに下がっちゃう』『本当は人付き合いなんて得意じゃない』なんて、そんな言い訳をして、そんな印象を与えるようにしていたつもりだ。
それをネネは、まんまと取り繕っていると見抜いて、更には口にするワケだ。
「…………」
まあ、必死で隠してもいなかった。
人付き合いが好きじゃないのは事実だし、サリーユ以外には取り繕う必要もない。バレても別段、サリーユ本人でなければ構わない。これが後から本人に告げ口されたとしても、やりようなんて幾らでもあるし。
……むしろなんなら、とっとと気付いてくれないかと、そんな風にすら思っていたくらいで。
あの子に取り入る為の嘘を、暴かれたところで。
だからどちらかといえば、ようやく気付いた上で、話題にしてくれるヤツが現れたのか。
しかしよりにもよって、それがネネなのか。
そう、安堵と落胆に気が抜けた。
ともあれ、じゃあ仲良くお喋りしよう、なんて気にもならないワケで。
「……授業中よ」
あたしはそう言って、対話を一方的に絶った。……の、だけれど、生憎それで引き下がる相手でもなく。
「授業中だからだよぉ~。み~んな先生代理のありがた~いお話を真面目に聞いてるからぁ、いい感じにコソコソ出来るじゃん」
「あら、あたしが聞いてないように見える?」
「お話は、聞いてないよねぇ。大事な要所要所を拾ってるだけでぇ。別にソレだって、必要不可欠とは思ってないでしょぉ~?」
「へぇ、知らなかった。ネネちゃんって聡いけど賢くないんだね。そういうのが後々になって、役に立ったりするんだよ」
「うべぇ~。それ、レイナ先生にもよく言われるやつぅ」
「だったらしっかりそうしなさい。先生の言うことなら大抵大事よ」
「あららぁ、大抵、なんだぁ」
小声ながらも、素っ頓狂な声を上げて。
見れば目も丸々として、小馬鹿にしたような反応だ。
「……なに、その反応」
「ネネはてっきりぃ、リリーシャちゃんって、レイナ先生の信者かと思ってたからぁ」
「別に間違ってないよ。あたしはあの人の弟子で、あの人以外の教えはあんまり参考にしてない。根っからのレイナ先生信者で、レイナ先生魔法の魔法使いよ」
「に、してはぁ、先生の話を大抵大事のラインで聞き分けてるんだねぇ~」
変わらず、驚いた様子のまま頷く。
なるほど。こっちも理解した。
ネネの聡さは、レイナ先生にも気付いているのだと。
「で? あたしが正気かどうかを確かめたかったの?」
ダラダラ続けられるのもだし、なによりこういう手合いの相手は疲れる。
だから早く切り上げられるようにと、あたしはネネに詰め寄った。
本題はなんなのか。今の話で納得出来たのか。
聞けば、ネネは。
「ん~。本題とは、違うんだよねぇ。あくまでリリーシャちゃんとお話しするのが目的だったからぁ、こうしてなんとなしに話せてるのが、むしろ本題でぇ」
だけど、強いて言うならば。
「これだけは聞きたかった、っていう質問は、一つだけ用意してるよぉ?」
そう断ってから。
彼女は右手の人差し指を口元へ当て、首を傾げ、桃色髪をふわりと揺らして。
可愛らしいままの無垢そうな表情で、あたしへ尋ねた。
「ねえ、リリーシャちゃんはぁ、どうしてサリュちゃんと一緒に居るのぉ?」
「……ッハ」
思わず、小さく笑いを吐き捨てる。
まったくもって、礼儀も容赦もなにもない。遠目ながらおめでたい頭の緩い子だって思っていたけれど、印象を改めるべきだ。
馬鹿には違いないし、ネジもぶっ飛んでるけれど、この子はもっと――。
――レイナ先生に、近い。
どこかが狂っている。
「ネネちゃん、分かってる? 危ないところに踏み込んでるけど?」
それへの返答も、変わらない満面の笑顔。
ああ、くそっ。コレはもう、完全に分かっている。
危うい深みへ、不躾に踏み込んでいることも。
遊びでは済まされない部分に、触れようとしていることも。
最悪機嫌を損ねればその瞬間、これからいつでも殺してやるって、たった今あたしが本気の殺意を抱いてしまったことも。
その上で、あたしがネネに手を出さないことを。
手を出せない立場であり、感情的になる前に、全部呑み込むことの出来る人間であることを。
コイツは、分かっている。
分かった上で、遊んでいるんだ。
「……いえ」
きっと、遊んでいる訳でもない。
彼女の言葉通りなら、それはこれだけは聞きたかったって質問で。彼女の目的は、あたしとお喋りすることにあって。
遊びなんてそんな、ただのコミュニケーションのつもり。
だからやっぱり、狂ってる。
そして、レイナ先生と同じで。
あたしには、ネネの笑顔の奥に隠された歪を見抜くことは出来なかった。
「……本当に面倒臭い」
重ねて、そんな面倒なモノを暴いて理解してやろうなんて気は、更々湧いてこないので。
これより後も、あたしはネネを深堀することはなかった。そういった危うさのある子なんだって、むしろ距離を置いたくらいだった。
けれど、結局その時は。
「まーいいわ。……どーせ分かんないだろうけど、言うだけ言ってあげる」
そう前置きをして、適当に、――でも、本当のことを言った。
ただ、その詳細までは覚えられていなくて。
果たして、なんて言ったんだったか。
多分、それくらいになんてことはない、当たり前のことを言ったんだと思う。
◇ ◇ ◇
それらを思い出せば、この状況にも納得だ。
レイナ先生自らが大きく関わったこの国、この島に、ネネが居残ったのは、必然だ。
なにしろあの人と同じ、狂った側の立場に居て。
なにより弟子としても、魔法使いとしても申し分のない。
サリーユ、そしてあたしに次ぐ、いわゆるナンバースリーの優等生なんだから。